桜月夜 〜覚醒〜後日談一





「ああ、龍之介君、無事で良かった!」

「・・・平間さん」

左之助に連れられて忌まわしい建物から出てきた龍之介は、安堵を浮かべて微笑む平間に迎えられた。
平間は龍之介の手に大事そうに包まれた携帯電話に気付くと、嬉しげに笑みを深める。


下校途中、友人の平助と共に龍之介が誘拐されてから数時間。
平助の親戚の少年達の殴り込みによって、二人は無事に救助された。

二人が監禁されていた建物の中では未だに何かの割れる音や、悲鳴が上がっている。
何が起きているのか知りたいような知りたくないような、複雑な心境を抱える龍之介は、護衛のために傍に残った左之助が零した「楽しそうだな・・・俺も混ざりてえ・・・」という呟きを聞かなかった振りをしながら、彼らが暴れ終わるまで建物の外でじっと待っていた。

その傍らで、平間は自分の携帯電話で龍之介の無事を芹沢に報告する。
一通り話し終えると、携帯電話を龍之介に差し出した。

「旦那様に声を聞かせてあげて下さい」

戸惑う龍之介を励ますように電話を持たせると、彼はおずおずと通話口の向こうにいるであろう男の名を口にする。

「せ、芹沢さん・・・?」

『ふん、犬の分際で主人の手を煩わせおって、この駄犬が。貴様は今夜晩飯抜きと思え』

返ってきたのはいつもの芹沢の厳しい声音だった。しかも内容は理不尽極まりなく、龍之介は思わず叫び返す。

「ちょっと待ってくれよ! 俺のせいじゃないだろうが!!」

『喧しいわ。さっさと帰って来い、愚図が!!』

叩きつけられた言葉の直後、ブツッと通信が切られた。

茫然と立ち尽くす龍之介に、左之助のあっけらかんとした声が降り落ちてくる。

「いい父ちゃんだなあ、本当に」

「い、今の声聞こえただろ!? あれがいい父親の言葉かよっ!!」

「早く帰って来い、て言われたんだろ? 心配してくれてたんじゃねえか」

「う・・・」

確かにその言葉は少し嬉しかった。
いつか出て行ってやる、と心に誓ったはずの家に、今は不思議と帰りたいという気持ちが湧き上がってくる。


常日頃虐げられているからこそ、些細な言葉が嬉しいなんて。

(まるっきり芹沢さんの犬だな)

内心の本音を押し隠し、左之助はにっこりと微笑んだ。
総司が彼をからかいたくなるのもよく解る。





■■■■■





龍之介は数年前まで孤児だった。

物心つく前に父親を事故で亡くし、女手一つで龍之介を育ててくれた母も無理がたたって病気になり、他に身寄りのなかった龍之介は施設に入れられた。
施設に預けられて一年も経たないうちに母も他界し、彼は天涯孤独の身となってしまう。

頼る者を亡くし、生来の人見知りな性格も災いしていつも一人ぼっちでいた幼い龍之介。
施設の職員は皆優しいが、大勢の子供達の面倒を見なければならない中で、龍之介一人にかかずらってはいられなかった。

そんな中で余計に孤立感を深めていた龍之介だが、唯一人、そんな彼のそばに近寄って来る人物がいた。
龍之介より一つ年下の、“静”という名の可愛らしい少女。
彼女は孤児ではないが貧しい家庭に生まれ育ち、下に何人か弟妹を抱えて苦しい生活を強いられていた為、長女である彼女が一時施設に預けられていた。

龍之介とは違って明るくて優しい性格の少女は誰からも好かれたが、何故か静は龍之介の傍にいたがった。
他人に対して素直になれない龍之介も、年下の少女から向けられる掛け値なしの好意に悪い気はせず、次第に彼女の存在を受け入れていった。

だが、そんな二人にもやがて別れの時が来る。
静の親戚の夫婦が彼女を引き取ることになったのだ。

龍之介と離れることを嫌がり、泣き叫んでいた静の姿は今もまだ龍之介の脳裏に焼きついている。
思い出せば胸が痛む記憶だが、同時に彼女と交わした大切な約束も思い出される。

“おおきくなったら、あいにいくから、なくな”

彼自身も泣きたいほど辛かったが、涙を堪えて静を諭した。

“ぜったいだよ? やくそくよ、りゅうのすけちゃん!”

