|
優しい瞳
「網道はこちらがわにいる。それがどういうことか、解るな?」
そう告げた男は、千鶴の胸の奥にいくつもの傷跡を残して姿を消した。
■■■■■
「最近元気ないよな、千鶴」
心配そうに呟く平助の視線を追って、永倉と原田も千鶴を見やった。
朝餉を終え、一人一人に食後の茶を手渡している少女は、傍目にも顔色が良くない。
土方や井上が千鶴の沈んだ表情を見て何か言いたげにしていたが、結局何も言わずに湯呑みを受け取って茶を啜る。
「まぁ、この前あんなことがあったしな」
未だ記憶に新しい先日の出来事を思い浮かべながら原田が言うと、あの場にいなかった永倉が悔しげにぼやく。
「あのいけすかねえ野郎が来たんだっけ? 天王山での借り、返してやりたかったぜ」
目の前でいきなり仲間を斬り捨てられた時の怒りが込み上げたのか、永倉のきつく握り締められた拳が震えた。
そうしているうちに他の幹部達に茶を配り終えた千鶴が盆を手に原田達のもとへ来る。
「どうぞ」
「お、ありがとな千鶴ちゃん」
先程までの怒りを綺麗に消し去り、永倉はニカッと笑った。
平助も永倉ほど上手くはない笑みを返し、差し出された湯呑みを受け取る。
最後に原田に湯呑みを渡し、下がろうとした千鶴の腕を伸びて来た手が捕らえた。
「原田さん?」
「今日は俺と巡察に行こうぜ」
傍らの平助や永倉が「ずりぃぞ!」と抗議の表情を浮かべたが、さらりと無視して「な?」と念を押すように千鶴に笑いかける。
有無を言わさない笑みに、千鶴はほんのりと頬を染めながら「はい」と頷いた。
京の町にはいつもと変わらぬ日常の風景が広がっていた。
その中を浅葱色の羽織を翻し、力強い足取りで歩く一団があった。
町行く人々は彼らの姿を見ると眉を顰め、道の端に寄って目線を逸らす。
若い女性の中には原田を始め、見目の良い隊士に熱い視線を送る者も多い。
そして、物陰に身を潜めて恨みの篭った視線を寄越すのは、浪士達だ。
新選組に対する、多種多様な町の人の反応にも慣れてきたように思う。
原田の後ろを歩きながら、千鶴はぼんやりと人々の様子を眺めていた。
ふと、原田が足を止める。
「千鶴はこの辺で網道さんのことでも訊いてろ」
「はい」
千鶴が頷くのを確認すると、原田は隊士達に周辺の店を検分するよう指示を出し、自らも数人の部下と共に一軒の店の中に入って行く。
「新選組だ。店を改めさせてもらうぜ」
店の中から怯えながらも従う声がした。
千鶴は店からあまり離れないようにしながら、道行く人々に網道のことを尋ねて回った。
網道の特徴を伝え、どんな小さな情報でも得ようとするが、町の人達の答えに父に繋がる有力なものはない。
「その男なら見たことあるな」
「え?」
何人目かに尋ねていたところ、突如背後から声が掛けられた。
振り返ると、浪人姿の男が数人千鶴を見下ろしている。
その表情は固く、真意が読めない。だが好意的な感情がないことは解る。
「会わせてやろう、ついて来い」
「いえ、あの・・・」
手首を掴まれ、強引に引かれる。
おっとりした千鶴でも、彼らが危険であることは理解できた。
しかし強く掴まれた手を振り解くことができず、浪士達に引きずられていく。
先程まで話していた町人が茫然とそれを見ていたが、やがて血相を変えて身を翻した。
「あの、離して下さい!」
新選組から引き離されるように店から遠ざかっていくことに不安を感じ、声を張り上げる。
だが、「黙れ」と言わんばかりに腕を掴む手に力が込められ、千鶴の表情が苦痛に歪んだ。
「お前は新選組と共にいたな。話を聞かせてもらうぞ」
