或る騒がしい日





「まったく、あの人はどうしようもないな」

声に隠し切れない怒りを滲ませる山崎烝に、自分が叱られているわけでもないのに千鶴は居た堪れなくなった。

冷静で思慮深く見える優秀な監察方ながら、その実内心に激しさを併せ持つ。
そんな普段は隠された一面を垣間見れて何となく得したような気分でもあったが、それ以上にこんな事情に巻き込んでしまったのが申し訳ない。

しかしとある人物に対する怒りを全身から醸し出しながらも、足に触れる手は宝物を扱うように丁寧で慎重だ。

「足首が少し腫れているな。骨に異常はないようだが・・・」

切れ長の鋭い眼と細い指が注意深く足首の様子を確かめた後、患部に湿布を貼って包帯を巻きつける。

次に、濡れた手拭いを巻いた手を取る。
手拭いを外し、現れた千鶴の白い手が一部分赤く爛れているのを見て、山崎は痛ましげに眉を寄せた。

「すぐに患部を水で冷やしたのは良い判断だが、そもそもあの人のせいで負った怪我だと思うと、褒める気にはまったくならん」

「・・・・・・・・・」

触らぬ神に祟りなし、とばかりに千鶴は沈黙を貫く。
今の山崎には下手なことは言わない方が良い。
こうなった元凶を庇うような発言は以ての外だ。


山崎がいくつかの薬草を擂鉢で擂り潰している間、千鶴は部屋の中を見渡してみる。
そうすると、不思議と安堵感が胸を満たした。

(何だか懐かしい)

部屋を満たす薬の匂いも、所狭しと置かれている様々な医学書や医療器具も、幼い頃から目に馴染んだ光景だ。

「雪村君、どうしたんだ?」

「あ、いえ、この部屋が実家を思い出して懐かしくなって・・・」

「ああ、なるほど」

千鶴の言葉に、山崎の表情がようやく緩んだ。

蘭方医の父親を持つ千鶴の実家は診療所だ。
そこまで本格的ではないが、薬品や医療器具の揃った部屋は彼女にとって居心地が良いのだろう。
自身も鍼医者の息子として生まれ育った山崎には、その気持ちがよくわかる。

「君の蘭学や薬学の知識にはいつも感心している。網道さんは腕の良い医者だったようだな」

「はい。毎日患者さんのために頑張っている素晴らしいお医者様です」

父を褒められ、心から嬉しそうに応える千鶴だが、すぐにはっとしたように口を噤んだ。
彼女にとっては優しい父であり、尊敬する医者でもあった雪村網道。
彼がこの新選組で何をしていたのか。それを思い出したせいだろう。

「君は、君にとっての父親の姿を信じればいい」

言いながら千鶴の手を取り、調合した薬を患部に優しく塗る。
千鶴は驚きに目を丸くしていたが、やがて面映げに笑みを浮かべて「はい」と頷いた。





薬を塗り終わると、手にも包帯を巻いて手当てを終えた。

「今日は部屋で安静にしているように。雑用もやらなくていいから」

「でも、それほどたいした怪我ではないですし」

「たいした怪我ではないと侮ってはいけないことは、医者の娘である君ならよくわかっているはずだ。今日一日は無理をしてはいけない。いいな?」

厳しい声音で念を押されると、千鶴は素直に頷くしかなかった。

確かに山崎の言う通り、怪我を甘く見て放っておいたせいで重症化することは間々ある。
千鶴の場合はその例に漏れるのだが、それは他人に知られてはならないこと。
ここで頑なに主張すれば不審に思われてしまうだろう。
ならば今日は山崎の言うことを聞いて、おとなしくしていた方が良さそうだ。