真っ赤な頬を涙で濡らしながら、静は龍之介の小指に自分の小指を絡め、何度も指きりを強請った。

龍之介にしがみ付いてわんわん泣き喚く静を大人達が数人掛かりで何とか引き剥がして迎えの車に乗せ、彼女を乗せた車は施設を去って行く。
遠ざかる車を見送りながら、龍之介は再び一人ぼっちになってしまったことを痛感していた。

そんな頃、通う小学校で龍之介にやたらと構ってくる存在があった。それが、平助だ。
元気で明るく、思い込んだら一直線な彼は、“放っておけない”と言いながら龍之介に話しかけてくるようになった。邪険にされてもめげずに張り付く彼は、まるですっぽんのようだったと当時を振り返る。

龍之介とは違って多くの親戚が集まる大家族を持ち、しかも裕福な一族の一員である平助に嫉妬めいた気持ちがなかったといえば嘘になる。
だが、彼に連れられて彼らの道場に訪れた時、どこの戦闘集団の秘密組織かと思うほど過酷な稽古を目の当たりにし、自分はこの家族の中ではやっていけないと痛感した。
大人も子供もとにかく容赦がないのだ。あれはもう弱肉強食の獣の世界だ。
中でも二つ年上の総司は最悪だ。奴は子供の皮を被った悪魔だ。

勇や敬助、歳三等は尊敬できるし、一や、龍之介と同じく外部から道場に通う山崎とは割と気が合うが、稽古に関しては付いていけない。
この家に生まれなくて本当に良かった、とそれまで平助に抱いていた嫉妬心は跡形もなく消え去った。

慣れてしまえば、平助は静とは違った意味で大事なものになっていった。
おそらく彼が初めて友人と呼べる存在なのだろう。

そしてある日、転機は訪れる。

突然施設の職員達が慌しくなったのを、龍之介は遠くから他人事のように眺めていた。
慌てふためく大人達の様子に、子供達が不思議そうに首を傾げていた時、一人の男が現れた。

厳めしい顔つきにがっしりとした体躯、醸し出される威圧的な雰囲気。
鋭い目線に見据えられた子供達は、怯えて泣き出す者も少なくなかった。
平助の家で恐ろしい人間達を何人も見ていなければ、龍之介も萎縮して震えていただろう。

男の視線が自分を捕らえた時、龍之介は持ち前の無鉄砲な負けん気を発揮して思わず睨み返してしまう。
それに気付いた男の眼がスッと眇められ、龍之介の前に立つと、フン、と鼻で笑った。

“何だ? このみすぼらしい仔犬は”

これが、龍之介と芹沢鴨の出会いだった。



“この馬鹿犬をうちで躾けてやろう”

芹沢のこの言葉で、龍之介の養子縁組が決まってしまった。

あれよあれよといううちに芹沢邸に連れてこられた龍之介は、現状を理解する間もなく家人達の前に立たされる。
物珍しげな視線の中、芹沢の隣に立つ女性が龍之介に歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがんだ。

『今日から私が貴方のお母さんになります』

『・・・・・・』

龍之介は、艶然と微笑む女性を注意深く見つめた。
芹沢鴨の妻だという“梅”と名乗る女性は、二十歳前後の若く美しい女だ。
こんな人が何故あんな厳めしい男と結婚したのだろう。

『というわけで、龍ちゃん』

『龍ちゃん!?』

『私のことは梅ママと呼んでね』

『はあ!?』

更に梅は芹沢を示すとこう言った。

『そしてあの人のことは鴨パパと呼んであげて?』

無理だろ。

絶句する龍之介を見つめる梅の眼はキラキラと輝いている。
“梅ママ”と呼ばれるのを心待ちにしているのが窺えた。
梅の肩越しに見える芹沢は相変わらずの無表情のまま、微動だにせず龍之介を睨んでいる。
“呼ぶのは許さん”と言いたいのか“早く呼べ”と言いたいのか判断がつかない。どちらにしても絶対に呼びたくはないが。

