桜月夜 〜覚醒〜後日談ニ





湿度の高い日本の夏は、纏わりつくような暑さに苦しまされる。
それでも山の中は幾分マシだ、とここに辿り着くまでに掻いた大量の汗を拭いながら、勇は木陰の涼しさにほっと息を吐いた。

夏休みとなり、大学寮で暮らしていた勇は数ヶ月ぶりに実家に帰ろうとしていた。
数ヶ月ぶりの、だが慣れた山道を進む彼の足取りは軽く、もうじき訪れる再会の時に胸が弾む。
育ち盛りの年少組の三人はどれだけ背が伸びただろうかと考えると、自然と表情も優しいものとなる。

遠い地で一人暮らしていると、常に思い出されるのは十八年を過ごしたこの地での騒がしい日々だ。
時折電話をすると、受話器の向こうから聞き慣れたざわめきが聞こえ、一人一人の顔が浮かぶ。
皆が自分と話をする順番を待っている様子が微笑ましかった。

家を出て、大学という新しい環境にも慣れ、友人や知人もたくさん出来た。
だが、やはり自分にとっては実家こそが最も大切な場所。
彼らこそが何よりも大事な仲間。

それは、生涯変わることはないだろう。





■■■■■





幼い頃はやんちゃで、野山を走り回っていた勇は常に子供達のリーダー的存在だった。
同い年の敬助や二つ年下の歳三はいつでも彼の後に付いて回り、彼の言うことには逆らわなかった。

敬助と歳三は勇とずっと一緒に育ってきた。
歳三は年下だが、勇が物心ついた時にはすでに生まれていたので、彼が居ない間の記憶などほとんどない。

一族の特殊な血統での序列で言うならば、二人は勇より格上の存在だ。
本来なら勇よりも数ヶ月早く生まれ、血統の良い敬助こそ子供達のリーダーとなるべきなのだろうが、彼は決して勇より前に出ようとはしなかった。後継者となれるほどの血統を持つ歳三も同様だ。

家や自分の立場を理解できるようになると、勇はこのままで良いのかと二人に問いかけたことがある。
血統も良く、才能に溢れた敬助や歳三がいつも自分の後ろを歩くことに不満はないのだろうか、と。

その問いに、二人は何を言っているんだとでも言いたげに秀麗な顔に不思議そうな色を浮かべた。

『僕達のリーダーは勇さんしかいませんよ』

『そうだぜ、あんた以外の誰が俺達をまとめられるってんだよ』

頑として勇を立てる立場から動かない二人に、やがて大人達も説得を諦めた。
何より個性の強過ぎる面々をまとめられるのは、どっしりと構える勇にしかできないと周囲も認めざるを得なかったのだ。


歳三が生まれて二年後に誕生した新八や左之助も、自分の足で立てるようになると勇達の後を懸命に追ってきた。
とはいえ聞き分けの良い上の二人とは違い、目を離せばどこかに消えている二人を三人で探し回ることの方が多かったような気もするが・・・。

広い邸の中を縦横無尽に走り回る二人が、やがて親達の秘蔵の酒を見つけて飲んでしまい、ミルクやジュースよりも酒を欲しがるようになってしまったのはそんな頃からである。
そして大事な酒を次々開けられてしまった大人達からの叱責は、当然のように年上の三人に向けられた。

だが、勇は一途に自分を慕ってくれる少年達が可愛くて仕方がなかった。
自分は彼らの兄なのだ。自分が彼らを守るのだ。
幼いながらに固く心に誓ったその気持ちは、総司が生まれた時に一層強くなった。

総司は生まれた時から特別だった。一族にとっても、勇にとっても。
この子を一人にしてはならない。正しい道に導いていかなければならない。
そう思ったのは勇だけではなく、敬助や歳三も同じだったようだ。

一族を担う跡取りだからだろうか、それとも一族の中で特に身体が弱いからだろうか。天賦の才能を持ちながらも、一歩間違えば取り返しがつかなくなるような、ひどく危うい子供だった。
歳三が一族の後継者候補から名前が外されないのは、総司の危うさ故のことだ。

総司は勇には非常によく懐いたが、とにかく気難しい子供だ。
人に触れられることは、たとえ実の親であろうとも厭い、束縛を嫌がる。その割に孤独が嫌いで、特に勇に置いて行かれることに酷く怯える。
朝、小学校に通う勇達の後を泣きそうな表情で追ってくる総司を宥めるのは本当に大変だった。
そんな総司を上手く窘めていたのが敬助と、何故か総司の次に生まれた一だ。

まだ小さかった総司が『いしゃみにいしゃ〜んっ』と涙交じりに叫びながら追いかけようとするのを、さらに小柄な一が後ろから張り付くように止めていた様は非常に愛らしかった。
子泣き爺が如くしがみ付いてくる一の重みに耐えかね、へちゃっと地面に潰れた総司の仔猫のような泣き声に、思わず走り寄ってしまいたくなる衝動に駆られたが、敬助と歳三に両側からがっちりと腕を捕まれたままずるずると山道を下りて行くのが毎朝の光景だった。

