羅刹狩り 六





彼はごく普通の大学生だった。
早くに父親を亡くし、母親と二人きりで慎ましく、けれど穏やかに暮らしていた。

しかし、ある日母親が病に倒れ、大学を中退した青年は母の治療費を稼ぐ日々を送る。
女手一つで自分をここまで育ててくれた母に、少しでも良い治療を。
そう願う彼は、短時間で高額の報酬を得られる仕事を求めるうちに、とある研究施設が募集していた職を見つけた。


「それが、変若水の実験体・・・?」

「募集を掛けていたのは研究施設というより、その中で働いていたとある研究員の一人だがな」

その研究所は海外に本社があり、いくつかの国にも支社を置く世界的に大きな製薬会社の所有する施設らしい。
表向きは市販の医療品や健康食品の製造をしているが、研究施設の奥では変若水の実験と研究が行われていたのだ。

「あいつは、自分が変若水なんていう得体の知れない薬を飲まされるなんて思っていなかっただろうな。あそこには変若水のことを理解して羅刹になった者もいたが、あの男に実験体にされた者は違うだろう」

歳三が忌々しげな口調で吐き捨てた。
彼はその研究員を知っているかのようだが、それは決して良い感情を伴うものではないらしい。

「あの人は、殺されたりしませんよね?」

「殺すつもりなら、昨夜の時点でさっさと斬り殺してるよ」

恐ろしい台詞をさらりと総司が言い、引き継ぐように左之助が続ける。

「あいつは運が良い。あの施設の変若水は完成形に最も近いからな。数年前にあの男の研究施設に行っていれば、間違いなく死んでいた」

「どういうことだ?」

怪訝そうに眉を顰める恵太に答えたのは平助だ。

「人に戻れるかも知れないってことだよ。今俺達はそれを見極めてるところなんだ」

「助ける方法があるの? 羅刹を人に戻せるの?」

思わず茜は身を乗り出して声を張り上げていた。
それほど平助の言葉は思いもよらないもので、要や弘也、恵太も同様に驚きを浮かべる。

「まだ研究段階だが、あいつ程度なら時間を掛ければ変若水の毒を消せる可能性がある」

「あいつは、な」

「?」

一の淡々とした言葉の後、歳三が落とした低い呟きに首を傾げる。

その時、突然電子音が鳴り響いた。
どうやらそれは歳三の携帯の着信音らしく、彼は「失礼」と茜達に詫びると電話を取った。

「どうした、敬助さん」

電話の向こうの相手の話を聞いているうちに、みるみる歳三の表情が険しさを帯びる。
どうしたのだろう、と疑問を感じた時、一斉に彼らが立ち上がった。
そして立て掛けてあった木刀を手に取ると、千鶴を壁の方へと押しやる。

「俺達の後ろにいろよ」

「はい、左之助さん」

壁を背にした千鶴を護る位置に一と左之助が立ち、二人の前方に歳三、そして扉に向かって総司、平助、新八が足を踏み出す。

只ならぬ様子に戸惑っていると、いつの間にか要、弘也、恵太も立ち上がって扉を睨みつけていた。
状況が理解できないでいる茜と春奈は、おろおろと視線を彼らの間で彷徨わせる。

ふと扉の向こうからいくつもの荒い足音が聞こえた。
直後、乱暴に扉が開け放たれ、数人の男達が雪崩れ込む。

その誰もが髪を白く染め、狂気に満ちた紅い瞳を露としていた。


「ら、羅刹!?」


「血を・・・血を寄越せ・・・!」

「やっぱり狂いやがったか!」

まるで状況を楽しんでいるかのような新八の弾んだ声が上がるや、前衛の三人が木刀の刀身の部分を抜き放った。
現れたのは鋭く光る刃だ。

一瞬の光の軌跡を描いて旋回する刃は、躊躇い無く羅刹を斬り裂く。

「ぎゃあああああ!!」

耳を塞ぎたくなるような叫びが響き渡った。

斬り裂かれた羅刹が流した血に、理性を失った他の羅刹が益々興奮し、人間には持ち得ない俊敏な動きでこちらに向かってこようとするのが見えた。
動けないでいる茜と春奈を背後に庇い、暗器を構えた要達が襲い来る羅刹と対峙する。
しかし、こちらに辿りつく前に、その羅刹達はふと動きを止めた。

