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買い物
バタバタと、早朝の静けさの中を慌しく駆ける音が響く。
着替えを終え、寝巻きに使っていた浴衣を丁寧に畳んでいた千鶴は、部屋の外から聞こえてくるその音に視線を入り口に向けた。
ほどなくして千鶴の部屋の前で足音が止まり、間を置いて遠慮がちな声が届く。
「千鶴、起きてる?」
「平助君?」
問いかける声の後、襖が開いて息せき切った面持ちの平助が飛び込んできた。
彼は千鶴の姿を見ると、ほ〜っと深く息をついてその場に膝を着く。
「良かった〜っ」
「ど、どうしたの、そんなに慌てて・・・」
「いや、その・・・」
「千鶴ちゃんがいるかどうか不安だったんだよね」
何故か頬を赤くして口ごもる平助の後ろから、新たな声が聞こえた。
背後から落ちてきたその声にびくっと肩を揺らし、平助は一層赤く染まった顔で肩越しに振り返る。
「そ・・・総司・・・っ」
「おはようございます、沖田さん」
「千鶴ちゃん、名前」
「あっ、そうでした、そ・・・総司、さん」
「うん、おはよう」
呼び慣れない名前を恥ずかしげに口にする千鶴に笑顔を返しながら、総司は平助の横を擦り抜けて部屋に上がり込む。
そのまま彼女を抱きしめようと両手を広げたところで、我に返った平助が慌てて彼を追った。
「総司、勝手に千鶴の部屋に入ってんじゃねえよ!」
「それは平助もでしょ」
「二人とも、朝から千鶴に迷惑を掛けるな」
総司と平助の間で勃発しかけた争いを、また別の声が遮った。
入り口に現れた声の主に、千鶴は笑みを向けつつ挨拶する。
「おはようございます、は、一さん」
「っ・・・ああ・・・おはよう」
名を呼ばれたことに照れを浮かべ、一は千鶴から視線を逸らす。
だが彼が内心では物凄く喜んでいることは、傍目にも明らかであった。
「一君、顔真っ赤だぜ」
「千鶴ちゃんに名前を呼んでもらうのはそれくらい嬉しいものなんだよ。平助には解らないだろうけどね」
「俺だって千鶴に名前呼んでもらうのは嬉しいっつーの!」
「と、とにかく、総司と平助はさっさと部屋を出ろ。千鶴、その、共に朝食を食べてくれるか?」
「はい」
千鶴の笑顔に、三人もつられて笑顔になる。
彼女がここにいるのか不安だったのは皆同じ。
共に朝ご飯を食べられるのが嬉しいのも、同じだった。
そして千鶴もまた、目が覚めた時に自分が寝ている部屋がどこなのかを思い出した時、震えそうなほどの歓喜を覚えたことは、気恥ずかしくて口には出せなかった。
食堂に入ると歳三や左之助、新八、敬助の他に昨日は会えなかった勇と源三郎の姿もあった。
二人は家格が低いため、宴席には同席しなかったのだという。
「初めまして、雪村の姫君。俺は勇といいます」
「私は源三郎です。まさか雪村の姫にお会いできる日がくるとは思いませんでした」
そう言って頭を下げる二人に、千鶴は当惑する。
何故“近藤”と“井上”が自分にこんなにも慇懃に接するのだろう。
「あ、あの・・・?」
「勇さん、源さん、千鶴が困ってるから顔上げてやってくれ」
困り果てる千鶴を見かねてそう言ったのは歳三だ。
続いて穏やかな口調で敬助が千鶴に説明する。
「二人には記憶がないのですよ」
「そうなんですか?」
「敬助さんと違って、二人はお前を見ても思い出さないみたいだな。やっぱり全員が覚醒するわけじゃねえのか」
少し残念そうに左之助が言う。
他の面々も期待を抱いていたのか、思わず肩を落としたものの、すぐに気を取り直す。
「まあ、思い出せないものは仕方ないよな」
「勇兄さんは勇兄さんなんだし、何も変わらないよ」
口々にそう言いながら、食卓に着いた。
テーブルの上には美味しそうな料理が並んでいる。
これらは東雲家の食卓を預かる、源三郎の母の手作りなのだと説明を受けると、千鶴はふと浮かんだ思いを口にした。
「私も、お手伝いできるでしょうか?」
「手伝いって、おばさんのか?」
「はい、お世話になる間、何もせずにいるのは申し訳ないですし、家事なら私にもお手伝いできると思うんです」
その言葉に、歳三達の間で戸惑ったような視線が交わされる。