『う・・・梅・・・さん』

やっとのことで声に出した呼び名に、梅はあからさまに落胆した。
そして色香に溢れた美貌を哀しげに歪め、男心を擽る声音で甘やかな泣き声を零す。

『ママって呼んでくれなきゃいやいやいや〜っ』

『か、かんべんしてくれよ〜っ』

静との別れ以来、龍之介が心底泣きたい気分になったのは後にも先にもこの時だけである。


テレビなど観ない龍之介は知らなかったことだが、芹沢鴨という男はかなりの著名人だったことを養子になってから痛感した。

平助の一族と並び立つほどの名家であり、権力者の血統である彼は政界や財界にも広く名が知れていた。
そんな名家に養子に入ったことで、龍之介まで世間から注目されてしまう。

騒動が治まるまでは本当に大変だった。
どこにいても待ち構える報道陣に見つからないよう、家の中と学校内以外は全く気が休まらないのだ。
しかも家では養父である芹沢の我侭と暴力に耐える日々を送り、学校では総司による悪質きわまりない悪戯と毒の篭った嫌味に晒される。その二人からようやく解放されるのが教室なのだが、連日マスコミに追われている龍之介を見る周囲の好奇心に満ちた眼が痛い。
精神的にも辛い日々だったが、そんな彼を励ましてくれたのが平助や芹沢家の人達だった。

芹沢に殴られる度、総司に苛められる度、こんな生活から抜け出したいと願っていた。

だが、芹沢や平助達と関わることで“一人ぼっち”ではなくなったのも事実なのだ。





■■■■■





いつの間にか、建物の中から聞こえてくる喧騒の音が止まっていた。

出入り口から出てくる見慣れた少年達の顔は、皆どこかさっぱりしている。
稽古を終えた時に見せる満足した表情と同じ、散々暴れ尽くした後の達成感を満喫している顔だ。

「ちくしょう、どいつもこいつもすっきりしやがって・・・」

すぐ傍で呟かれた左之助の怨念の篭った声は聞かなかったことにして、最後に建物の中から出てきた歳三が全員の点呼を取った後、揃って車に乗り込んだ。

まずは芹沢邸に向かうことになる。
歳三達が乗っていた自転車を置いたままだったのもあるが、芹沢に一言礼を言いたい、と彼らが強く希望したのだ。

邸に辿り着き、玄関に入った途端に出迎えに現れた梅が龍之介を抱きしめた。

「龍ちゃん、無事で良かった!」

「う、梅さん、あの・・・っ」

梅の柔らかな身体の感触や優しい匂いに包まれ、龍之介はどうすればいいのか解らずに硬直する。
一頻り龍之介の無事な姿を確認すると、梅はようやく龍之介と平間以外の存在に気付いていつもの淑女然とした姿に戻る。

「ようこそいらっしゃいました、東雲家の皆様。この度は我が家の龍ちゃんが大変お世話になりました。主人がお待ちしておりますので、居間にどうぞ」

「ありがとうございます」

丁寧に応じながらも、龍之介を見る眼がからかいを含んでいるのは見なくても解った。

居間では芹沢が普段と変わらない様子で、一人掛けソファにふんぞり返って子供達を待っていた。

「どうやら駄犬を回収したようだな。褒めてやらんでもないぞ」

「俺達は仲間を助けたかっただけだ。あんたんとこの犬はそのついでだよ」

「あんたまで犬呼ばわりかよ!」

思わず食って掛かるが、歳三の顔には晴れやかな笑みが浮かんでいる。
芹沢に合わせて冗談で返したのは解るが、それでも犬呼ばわりは納得できない。

文句の一つも言いたいところだが、どうせ彼らは聴く耳など持たないだろうと諦め、龍之介はずっと手に持っていた携帯電話を芹沢に差し出した。

「芹沢さん、これ・・・」

「ふん、自分の家に辿り着くこともできん馬鹿犬が。主人の手を煩わせおって」

「いや、そんなこと言われても・・・」

誘拐犯相手に子供一人でどうしろと・・・。

しかし、続くはずの言葉は芹沢が懐から出した鉄扇による一撃に封じられた。

「いってえ!」

「さっきも言ったが今晩は晩飯抜きだ」

言い捨てるや、芹沢はさっさと部屋を出て行った。

残された龍之介はズキズキと痛む頭を抑えながら悔しさに歯噛みする。
やっぱりこんな所出て行ってやるっと決意も新たにしたところに、梅の楽しげな笑い声が聞こえた。

「可愛い方」

視線の先は、芹沢が今しがた出て行った扉がある。
つまり芹沢を“可愛い”と言ったのだろうか。

「どこかだよっ」

信じられないものを見る眼を向けると、梅はにっこりと笑った。

「さっきまで龍ちゃんが心配で仕方がない様子だったのよ? 何度も座ったり立ち上がったり部屋を行ったり来たりして、何度落ち着いて下さいと窘めたことか。その度に“俺は落ち着いている”って意地を張るんですもの」