羅刹の左胸からは、鈍色の刃が生えていた。
いや、正確には背後から心臓を貫かれていたのだ。

何も映さぬ濁った紅の瞳は虚空を見つめたまま、進むことのできなくなった身体は手だけが何かを掴もうとするように宙をもがく。

やがて力尽きて崩れ落ちる羅刹の向こうには、刀を振るう総司と平助、新八の姿がある。

「!!!」

彼らの姿を見た瞬間、茜達は息を呑んだ。

そこに立っているのは、三人の鬼だった。
白い髪、金色の瞳、額には二本の角。
変化した弘也や恵太の比ではない程に、圧倒的な覇気を醸し出す“鬼”の姿。

“力の強い鬼ならもっと色が抜けて白銀になるらしいけど、俺達は金色が精一杯だな”

先日、弘也との手合わせで鬼の力を発現させた恵太が言った言葉が脳裏を過ぎる。
弘也と恵太の金の髪と眼の色にも驚いたが、東雲家の人達はさらなる変化を見せた。
彼らが自分達など及ぶべくもない強い鬼の力を有しているのが、その姿からも歴然だ。

すべての羅刹が動かなくなると、刀を下ろした彼らはまず千鶴の無事を確認し、茜達に視線を向けた。

「どうやらそちらも問題ないようだな」

要が頷くことで歳三に答える。
いきなり襲い掛かってきた羅刹は総司と平助、新八の三人だけで瞬く間に地に伏せられ、要達の出る幕はなかった。


「大丈夫でしたか?」

穏やかな声と共に、新たな人物が現れる。
要と同い年くらいの青年は部屋に入ると千鶴や歳三達の無事な姿に表情を緩め、息絶えた羅刹を見下ろして眉を寄せた。

「思ったより血に狂った者がいたようですね」

「ああ、こいつらは確実に大量の血を啜っているな。死人も出てるだろう」

青年と歳三が何やら話し合いを始め、蚊帳の外に置かれた茜達には左之助が説明してくれる。

「こいつらも研究所から逃げ出した、変若水の実験台となった奴らなんだよ」

「研究所にいれば、まだ助かる見込みがあっただろうが、血に狂った羅刹は生かしておくことはできないからな」

いつの間にか、元の髪と瞳の色に戻った新八が言葉を繋げる。
聞けば、研究施設から逃げ出した羅刹は茜達の知る青年以外にも何人かいたのだという。
それを知った彼らは逃げた羅刹を追い、捕らえた者達はこの家に軟禁してどこまで狂っているのかを“敬助”と紹介された青年が中心となって調べていたのだ。

「羅刹は逃げ出した後、貴方方が捕まえるまでの間に血を飲んだということですか?」

「研究所では吸血の衝動を抑える薬とかがあって、お陰でこいつらは狂わずにいられたらしい。けれど、研究所を出たこいつらは飢えに耐えられなかったんだろう」

弘也の問いに、左之助がそう答える。

研究所を出た後、彼らが羅刹を捕らえるまでに掛かった月日はそう長くない。
なのにこれほど血に狂ったということは、羅刹は相当の量の血を飲んだのだろう。
おそらく動物程度ならここまでにはならないはずだ。そうなると、羅刹が飲んだ血は・・・。

人を襲い、その血を啜る羅刹。
そんな羅刹から人の命を守るため、茜は羅刹狩りに加わりたいと願ったのだ。
けれど、その羅刹もまたかつては人間であり、自分で望んで羅刹になったわけではない場合、自分は総司達のように何と躊躇いも無く羅刹を殺せるのだろうか。

酷く顔色を悪くしながらも、丁寧に挨拶をしてくれた青年の顔が思い浮かび、茜はぎゅっと拳を握った。
そんな彼女の心の内を読んだかのようなタイミングで、一が彼のことを口にした。

「あの男からは血の匂いはしなかった。おそらく彼は一滴も飲んでいない」

「相当苦しかったはずだぜ。よく耐えたよな、あいつ」

はっと顔を上げる茜に、さらに平助が感心したような口調で希望を与えてくれる。

「とはいえ、あの時君の血を浴びていたらどうなっていたか解らないけどね」

喜びに水を差してくれたのはやはり総司だ。
またもや自分の浅はかさを突きつけられ、茜は居たたまれずに俯く。

あの夜、間一髪で駆けつけてくれた一が青年を止めていなければ、茜の命はなかっただろう。
そして、彼女の命を奪った青年もまた、二度と人間に戻れなくなっていたかも知れない。

「これに懲りたら、役に立たないくせに戦場をうろうろしないようにね」

「総司さん・・・」

ふいに名を呼ばれ、総司はぎくっと動きを止めた。
浮かんでいた人を小馬鹿にしたような笑みは引きつり、恐る恐る振り返った先に見た千鶴の哀しげな表情に、一気に彼の表情に狼狽が浮かぶ。