千鶴自身にあまり自覚はないようだが、この家の一族にとって彼女は当主よりも上の立場だ。そんな彼女に雑用など任せて良いのだろうか。
「いいんじゃない? 屯所にいた頃みたいで懐かしいし」
気まずい沈黙が流れそうになった時、ふいに暢気な声を発したのは総司だ。
そして彼の言葉に、それぞれ前世での情景が浮かんだのか、懐かしげに口元が綻ぶ。
料理をしたり、洗濯をしたり、掃除をしたり。
男所帯の屯所で、働き者の少女はくるくると雑事に勤しんでいた。
そんな彼女なら、何もせずに上げ膳据え膳の毎日を送るのは苦痛になるだろう。
「解った、爺さん達に頼んでみる」
「そうだね、母達も助かると思うよ。この広い家での家事は大変らしいからね」
源三郎の母だけでなく使用人も何人かいるし、女性達は皆家事をするものの、やはりこの家は広過ぎる。
本邸だけでも充分大きいのに、離れが数棟建ち並び、道場やら茶室やら蔵やらが広い敷地に点在しているのだから、その全てを掃除するとなると一日ではとても足りないこともある。
自分の部屋は自分で掃除し、自分達で使った道場は自分達で綺麗にするようにしてはいるが、人手はいくらあっても足りないのは事実だ。
歳三と源三郎の言葉に千鶴はほっとしたように微笑み、「ありがとうございます」と礼を述べる。
彼女が喜ぶなら何でもしてあげたいというのは青年達の共通の思いだが、まさか真っ先に頼まれたことがこんなことだとは。
あまりに彼女らしく、苦笑しか浮かばなかった。
食事を終えると、総司と一が何やら慌しくなった。
「では行ってきます」
「これからどこかに出掛けられるんですか?」
食堂の面々に生真面目に告げる一に、千鶴は不思議そうに問う。
「うん、学校にね。部活動の朝練があるんだ。面倒だから行きたくないんだけど、一君に怒られるから」
「部長がさぼるわけにはいくまい。千鶴、昼には戻る」
あからさまに不満顔の総司を窘めながらも、実は千鶴と離れたくないというのは一も同じなのだが、やはり彼は義務感からは逃れられないようだ。
焦らずとも彼女と過ごす時間はこれからたくさんあるのだ、と必死に自分に言い聞かせていることを知る者はない。
そんな二人に、千鶴はまるで巡察を見送っていた頃のように言った。
「行ってらっしゃいませ」
「「行ってきます」」
千鶴の一言で上機嫌になり、二人は意気揚々と家を出るのだった。
総司達に続き、勇と敬助もそれぞれ仕事に向かうための準備を始める。
夏休み中の学生たちとは違い、彼らは社会人なのだ。しかも二人揃って「休日? 何それ」と言わんばかりの多忙な職場である。
仲間達に見送られて彼らも出勤すると、後は休みで暇な面々が残る。
今日の予定はどうするのだろう、という千鶴の問いは、声にする前に歳三によって遮られる。
「千鶴、後で俺達も出掛けるぞ。支度しておけよ」
「え?」
「これからここで暮らすなら、必要なもんがあるだろ。服とか日用品とか。それを買いに行くんだよ」
平助の説明に、あ、と声を漏らして、千鶴は自分の格好を見下ろす。
今着ているのは総司の姉に借りた服だ。下着もこの家に来る前に新しく買ったもので、これからを考えるといくつか揃えた方が良いのは確かだった。
「金なら爺さん達から預かってるし、欲しいものがあれば何でも買えよ」
「そんなことして頂くわけには・・・っ」
「いいから素直に受け取っとけ。爺さん達はお前に何かしてやりたくて仕方ねえんだから」
「そうそう、老い先短い年寄りのたっての願いなんだから、甘えろって千鶴ちゃん」
「老い先短いかどうかは疑問だが、ようやく会えた雪村の姫に舞い上がってるのは事実だな」
「ですが・・・」
「初孫を喜ぶ年寄りみたいなものだからねえ。受け取ってあげてくれないか?」
左之助、新八、歳三に加えて源三郎にも柔らかく諭され、千鶴は何も言えなくなる。
服や日用品が必要なのは確かなのだし、ここは素直に聞き入れるべきなのだろう。
「ありがとうございます」
戸惑いつつも、千鶴は当主達や歳三達の好意を受け取ることにした。
それに、正直な気持ちを言えば自分のために何かしてくれようとする彼らの思いは、とても嬉しいものだ。
何とか聞き分けてくれた千鶴に、歳三達も笑みを浮かべる。
彼女の遠慮深い性格は彼らもよく知っている。