山崎に礼を言って部屋を出ると、間合いを計ったように廊下の向こうから近づいてくる人物があった。

「あ、沖田さん」

千鶴が口にした名前に、器具を片付けていた山崎の手が止まる。

「手当て終わった?」

「今終わったところですけど」

どうしてここにいるのだろう、と不思議そうに首を傾げる千鶴の前に立った沖田総司は、包帯を巻かれた彼女の手と足を見下ろして笑い混じりに言った。

「君も運がないよね。手を火傷しただけじゃなく、足まで捻るなんてさ」

「沖田さん!」

沖田の軽口に、山崎が険を含んだ声を上げる。
しかし沖田は山崎の怒りなど何処吹く風とばかりに無視し、ひょい、と千鶴を抱き上げた。

「え、ええ!?」

「部屋に戻るんでしょ。僕が運んであげるよ」

ここまで連れてきてあげたのと同じように、と言葉が続く。

千鶴に応急手当をし、ここまで運んできたのは確かに沖田だ。
足を捻挫しているのだから、あまり歩かない方が良いというのもわかる。
だが、山崎はこれだけははっきりと物申したかった。

「そもそもの原因は貴方でしょうが!!」

山崎の怒声を背に受けながら、沖田は真っ赤になって慌てる千鶴を腕に抱いたまま、彼女の部屋を目指す。



「はい、到着」

何度も「下ろして下さい〜っ」と懇願して、やっと下ろしてもらえたのは千鶴の部屋の中に入った後だった。
ここまで誰とも擦れ違わずに辿り着けて、本当に良かった。
親しい幹部ならまだしも、千鶴の事情を知らない隊士達に見られたらどうなるか。沖田も予想できないわけではないだろうに。

「運んで下さってありがとうございます・・・」

文句の一つも言いたいところだが、ここはぐっと我慢しつつ沖田から身を離そうとするも、何故か千鶴を下ろした姿勢のまま動かない。
不思議に思いながら彼を見上げると、笑みの消えた顔がじっと千鶴の手を見つめていた。

「傷・・・まだ痛む?」

「え?」

「火傷の痕、残るのかな・・・」

沖田の視線は包帯の巻かれた手に注がれている。

「いえ、すぐに水で冷やしましたし、すぐに治りますよ」

「僕に気を遣う必要はないよ。綺麗に治るかどうかなんて、治ってみなきゃわからないんだから」

ふい、と千鶴から視線を逸らした沖田は暫しの沈黙ののち、ぼそりと呟いた。

「痛い思いさせて、――ごめん」

まさか沖田から謝られるとは思わず、咄嗟に言葉が出なかった。
常にない殊勝な態度に、彼が千鶴の怪我を相当気にしていることが窺い知れる。

気にしないで下さい、と言っても無理そうだ。口先だけの慰めなど何の効果も無い。
沖田の胸の痞えが取れるのは、怪我が完治した後だ。

(本当に、気にしなくていいんだけどな)

この身に備わる異常なまでの治癒力の作用で、明日には火傷も捻挫もほとんど治っているのだから。
三日も経てば怪我をした事実など無かったように、痛みも傷跡も綺麗に消えているだろう。

とはいえ一日や二日で治ったなんて知られれば、流石に不審に思われる。
心苦しいが、少なくとも十日ほどは黙っているしかない。

(でも、その後は――)

火傷の痕など微塵も残らぬ手を見せて、沖田を安心させよう。
そうすれば、いつもの彼に戻ってくれるはずだから。

そんなことを考えていると。

「これあげる」

つっけんどんに手渡されたのは、小さな巾着だった。
何だろう、と開けてみると、中には色とりどりの金平糖が入っていた。

(もしかして・・・)

