秘恋





「原田はん、また来てくれはります?」

匂い立つような甘さを含んだ声が、身支度を整える原田を引き止めるかのようにしっとりと絡みつく。
情を交わしたばかりの濃密な空気を纏いながら白い肌を惜しげもなく晒す妓女に視線をやり、原田は困ったような笑みを浮かべた。

「悪いな、約束はできねえんだ」

「酷いお人やね、嘘でもええから次の逢瀬を匂わせてくれても罰は当たりまへんえ?」

「俺、嘘は吐けねえからな。いつ死んじまうかもわからねえってのに、軽々しく約束なんざできねえよ」

女の表情に一瞬浮かんだ傷付いた色を見ない振りをして、原田は軽い口調でそう言った。

「あんたはんに惚れる女子は大変どすな。張り合う相手が他の女やなくて、男の集団やなんて」

「はは、気色の悪いこと言うなよ」

冗談めかした言葉に声を上げて笑う原田だが、女は自分の言葉が決して的外れでないことを感じ取っていた。

どれほど熱い夜を過ごしても、優しい腕で強く抱いてくれても、次の瞬間には彼は背を向けて去って行くのだ。
残される女に何の未練も見せることなく、背を預けて戦える仲間のもとに必ず帰ってしまう。

捕まえようとする手をやんわりと、だが決然と拒絶して   


危ないことはやめて。
うちを選んで。

感情のままにそう言って縋り付くには、女は物分りが良過ぎた。
自分では原田を引き止めることなどできないと知っている。
だから、この想いは胸の中にだけ、そっと封じ込めよう。

目の前に立つ、人の心の機微に聡い男ならばこの溢れる想いに感づいているだろうが、彼は決してそれを態度にも口にも出すことはない。
受け入れられないものを暴くような無粋な男ではないのだから。


「でも、見てみたいわあ。原田はんが本気で女子に惚れたら、どないなるんやろ」

好奇心の中に羨望を交えながら独り言のように呟いた言葉に、原田の表情がきょとんとしたものから困ったような笑みへと変わる。


「そうだな、その時は・・・   


紡ぎだされた応えに、妓女は諦めにも似た感情を憶える。

ああ、この人の心は、もう誰かの方に向いている   ・・・。

それを悟ったのだ。





■■■■■





屯所に帰り着いた原田は、頼りない明かりがほんのり灯る暗い廊下を足音を立てないように自室を目指していた。
その途中、通り掛かった一室の前でふと足が止まる。

(千鶴は、もう寝ちまっただろうな・・・)

すでに明かりも消え、物音一つない真っ暗な様子が窺える部屋。
障子を隔てた向こう側には布団の中で安らかに寝息を立てる少女がいるだろう。

艶やかな黒髪は今夜は下ろしているだろうか、結ったままだろうか。
寝相が良い彼女は平助のようなあられもない姿で寝てはいないだろう。
優しいぬくもりに包まれ、幸せな夢を見て微笑んでいればいい。

(っと、やべえ)

吐き出したばかりの熱情に再び火が灯らぬよう、原田は脳裏から千鶴の寝姿を振り払った。

「これじゃ何のために島原に行ったのか解らねえな」

自嘲気味に呟き、足早に千鶴の部屋から遠ざかる。


雪村千鶴が新選組屯所に住まうようになって三年が過ぎようとしていた。
当初自分達に怯えていた千鶴だが、徐々に打ち解けて笑顔を見せてくれるようになった。
初めは彼女を警戒していた幹部達も、今ではすっかり彼女を大事な妹のように可愛がっている。

(そうだ、あいつは“妹分”なんだ。俺なんかがこんな感情を抱いて良い相手じゃねえ)

彼女は守るべきもの。いずれは新選組から離れて女としての幸せを掴むべきなのだ。

解っていても、彼女が見せてくれる笑顔が可愛くて、頼ってくれることが嬉しくて。
いつしか色んな顔を見せてほしいと望むようになった。

兄を慕うような純粋な眼ではなく、恋焦がれる相手に向ける熱の篭った眼差しで見つめられたい。
幹部達に等しく向けられる尊敬の念ではなく、唯一人の男に捧げられる想いが欲しい。
まだ誰も触れたことのない新雪のような肌に触れる権利を得たい。

自分の中で少しずつ育っていた感情は、もはや無視できないほどに熱く燃え上がろうとしていた。
このままではいつか衝動のままに千鶴を傷つけてしまうかも知れないという恐怖に苛まれ、尚も募る熱は外へと向けられることになった。

千鶴には決して知られたくはない醜い欲望を、他の女の身体で紛らわせる。
そうして自分はまだ千鶴に“優しい兄”の仮面を被り続けていられるのだ。

(あの芸妓には悪いことしたな・・・)

大切な少女には見せられない欲を鎮めてもらうために利用した。
その申し訳なさから相手をしてくれる芸妓には殊更丁寧に接したが、それが却って仇となっていたようだ。

もう、彼女を呼ぶことはないだろう。
薄々とは気付いていたが、今夜はっきりと解った。秘された恋情に。

行き場のない想いを抱える辛さは知っている。
進むことも戻ることもできず、立ち止まり続けるには苦し過ぎる。
だが諦めてしまえば、空虚な闇が一生付き纏うだろう。


(酒でも飲んで寝るか)

一時しのぎだとしても、この苦しさから逃避するには酒の力と眠りが必要だ。
苦く笑いを零しながら、原田は自室に向かった。





■■■■■





「おはようございます、原田さん」

「よう、おはようさん。朝から精が出るな」

早朝、顔を洗いに井戸に向かった原田は、ちょうど水を汲みに来ていた千鶴と出くわした。
水を張った桶を細い腕で「よいしょ」と持ち上げる千鶴に、原田は無意識に手を差し伸べていた。

