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唄ウ声 後編
風間が立ち去って間もなく、本堂の光は見えなくなった。
あの光は風間と千鶴にしか見えなかったのか、参拝客や隊士達に変わった様子はない。
僧侶達の反応までは解らないが、表立って騒ぎは起きていないようだ。
その後、掃除を終わらせた千鶴は厨に向かった。
するとそこは、嵐でも起きたのかと思わせる惨状だった。
「ええ・・・?」
食器や食材が厨に所狭しと散乱し、猫らしき足跡がそこら中に残っている。
壊れた棚や割れた皿、転がる鍋の姿は、ここで壮絶な攻防があったことを窺わせる。
だが惨状の原因であろう猫も、厨で死闘を繰り広げたであろう隊士の姿もない。
残されたのは、生々しい戦場の跡。
(後で掃除しなきゃ・・・)
とりあえず転がる鍋を一つ拾い、湯を沸かす。
淹れたての茶を盆に載せ、向かったのは副長室だ。
「土方さん、お茶をお持ちしました」
「入れ」
応える声には隠しようのない苛立ちが込められていた。
相当機嫌が悪そうだ、と恐る恐る部屋に入る。
「そこに置いとけ」
こちらを見ないまま、土方が吐き捨てる。
先程、境内で風間と出くわしたことを報告すべきなのだろうが、今の彼にその話題を出すのは恐ろしい。
触らぬ神に何とやら、と千鶴は盆を置いて「失礼します」とそそくさと立ち去ろうとするが。
「いや、ちょっと待て」
びくっと足が竦んだ。
「な、何でしょうか?」
こちらに向き直った土方は、眼の下にくっきりとした隈を付け、睨みつけるような視線を千鶴に向ける。
何もした覚えはないが、今すぐ手を付いて謝りたくなる雰囲気だ。
「そこに座れ」
「はい」
素直に正座する。
「いいか、雪村。俺は忙しい」
「はい」
「特にこの数日の忙しさは俺に対する挑戦かと思う程だ。毎日毎日どこかで騒動が起きやがる。それも一つ一つは大したことじゃねえが、塵と積もれば厄介な問題ばかりだ。隊士共も頑張ってくれちゃいるが、それでも追いつかねえ。今の新選組は幹部から平隊士に至るまでてんてこ舞いなんだよ」
「は、はい・・・」
嗚呼、益々風間の話題など出せる雰囲気ではない。
というか、これは暗にのほほんと過ごしている自分への嫌味なのだろうか。
だとしたら申し訳ないとしか言いようがない。
「だと言うのにあいつは・・・あの野郎は、またいつの間にか俺の部屋からアレを・・・っ」
「・・・?」
「つまりだ。お前にはこれから総司の部屋に行って、俺の部屋から盗んで行きやがった物を取り返して来て欲しい」
「はあ・・・」
どういう話の流れでそうなるのか理解不能だったが、それを突っ込める勇気は千鶴にはない。
とにかく、沖田が土方の部屋から持ち去った何かを返してもらえば良いということだろうか。
「それで、あの、いったい何を?」
その瞬間、凄まじい眼光に射抜かれた。
「俺の部屋から盗んだ物と言えば解る。絶対に中は見るな」
「は、はい・・・」
視線で人を殺すことができるなら、千鶴は間違いなく致命傷を負うところだった。
この話題は掘り下げるべきではないと心に深く刻み、土方の部屋を後にする。
「沖田さん、いらっしゃいますか?」
沖田の部屋の前に辿り着いた千鶴が呼びかけると、すぐに中から「どうぞ」と声が返る。
「失礼します」
「千鶴ちゃんが来たら静かになった」
「え?」
部屋に入るなり、沖田は感心したように呟いた。
「さっきまで部屋の外がやたら騒がしかったんだよね。お魚くわえたどら猫を追いかけて隊士達が廊下を駆けて行ったり、庭では鶏やら猪やらが逃げ回って大捕り物になってたり、何故か平助が屋根から転がり落ちてきたり」
「・・・・・・・・・」
何だ、その混沌は。
「お腹痛くなるほど笑わせてもらったけどさ、今夜は夜番だって言うのにおちおち寝てられる状況じゃなかったんだよね」
「それは、何というか・・・」
「でも、千鶴ちゃんが来る少し前からぴたっと静かになったんだ」
どうしてだろうね?
妙に含みのある笑みを向けられ、背筋に嫌な汗が伝う。
「どうしてと言われましても・・・」
「先日からおかしなことばかり起きてるけど、不思議と君には何も起きてないみたいじゃない?」
沖田の指摘の通りではあるが、何故かと問われても千鶴にも答えようがない。
こちらが訊きたいくらいなのだから。
「ねえ、千鶴ちゃん。最近何か変わったことした?」
“最近、身の回りで何か起きているのではないか?”
