春爛漫





ひらひらと舞い落ちる桜の花びらを愛しげに見上げながら、一組の男女が中睦まじい様子で歩いていた。

まだ稚さが抜けきらない娘と、独特の雰囲気を漂わせる若い男。
一見ちぐはぐなように見えて、互いに向ける信頼と慈愛が二人を一枚の絵のように似合いの若夫婦に見せていた。
そんな二人が、かつて京の町で名を馳せた新選組にて小姓を務めていた少女と、新選組と敵対し、幾度となく刃を交わした男であるなど、誰が想像できるだろう。


「桜が綺麗ですね」

当初は怯えた眼で見ていた相手を、千鶴は親愛を込めて見上げる。
そんな彼女に向けられる目線はかつての冷酷なものではなく、包み込むような優しさに満ちていた。

「今の時期、桜などどこにでも咲いているだろうに、よく飽きないものだな」

「飽きたりしませんよ。こんなに綺麗なんですもの」

喜びに水を差すような物言いに、むっとした表情で言い返す。
少したじろいだ様子の男は、彼女から視線を逸らすと不機嫌そうに呟きを落とした。

「桜にばかり見惚れられるのは気に入らん」

その言葉に眼を丸くした千鶴だが、すぐに笑みが浮かぶ。
やたらと自尊心の高い男が時折見せる子供のような我侭が、不思議と可愛く思えるようになったのはいつ頃からか。
恐れの気持ちがなくなってからは、この男とも上手く付き合えるようになったと感じる。


新選組にいた頃は、この男   風間千景のことが恐ろしくて仕方がなかった。
自分が鬼の血筋であることなど知らずにいた千鶴を付け狙い、幾度も新選組を襲った最悪の敵。
しかし、新選組とはぐれて一人残された千鶴を助けてくれたのは、彼だった。

その後、彼と行動を共にするうちに少しずつ近づいていった心の距離はいつの間にか、彼と共に生きていこうと思えるまでになっていたのだ。

そして今、千鶴は江戸を離れて西へと向かう。
かつて、彼とともに歩いた新選組を追う旅とは違い、風間の故郷までの道程は急ぐ必要のないゆったりとした旅となった。


「風間さん、京を通るならお千ちゃんに挨拶して行きませんか?」

「あまり気は進まんが、まあこれも一応の礼儀か」

言いながらも風間の表情は冴えず、いかにも渋々といった感じだ。

千鶴はお千を友人と言って好いているが、風間の方はあの気の強い姫を少し苦手に思っているようだ。
二人が顔を合わせる度に何かと言い合っていたのを思い出し、小さく笑いを零す。





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「千鶴ちゃん、お久しぶりね! 訪ねて来てくれて嬉しい!」

八瀬の里に着くなり、出迎えに現れたお千は満面の笑顔で千鶴に抱きついた。
むっと眉を寄せる風間の鋭い視線など気にも留めず、お千は矢継ぎ早に千鶴に話しかける。

「風間と一緒にいて大丈夫だった? おかしなことされてない? 迷惑掛けられたなら私に言って? きっつーいお灸を据えてあげるから」

「あ、あの、お千ちゃん、心配してくれてありがとう、でも・・・」

「ううん、いいのよそんなこと。大事な友達のためですもの。安心してね、私はいつでもあなたの味方だから!」

私は大丈夫だよ、とか。風間さんが助けてくれたから、とか。
風間を擁護する言葉は、声に出す前に怒涛の勢いに遮られてしまった。

「おい貴様、いい加減離れろ」

「女の子同士の語らいに口を挟まないでよ。無粋な男ね」

互いに目付きも声音も、千鶴に対してのものとはまるで違う刺々しさが含まれている。
そんな二人の睨み合いを止めたのは、第三者の声だった。

「姫様、お二人に旅の疲れを癒して頂かなくては・・・」

「あ、そうね。千鶴ちゃんをいつまでもここで立たせておくわけにはいかないわね。さ、家に入って、千鶴ちゃん!」

お千に手を引かれ、彼女の家と思われる屋敷の中へと導かれる。
二人の後ろを、風間は「礼儀のなっていない女だな」と忌々しげに呟きながら続いた。

(姫様、どうかご自重を・・・)