こういう時は有無を言わさず一方的に強引に話を進めるのが最善なのだ。
しばらくして、歳三と新八が車を出して千鶴達は街へ繰り出した。
歳三達につれられて向かったのは、大型のショッピングモールだ。
入り口では、歳三の姉と総司の姉が彼らを待っていた。
服はもちろん、下着や化粧品などを買うには女性の手が必要ということで、彼女達に頼んだのだ。
歳三と総司の姉達は過ごした時代は違えど、千鶴と年が近い。
すでに自立している二人は己のスタイルを確立していて、それは彼らから見てもセンスが良かった。
そんな二人なら、千鶴の好みを理解した上で彼女に似合うものを選んでくれるだろう。
そういうわけで、ここからは女性と男性で別行動となる。
「でも、その間皆さんは?」
「俺らはこれから用があるからな。ゆっくりと楽しんで来いよ」
そう言って左之助の手が歳三と総司の姉の方に、千鶴を押しだした。
■■■■■
買い物を終える頃には、時間は昼を回っていた。
彼女達との買い物はとても楽しく、時を忘れてはしゃいでしまったようだ。
三人とも持ちきれないほどたくさんの紙袋を手にし、歳三達と合流するため店内を軽い足取りで歩いていく。
待ち合わせ場所に近づくにつれ、若い女性達の姿が多くなってきたような気がする。
どことなく色めき立つ彼女達の視線が向かう先には、煌びやかな空気が漂っていた。
その発生源は、千鶴のよく知る人達だった。
見惚れるほどの美貌を持つ歳三に、甘く端正な顔立ちの左之助、逞しく頼りがいのある新八に、明るい笑顔が印象的な平助。
そして学校帰りの二人、総司と一の姿もある。
猫のような笑みが人を惹きつける総司に、静謐な雰囲気が却って目を引く一。
そんな六人が揃うと絢爛としか言いようがない。
「相変わらずね、私達の弟達は」
歳三や総司の姉達は慣れたもので、苦笑とともにそう言うと千鶴を促しながら彼らのもとへ歩を進める。
周囲からの熱い視線など気にも留めない様子だった青年達だが、近づいてくる三人の女性の気配にはすぐさま気づいて彼女達を輪の中に迎え入れた。
「よう、終わったか?」
「お待たせ致しましたっ」
「たくさん買ったみたいだな。楽しかったか?」
「どんな服を買ったの? 千鶴ちゃんがそれを着て見せてくれるのが楽しみだな」
思い思いに声を掛けながら、千鶴や姉達が持つ紙袋をそれぞれ受け取る。荷物持ちは彼らの仕事である。
「じゃあ私達はお役御免ね」
「あんた達、あまり千鶴ちゃんを疲れさせちゃ駄目よ?」
「ああ、世話掛けて悪かったな」
「ありがとうね、姉さん達」
「お世話になりました」
頭を下げる千鶴に、私達も楽しかったわーと答えながら、ちゃっかり自分の分も色々と買っていた二人は紙袋を手にどこへともなく歩き去る。
「さて、飯でも食いに行こうぜ」
「だな、そろそろ腹減ったもんな」
姉達が見えなくなるや、新八や平助が明るい口調でそう言う。
彼ららしい言葉に、千鶴は小さく笑いを零した。
喫茶店に入り、席に座って全員が注文を終えると、歳三がおもむろに何かを取り出して千鶴に差し出した。
手渡されたのは桜色の長方形の物体だ。
「これは・・・?」
「携帯電話だ。持っとけ」
きょとん、とそれを見つめる千鶴に、左之助が何かを思い出したように問いかけた。
「あ、電話って解るか?」
心配げに訊かれ、千鶴はくすりと笑う。
「解りますよ。お千ちゃん達と時々人里に下りていましたから、ちゃんとこの目で文明開化を見て来たんですよ」
冗談めかした台詞だが、それは決して嘘ではない。
そう考えると千鶴達って生きた歴史かもなー、と平助が感嘆する。
「電話は遠くにいる方とお話ができ、めーるはとても速く手紙のやり取りができるんですよね」
と言っても、自分で使ったことはないのですが、と困ったように笑う。
「初心者でも解りやすいシンプルなやつを選んだが、慣れるには練習あるのみだな」
電話はもちろん、文明の利器などほとんど触れたことのない彼女にいきなり携帯電話はハードルが高すぎるかも知れないが、これは持っていてもらわないと困るのだ。
パカッと携帯電話を開くと、上半分に液晶の画面が映し出され、下半分にはたくさんのボタンが現れる。
渡された説明書に解説が書かれているが、すぐに使いこなせられる気がしない。