先程、風間に言われた言葉が思い出される。
やはり、新選組に起きている現象は自分が関わっているということだろうか。
■■■■■
風間の不可解な発言の真意が解らぬまま数日が経ったある日、千鶴は二番組の巡察に同行して京の町を歩いていた。
連日降り掛かる、わけのわからない不運に振り回され、隊士達の表情は疲労の色が濃い。
無尽蔵の体力を誇る永倉さえ、どことなく声に覇気がないように感じられる。
(もう一度、風間さんと話してみようかな・・・)
それはこの数日間、何度もぐるぐると思い悩んでいたことだ。
風間はこの現象について、何か知っている様子だった。
会うのは怖いし、彼がこちらの問いに答えてくれるかどうかもわからないけれど、少しでもこの事態の打開策を見出したい。
しかし相手は風間。新選組の誰かが一緒ではむしろ険悪になって質問どころではなくなる。
一人で会うべきなのだろうが、彼と二人きりになると思うと恐ろしくて二の足を踏んでしまう、どうにもならない状況に陥っていた。
(怖い・・・けど、そんなこと言ってられないよね)
このままでは隊士達が疲弊していくばかりだ。
不逞浪士と戦う事態になった時、本調子でない彼らが命に関わる怪我を負う恐れも日毎に高くなる。
精の付く食事や疲労回復に効果のある薬湯を作るだけでは、気休めにしかならない。
何か原因があるなら、それを突き止めて断たなければ。
風間さんに会おう。
そう強く決意した時、不意に周囲の空気が変わった。
(え?)
薄い膜のようなものを通り抜けた感覚と共に、周りの景色がぼんやりと歪む。
見渡せば、いつの間にか深い霧が立ち込め、京の町を白く閉ざしていた。
しかし、前を行く隊士達も擦れ違う町の人達も、平然とした様子で霧の中を歩き続ける。まるで“いつもと変わらぬ風景の中”を歩いているかのように。
戸惑う間にも隊士達との距離が開いていき、千鶴は慌てて二番組の後を追って駆け出した。
ところが、懸命に走っているはずなのに一向に追いつかない。
「待ってください!」
必死に声を張り上げるが、隊士達は誰も千鶴の声が聞こえていないようだ。
振り向きもせずに歩く彼らの背が急速に遠ざかる。
(どうして追いつけないの?)
彼らは別に急ぎ足ではない。むしろ普段より足取りは重いくらいなのに、全力で走る千鶴が追いつけないのはあまりに不自然だ。
追い縋る千鶴を嘲笑うかのように浅葱色は豆粒のように小さくなり、やがて完全に見えなくなった。
「どうしよう・・・」
深い霧の中に立ち尽くし、途方に暮れる。
もう右も左もわからないほど、視界は霧に覆われてしまった。
誰かに道を尋ねようにも、いつの間にか周囲に人の姿はない。
京の大通りを行き来していた大勢の人達が、誰一人見当たらない。
いや、人どころか、建物の影形もなくなっている。
「誰か、誰かいませんか? 永倉さん、どこですか?」
声は霧の中に消え、後には沈黙だけが漂う。
まるで千鶴だけが世界から切り取られてしまったかのような不安。
足元からじわじわと冷たい絶望の気配が這い上がってくる。
ふと、霧の奥から途切れ途切れに小さな音が聞こえた。
千鶴は考えるより先に、音に向かって駆け出す。
とにかくこの霧の中から抜け出したい。その一心で。
音は、一つの旋律を奏でていた。
聞き覚えのあるそれは、夢の中で何度も聞いた唄。
そして千鶴自身も何度も口ずさんだ唄。
命の誕生を祝う、歓びの祝ぎ唄。
どうしてこの唄が聞こえてくるのか、いったい誰が唄っているのか。
色んな疑問はあるが、それより気になるのは歌声に混じる感情だ。
歓びの唄に滲む、苦しみと哀しみに満ちた心の叫び。
胸が張り裂けそうなほど哀しい歌声に、涙が溢れそうになる。
どうしてそんなに哀しげに唄うの?
“貴方の唄は歓喜に溢れているはずなのに”
自分でも理解できない思いが、心の中を通り過ぎた。
(私はこの歌声を知っている?)
