異能の剣 四十一





「ん・・・」

眠りから覚めると見慣れた天井が見えて、千鶴はあれ、と首を傾げた。

(私、どうしたんだっけ・・・?)

何だか記憶があやふやだ。
微かに聞こえてくる鳥の声から今が朝らしいことは解るが、妙な違和感が付きまとって気分がすっきりしない。

(私の部屋、こんなだった?)

部屋の広さも天井も、確かに西本願寺で千鶴に割り当てられた部屋に間違いない。
だが、昨日までと何かが違うのだ。

一つ一つ確かめるように昨日の記憶を辿ると、やがて色々な情景が思い出されてくる。

(そうだ、父様が来て・・・)

この一年、ずっと捜し続けていた父、網道。
突然現れて千鶴を連れ去った彼は、羅刹を強化して人の世を支配しようと企んでいた。
彼は千鶴の鬼の血や、身体さえも利用しようとして、羅刹に襲わせようとしたのだ。
戦う力を持たない千鶴は、自ら氷の中に閉じこもることで身を守るしかなかった。

そして新選組や風間達が助けに来てくれて。
重傷を負った山崎に癒しの力を使ったことまでは思い出した。
けれどその後ぷつりと記憶が途絶え、あの後どうなったのか、いったいいつ布団に入ったのか解らない

もしかして夢でも見ていたのだろうか。
そんな疑問が浮かぶも、柱に付けられた無数の傷や補修された襖、張り替えられた真新しい障子戸が、昨日の出来事が現実だと物語る。

とにかく隊士の誰かに訊いてみよう。
そう思いながら身支度を整えていると、ふと障子戸に人影が差した。

「千鶴、起きているか?」

「はいっ」

聞こえてきたのは斎藤の声だ。
部屋に招き入れると、斎藤は千鶴の顔を見て柔らかな笑みを浮かべた。

「気分はどうだ?」

「大丈夫です。あの、私いったいどうしたんでしょう?」

「山崎を癒した後、倒れたのだ。張り詰めていた緊張が緩んだせいだろうと松本先生は言っていた」

「山崎さんは、大丈夫なんですか?」

「ああ。すっかり怪我は治ったようだ。お前に礼が言いたいと言っていたから、後で会いに行ってやってくれ」

だがその前に、と斎藤から告げられた言葉で、山崎の回復に安堵しかけていた千鶴は再び緊張感に身を強張らせることになった。



「副長、斎藤です。雪村を連れて参りました」

「入れ」

「失礼します・・・」

斎藤から「副長が話があるそうだ」と言われて訪れた副長室。
緊張と不安に竦む足を叱咤し、千鶴は室内に足を踏み入れる。

仕事中だったらしい土方は、斎藤と千鶴が部屋に入ると文机から顔を上げ、こちらに向き直った。

「体調はどうだ?」

「もう平気です、ありがとうございます。あの、昨日は色々と・・・」

「まずは山崎を助けてくれたことを感謝する」

迷惑を掛けたことを詫びようとする千鶴を遮るように、土方はそう言った。
まさかいきなり礼を言われるとは思わず唖然と土方を見上げると、苦笑を浮かべながらも穏やかな眼が千鶴を見ていた。

「お前がいなかったら、俺は優秀な部下を一人失うところだった」

「そんな・・・元はと言えば、私が原因で・・・」

「それは違うだろ。お前が負い目を感じる必要はねえよ」

「自分のせいだなどと考えるな、千鶴。雪村網道の所業はお前にも雪村一族にも責はない」

養父だからとか、一族の者だからとか。そんなことは問題ではない。
むしろ網道や人間によって家族を殺された上に、その血を利用されようとした千鶴は被害者だ。
彼女の性格からして割り切るのは難しいかも知れないが、網道の所業で罪の意識など持って欲しくはない。

