2017.11.23発行
薄桜鬼真改ファンブック


夢綴り





 どこからか、泣き声が聞こえた。

 風に乗って届く、微かな声を辿った先で見つけたのは、ひとりぼっちの小さな女の子。
『どうしたの? 何があったんですか?』
 近づいて話しかけると、慌てて目元を拭って涙を隠そうとする気丈さに、彼女の矜持の高さが窺えた。
『こんにちは、八郎お兄さん。今日も【らんがくしょ】を読みにいらしたのですか?』
 診療所に招き入れてくれる少女は、泣いていたことなどなかったかのように、いつも通り振舞うけれど、頬に残る涙の跡は隠しようもなく。いったい彼女は何度、あんな風に一人で泣いたのだろう。
 目を真っ赤にしながらも笑顔を作るけなげさを、いじらしいと思うと共に、頼ってもらえない自分が情けなかった。
 彼女の涙を拭いてあげたい、降り掛かる悪意から守ってあげたいのに、この手はあまりにも無力で――。

 だから、強くなりたいと思った。
 大切な友人である少女を、守る力が欲しかった。


     ◇  ◆  ◇


「いいお天気」

 廊下の雑巾掛けを終えた雪村千鶴は、縁側から雲ひとつない晴天を見上げて額に滲む汗を拭った。
 この天気なら洗濯物もすぐに乾きそうだ。
 蒸し暑かった夏が過ぎて、季節は秋へと移り変わりつつある。吹く風は爽やかで、日が落ちれば少し肌寒ささえ感じるようになった。
 さて、これからどうしようか。
 朝餉の片付けは終わったし、洗濯も掃除も終えた。
 今日は親しい幹部達の隊は、昼の巡察の当番ではないから同行できない。土方にお茶を差し入れる頃合まで、部屋で繕い物でもしていようか。そんなことを考えながら濡れ縁に腰掛け、梁に凭れて目を閉じた。
 頬を撫でる風の心地良さに、次第に意識が霞み掛かる。
 夢うつつの中、誰かの足音が聞こえたような気がした。

「千鶴ちゃん?」
 勝手知ったる他人の家、とばかりに新選組屯所を歩き回っていた伊庭八郎は、見慣れた色を見つけるや真っ直ぐにそらちに足を伸ばした。近づいてもう一度呼び掛けようとして、ふと口を噤む。
「眠っているんですか?」
 ようやく見つけた探し人は、梁に凭れるようにして寝息を立てていた。近くに伊庭が立っても反応する気配はない。
 知らず、口元が笑みを象る。
「無防備ですね。こんな所で寝てしまうなんて」
 眠る彼女を見つけたのが、自分で良かったと思う。
 屯所では一部の隊士を除いて性別を隠しているというが、こんなに無防備な彼女が血気盛んな男達の目に晒されればどうなるか。彼女が眼を覚ましたら、懇々とその危険性を言い聞かせた方が良さそうだ。
 音を立てないよう隣に腰掛け、あどけない寝顔を愛しげに見つめながらそっと囁く。
「君は女の子なんですから、もっと警戒心を持たなきゃいけませんよ」
 今はまだ幼さが際立つが、大人の女と少女の間という危うい年頃の娘。小さな頃もとても愛らしい少女だったが、その頃の面影を抱いたまま美しく成長した。無粋な男装をやめて本来の姿に戻れば、きっと華やかに咲き誇るだろう。
(本当に、綺麗になったね千鶴ちゃん)
 桃色に色づくぷくりとした唇に視線が吸い寄せられる。瑞々しくて、柔らかそうで、味わえばきっと甘く幸せな味がするだろう。そして一度重ねたら最後、自分は夢中になって舌を絡め、息苦しさに喘ぐ声に煽られて深く、激しく彼女を責め立てるだろう。
 伊庭は頭を振って邪な思いを振り払う。
(……僕が理性を失ってどうする)
 やっと開いてきた彼女の心と記憶。向けてくれる信頼を裏切る真似は絶対にしない。
 拳をきつく握り締め、甘い誘惑を断ち切るように唇から視線を引き剥がした。

