困り顔





「沖田さん、お薬をお持ちしました」

「いらない」

盆を手に沖田の部屋を訪ねた千鶴を迎えたのは、取り付くしまもない拒絶だった。
だがこの程度でへこたれては、この沖田総司という厄介な男と付き合っていけない。

「だめですよ、ちゃんと飲まないと。昨日も飲んでくれなかったって、相馬君や野村君が困ってましたよ」

「ふうん、僕よりあの二人を気に掛けてるんだ」

「え?」

「別に。薬はいらないから下げてくれる」

ふてくされたようにそう言って、くるりと背を向けられてしまった。

毎度のことながら、彼に薬を飲ませるのは一苦労だ。しかも毎回成功するわけではない。
さて、今日はどうやって説得しようかと考え込んだとき。

「ねえ千鶴ちゃん、土方さんのことどう思う?」

「え?」

いきなり話を振られ、頭の中で渦巻いていた思考が霧散した。
代わりに取って代わるのは困惑だ。その質問の意図は何?

「どう、とは?」

「あの人、やたらと僕にうるさいんだよ。僕がちょっと土方さんの部屋に猫を放っただけで怒り狂ってさ、忙しいあの人にひとときの癒しを与えてあげたいという僕の厚意を捻じ曲げて、僕を悪者にして説教してくるなんて。心に余裕がなさ過ぎだよね」

ちょっと・・・というか・・・。

「お仕事の邪魔をされたら、土方さんが怒るのも無理はないような・・・」

あの時の騒ぎは忘れようにも忘れられない。
仕事中の土方の部屋に沖田が大量の猫を放ったことによって巻き起こった嵐のような惨状を。
隊士総出で後片付けに追われた後、沖田は土方にみっちりと説教を喰らい、その後反省したのかしばらくおとなしくしていたのだが、どうやら密かに根に持っていたらしい。
しかしあれはどう考えても沖田に非があり、文句を言うのは筋違いというものだ。

「・・・・・・」

気まずい沈黙が落ちる中、おもむろに沖田がむくりと起き上がり、障子戸に手を掛けた。

「あの、どこへ行かれるんですか?」

「何、厠にも行っちゃだめなわけ?」

「あ、いえ、すみません・・・」

しゅん、と萎れるように顔を俯ける様に少しだけ罪悪感が過ぎったが、彼はそれを無視して部屋を出た。





「ふぅ・・・」

自室で大量の書類と向かい合っていた土方は、きりの良いところで一旦手を止めた。
先日沖田のせいで無駄に増やされた仕事も何とか片付いた。この数日の目まぐるしさを思うと、己に厳しい土方ですら自分を褒めてやりたくなる。

(ったく、あの野郎は本当にろくなことしやがらねえな)

息つく暇もない忙しさが落ち着いたからか、抑えていた怒りがふつふつと湧き上がる。
いやいや今は考えるのはやめよう。怒りは余計な労力を消費する。仕事が終わるまではあの馬鹿のことは考えるな。忘れろ。存在しないものと思え。

「よし、もうひと頑張りするか」

もうじき千鶴が茶を持ってきてくれる。そうすれば一休みすることにしよう。
そう考えて次の書類を手に取ったとき。

「土方さーん、あーそびーましょー」

すぱーん、と小気味良い音を立てて障子戸が開け放たれ、今一番聞きたくない声が響き渡った瞬間、土方の眉間に大量の皺が刻まれた。

「今すぐ出てけ」

「えー、酷いなあ。せっかく遊びに来てあげたのに」

「呼んでねえ! 部屋に戻っておとなしく寝てやがれ!」

「寝てばかりじゃ退屈なんですよ。話し相手が欲しいんです」

「それで何で俺の部屋に来やがる! 俺は見ての通り仕事中だ。さっさと出てけ!」

大抵の者なら裸足で逃げ出す土方の怒声も、沖田にはまるでそよ風のごとく聞き流される。
許可もなく部屋に上がり込んだ彼は当たり前のような顔で腰を下ろし、凄まじい目つきで睨みつける土方を不思議そうに見た。