「っ!」
もはや隠そうともしない敵意を向けられる。
何とかして逃げなければと身を捩ろうとするも、骨が軋むほど強く手を握られて思うように動けない。
「細っこい腕を折られたくなければ黙ってついてこい」
痛みに、じんわりと涙が滲んだ。
大通りから逸れ、狭い裏道に入った時だった。
「そいつを放せ」
怒気の篭った低く鋭い声が、殺気と共に放たれる。
弾かれるように振り返った背後には、いつの間に追いついたのか浅葱色の羽織を纏う長身の男が立っていた。
「原田さん!」
安堵の声に応えるように、不敵な笑みを浮かべる原田。
彼の後ろからは十番組の隊士が集まってくるのが見えた。
「おのれ!」
浪士達が刀に手を掛ける。
しかしそれよりも早く、槍の一閃が千鶴の腕を掴む浪士を襲った。
「くっ!」
咄嗟に避けた浪士の手の力が緩んだ。
その隙を逃さず、千鶴は浪士の手を振り解いて原田のもとへ駆けようとする。
すかさず千鶴を捕らえようとした手は、鋭い槍の刺突に阻まれた。
千鶴を自分の背後に隠し、原田は冷たい殺気に満ちた目で浪士達を見据える。
「こいつに手を出したことは許せねえな。てめえら、覚悟はできてんだろうな」
組長の声に応え、次々と刀を抜く隊士達。
自分達の不利を悟った浪士達は、悔しげに悪態をついた。
「大丈夫か?」
背を屈め、原田は千鶴の顔を覗き込みながら心配そうに問う。
「はい、原田さん達が来て下さいましたから」
気丈に微笑みながら礼を述べる千鶴だが、彼女の手や足が小刻みに震えを帯びていることに気付かない原田ではない。
(元気付けてやりたかったが、怖い思いさせちまったな)
千鶴が浪士に強引に連れて行かれたと、すぐに知らせてくれた町人には感謝してもしきれない。
「今日はもう屯所に戻るか」
捕縛した浪士達から話を聞く必要もあるしな、と促すと千鶴は「はい」と頷いて原田の後に続く。
その時、震えていた足がもつれたのか、千鶴が体勢を崩した。
すぐさま差し出された原田の手が千鶴の腕を掴んで支えようとする。
「痛っ!」
「悪い! 強く掴んじまったか?」
苦痛に満ちた千鶴の声と表情に焦る。
そんなに強く力を入れたつもりはなかったのだが。
「あ、いえ、大丈夫です。支えて下さってありがとうございました」
取り繕うような笑顔でそう言う千鶴だが、一瞬だけ見た表情は確かに苦痛に満ちていた。
原田は千鶴の手を取ると、手早く袖を捲り上げる。
「あ・・・」
「これは・・・っ」
千鶴の白い細腕に、くっきりと残る赤い跡。
痛々しい痕跡は、相当の力で圧迫されていたことが窺える。
みるみるうちに原田の表情が険しく歪んだ。
千鶴の腕から手を離し、捕縛された浪士達に視線をやる。
その中の一人 千鶴の腕を掴んでいた男に目を止めるときつく睨んだ。
大股で近づいてくる原田に気付いて顔を上げた浪士の胸倉を掴むや、渾身の力を込めて殴りつける。
「ぐっ」
いきなり頬を殴られた浪士は地面に倒れ、舌を噛んだのか口元から血が一筋流れた。
原田は再び胸倉を掴み上げ、倒れた浪士を強引に引き起こす。
「お・・・子供に乱暴な真似してんじゃねえよ!」
心の底からの怒りに満ちた声音は、浪士だけでなく隊士達までも震え上がらせた。
浪士の胸倉から乱暴な仕草で手を離して立ち上がり、千鶴を振り返った原田の表情からはすでに怒りは消えていた。
「帰ろうぜ」
優しげな瞳で千鶴を見つめ、そう言った。
■■■■■
「左之さん、どういうことだよ! 千鶴、朝より元気ないじゃん!」
夕餉の席で小声で食って掛かる平助に、原田は自嘲するように笑う。