一は総司とは真逆の、全く手の掛からない子供だった。
勇や敬助、歳三の言うことをよく聞き、新八と左之助と総司を叱り付ける様は何とも頼もしく、歳三が最も信頼を寄せたのが彼だ。
年上の新八や左之助の尻を容赦なく叩き、総司に対しても遠慮のない彼は、一族の中で密かに“猛獣使い”と呼ばれている。

そして平助が生まれた時、“ああ、揃ったな”と不思議な感慨を抱いたのを憶えている。

一族の中には彼ら以外にも同年代の子供はいる。
しかし、勇達は自然と八人で集まり、そこに源三郎が加わることがある以外は常にこのメンバーで行動した。それが普通のことに思えた。それは今も変わらない確信。


そして変化は、突然訪れた。


四年前の春、部活を終えて家に帰ってきた高校生の頃の勇と敬助は、道場で剣の稽古を終えて家に戻ってきた歳三達の様子に絶句した。

常になく着崩れた胴着は土埃に汚れ、まだ肌寒い夜だというのに全員が酷く汗を掻いている。
その中でも総司は顔や手、胴着を夥しい血で真っ赤に染めていたのだ。

『どうしたんだその姿は! どこか怪我をしたのか!?』

慌てる勇に、当の総司は己の姿を知ってか知らずか、全く動揺していなかった。
幸い仲間達の誰も傷一つ負っていなかった。
ではいったいこの血は何なのか。
その疑問に、彼らは自分達が経験した信じられないような体験を語った。

白い髪と赤い眼を持つ化け物に襲われかけたこと。
あわやという時、綺麗な女鬼が現れて助けてくれたこと。
その後謎の男まで現れて、化け物の死体と共に消えたこと。

夢でも見たのかと思うほど現実感のない話だが、勇や敬助に仲間を疑う気持ちなどない。
ただ彼らが無事であったことを喜び、仲間を助けてくれた女性に感謝の念を抱く。

歳三達の話によれば、彼らを救った女性は一族が永年待ち続けている“雪村の双子鬼”の一人である可能性が高いという。それが本当ならば、その女性は勇や敬助はもちろん、一族にとって何よりも大切な存在ということになる。

自分達が鬼の末裔であること。東の鬼を束ねる雪村家への忠誠。
それは勇達が物心ついた頃から繰り返し教え込まれてきたことだが、それを頭から信じていたわけではなかった。
確かに人より怪我の治りが速かったり、身体能力が高いとは思うし、書庫に並ぶ古書や蔵の中の骨董品を見ても、古くから続く家系であることは確かだろう。
だからと言って自分達が人間ではないなどと思ったこともないし、会ったことのない“雪村”への忠誠心など持てなかった。

だが、その夜歳三達は本物の“鬼”を見たのだ。

それが“雪村”だからか、命を救ってくれたことへの恩義からか、六人は口を揃えて言う。
“彼女を守る力が欲しい”   と。

命の危機に晒されたからだろうか。誰もが今までとはまったく違う顔つきになったように思う。
それは、守るべき者のために命すら懸けられる男の顔だ。
全員がまだ幼いこともあって、一族以外に大切なものなどない狭い世界しか知らなかった彼らが、初めて己の全てを懸けてでも求めたもの。それが“雪村千鶴”だ。

事件の後の彼らの変化は目覚しかった。
これまでも大人相手に決して引けを取らない剣の腕を持っていた彼らだが、そこに今までなかった要素が加わったことに気付く。
彼らの目はしっかりと敵を捉え、背後に守るべきものを持ち、それを守るために戦おうとしていた。
その姿は、現在一族を率いる当主の口から最上の褒め言葉を受ける。

“まるで侍のようだな”

彼らに向けられたその言葉に、勇は胸が熱くなるほどの歓喜を憶えた。


“俺は侍ってもんになりたいんだ”


遥かな昔、誰かがそう言って憧憬の眼差しと強い決意で夢を語った。そんな気がする。





■■■■■





山道を進んだ先に見えてきた大きな門をくぐれば、広大な敷地が目の前に広がった。

「ふう、やっと辿り着いたな」

さて、もう一頑張りだ、と足を踏み出す。

母屋に向かうまでには道場がある。
夏休みとはいえ、高校生の歳三や左之助、新八は部活のために学校に行っているかも知れないが、年少の三人ならそこにいるだろうか。
そんなことを考えながら道場まで来ると、中から気合の篭った掛け声が聞こえてきた。
やはりいるようだ、と勇の口元に笑みが宿る。

そっと扉を開いて中を覗くと、「でやあああっ!」と元気な声と地を蹴る軽快な音が鳴った。
鋭い一閃を放つのは平助の剣だ。
それを受け止める剣は一のもの。

道場の中には打ち合う二人と、審判役の総司、そして山崎の姿がある。
彼らの視線の先では一と平助の刃がぶつかり合い、激しい打ち合いが続く。

入り口に立って静かにそれを見守っていた勇は、ふと理解した。

(平助も“変わった”か・・・)