誰の声かもわからないのに、何故かそう思った。
顔も名前も、一致する人物に心当たりなどない。
だが、今まで繰り返し夢の中で聞いた歌声は、確かにこの声だと確信する。
もしかして、今も夢を見ているのだろうか。
そんなことを思った時、さあっと霧が晴れた。
拓けた視界の先には、一人の男が立っていた。
千鶴の気配を察したのか、こちらを振り向いた彼は整った顔立ちに驚きを浮かべる。
「雪村の娘か?」
「風間さん!?」
霧を抜けた先は、赤い鳥居が無数に立ち並ぶ社。
壮観なまでの鳥居が並ぶ場所というと 。
「ここ、もしかして伏見の稲荷神社ですか?」
「何故お前がここにいる?」
千本鳥居の只中で向かい合う二人。
風間から見れば、突然千鶴がこの空間に現れたように見えたのだろう。
しかし、わけがわからないのは千鶴も同様で、どう説明するべきか言葉に迷う。
その様子に風間は何かを察したらしく、「なるほど」と呟いた。
「妖(あやかし)共に“隠された”か」
「え?」
「奴らから隠し、俺のもとに導くのが目的だったのか?」
問いは千鶴ではなく、何もない場所に投げかけられた。
何もない、と思っていた場所。視線をやると、不意に霧が集まって獣の姿を象った。
「きゃあ!?」
「妖如きで何故そのように動揺する」
「あ、あやかしって・・・」
霧の獣は一匹だけではなく、次から次へと湧いてくる。
それは猫や兎のような小さなものから、狐や犬、狼のようなものまで色々な形となって現れた。
どうやら敵意はないようで皆大人しくその場に座っていることに幾分ほっとするが、いつ豹変して襲い掛かられるか解らない。まさに前門の風間、後門の妖といった危機的な状況だ。
「お前も慣れた存在のはずだ。鬼の里には普通にそこらにいるのだからな」
「知りませんよっ」
「ふん、幼い頃は猫や狐の妖の分かれた尾を結ぶ遊びは大抵の者が経験しているぞ」
「そ・・・っ」
そんな罰当たりなっ。末代まで祟られたらどうするのか。
「奴らはあの尾で赤子をあやすのが上手い。必然的に子守を任されるようになったのだ」
え? じゃあ合意の上?
「風間さんも結んでいたんですか?」
「俺の芸術作品は家人共に絶賛されたものだ」
どんな結び方をしたのか激しく気になると同時に、尻尾を結ばれた狐や猫が気の毒になった。
風間は妖に歩み寄ると、無造作に一匹摘み上げた。
「言え。貴様らは何の目的で雪村の娘を連れてきた」
《姫様ヲ、助ケテ》
頭の中に直接語りかけてくるか細い声。妖の声だろうか。
「姫様?」
「お前のことだろう」
「?」
「解らぬか? この妖共はお前が生まれた地、雪村の里にいた妖だ」
「え?」
思わず足元の妖達を見下ろすと、全員が千鶴をじっと見ていた。
どこか哀しい、けれど少しだけ嬉しそうな様子が感じ取れる。
《姫様、助ケタイ。風間、強イカラ》
「どういうことでしょう?」
妖達が自分を助けたがっているらしいのは解るが、理由が解らない。
何故風間に助けを求めるのだろう。
「こやつらはお前を新選組から引き離したかったのだろう」
「新選組から?」
その言葉で、もやもやしていたものがストンと腑に落ちた。
「もしかして、今まで屯所で起きていた不思議なことって、貴方達が?」
一斉に頷く妖達。
くらりと眩暈がして、千鶴は額を押さえた。
(ええと、つまり新選組の皆さんに降り掛かっていた不運は、やっぱり私のせいで・・・)
《姫様、逃ゲル。人間、悪イ奴ラ》
「余計なことをしてくれる」
不快げな声が風間から発せられた。
彼はぺいっと摘んでいた妖を投げ捨てると、「いいか貴様ら!」と怒気を強めながら説教を始める。
「俺はあの犬共を思う存分甚振り、血反吐を吐くまで叩きのめした上で、這い蹲る奴らの目の前で雪村の女鬼を掻っ攫うのが楽しみなのだ。これ以上余計な真似をするなら貴様らも一緒に締め上げて不知火の餌にするぞ!」
不知火の餌? 妖を食べるのだろうか、彼は。
いや、今はそれよりも風間の剣幕にぷるぷる震えている動物さん達の方を何とかしないと。
「あの、風間さん、妖さん達怯えてますからやめてあげて下さい」
「ふん、さっきまでこの程度の物に怯えていた奴が何を言っている」
「だって、何だか風間さんの方が鬼のようで・・・」
「俺は鬼だが?」
「いえ、そうではなくて・・・」
悪者のようだ、と正直に口にしていいものか。
こほん、と千鶴は誤魔化すように小さく咳払いすると、妖達の前にしゃがんで目線を近づける。
「貴方達は私を新選組から逃がしたかったの?」
こくこく、と涙眼で頷く妖達。