「ご、ごめんね千鶴ちゃん、もう意地悪言わないからそんな顔しないでよ」

「千鶴、総司のこれは単なる挨拶だから。悪意はあるけどいつものことだからっ。なっ?」

「フォローになってねえぞ平助。悪かったな嬢ちゃん達、怖い思いさせちまっただろ」

端正な顔立ちで優しく微笑みながら左之助は茜と春奈を気遣う。
二人が先程から小刻みに震えていることを、彼らはしっかりと見抜いているのだろう。

「おいてめえら、さっさとここを掃除しろ。他の奴らが血の匂いで狂っちまったらどうするんだ」

「はい!」

歳三の一喝に瞬時に返事を返したのは千鶴だ。
それに対して歳三は「いや、お前に言ったんじゃなくて・・・」と困ったような顔をしたが、彼女はてきぱきと掃除を始める。
千鶴につられて総司、一、平助も彼女を手伝い、新八と左之助は羅刹をどこかへ運び始めた。
ここで何もせずにいられないと要や弘也、恵太も彼らを手伝うが、茜と春奈は椅子に座ったままだ。
二人も手伝いたいという気持ちはあったが、何せ身体が震えて上手く動けないのだ。
全員から無理しなくていい、と言われてしまい、二人は大人しく座っていることにした。

ああ、私は本当に役立たずだ。

彼らとは圧倒的に経験の差があるのは解っているが、戦闘が始まっても腰を抜かして見ているしかできない自分があまりにも情けなかった。





■■■■■





掃除を終え、茜や春奈も動けるようになると五人は帰路についた。
これから一度山に戻り、弘也と恵太を車から降ろして茜と春奈の荷物を車に積み込み、少女達は要と共に実家に帰る。

山までの道中、話題に上るのはやはり東雲家や羅刹のことだ。

「逃げ出した羅刹って、もう全員見つけられたのかな」

「一応全員捕らえたらしいな。そのうち何人が“人”に戻れるのかは解らないが」

羅刹を人に戻す。
今まで考えたこともなかったが、本当にそうなれば良いと心から思う。
一人でも多くの羅刹が救われて欲しい。
初めて出会った人間の羅刹が彼だったからか、茜の中で羅刹の立ち位置は随分変わったように感じる。

「あの人達、まだ町に滞在するのかなあ。また千鶴さんに会える機会があればいいんだけどな」

「弘也、絶対に千鶴さんに手を出すんじゃないぞ。東雲を敵に回しかねないからな」

厳しい声音で窘められるも、弘也は逆に要に問う。

「要君は彼女に惹かれないのか?」

「惹かれるに決まってる。あの人は鬼の姫だ。何があっても守らなきゃならないって思わされる。だがその役目は、彼らのものなんだよ」

「鬼の、姫・・・?」

「千鶴さんは、東雲一族の真の頭領たる雪村家直系の姫君だ。鬼の位は不知火家より上、西の風間家に匹敵する」

「ま、マジかよ・・・」

呆然と恵太が呟く。
弘也も驚嘆したようだが、すぐに「だからこんなに惹かれるのか」と納得もしたようだ。


五十嵐家、露原家の主として不知火家が在るように、東雲家にもかつて主と仰ぐ一族がいた。
しかし、江戸時代末期にその家   風間家と同等の力を持つと言われていた“雪村家”は滅ぼされてしまった。
主を失った東の鬼の一族はやがてバラバラになってしまったものの、東雲家を中心としたいくつかの家は互いに助け合いながら現代まで存続している。
彼らは、遺体が見つからなかったという雪村家の幼い双子鬼が生きているとずっと信じ続けていた。


「それで、見つかったのか。百数十年も経って・・・」

京の古い鬼の一族や風間家などでは人の世界の時間と隔絶された地で今も純血の鬼達が存在しているというのは、人里の鬼達の間でも密かに知られている。
その中に、生き残っていた雪村家の双子鬼も居たというだけでも驚きだが、雪村の姫君を見つけ出した東雲家も凄い。

「ほんと、すげーよなあ」

「新八さん、凄く高嶺の花なのね・・・」

「花・・・」

身分違いの恋であることを知って落ち込む春奈には悪いが、四人は“新八=花”という例えのあまりの滑稽さに、噴出すのを耐えるのに相当の苦労を強いられた。



家に帰り着くと、茜と春奈は早速荷物を纏めた。

「あれ、恵太は?」

居間で二人を待っていたのは要と弘也の二人だ。
恵太は部屋にいる、と教えられ、茜はそちらに向かう。
夏休みが終わる頃には家で会えるだろうが、世話になった礼は今言いたかった。