「雪村網道とその協力者達は相応の罰を受けさせる。お前はこれ以上奴らのことで思い悩むんじゃねえ」

「はい・・・」

「それと、これからのことだが」

網道達が捕縛されたことで、千鶴を狙う脅威は去ったと言っていい。
しばらくは様子見の必要があるが、もう安全だと判断できれば松本良順と千鶴は診療所に戻れるだろう。

そう聞かされ、千鶴は酷く複雑な気分になった。
当然と言えば当然の処置だし、元の暮らしに戻るだけなのに、胸の内にぽっかりと穴が空いたような、何とも言えない感覚だ。
いつの間にか新選組での日常に馴染んでいたのだと、今更ながら気付く。

そっと、隣に座する斎藤に視線をやる。
いつもと変わらぬ無表情の奥で、彼は何を思っているのだろう。
屯所を出たら、斎藤とも気軽に会えなくなってしまうのだろうか。

(ちょっと、寂しいな・・・)

土方にお茶を淹れることも、沖田と一緒に子供達と遊ぶことも、平助とお菓子を食べることも、原田や永倉の食事当番を手伝うことも。
この数ヶ月の間で当たり前になりつつあった日常が、手の届かないものとなってしまう。
ずっと今のままで居られるはずがないことは解っていたはずなのに、いざその時がくるとこんなにも動揺するものなのか。

そんな千鶴の内心の葛藤を余所に、土方の言葉が続く。

「風間達にも言われているだろうが、今後お前は自分のため以外で異能を使用するな」

「え?」

「お前の力は人間にとってあまりにも魅力的過ぎる。認めたかねえが、風間の懸念に全面的に同意せざるを得ない」

忌々しげな口調は、土方が心底不本意であることを如実に物語る。
本当に何から何まで、風間の言葉は筋が通っていたと認めるしかない。
斎藤も同意の頷きとともに、言葉を繋ぐ。

「幕府や諸藩が鬼を隠したのも道理だ。あの力を知れば、欲に駆られて今回のような騒ぎを起こす奴は後を断たないだろう」

「俺達にとってもお前の力は毒になりかねねえ。お前の異能に頼るようになったら新選組は仕舞いだ。だからもう二度と、その力で俺達を助けようなどと思うな」

それは厳しい口調ながらも、気遣いに溢れた優しい命令。
千鶴の女鬼としての数多の特殊能力を知って尚、利用するより隠すことを選んでくれた。
きっと土方だけではなく、斎藤達も皆同じ意見なのだろう。

「お前の力が周知されれば、人間の世はお前にとって酷く住み難い世界になる。そうなったら俺達にできるのは、風間や千姫にお前を保護してもらうことだけだ」

「わかりました」

千鶴の異能は必要ない。そう言ってくれる人達が同胞以外にいてくれた。
その奇跡と巡りあえただけで充分だ、と己に言い聞かせる。
以前の暮らしに戻っても、二度と彼らに会えなくなるわけではないのだから。

「それらを踏まえた上で、頼み事がある」

「え?」

てっきり話は終わると思っていたが、土方の話はまだ続くようだ。
というか、これからが本題と言いたげな真剣な顔つきの土方と斎藤の視線を浴び、思わずたじろいだ。

「お前や松本先生が新選組と懇意にしていることは、不逞浪士にも知られているはずだ。今後、俺達に敵対する勢力がお前達を狙う恐れがある」

「あ・・・」

言われてみれば確かに。
今まで千鶴を狙う者達にばかり気を取られていたが、新選組と親しくなることで不逞浪士に目を付けられる可能性は多いにあるのだ。

「案ずるな。お前のことはこれからも新選組が守る」

「その代わりと言っちゃあ何だが、お前にはこれからも松本先生と共に医療面で俺達の力になって欲しい」

千鶴の黒目がちな目が零れんばかりに見開かれる。

「異能は使わなくていい。お前の医療の知識と腕さえあれば充分だ」

異能ではなく、知識と腕があればいい。
それは鬼としてではなく、“雪村千鶴”を必要だと言ってくれる言葉。

じんわりと心の中に染み入るそれは、震えるほどの歓喜を運ぶ。
千鶴は心からの笑顔を浮かべ、「はい!」と答えた。

ね、言った通りだったでしょう、と心の中で胸を張る。
風間も薫も人間は愚かだ、信用できないと再三言い聞かせてきたけれど。
やっぱりこの人達は信用できると、自分の判断が間違っていなかったことを誇りに思った。