「悪い、俺のせいだよな」
原田達の向かい側、斎藤の隣で黙々と膳に箸を付けている千鶴の表情は浮かないものだ。
食欲がないのか、膳の上のものはあまり減っていない。
斎藤も彼女を気にしているようで、ちらちらと視線を向けている。
それに気付いた千鶴が何か誤解してか、斎藤に自分のおかずを勧め始めた。
「斎藤、困ってんな」
「千鶴、鈍感過ぎ」
「うお、魚を斎藤の皿に移したぞ」
「千鶴が箸付けた魚なんて羨ましいなあ」
「くそ、斎藤のメシじゃ横取りできねえし・・・っ」
段々論点がずれていく永倉と平助の暢気な会話を聞き流しながら、原田はじっと千鶴を見つめていた。
見事な円を描く月が、煌々と夜空を照らす。
濡縁に腰掛けた千鶴は月の光を浴びながら、ぼんやりと空を見上げていた。
ふと静かな足音に気付いて振り向けば、柔らかく笑む原田と目が合う。
どき、と胸が小さく弾んだ。
「隣、いいか?」
「はい、どうぞ」
隣に腰を下ろした原田は、変わらぬ優しい瞳に心配の色を浮かべて千鶴を覗き込む。
「そんな思い詰めた顔で月なんて見てんじゃねえよ」
夜ということで低く落とした声音は少女の耳を甘く擽る。
間近で囁かれ、千鶴の胸が高鳴りを帯びた。
「まんまるなお月さん見れば父親が思い浮かぶのも仕方ねえがな」
月を見上げ、原田は冗談めかした口調でそう言った。
「まんまる・・・って、やだ、原田さんたら・・・っ」
一瞬何の事か解らずにきょとんとしたが、それが父の頭部を差した表現だと解ってくすくすと笑いだした千鶴に、原田はほっと安堵した。
やはりこの娘には笑顔がよく似合う。
「腕は大丈夫か?」
「はい、もう痛みもありません」
相当な力で掴まれたのだ。少女の細腕には痛みも痕も残っているはずだが、夕餉の時にはすでに千鶴は腕に痛みを感じていない様子だった。
だが原田はそのことについては何も言わず、「そりゃ良かった」と微笑む。
優しい沈黙が降りた。
居心地が良いような悪いような、不思議な感覚に捕らわれる。
「昼間は悪かったな。すぐに助けてやれなくて」
沈んだ声音で詫びる原田に、千鶴は慌てて首を振る。
「そんな、原田さんが謝られる必要なんてありません。むしろ助けて下さってすごく嬉しくて・・・」
「けどお前、ずっと元気ないだろ。俺の至らなさのせいで怖い思いも、痛い思いもさせちまったしな」
「原田さんのせいなんかじゃありません!」
強く否定する千鶴に、原田はひたと真剣な目を向ける。
「じゃあ、話してみろよ。何を落ち込んでるんだ?」
「私、落ち込んで・・・いますか?」
「お前は隠し事ができないな。皆、心配してるんだぜ」
あれで隠しているつもりだったらしい少女の様子に笑いが零れる。
皆が心配している、という言葉に千鶴の頬が恥ずかしさに赤く染まった。
「何が辛い? 言ってみろ」
逸らすことを許さない眼差しに魅入られ、千鶴は小さく息を呑んだ。
瞳で、声で、柔らかく千鶴を包み込みながらも、決して逃がさないという意思を感じる。
「ん?」
促す声に、千鶴は重い口を開いた。
「私・・・これ以上父様を探し続けて・・・良いのでしょうか・・・」
「どういうことだ?」
「あの人・・・風間さんという人が父様が倒幕派についた、と言っていました。全部を信じているわけではないのですが、可能性はあるんですよね・・・?」
千鶴の父、雪村網道の行方はもう何年もの間知れないままだ。
監察方を始め、新選組が手を尽くしても手掛かりが得られないとなると、彼が自らの意思で姿を隠している可能性は高い。