ああおかしい、ところころと笑う。

「あの芹沢さんがねえ・・・」

歳三達の顔も楽しげだ。

確かに、あのしかめっ面でそわそわしている芹沢の姿を思い浮かべると笑える。
晩飯抜きにされたことも、鉄扇で殴られたことも忘れ、龍之介の顔にも笑みが浮かんだ。

「仕方ないな・・・」

もうしばらくここにいてやるか、と先程の決意はあっさり覆る。


そんな彼の心境を、周囲は正確に読み取っていた。
そして彼らの中で龍之介はやはり“新選組局長筆頭、芹沢鴨の犬”なのだという認識が深まったことを、彼は知らない。





■■■■■





それは桜の舞い散る春の日。

中学校に上がって二年目の新学期を迎える龍之介は、何とはなしに行き交う新入生達の姿を眼で追っていた。

ふと、何かに引き寄せられるように一人の少女に視線が止まる。
不思議と彼女が気になった。
一度気になり始めるとじわじわと焦燥感を感じだし、龍之介は彼女の方へと足を踏み出した。

近づくにつれ、彼女の顔がはっきりと見えるようになる。
ああ、間違いない。あの子だ。

「静!」

咄嗟に声を張り上げて、ハッとなる。
彼女は自分のことを覚えているのだろうか。
あんな幼い頃の記憶を、持ち続けているだろうか。

期待と不安を感じながらも、彼女へと向かう足は止まろうとしない。

自分の名を呼ぶ声に周囲をきょろきょろと見渡していた少女が龍之介に気付く。
目線が合うと、彼女の表情に驚きが浮かんだ。
そしてそれは、花が咲き誇るように満面の笑顔となる。

「龍之介ちゃん!」

静の弾んだ声が、龍之介の名を呼んだ。
腕の中に飛び込んできた少女の柔らかな身体はあの頃より大きくはなっているが、それ以上に大きくなった龍之介の腕にすっぽりと収まるほど小さい。

幼い日に引き離された少女の身体を抱きしめ、龍之介は言いようのない満足感を感じていた。


彼が孤独を感じる日は、もう二度と来ない   



〈了〉

12.1.10up

龍之介君の後日談です。
果たして芹沢さんルートの井吹君なのか小鈴ちゃんルートの井吹君なのか。
ちなみに芹沢さんが何故養子を取ろうと思ったのか。
謎の解明は下にスクロールすれば明らかになります☆



ブラウザのバックでお戻り下さい








おまけ




「そういえば芹沢さんってさ、何で龍之介を養子にしようって思ったんだろうな」

芹沢が去っていった扉を見やりながら、ぽつりと平助が呟いた。

「さあな、それは俺が知りてえよ。梅さんがいるんだからそのうち自分の子供持てるだろうに、何で俺を引き取ろうと思ったんだろうな」

その疑問に答えてくれたのは、やはり梅だった。

「それはね、ある日小さな子供に言われたのよ。“僕みたいな可愛い子供を持てる喜びを知らないなんて、可哀想なおじさんだね”って。それであの人も悔しいと思ったんでしょうね。同じ年位の子供を見つけてくるって言って施設に行ったのよ」

「な、何だそりゃ! そんな可愛げの欠片もない言葉に対抗心燃やしたのかよ!」

新八が驚きの声を上げるそばで、歳三がハッとしたような表情となった。
それに気付かず、左之助も苦笑を浮かべながら新八に同意する。

「むしろガキなんて持ちたくなくなる言い草だな。ってか、何か誰かを彷彿させねえか?」

その言葉に歳三と総司以外の全員がハッとなった。
全ての視線が集まる先は   総司だ。

「ああ、そういえばそんなこと言ったかな?」



あんたのせいかあああああ!!!!!



龍之介の絶叫が邸中に轟き渡ったのだった。