そんな千鶴に、隣に座る斎藤が遠慮がちに言った。

「あと、偶に飯を作ってもらえれば非常に助かる・・・」

千鶴の手料理にがっちりと掴まれた、自分を含む新選組隊士の胃袋。
今更放り出されたら、いずれ禁断症状に苦しむのは想像に難くない。
実はこれが最も重要かつ切実な願いだった。

そんな隊士全員の心からの願いを、優しい少女は快く受け入れてくれた。
これで新選組(の胃袋)は救われた   と、土方と斎藤は心から安堵した。
偶にでも千鶴の手料理が食べられるのなら、沖田の極端な味付けも、永倉の大雑把過ぎる料理も耐えられる。

「これからもよろしく頼む」

「はいっ」

満面の笑顔の千鶴につられてか、斎藤も滅多に見せない笑顔を浮かべる。
微笑み合う二人の様子を生温い目で見守りながら、土方は呆れを含んだため息を吐いた。

(ここまでお膳立てしてやって誰も千鶴をものにできなかったら、俺はもう知らねえからな)

斎藤はもちろんのこと、平助も原田も、ひょっとしたら沖田も、千鶴には何がしかの感情を抱いている。それは多分千鶴も同じだろう。

屯所を出て町娘に戻った彼女を誰が射止めるか。
隊務に支障を来たさない程度に好きにやりやがれ。

話は終わったと二人を部屋から追い出し、土方は再び文机に向かうのだった。





■■■■■





季節は巡り、京の町は艶やかな紅葉に彩られていた。
燃ゆるような色と相反する風の冷たさが、冬の訪れを感じさせる。

京の町では今日も浅葱色の羽織を翻し、颯爽と行進する異能の剣士集団の姿があった。
雪村網道の組織は壊滅したが、日本から羅刹という存在が無くなるには未だしばらく時が掛かる。
いや、日本がこれからも諸外国と外交するならば、絶えることはないのかも知れない。

人間を遥かに凌駕する力を持つ化け物。
これまで怯え暮らすことしかできなかった人々だが、朝廷や幕府が羅刹の弱点を公表してからはそんな人々にもようやく希望が差した。
その弱点と言われる銀で造られた護身具は、庶民でも手に出来るほどに普及しつつある。
多少腕に覚えのある者なら、銀さえあれば羅刹を倒すことが出来た。

それでもやはり、夜の凶暴化した羅刹を相手にできる者達は限られている。
新選組は率先してその危険な役目を背負い、異能と剣を駆使して羅刹の脅威から人々を守り続ける。

そんな新選組で、最近とある賭け事が流行しているのは、主に平隊士の間でのちょっとした噂だ。

「おい、見たか」

「ああ見た見た。今日も来てたな」

「やっぱり可愛いよな。何か妙に見覚えがある顔だけど」

若い隊士達が声を弾ませて話題にするのは、屯所に出入りする“可愛い娘”。
そう、賭け事はその娘に纏わるものである。

曰く、“誰が雪村千鶴ちゃんと結ばれるか”。
娯楽の少ない新選組屯所で、今最も旬な話題だ。

気軽に島原に行けるわけでも、可愛い町娘との出会いがあるわけでもない男所帯。
何故好き好んで他人の恋愛を黙って見守るなんて虚しい真似をしなきゃならないのかと物悲しい気分になりつつも、相手が相手なだけに張り合う勇気を持つ者はいない。

「やはり千鶴さんに相応しいのは我らが組長だな」

「いやいや、うちの組長の方が」

「馬鹿言うな! 俺らの組長に決まってんだろ!」

新選組幹部。それも組長という役職を持つ者達こそ、千鶴ちゃんのお相手候補だ。
その候補者の中に名を挙げようと思うなら、組長はもちろんその組下の者まで敵に回す覚悟が要る。
だから誰も儚い望みなど抱かず、賭けでもしなければやっていられないわけである。