「恵太、入ってもいい?」

「ああ、いいよ」

中からの応答を聞き、襖を開ける。
部屋の中で、恵太は何をするでもなく座り込んでいた。

「恵太、私達家に帰るね。色々とありがとう。それと、迷惑掛けてごめん」

彼の前に正座し、茜はそう言って深々と頭を下げる。
恵太が戸惑う様子が気配で感じられた。

彼が何か言い出す前に、茜は更に言葉を続ける。

「私ね、昨日まで、というより今日、東雲の人達と話すまで羅刹狩りは諦めようって思ってた。でも、今はもう一度頑張りたいって思うの」

「え?」

「ううん、羅刹を狩るんじゃなくてもいい。ただ、助けたい」

顔を上げると、恵太が驚きに眼を丸くして茜を凝視していた。
その眼を真っ直ぐに見つめながら、茜は語り始める。
誰よりも、まずは彼に知って欲しい心からの気持ちを。

「羅刹を人に戻すなんて、私達は考えもしなかった。そんなことができるとも思ってなかった。でも、少しでもその可能性があるなら、私はそれを伝えたいの。一人でも多くの人を、羅刹の狂気から解放してあげたい。そのために戦いたい」

「茜・・・」

「お爺ちゃん達、許してくれるかな・・・」

一転して自信なさげに問われ、恵太はふと表情を和らげる。

「驚いた。お前、凄く成長したんだな」

「え?」

「爺さん達には茜の気持ちを率直に伝えてみろよ。俺はお前がそう決めたのなら応援するし、協力も惜しまない」

「・・・っ、ありがとう、恵太」

恵太の力強い励ましに、茜の不安に満ちていた胸がいくらか晴れた。
まだ何をすれば良いのかも解らず、どんな道を歩めば良いのかも解らないけれど、今の想いを理解してくれる人がいるのは何より心強い。

「私、やっぱりここに来て良かった。色々と解ったことがあるし、お兄ちゃんや弘也君、春奈ちゃん、それに恵太にはすごく感謝してる」

ありがとうね、と無邪気に感謝され、恵太は困ったように頭を掻く。

「いや、俺も茜にあまり偉そうなこと言える立場じゃないんだよな」

「?」

「兄貴や要君に言わせると、俺は運が良いんだって。初めて遭遇した羅刹は、助かる可能性を秘めていたから」

言われてみれば確かにそうかも知れない。

要や弘也は、恵太や茜と同じ年の時から羅刹狩りに加わるようになった。
彼らが狩りを許されたということは、恵太のように羅刹が人間であったことを理解していたはずだ。
それを殺すことでしか救えなかった当時の彼らは、そして歴代の羅刹を狩る鬼達は、どれだけの苦しみを抱えていたのだろうか。

「俺、東雲家の人達と知り合って、すごく焦った。俺と同い年の平助君すら、しっかりと覚悟持ってるんだもんな」

俺にはあんなに迷いなく刀は振るえねえよ。

力なく零れ出た言葉に、茜は苦笑してしまう。
彼女の眼にもはっきりと解った。彼らの迷いのなさが。
だから彼らは強いのだ。
確固たる信念を持つ彼らの姿は、まるで武士のようにも見えた。


「あの人達と比べたって仕方ないよ。私だってまだまだなんだし、一緒に成長していこう?」

「・・・・・・だな」

迷子の子供のように不安げな恵太は久しぶりだ。
羅刹狩りを許されてから、茜よりずっと先を歩いていた彼に、少しだけ近づけたような気がする。



その後、弘也と恵太に見送られて家に帰った茜と春奈は、当然の如く両親や祖父母にこっ酷く叱られた。
しかし大人達は同時に茜の成長にも気付いていた。

彼女がこの数日間で何を感じ、何を決めたのか。
それは長い時間を掛けて証明していくことだろう。

これは、一人の少女が少しだけ成長した一夏の出来事。



〈了〉

13.5.30up

完結しました。ここまで読んで下さってありがとうございました♪
茜ちゃんがどんな道を歩むのかは解りませんが、
前向きに頑張っていくことでしょう。
それにしても、結局羅刹の青年の名前出なかったなあ。
一応茜ちゃんの恋の相手候補の一人だったんですけど(汗)。

茜ちゃんはこの後数年は一さんか総司さんに片思いしてます。
でもそれは叶わないので、やがて失恋。
数年後、普通の人間となった羅刹だった青年と再会し、恋に落ちるかも知れません。
はたまた無難に露原の兄弟のどちらかと結ばれるかも知れません。
それはまた別のお話ということで。



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