数ヶ月前、春休みに帰省していた時は一が“変わった”ことに気付いていた。
最後に残っているのは新八だが、彼もいつか“変わる”のだろうか。

四年前の事件の後間もなく、総司が劇的に変わったのをよく憶えている。
僅かな切っ掛けで崩れてしまいそうな危うさが消え、勇だけしか映らなかった視界に様々なものを捉えるようになった。
だが何より驚いたのは、彼の剣だ。
守るべきもののために敵を討つというのは歳三達も同じだが、剣を手にした総司の大人達ですら持ち得ない覇気と殺気は尋常ではなかった。

仲間達もそんな総司の“変化”に戸惑っていたが、半年後には左之助が“変わった”。
それまでも小学生とは思えないような言動が見られた彼だが、勇や敬助の眼からも“大人の男”のように見えたほどだ。
さらに半年後には歳三が“変わり”、大人達をも圧倒するほどの威厳を感じさせた。

その後は何事もなく数年が経過したが、数ヶ月前に一が、そして今平助もが“変わった”。

仲間達に何があったのだろうか。
勇はそれを知らない。
彼らが何を想い、そしてこれから何を目指そうとしているのか。

ただ、彼は願う。

どうか大事な仲間達の未来に幸多からんことを   



ダンッという鈍い音と共に、平助が床に叩きつけられた。

「一本!」

朗々たる声が道場に響き渡る。
一と平助はそれぞれ規定の位置に戻り、一礼した。

「ああ、くっそー! 負けたーっ!」

心底悔しげに叫ぶ平助に、一は静かに笑みを湛える。

「あんたの太刀筋も悪くはなかった。だいぶ勘が戻ったようだな」

「でもあの頃より身体が小さいから思うように動けねえよ」

「そう? 体の大きさは前とたいして変わらないんじゃない?」

「何だとーっ!?」

茶化すような総司の言葉に怒りを露にする平助だが、ふと肩を落とし「確かに総司に比べれば前と体格の差はそんなにないか・・・」と何やら落ち込んでしまった。

「お疲れさま」

三人に歩み寄った山崎が一と平助にタオルを渡す。
それを受け取ろうと顔を上げた平助が、入り口に佇む勇に気付いた。

「あーっ! 勇兄じゃん! 帰ってたのかよ!」

「勇兄さん、お帰りなさい!」

嬉しげな笑みを浮かべて総司がこちらに駆け寄ってくる。
その後ろから一や平助、山崎も続く。

「ああ、ただいま、皆」

変わらず自分を慕う眼に、勇は慈しむように微笑んだ。



その後しばらく総司達と共に稽古に汗を流した勇は、歳三達が帰って来るまで彼らと談笑して過ごした。
三人ともに勇の帰省を喜び、我先にとばかりに勇がいない間にあった出来事を語る。
しかし彼らは、自分達の“変化”については一切口にしない。

少し寂しくも思うが、急かそうとも思わなかった。
彼らから話してくれる時を待つのだと、そう決めていたのだから。

日が暮れた頃、歳三達三人が帰ってきた。

「勇さん、帰ってたのか」

「お、勇兄、お帰りー」

「何だよ、言ってくれりゃもっと早く帰って来たのによ」

左之助、新八、歳三の順に勇に声を掛け、笑顔を浮かべて集まってくる。

「先に言ってしまうと驚かす楽しみがないじゃないか」

悪気なくそういう勇に、歳三達もやれやれと苦笑を零す。

ふと、仲間達の間で素早く視線が交わされた。
無言のうちに彼らの中で何かが決まったことを感じ取る。

「なあ、勇さん、話があるんだが・・・」

「ん? なんだい、トシ」

穏やかに問いかけると、歳三は少し言い難そうに視線を逸らす。

「馬鹿げた話で、信じてもらえるかどうかは解らないんだが・・・」

「俺がお前達の話を疑うわけがないだろう」

力強い言葉に偽りの色はない。
歳三はほっとしたように笑った。

「そうか、あんたは変わらないよな」

安堵の表情はすぐに決意のそれとなる。
歳三の傍にいる新八や左之助、勇の傍にいる総司、一、平助もまた同じような表情だ。

ああ、その時がきたか。

彼らが口にしようとしているのは、この四年間の間に彼らが抱え込んだ秘密のことだろう。
彼らの様子から、最後の一人である新八も“変化”したのだと悟る。


「話を聞こう」

たとえそれがどんなものであっても、勇には受け入れる覚悟はあった。

彼らが自分を信じ、慕ってくれるのと同じように、自分もまた彼らを信頼している。
仲間達が進む道がどこに続いていようと、彼らを助ける努力は惜しまない。

そのための力を手にしたいと、彼は四年前から強く願ってきた。


包み込むような温かさを眼差しに込めて仲間達を見守る彼の姿は、かつて武士達を力強く導いた“新選組局長、近藤勇”を思い起こさせた   



〈了〉

12.1.20up

近藤さんの後日談です。真冬に真夏の話・・・(汗)
皆のお兄ちゃんな勇さんは仲間達の色々な過去の面白話を知っています。
近い未来、千鶴ちゃんに語って聞かせてくれることでしょう(笑)。



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