自分が生まれた地にいたもの達だと、さっき風間が言っていた。
千鶴には“鬼の里”の記憶などないが、彼らの方は覚えてくれていたのか。
風間の言葉を真実と認めるのは複雑な心境だが、こうして新選組から自分を救おうとしてくれる妖のけなげさを目の当たりにすると、彼らの前で“鬼”を否定することはできなかった。
「でも、私は今は新選組を離れることはできないの。だから、もう隊士さん達を困らせないで」
そう言うと、一斉にしゅんと肩を落とし、哀しげな顔を俯ける姿に胸が痛んだ。
“妖”と言われて怯えてしまったが、慣れれば何だか愛嬌がある。
妖以上に風間の方が凶悪に見えるから尚更そう思うのかも知れないが。
千鶴はそっと手を伸ばして、一匹ずつ頭を撫でた。
驚いたように見上げてくる妖達に、優しく微笑む。思い出せないことへの謝罪も込めて。
「私を助けようとしてくれて、ありがとう」
ぽろぽろと、妖達の目から涙が零れた。
《ゴメンナサイ・・・》
消え入りそうな言葉と共に、霧が広がって千鶴を包み込む。
ふわりと吹いた風に霧が散った後には、そこに千鶴の姿はなかった。
「そろそろ姿を現したらどうだ」
千鶴が消えた空間をじっと見つめていた風間は、誰にともなくそう言った。
その背後にきらきらと光が集まり、人の輪郭を描く。
「妖が西本願寺という場所で調伏されずに済んだのは、強い加護があった為。あの娘が言祝ぎの唄を唄ったことで、お前の力がこの京の地で使えるようになった。そうだな 雪村家の守り神」
光は黙したまま、否定も肯定も示さず静かに佇む。
しかし風間は構わず続けた。
「あの娘は自らの意思を持って奴らと共に居る。余計な手出しはするな」
ゆらり、と光の輪郭が歪んだ。
まるで風間の言葉に異議を示すかのように。
「あの娘を死なせはせん。犬共が守るだろうし、奴らでは手に余る状況に陥っても我等は決して同胞を見捨てぬ。だから貴様は妖共と雪村の地に戻れ」
しゅん、と肩を落として俯く光。妖達とまったく同じ仕草だ。
しかし風間は千鶴のように頭を撫でるなんて真似はしない。
ただ一つだけ、小さな約束を交わしてもいいだろう、と気まぐれに思う。
「いつか、雪村の娘とともに里を訪ねよう。それまでかの地で待つがいい」
はっと顔を上げる光に、風間は口角を上げて不敵に笑んでみせる。
「その時は、またあの唄を唄ってやれ」
次はちゃんと歓喜の唄としてな。
その言葉に嬉しげに笑い、すう、と光は消えた。
■■■■■
ふと気づくと、千鶴は雑踏の中に立っていた。
「千鶴ちゃん!」
「あ、永倉さん」
人波を掻き分け、浅葱色の隊服を着た永倉新八がこちらに走って来る。
「良かったぜ、突然いなくなるから捜し回っちまったよ」
破顔一笑。いつもの明るい笑顔を見せる永倉だが、僅かな息切れと頬を伝う汗が彼が本当に必死に捜してくれていたことを物語る。
「ごめんなさい、永倉さん。勝手にはぐれてしまって」
「無事に見つかったから良いってことさ。けど、どうしたんだ? 神隠しにでも遭ったのかと焦ったぜ」
「いえ、ぼんやりしていて皆さんに置いて行かれただけです」
「ならいいけどよ。あー、それにしても最近は本当にツイてねえよなあ。今日のは今までで一番肝が冷えたぜ」
「そうですね、私もどうしようかと思いました」
二番組の背がどんどん遠ざかっていく恐怖は、今も強烈に心に残る。
まるで、自分の中の何かが削ぎ落とされていくような感覚だった。
呼んでも届かない声。手を伸ばしても触れられない後姿。
二度と会えない 。そんな絶望を味わった。
「でも、もう不運はきっと起きませんよ」
「だと良いんだがなあ。一度お祓いした方がいいかもな」
そんな会話を交わしながら、永倉と千鶴は並んで歩く。
そうして、千鶴が一時行方知れずとなって以降、新選組に降り掛かる不運はぱったりと起きなくなった。
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小さく愛しい命。
そなたの進む道が希望に満ち溢れたものであるように。
遠き地の守り神は、小さな子供達にいつも歓びの祝ぎ唄を唄った。
もうその唄を知るものは、ほんの僅かだけ 。
〈了〉
16.5.10up
5.20加筆修正
あれ? 沖田さんに盗まれた土方さんの大事なものはどうなったんでしょう(待て)
ちなみに荒らされていた厨は千鶴ちゃんが戻る頃には片付いています。
徹底して千鶴ちゃんに被害はありません(神隠し以外)。
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