お詫びとかお見舞いのつもりだろうか。
思わず沖田を凝視すると、決まり悪そうに目を逸らされた。

「君、甘いもの好きでしょ」

「はい、ありがとうございます」

何だか胸の奥がほっこりとあたたかくなって、自然と笑顔が広がる。
その様子に毒気を抜かれたように、沖田は「変な子・・・」と小さく呟いた。

不意に、障子戸に影が差したと思うと、音もなく黒い着物の男が現れた。

「雪村、怪我の具合はどうだ?」

「あ、斎藤さん」

「一君、片付けは終わったの?」

「・・・・・・・・・ああ」

沖田に向けられる斎藤の目線は氷のように冷たい。

「すみません、斎藤さん。片づけを任せてしまって」

「あんたが詫びることではない。それより容態はどうだ」

「大丈夫です。今日一日は安静にしていろと山崎さんに言われてしまいましたけど、明日からはちゃんとお仕事しますから」

「いや、当分の間は無理をするな」

「そうだよ。うっかり悪化させたらどうするのさ」

二人掛かりで嗜められてしまった。
申し訳なさと同時に、二人から向けられる気遣いが嬉しくも思う。

すると斎藤は自分の懐を探り、包みのようなものを取り出した。

「石田散薬を持ってきた。これなら火傷も捻挫もたちどころに」

「いらないから、それ」

言葉が終わる前に、沖田が無情に斬り捨てた。
そして千鶴に渡そうとした石田散薬の包みを取り上げ、斎藤の懐に戻す。

「これは一君にしか効果のない薬だから、一君が使いなよ」

「・・・・・・」

無表情ながら、斎藤が酷く落ち込んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
いやしかし、何やら捨てられた犬が途方に暮れているかの如く、遣る瀬無さが胸に迫ってくる。

「あの、斎藤さん。私はお酒が飲めないので石田散薬の効能を受けられないと思うんです。でもお気持ちはとても嬉しいです。ありがとうございます」

千鶴の言葉に機嫌が良くなったのか、斎藤の顔が僅かに和らぐ。
千鶴ちゃんも一君の操作が上手くなったよね、と沖田が呟いた言葉はどうやら二人には理解されなかった。


その時、バタバタと慌しい足音が聞こえてきた。

「千鶴、怪我大丈夫だったか!?」

「千鶴が怪我したってどういうことだよ?」

勢い良く部屋に駆け込んで来たのは、藤堂平助と原田左之助だ。
血相を変えて飛び込んできた二人は、気遣わしげに包帯の巻かれた千鶴の手や足を見やる。

平助の顔は情けなく歪み、対照的に原田の表情は険しさを帯びた。
巡察帰りらしく、隊服を着たまま凄まれると余計に迫力を感じる。

「で、何があったんだ?」

原田はやけに静かな声で、総司、と名指しした。





■■■■■





「あ〜、つまりこういうことか。千鶴が茶の用意していたら――」

話を聞き終えた原田は、疲れたような呆れたような面持ちで話を整理し始めた。



――それは一刻ほど前の出来事。
千鶴は土方に差し入れる茶の用意をするため、勝手場で湯を沸かしていた。


同じ頃、外出から帰ってきた平助は庭を通り掛った。
買って来た団子を手に千鶴を捜していた時、突如聞き慣れた怒声が響き渡った。


総司! てめ―――っっっ!!!”―――と。


その直後である。
にゃーにゃーにゃーにゃーにゃーという大合唱と共に、土方の部屋からわらわらわらと飛び出した猫たちが縦横無尽に廊下や庭を走り回りだしたのは。

何だこりゃあ、と叫び声を上げる平助。
何事だ、と部屋から飛び出してくる斎藤。
あはは〜と暢気に笑いながら逃げる沖田と、それを鬼の形相で追う土方。
墨でも引っくり返したのか、土方の顔や着物や袴があちこちやたらと汚れているのが遠目にもわかったという。


ところで、京は昨日まで長雨が続いていた。
やっと訪れた晴天に、庭には所狭しと洗濯物が干され、気持ち良さそうに風にはためいていた。
地面は長雨の名残か、所々渇ききらない水溜りも残っていた。

あっちへこっちへ自由奔放に走り抜けていく猫たちは、次々に洗濯物に泥水を撥ねたり、パタパタと揺れる褌にじゃれついたり、竿を倒したりとやりたい放題暴れ回る。

慌てて猫を止めようとした平助だが、その拍子に団子の包みを落としてしまった。
そして運悪く結びが解け、転がり出た団子をあっという間に猫たちに奪われたのだった。

俺の団子―――っ!!”と絶叫し、猫を追い回すうちにさらに被害は拡大し、せっかく干していた大量の洗濯物のほとんどは見るも無残な惨状に変わり果てた―――とは一部始終を目撃した斎藤の言葉だ。


一方、暴走する猫の一群は屯所の中を走り回り、ついに厨を襲撃した。

幸い夕餉の支度にはまだ時間があるため、準備すら始めていなかったが、そこには釜戸で湯を沸かす千鶴がいた。



「―――で、飛び込んできた猫が鍋を蹴り倒して熱湯が手に掛かり、転んで足を捻ったってわけか・・・」

「はい。そこに沖田さんが来られて、私を井戸に運んで手や足を水で冷やして下さったんです」

そこで目に飛び込んできた屯所の惨状に呆気に取られ、痛みを忘れられたのは良かったと言っていいのか判断に迷うところだ。


その後、沖田は山崎のもとに千鶴を運んだ後、屯所中を駆け回る猫たちを一匹残らず回収して回り、平助は泥塗れになった洗濯物をすべて洗い直す羽目になり、斎藤は他の隊士と共に後片付けに追われていたという。