ちなみに現在一番人気は三番組組長、斎藤一だ。
傍から見ても彼こそが最も可能性が高い。
というか、見てるだけで恥ずかしくなる空気を醸し出している二人は目に毒だからさっさとくっ付いて欲しい。

そこに果敢に挑むのは大穴の八番組組長、藤堂平助だ。
そう、彼は“大穴”だ。平助から千鶴への好意は解り易いが、千鶴の方はお友達感覚なのもこれまた解り易い。
しかし、そんな彼を応援する声は後を絶たない。いわゆる同情票というものだ。

二番人気は十番組組長、原田左之助だ。
彼の大人の魅力と、斎藤を遥かに凌ぐ経験からの手練手管を以ってすれば、容易く形勢逆転できると睨む者は多い。

三番人気は一番組組長、沖田総司。
彼が千鶴にそういう感情を抱いているのかは不明だが、彼女の傍に居ると常に上機嫌であることから、一番組隊士達からは二人が結ばれて沖田の性格が丸くなることを願う声が多い。

他にも副長の土方歳三、総長の山南敬助、二番組組長の永倉新八、監察方の山崎烝など、層々たる顔ぶれが名を連ねるこの賭け。

結果が出るのは二年後。
新選組が幕府の援助で不動堂村に新しい屯所を構える頃。

松本良順の診療所に近くなったことで、これまで以上に一緒にいる時間が増えた二人が、誰の目にも恋人同士にしか映らなくなるまで賭けは続いたのだった。



平隊士達の間で自分の恋路が賭けの対象になっていることなど露知らず、斎藤は今日も真面目に隊務をこなす。

一時に比べ、京の町には活気が戻った。
自分達を守る組織があることに加え、護身の術があることが心に余裕を与えたのだろう。

また、先日はさらに朗報が届いた。
千鶴のもとに送られた千姫からの手紙で、羅刹が人間に戻る可能性が示唆されていたのだ。

新選組と関わる以前から、鬼達は羅刹を捕獲して研究をしていたらしい。
その成果が少しずつ現れていると言うのだ。

別に何か特別なことをしたわけではない。
多少、発作を抑える薬などは使ったし、狂わないようほんの少量だけ血を与えたが、それだけだ。

ただ、彼女達は羅刹達に容赦がなかっただけなのだ。

そう、容赦なく、朝早くに叩き起こし、夜は強制的に眠らせた。
日中は里の雑用をさせ、太陽のない曇りの日には外で畑仕事もさせた。
そうしているうちに吸血の発作の頻度が減り、昼でも動ける時間が増えていったらしい。

早寝早起き、朝食はしっかり摂って健康的な生活を送れば身も心もすっきり爽快よ♪という晴れ晴れしい文字を見た時、誰もが羅刹に同情した。
いや、健康的な生活を送って真人間に戻れたならそれは喜ばしいことだが。
ちなみに「綺麗な水がいいらしい」とオマケのようにちょこっと付け加えられていた。

たとえ羅刹となっても元の人間に戻れる術があるなら、それは羅刹と戦う者達にとっても救いとなる。
未だ羅刹の被害は後を絶たず、自分達も少しの油断が命取りとなる危ない橋を渡り続けているのだから。
しかし人はいつだって脅威に対抗し得る知恵と力を身に付けるのだ。

きっといつか、決して遠くない未来。
羅刹も、異能の剣も必要のない時代が来る。
そう信じたい。


秋晴れに晴れ渡る空を見上げ、斎藤は見事な紅葉に眼を細める。

今度の非番の日は、千鶴を誘って紅葉狩りに行こう。

そんなことを想いながら   



〈了〉

16.4.10up

とりあえず完結です。
長い連載でしたが、お付き合い下さってありがとうございました!
もうちょっと恋愛要素が欲しかったけど、あっさりした感じになりました(苦笑)。



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