しんがりを歩く君菊は、内心で強くそう願うのだった。



「おー、やっと来たかお二人さん」

広間に通されるや、中から聞き覚えのある声が上がった。
その姿に、千鶴の目が丸くなる。

「天霧さんと不知火さん? それに・・・」

「何故お前達がここにいる」

訝しげな風間の問いに、天霧が淡々と答える。

「そろそろ里に戻られる頃かと思い、ここでお二人をお待ちしていました」

「・・・団子を食いながら、か」

呆れに満ちた視線は、中央にでん、と置かれた団子の山に注がれる。

「何よ、このお団子はとっても美味しいんだから! 千鶴ちゃんも食べて行ってね」

「あ、ありがとう、お千ちゃん」

お千に促されながらも、千鶴の視線は天霧と不知火以外の“もう一人”に注がれていた。

「あの、何故あなたがここに?」

千鶴が驚くのも無理はない。
そこに座るのは、あまりにも意外な人物だったのだ。

天霧や不知火は口を噤み、風間は剣呑な眼差しをその者に注ぐ。
そんな異様な空気の中、件の人物が口を開いた。

「俺は千鶴の兄だよ」

発せられた声は、千鶴が知るそれよりも少し低い。
綺麗に結われていた髪はばっさりと切り落とされ、華やかな着物は旅装束のものと変わっている。
だが千鶴とよく似た面差しを持つ顔は、どう見ても・・・。

「あの、南雲薫さん、ですよね・・・?」

言われた言葉にも薫の姿にも、当惑するしかなかった。
南雲薫は、京にいた頃に幾度か言葉を交わした少女だ。
しかし、今目の前に居る“彼女”はどう見ても男の形をしている。
その上自らを“兄”だと言い張るその真意が解らない。

「あのね千鶴ちゃん、実は・・・」

戸惑いを隠せない千鶴に、お千が遠慮がちに話し始める。

それは千鶴が今まで知らなかった事実。
南雲薫が女ではなく、男であることや、千鶴とは正真正銘の実の兄妹ということ。

お千が話す間、風間や天霧らは黙したまま遮ることもなかった。
その様子は、お千の話が真実であると物語っているようだ。

「そう、だったんですか・・・」

自分のことなのに、風間やお千達の方がよく知っているのが何とも複雑な気分だ。

改めて薫と向き合ってみる。
実の兄だと知らされても、実感が湧かない。

自分が鬼だと知らされた時や、網道が本当の父親ではないと言われた時と同じだ。
千鶴は物心ついた頃から雪村網道の娘で、変わったところもあるがごく普通の人間として育った。
なのに突然、お前は人間ではない。網道の娘ではない。双子の兄弟がいる。などと言われても、簡単に受け入れられるものではない。