「俺が持ってやるよ」

ふいに桶を取り上げられ、びっくりしたように眼を丸くして原田を見上げた千鶴は、ハッと我に返ると慌てて桶を取り戻そうとする。

「あ、あの、私一人で大丈夫です」

「いいからいいから、黙って甘えとけ」

頑として譲らない原田に、やがて根負けした千鶴は「ありがとうございます」と苦笑交じりに頭を下げる。
厨に入ると、俎板の上にはたくさんの野菜が積まれていた。これから下拵えを始めるところなのだろう。
だが、まだ今日の食事当番はまだ来ていないようだ。
当番が起きてくるまで千鶴一人で朝餉の支度をするのだろうか。

(そういえば今日の朝飯当番は新八と平助か)

平助はともかく、新八が当番の仕事をするのか不安だ。
千鶴がいることに安心してさぼる可能性が高い。
しかもよくよく思い出してみれば、昨夜は島原で遅くまで一緒に飲んだような・・・。

「千鶴、手伝うぜ」

「え、でも・・・」

新八は島原で眠ってる。間違いねえ。

そう思い当たるや、原田は瞬時に千鶴を手伝うことを決めた。
そんな事情など知る由もない千鶴は原田の申し出に困ったような表情となる。
他人に気を遣う彼女のことだ。原田に対して申し訳なく思っているのだと解る。

原田は優しげに口元を綻ばせ、大きな手で千鶴の頭を撫でた。

「いいんだよ、俺がやりてえんだ」

ま、俺じゃあ大した助力にならねえだろうけどな、と続く言葉に千鶴は「そんなことありませんっ」と声を張り上げる。
力の込められた言葉と真剣な瞳に一瞬言葉を失うも、原田はすぐに気を取り直して問いかけた。

「じゃあ、手伝わせてくれな?」

「はい、・・・え?」

反射的に頷いた後、原田にうまく誘導されてしまったことに気付いて千鶴は恥ずかしそうに頬を赤らめる。
そのあまりにも可愛い仕草に引かれるように原田の手が伸びようとした時、廊下をバタバタと走る音が耳に届いた。


「あ、あれ? 何で左之さんがいんの?」

現れたのは平助だ。
厨にいるのが同じ当番の新八ではなく、左之助と千鶴であることに眼を瞬かせている。

「新八が来れねえだろうからな。俺が代わりに当番してやるよ」

「え、何で新八っつあん・・・・・・まさか・・・」

流石に付き合いの長い平助は、新八が何故来られないのかをすぐさま察して眉を顰める。
目線での問いかけに苦笑しながら肩を竦める原田の仕草で答えを察し、呆れたように溜息をついた。

「ったく新八っつあんはしょうがねえな。土方さんに知れると怒られるぞ」

「えっと、永倉さんがどうかしたんですか?」

事情が飲み込めないでいる千鶴が平助と原田を交互に見やりながら問う。

「何でもないって。今日は左之さんが手伝ってくれるって言ってるんだし、さっそく朝飯作ろうぜ!」

不思議そうに首を傾げていた千鶴だが、平助や原田に促されて調理に取り掛かると、すぐに疑問も消えたようだ。

厨の中では三人の賑やかな会話が途切れることはない。
千鶴に指示を仰ぎながらの料理はいつもよりずっと手際良く、かつ自分でも良い出来だと思えるものとなった。

「千鶴は良い嫁さんになるな」

本心からの言葉を贈ると、照れて頬を染めながらも嬉しそうに礼を口にする少女に愛しさが募る。


「左之さん、鼻の下伸びてたぞ」

朝餉が並んだ膳を広間まで運ぶ途中、後ろを歩く平助が呆れたような口調で話しかけてきた。

「千鶴は大事な預かりものなんだからな? 変な気起こすなよ?」

「ばーか、お前に言われたくねえよ」

「な、俺は左之さんとは違うし! 千鶴は妹みたいなもんで・・・」

「ああそうかよ、そういやあ昔同じようなこと口にしてた男がその“妹”に惚れたことがあってだな」

「うるさいうるさいーっ! てか誰だよそいつ、出鱈目だろーっ!」

後ろを振り向かなくても真っ赤な顔をして焦っているであろう彼の様子が眼に浮かび、原田は肩を揺らして笑った。
そうして平助をからかって遊ぶことで、彼の言葉で動揺した心を何とか落ち着かせる。

色恋については初心者の千鶴は気付かなかっただろうが、原田は自分がどんな眼をして彼女を見ているのか、何となく解っていた。
今はまだ冗談交じりにしか「俺の嫁に来るか?」と問えないが、いつかは彼女の眼を見て心から申し込むことができる未来を夢見たいと望むこの想い。


千鶴はどうなのだろう。

今はまだ、誰かに対して恋心を抱いているとは言えないが、彼女が少女から年頃の娘へと成長し、一人の男を特別なのだと理解するようになったら、彼女はどんな風に花開くのだろうか。

もしも彼女が自分ではない他の誰かを恋い慕うようになってしまったら、それでも自分は彼女に対して優しい兄貴の振りをし続けられるだろうか。

相手の男が誰であっても  仲間であっても  笑って祝福できるだろうか。


(今はまだ、考えたくねえな)

自嘲気味に笑み、原田は考えるのをやめた。
その時どうなるかなど、その状況になってみなければ解らないのだから。

ただ、彼女の悲しい表情だけは見たくない。それだけは確かなのだ。



例え空虚な闇が取り巻く未来だとしても、彼女を傷つけるものは自分自身ですら許しはしない。



〈了〉

12.1.30up

何で原田さんをメインにするとえろくなるんでしょう?(汗)
原田さんが芸妓さんに何と返したかはご想像にお任せします♪



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