「メールなら皆毎日送るだろうから、すぐに慣れるよ」
相当難しい表情になっていたのか、右隣に座る総司が笑いながらそう言った。
続いて左隣の一が横から千鶴の携帯のボタンを押しながら電話帳の項目を開く。
「俺達の電話とメールのアドレスはすでに登録してある」
並ぶ名を眼で追っていると、ふとあることに気付いて千鶴は平助を見た。
「平助君の名前がないよ?」
「俺はまだ中学生だから携帯持たせてくれねえんだよ」
「平助はいいじゃない。誰よりも千鶴ちゃんと一緒にいられるんだから」
携帯を持てないことに膨れていた平助だが、そう言われると自分が一番恵まれた立場だな、と途端に表情が明るくなった。
学校が始まると、歳三や左之助、新八は休みの日まで家に帰れない。
総司と一は部活のため家に帰るのは夜更けになり、千鶴とゆっくり過ごせるのは夜の数時間程度。
それに比べて平助は夕方家に帰ると千鶴を独り占めできるのだ。携帯などいらないだろう。
浮かれる平助に向けられた仲間達の目線は、冷たかった。
「千鶴ちゃん、早く慣れてよね。そうすれば平助と話す間もないくらいメールするからさ」
言いながらカチカチと自分の携帯を操作し、「えい」の言葉の直後に千鶴の携帯電話から電子音が鳴り響く。
「きゃあ!?」
液晶画面には、メール受信の文字が現れた。差出人は総司。
あたふたする千鶴を一が宥めながら新着メールを開くと。
“千鶴ちゃんからのメールが欲しいな”
「ええっと・・・」
メールと言っても、まだ文字の打ち方すら解らないのにどうしろと。
自分の判断で迂闊にボタンを押すと壊れそうな気がして怖い。
混乱する千鶴を見つめる総司の顔は非常に楽しげで、歳三達は一様に呆れ果てた表情となる。
「総司、千鶴を苛めるな」
「ふふ、この調子じゃあ平助との時間も携帯の勉強になりそうだね。しばらくは抜け駆けされそうにないし、一安心かな」
「・・・・・・っ」
千鶴の様子を見る限りあながちそれは冗談とも言えず、平助は悔しげに総司を睨む。
一方の千鶴は隣に座る一の手を借りながら、必死に携帯を操作していた。
そうしてようやく書き上げた返信を送ると、総司の携帯が着信音を鳴らす。
現れた文章は、長い時間を掛けた割に“よろしくおねかいします”と短かい上に変換されず、濁点もなかった。
まさに初心者の文に、総司は思わず噴出してしまう。
「変換予測使えばいいのに・・・っ」
そう言ってテーブルに突っ伏して笑い転げられ、千鶴の頬が真っ赤に染まる。
「いや、初めてなのだから仕方あるまい。これから慣れれば良い」
「そうだぜ。それにしても千鶴の初めてのメールを総司に奪われちまうとはなあ」
一と左之助が千鶴を慰める間も、総司は笑い続けていた。
注文していたメニューが運ばれ、食べ始めても尚笑いが治まらない総司の様子にむっとしながらも、千鶴は初めてのメールに驚いてもいた。
送信ボタンを押した途端、相手に届けられた手紙。それが何とも新鮮だった。
「これがあると、いつでも皆さんと繋がっていられるんですね」
そう言って桜色の携帯電話を愛おしげに撫でる。
夏期休暇が終われば、皆それぞれの学生生活が始まり、千鶴と過ごせる時間はぐっと減ってしまう。
それを寂しく思っていたが、この小さな機械を開けばいつでも彼らの言葉が見られるのだと思うと、胸の中があたたかくなった。
「大切にします。それと、早く使えるようになってみせますから!」
勢い込む様子が可愛らしく、歳三達は微笑ましげな視線を彼女に注ぐ。
「お前からのメール、楽しみに待ってるよ」
歳三が告げた言葉は、全員の心の声でもあった。
そんなほのぼのとした空気が漂う中で平助だけは、(早く高校生になりてえ〜〜っ)と心の中で地団駄踏んでいたことは、誰も知る由もなかった。
〈了〉
12.10.30up
桜結びの翌日の出来事です。
これから長く暮らすなら、女性には必要なものがたくさんあるのです。
そして、歳三さん達が千鶴ちゃんに絶対持っていてもらいたかったのが携帯電話なのでした。
平助君には気の毒だったかも・・・(汗)。
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