そして、新選組から逃げるということは、それだけの理由があるということ。
「もし、父様が自分の意思でなく捕らえられているのなら助けたいです。でも、そうでないなら・・・」
「それはまだ解らねえだろ。まずは網道さんを見つけてから考えるべきだ」
網道の真意など、ここで自分達があれこれと考えたところで解るものではない。
原田は千鶴の思い詰めた顔を見つめ、言葉の続きを待った。
お前が悩んでいるのはそれだけじゃないだろう、と見透かすように。
「私の存在は・・・皆さんのご迷惑になってないでしょうか・・・」
小さく、消え入りそうな細い声。
俯いてしまった千鶴の顔にどんな表情が浮かんでいるかは見えないが、カタカタと震える小さな肩が少女の怯えを如実に語る。
「私がいることで風間さん達が来てしまうし、今日も私のせいで原田さんに迷惑を掛けてしまって申し訳なくて・・・」
「迷惑ってのは、あの浪士共のこと言ってんのか?」
問いに、ますます深く俯いてしまう。
ああ、どうしてこの少女はこうも思い詰めてしまうのだろうか。
否、そうしてしまったのは自分達だ。
邪魔になればすぐに殺す、と何度も脅しつけてきたのだから。
そんな中を懸命に頑張ってきた少女をいつしか愛しく想い、殺すどころか守らねばならない存在にまでなったというのに少女の中ではいつまでも自分はお荷物でしかないのだという思いが消えない。
(まあ、原因のほとんどは総司が作ってるんだろうが・・・)
誰よりも殺すだのお荷物だのと言い放っているのは総司だ。
彼自身は自分達を頼れ、ということを言いたいが為の厳しい言葉でもあるのだが、本人に通じなければどうしようもない。
原田の深いため息に、千鶴の身体が竦む。
「なあ、お前は俺が駆けつけたことを嬉しかったって言ってくれたよな」
「・・・・・・はい」
「その言葉が、俺は何より嬉しいぜ」
「・・・?」
言葉の意味を測りかね、思わず顔を上げた千鶴はどこまでも優しい瞳に捕らわれる。
「お前はよく言ってるよな。役に立てて嬉しいって。それと同じで俺達だって、お前の役に立てたら嬉しいって思うんだよ」
彼女の笑顔がどれだけ自分達を癒してくれるか。
彼女の存在にどれだけ救われてきたか。
少女の醸し出す柔らかな空気が、すでになくてはならぬものになっているというのに。
思いもよらない原田の言葉に、千鶴は目を丸くしていた。
「女を守るために戦うなんて、男としちゃ最高の名誉じゃねえか」
「原田さん・・・」
いつしか苦悩の消えた瞳がぼうっと原田を見返した。
「だから、俺達に守られててくれねえかな」
お前はここにいていいんだ。
その想いを強く言葉に乗せて囁き、大きな手で柔らかな頬を撫でる。
白い頬が朱に染まり、潤んだ瞳と相まって何とも扇情的だ。
このまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られるも、純粋無垢な少女に大人の男の劣情など見せるわけにはいかないと自制する。
原田の葛藤など気付きもしない千鶴は、ふんわりと微笑んだ。
「ありがとうございます、原田さん」
その笑顔に、もう暗い影はない。
凛とした笑顔に宿るのは、確かな決意。
「私、頑張ります。皆さんのお役に立てるように・・・」
「ああ。そんなお前のことは俺達が守ってやるよ」
ずっと、な。
微笑みあう二人の秘めやかな逢瀬を、優しい月の光が照らしていた。
〈了〉
11.5.20up
原田さんが暴走しそうになって大変でした・・・(汗)
裏行きにならなくて良かった・・・。
|