ちなみに土方の自室も被害が大きく、今頃は激怒しながら片付けているだろう、と沖田が妙に楽しげに語り、斎藤に睨まれていた。

「総司のせいで散々だったぜ・・・」

「まったくだ」

思いっきり巻き込まれた平助と斎藤は、心底疲れた表情で深いため息を吐いた。

「でも一君はともかく、平助は自分で被害を広げてたじゃない」

「確かに」

「そ、それは・・・っ」

反論したいができない。
特に斎藤には平助が壊したものまで片付けさせてしまったのだから。


三人のやり取りを呆れたように見ていた原田は千鶴に視線を移し、問う。

「で、怪我の方は大丈夫だったか?」

「はい、山崎さんに手当てして頂きましたし、すぐに治ると思います」

「怪我を甘く見てると痛い目見るぜ。とにかく足を崩して座ってろ。もっと座布団持って来るか。どこかに行きたい時は俺を呼べ。抱いて連れて行ってやるから。ああ、それから今日の夕飯はここに運んだ方がいいよな。一人で寂しけりゃ俺が一緒に」

「って、左之さん! 何怒涛のように千鶴に迫ろうとしてんだよ!」

「左之、雪村が困っている」

「ほんと、油断も隙もないよね、左之さんって」

「何言ってやがる、俺はただの親切心でだなあ」

ぎゃあぎゃあと言い合いを始める四人。
殺気すら飛ばす新選組幹部達の争いをどうやって止めればいいのかわからず、千鶴はおろおろとうろたえるしかなかった。





山崎は、調合した薬や包帯の替え、暇つぶし用になればと何冊かの本を手に、千鶴の部屋を目指して廊下を歩いていた。

彼女はちゃんと安静にしているだろうか。
聞き分けの良い娘だが、一方で他人に気を遣い過ぎるところがあるから、目を放した隙に無茶をしていないか心配になる。
あの分では明日から何かと仕事を見つけそうだし、せめて今日一日はじっとしているように、もう一度よく言い聞かせておこう。

そんなことを考えていると、何だか笑いが込み上げてきた。
どうも彼女には調子を狂わされる。だが、それが不快なわけではない。
千鶴を何かと心配してしまう自分に戸惑いはしても、その気持ちを殺そうとも思わない。

いつかは切り捨てなければならない感情だとしても、今はまだこの甘く心地良い温かさを大切に胸に秘めていたかった。


ふと、どこからか争う人の声が聞こえ、山崎は注意深く神経を尖らせた。

敵意の篭った複数の声の応酬。今にも刀を抜きかねない剣呑な空気が痛いほど感じられる。
隊士の間で諍いが起きているのだとすると、監察方として無視することはできない。

果たして声はいったいどこから・・・、と歩を進めているうちに、やがて現場が判明し、一気に脱力した。

(あ、あの方々は〜〜・・・っ)

怪我人を安静にしてやることもできないのか!

現場がわかり、声の主にも見当が付けば、後はもう何があったかなど考える必要はない。
そこには容易に想像が付く、馬鹿馬鹿しい理由しか転がっていないのだから。


止まってしまった足を憤然と動かし、山崎は目的地まで大股で突き進む。
“雪村千鶴の部屋”の前まで辿り着くと、すう、と大きく息を吸い込んだ。


そして、今日何度目かも解らぬ怒声が新選組屯所に響き渡るのだった。



〈了〉

16.10.11up

皓月庵』のちょこ様のイラストをもとに書かせて頂きました♪
ちょこさんの描かれる、様々なシチェーションのイラストには
いつも楽しませて頂いております♪

山崎さんで始まり山崎さんで終わる話ですが、
カップリングは何になるんだろう(苦笑)。
崎千ぽくなるかな〜、斎千も入れたいな〜、あれ、沖千?
・・・て感じになりました・・・。



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