2016.8.21発行
薄桜鬼真改ファンブック


通り雨



     はじまり



 それは夏も終わりに近い、 ある日の出来事。

 廊下の向こうから軽やかな足音が聞こえ、 倉の中で備品の整理をしていた井上源三郎は、 その足音の主を思って柔らかく微笑んだ。
 気配を殺した無音か、 騒がしい音のどちらかしかない新選組の屯所で、 こんな可愛らしい足音を立てるのは一人しかいない。
 やがて倉の引き戸がそっと開かれ、 若衆姿の小柄な人影が小動物のような仕草で中を窺い、 井上の姿を見つけるとあどけない顔に無邪気な笑みを浮かべた。
「井上さん」
「やあ雪村君」
 中に居たのが井上であったことに安堵した様子で、 雪村千鶴は倉の中に足を踏み入れる。
「土方さんの小筆の先が割れてしまって、 替えを頂きたいのですが……」
「ああ、 筆の替えならここに……おや?」
 引き出しを開けて筆を取り出そうとした手が止まる。
「どうかしましたか?」
「いや、 筆の残りがこれで最後みたいだ。 誰も補充してくれなかったみたいだね」
 苦笑しながら最後の一本を千鶴に手渡した。
「雪村君、 これからトシさんの部屋に行くんだろう? 誰かに買って来てもらえるように伝言を頼めるかい?」
 私はこれから用事があってね、 と申し訳なさそうに言う井上に、 千鶴は花のような笑顔で頷いた。
「はい、 わかりました」
 頼みごとをされるのが嬉しくてたまらない、 という思いがきらきらと輝く瞳に表れていて、 何とも微笑ましい。
 男では決して作り出せない、 柔らかな空気を纏う少女。
 男所帯の中に咲く一輪の花。
 日に日に娘らしくなってゆく千鶴の姿を見ていると、 娘がいるというのはこんな感じだろうか、 と井上の胸の中にあたたかなものが満ちた。
 そして思う。
 彼女はどんな男と恋に落ちるのだろうか――と。





     雨やどり



「成る程な」
 千鶴から井上の言葉を伝えられた土方歳三は、 何かを考え込むように目を伏せながら、 茶を一口啜った。
 さらりと濡れ羽色の髪が白皙を覆うように流れ落ち、 長い睫は鋭い紫色の瞳を隠す。 それでも町娘から花街の女達までもが見惚れる美貌は隠しようもない。
 しかし役者のようだ、 と評されるほどの美しさの中に役者のような甘さはなく、 刃の如き鋭利さが宿る。
 凍えるような寒さが染み入る月夜に、突きつけられた刀よりも冴え冴えとした鋭い眼光に見下ろされたことを思い出すと、 千鶴は今でも芯から震えてしまう。
 厳しい中にもふと見せる優しさも、 懐に入れた者に対するあたたかさも、 直に触れて知っているにも関わらず、 彼との出会いはそれ程までに衝撃的なものだったのだ。
「行くぞ」
「え?」
 ぼんやりと思い出に耽る千鶴の思考を打ち消すように、土方は飲み終わった湯飲みを置いて立ち上がる。
「買い出しだ。 来たけりゃ来いよ」
「土方さんが行かれるんですか?」
「良い息抜きになるからな。 それに他にも野暮用がある」
 手慣れた仕草で腰に刀を差し、 千鶴に視線を向けた。
「お前にも色々と必要なものがあんだろ。 この機会に買い込んでおけ」
「はいっ」
 答える声が嬉しそうに弾む。
 自由を制限されている千鶴には、 私用の外出の機会が滅多にない。 自分の買い物をしようにも、 隊士達との巡察中に私事を優先させるのは気が引けるし、 なるだけ幹部の傍から離れないよう厳命されている。 だから、 こうして幹部の誰かが連れ出してくれる時間は貴重だ。
 傍目にもうきうきしている千鶴の様子に、 やはり窮屈な思いをさせているんだな、 と土方の胸に微かな罪悪感が通り過ぎた。

「あれ? お出掛けですか、 土方さん」
 広間の前を通った時、 二人に気付いた沖田総司が問い掛けてきた。 その場にいた藤堂平助や原田左之助、 永倉新八の視線も一斉にこちらを向く。
 また何かロクでもねえことしてやがらねえだろうな、 という疑念が真っ先に浮かんでしまう面子に、 土方の足が止まった。
「買い出しに行ってくる。 総司、 お前はちゃんとおとなしくしてろよ?」
 名指しで念を押された沖田は、 「は〜い」と気の抜けた返事を返す。 しかし、 彼が土方の言いつけを守る気などないというのは、 この場の誰もが知る。 土方もそれは重々承知しているため、 沖田に向ける目線は厳しいままだ。
「千鶴も一緒に行くのか?」
「はいっ」
「そうか、 良かったな」
 大きな手で千鶴の頭を撫でながら、 微笑ましげに言うのは原田だ。 面倒見の良い彼は普段から千鶴を気に掛けており、 彼女を外に連れ出す役目を担うことも多い。 土方が千鶴を伴って外出する意味も、 すぐに察したようだ。
「土方さんにたくさん好きな物買ってもらえよ。 男に貢がせるのも、 いい女の証ってもんだ」
「いえ、それはちょっと……」
 爽やかな笑顔で恐ろしい台詞を吐かれ、 千鶴の表情が引き攣った。 さらに沖田がにこやかに追い討ちを掛ける。
「土方さんのお金なら遠慮なく使いなよ。 千鶴ちゃん、 僕にはお団子買って来て」
「俺の分も! で、 一緒に食おうぜ!」
「ついでに酒も頼むぜ土方さん!」
「うるせえぞてめえら!」
 落雷の如き土方の怒声に身を竦ませたのは千鶴だけで、怖いもの知らずの男達は口々に「ケチ」だの「鬼!」だのと不平を漏らす。
 これでは埒が明かないとばかりに土方は千鶴の腕を取り、行くぞ、 とだけ呟いて足早に広間から遠ざかるのだった。



続きは本編でどうぞ♪

16.8.20up

こんな感じで始まります。
四話構成で、簡単な内容は以下の通りです。
「雨やどり」・・・土方、風間、伊庭の三人の掛け合い。土方さんが苦労人です。
「雨あがり」・・・沖田、斎藤、相馬、野村のどたばた。小姓トリオが頑張ります。
「雨のあと」・・・平助、原田、永倉、坂本、不知火のほのぼの(?)。豆腐の話。
「雨と月と」・・・山南、山崎とのちょっとしっとりした感じの話です。

とらのあなさんで通販できます。



ブラウザのバックでお戻り下さい