だが、実際に自分の兄弟だという薫を前にすると、千鶴は申し訳なく思った。
彼は自分を妹であると知っているのに、自分は薫を兄弟だと知らないのだから。

そんな千鶴の様子に、薫は諦めたようなため息を吐いた。

「別にいいよ。お前が記憶を封じたのも仕方ないことだと思うから」

「ですが・・・」

「それより、俺はお前にどうしても聞きたいことがあるんだ」

「え?」

聞きたいこととは何だろう。
不思議そうに彼を見ると、酷く真剣な瞳に見据えられた。

「風間千景の嫁になるって本当?」

「え、あ、そ、それは、その・・・」

直球で問われ、千鶴の頬が一瞬にして紅く染まる。
動揺する千鶴に代わって答えたのは風間だった。

「当然だ。里に着けばすぐに祝言が控えている」

「早っ」

帰った途端に祝言か、とお千と不知火が瞠目し、天霧は疲れたように額に手をやる。

瞬間、くわっと眼を見開いた薫はずいっと身を乗り出すと、がしっとばかりに千鶴の肩を強く掴んだ。

「考え直せ千鶴! 風間なんかの嫁になったら苦労するのが解りきってるじゃないか!」

鬼気迫る形相で叫ばれ、千鶴は思わず呆気に取られてしまった。

「それは、確かに・・・」

「否定はできねえわな」

「貴様ら・・・っ」

うんうんと頷く天霧と不知火に、風間は殺気に満ちた視線を向ける。
千鶴が唖然としている間にも、薫の言葉は更に続いた。

「故郷を追われ、網道おじさんとはぐれ、新選組に囚われた挙句に風間の妻なんて、お前はどこまで不幸な道を歩くつもりだ!!」

「ええ!?」

前半はともかく、三つ目以降はそんなに不幸なことだろうか?
確かに新選組も風間も最初は怖かったが、付き合っていくうちに大切なものになっていったのだが・・・。

「千鶴、兄さんと逃げよう。どこか遠くで二人っきりで仲良く暮らすんだ」

「待て貴様、俺の目の前で我が妻を誘拐しようなど、良い度胸だ」

鋭い殺気が立ち昇り、風間の手が刀の柄を握る。
咄嗟に薫も立ち上がると、刀に手をやって風間を睨み付けた。

「うるさい! 妹がみすみす不幸になるのを黙って見ていられるか! 千鶴を苛めていいのは俺だけなのに!」

「歪んだ愛だな」

「風間といい勝負です」

しみじみと呟くのは、傍観者である不知火と天霧である。

「愚かな。妻の全ては俺のものだ。所詮は妻に忘れられた昔の男など、ものの数ではない」

「黙れ! これから俺という存在を千鶴に刻み付ければいいだけだ!」

「何か、会話が妖しくねえか?」

「三角関係の縺れですな」

白熱する二人の男の口論と、呆れ気味の傍観者の会話を女達は呆然と眺めていたが、やがて収拾がつかないと判断したのか、お千が二人の間に割って入った。

「ちょっと二人とも、人の家で刃物振り回さないでよね」

「この邪魔者を斬ればことは終わる」

「お前が千鶴を諦めればそれでいいんだよ!」

「あーはいはい、じゃあ薫は私が婿にもらってあげるわよ」

「「はあ!?」」

「お千ちゃん!?」

お千の発言に不知火、薫、千鶴が驚きの声を上げる。
天霧や君菊すら驚愕を浮かべる中、風間は一人冷静に成る程、と頷いていた。

千鶴の兄弟である薫もまた雪村家直系の純血の鬼だ。
風間に千鶴が相応しいように、お千と薫も釣り合いが取れている。

そう説明され、天霧や不知火、君菊は納得していたが、鬼の血筋に執着を持たない千鶴はそういうものだろうか、と不安げに風間やお千を見やった。

「あんたには私がいてあげるから、風間と千鶴ちゃんのことは認めてあげなさい」

「ちょっと待て! 何を勝手に・・・」

反論しようとする薫に、お千は声音を低くして囁く。

「考えてみなさいよ。私達の間にあんた似の女の子が生まれたとする。あんたに似てるってことはつまり・・・」

「・・・っく、俺が千鶴を育てられるかも知れないってことか・・・」

“千鶴育成録”
それは何て甘美な響きの言葉だろう。
輝かしい未来を思い描いて、薫の心はその幸せな人生を歩む道へと大きく傾く。

「いや、待て。千鶴そっくりな娘が出来たとして、千鶴が風間そっくりな息子を生んだ場合、俺はまた風間に千鶴を奪われる屈辱を味わう可能性もあるじゃないか!」

「まあ否定はしないけど」

「当然だ。我らの子供同士が婚姻すれば、向こう数十年は一族も安泰だからな」

いけしゃあしゃあと言ってのける風間の尊大な態度の何と忌々しいことか。

幼少の頃を共に過ごせなかった千鶴の分まで、大事に大事に手塩に掛けて育てた“千鶴”を、またもや憎たらしい“風間”に掻っ攫われる暗黒の未来。
思い描くだけで激しい憎しみと怒りに囚われそうだ。

「千鶴、絶対にお前そっくりの娘を産め! そして俺そっくりの息子の嫁にするんだ!」

「・・・??!!」

「そ、それはどうかと思うぜ・・・」

「従兄弟とはいえ、双子のようにそっくりでは・・・」

「それがどうした!」

げんなりとした不知火と天霧の呟きに、瞬時に噛み付く薫。
だが、流石に顔がそっくりな夫婦など不気味でしかない気がするのだが、薫は全く気に留めていないようだ。

「貴様のような歪んだ性格のガキに我が娘をやるものか」

「歪んでいるのはお互い様だ!」

「はいはい、そこまで。親のどちらに似るかなんて生まれてみなきゃ解らないでしょ。風間や薫に似るのが問題なら、私と千鶴ちゃんに似た子なら良いってことよね?」

「うん・・・?」

「え? そうなる・・・のか?」

お千の提案に、天霧と不知火が首を傾げる。
風間や薫すら反論の言葉もなく眉を顰める中、お千は千鶴の手を取ってきらきらした眼で彼女に笑いかけた。

「私そっくりの息子と千鶴ちゃんそっくりの娘、もしくは千鶴ちゃんそっくりの息子と私そっくりの娘が生まれたら婚姻させましょうね!」

「え? あ、うん・・・」

あまりにもきらきらしく見つめられ、思わず頷いてしまったが、何だろうか、この言い知れない違和感は。
そもそも、何故こんな話になったのだろうか。
いつの間にかお千と薫が婚姻する前提で話が進んでいることに、果たして当事者である薫は気付いているのか。

混乱する千鶴の肩を、風間の手が抱き寄せる。

「案ずるな。俺とお前の子はこれからいくらでも産まれる。一人くらいあの者達の子と添い遂げさせてやれば良かろう」

「・・・・・・え・・・?」

一人くらいって・・・いったい自分は何人子供を生む予定なのだろう。

風間と添い遂げる。
江戸で確かに己の胸に抱いた覚悟が、ぼろぼろと崩れ去っていく音が聞こえた気がした。



「あーあ、姫さん気の毒に・・・」

「両家の子供達も、この先苦労するかも知れませんね」

この先に拓けているであろう明るいかも知れない未来で、様々な苦労を背負い込むであろう者達に同情しつつ。
団子を頬張る不知火と茶を啜る天霧は、桜の花びらが舞う庭に眼を向けた。

鬼の一族は今日も平和である。



〈了〉

12.12.10up

風間×千鶴と薫×千姫です。
決して千姫×千鶴ではありません。ええ決して。
風千ほのぼのラブを目指していたはずなのに、どこで間違えたんだ・・・?



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