 初めてこの京で千鶴を見つけた日のことは、今もはっきりと思い出せる。忘れたことなどなかった、大切な少女。
 大道場の跡取りとして生を受けながら、荒事を好まない子供だった彼が初めて誰かを守りたいと思ったのが、雪村千鶴という小さな女の子だった。彼女を守る強さを手に入れるために剣を取り、彼女に相応しい男になるために将軍奥詰役という役職にも就いた。
 十年の年月が過ぎ、そろそろ彼女に会いに行ってみようかと考えていた矢先の偶然の出会いに、驚きと歓喜の念でしばらくその場を動けなかった。
 けれど状況はゆっくり感慨に耽る暇など与えてくれず、今にも騒動の渦中に飛び込んで行きそうな彼女を、慌てて押し留めた。
 そうして再び動きだした、 二人の時間。
 当初は伊庭のことなどすっかり忘れていた千鶴だが、何度か話すうちに徐々に記憶を取り戻してくれた。久しぶりに彼女の声で【八郎お兄さん】と呼び掛けられた時の感動は、今も胸を奮わせる。
 それだけで満足できれば良かったが、一緒にいられる時間が長くなる程。彼女が笑顔を向けてくれる度。もっと、もっとと望んでしまう自分がいた。彼女に手が届くかも知れない。そんな希望を抱いた。
「どうか僕を好きになって、千鶴ちゃん……」
 切なる願いを込めて。
 唇ではなく頬へ、触れるだけの口付けを落とす。


     ◇  ◆  ◇


 優しい手が髪を撫でる。
 父の手とは違うけれど、安心できる手だ。
 誰の手だろう……?
 ぼんやりとした視界が、誰かの顔を映し出す。
(はちろうおにいさん……)
 幼い声が親愛を込めて名を呼び、小さな両手を広げてその人に抱きつく。抱きとめてくれるのは、自分よりも少し大きいけれど、大人と比べればずっと細くて小さな身体。
 大好きな人。誰よりも安心する場所。
 ああ、そうだ。この人は――。

「おはようございます、千鶴ちゃん。目は覚めましたか?」
「ん……はい、おはようございま……す?」
 寝ぼけ眼を擦りながら返事をして――はたと止まる。
 慌てて顔を上げると、何故か間近にある伊庭の笑顔。
「えっ? どうして伊庭さんが!?」
 事態が飲み込めず、きょろきょろと辺りを見渡す。
 どうやら掃除の後、一休みするだけのはずがいつの間にか居眠りしてしまったようだ。周りの風景は眠りに落ちる直前と変わりはないが、眠る前はなかったはずの存在が、すぐ隣に座る彼だ。
「あの、ずっとここにいたんですか?」
「いえ、ほんの四半刻ほどです」
「しは……っ」
 そんなに!?
「とても気持ち良さそうに眠っていたので、起こすのは忍びなくて」
「起こして下さい、是非っ!」
 千鶴の必死な声に、伊庭は楽しそうにくすくすと笑う。
 いつもは優し過ぎるほど優しいくせに、時々少し意地悪なのだ、この人は。

「お、八郎、ここにいたのかよ」
 不意に騒がしい声が聞こえたかと思うと、永倉や原田、平助がこちらに歩いてきた。木刀を手にしているところを見ると、鍛錬だろうか。
「土方さんからお前が来てるって聞いて、捜したんだぜ。せっかく来たんだから打ち合って行くだろ?」
「見つかってしまいましたか」
 千鶴にだけ聞こえるくらいの小さな声でそう言って悪戯っぽく笑い、伊庭はいつもの穏やかな笑顔で永倉達の方へと進み出る。
 そうして始まる試合を見ていたいのは山々だが、とりあえず彼らのためにお茶を用意しようと、千鶴は勝手場に向かうのだった。

 お茶を載せた盆を手に戻ると、伊庭は後から加わったらしい斎藤と打ち合っていた。
 先ほどまで千鶴に向けていた顔とはまったく違う表情で、目で追うのがやっとの斎藤の剣と渡り合う伊庭。新選組屈指の剣豪とも互角に戦える技量には、いつも驚かされる。
(伊庭さんって、すごく強い方なんだ……)
 千鶴の記憶におぼろげに残る彼は、本を読むことが好きな大人しくて優しい少年だった。身体も細く、とても剣を振るうようには見えなかったものだ。だから、幼い頃に一緒に遊んでくれたお兄さんと、将軍奥詰役の伊庭が同一人物だとは、思いもしなかった。
「一本!」
 壮絶な打ち合いを繰り広げていた二人だが、やがて審判役の永倉の声に勝負が決したことを知らされる。

 その後も相手を替えて打ち合ったり、平隊士の指導をさせられたりと、伊庭は引っ張りだこだった。
 千鶴が土方にお茶を差し入れたり、繕い物をしたり、洗濯物を取り込んでいる間も隊士達の威勢の良い声が響き渡り、いつしか日が傾いて西の空が茜色に染まるまで、賑やかな声が止むことはなかった。




続きは本編でどうぞ♪

17.11.10up

こんな感じで始まります。今回は『夢』がテーマ。
千鶴ちゃんと伊庭さんが色んな夢を見ている話です。
五話構成で、屯所時代〜ED後のそれぞれの伊庭千の形を書きました。
性描写もありますので、18歳未満の方は購入しないで下さいね。



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