「土方さんて、すぐに怒りますね」

「てめえが怒らせるようなことをするからだろ!」

「そういえば千鶴ちゃんが怒ったところって見たことないなあ。困った顔なら散々見てるけど」

「お前が困らせるようなことばかりしてるからだろうが・・・っ」

怒りを持続するのも何だか馬鹿らしくなり、土方は疲労を滲ませた表情で額に手をやる。
やはりこの男に言うことを聞かせるには、自分では力不足のようだ。
それにしてもここで千鶴の名が出たということは、まさかまた彼女を困らせたのか。

「何でてめえは雪村に構いたがるんだ?」

「何でって、・・・・・・何でですかね」

「こっちが訊いてんだよ」

問われて考えてみる。
僕ってそんなにあの子のこと構ってるかな?

心当たりはなくもない、かも知れない。
薬を持ってくる彼女が今日はどんな手で自分に飲まそうとするのか。それが妙に楽しいと思うのだ。

(楽しい・・・うん、あの子と話すのは楽しい)

反応が素直で可愛くて、何故かそれをもっと見たくなる。
次に何をされるのかとびくびくしているくせに、決してこちらを拒絶しない。それが嬉しい。

(前に居候してた芹沢さんの犬には、そんなこと思わなかったんだけどなあ)

あれをからかっても、つまらないの一言に尽きた。
まだ平助辺りの方が面白い反応を返してくれる。

なのに昨日は彼女ではなく他の隊士が薬を持って来て、先日土方に散々怒られたこともあって今日は彼女に当たるような真似をしてしまった。
そんな自分の態度にばつが悪くなって、逃げるようにしてここに鬱憤晴らしに来たのだ。
部屋を出る間際に見た、哀しげな表情を思い出すとちくりと胸が痛む。

(そういえば・・・)

笑わせてあげられたこと、あったかな?

笑顔を見たことがないわけではない。たいしたことでもないのに、彼女は嬉しいと感じれば花のように微笑む。
しかし最近は、自分の前では困った顔ばかりしている気がする。
同じように自分の前では渋面しか作らない男に目線を向けた。

「笑い転げる土方さんって不気味ですよね」

「ああ? 喧嘩売ってんのかてめえは」

「いや、千鶴ちゃんて笑うと可愛いだろうなあって思って」

笑顔はあっても、彼女が楽しげに声を立てて笑うことはない。
彼女にとってここは楽しい場所ではないのだから、当然といえば当然か。
特に自分は彼女を楽しませてあげようとしたことすらなく、笑って、などといえる立場ではない。

「土方さんなら簡単に千鶴ちゃんを笑わせられそうですよね」

「馬鹿言え。何で俺が」

「句集を見せれば一発ですよ。笑いの才能がある人って凄いな」

「そこに直れ。今日こそてめえに引導を渡してやらあ」

ちゃき、と刀に手を掛ける土方を尻目に、沖田は楽しげな笑みを浮かべて立ち上がった。

「じゃ、僕用事を思いついたんでこれで」

そう言って足取り軽く廊下の向こうに消えていく沖田。
怒りのやり場を失った土方はしばらくの間刀を抜きかけた姿勢で固まっていたが、やがて刀を戻して腰を下ろした。

「ったく、何だってんだあいつは」

本当にわけのわからない男だ。





■■■■■





「土方さん、お茶をお持ちしました」

「入れ」

盆を手にした千鶴が部屋に入ると、土方は書類から顔を上げて問うた。

「総司がお前の所に行かなかったか?」

「沖田さんですか? 先程お薬をお持ちしたんですけど、厠に行くと仰って出て行った後、帰って来られなくて・・・」

「あの馬鹿が・・・」

その後でこの部屋に来たのか。

「薬を飲めと言って素直に飲む奴じゃないからな。俺から言えば余計に意固地になって飲まねえし、近藤さんから言ってもらうしかねえが・・・」

その近藤も忙しい。
あと彼を説得できそうな人物と言えば、井上や山南辺りか。
斎藤も問答無用で薬を沖田の口に流し込むだろうが、そんなことをすれば沖田の八つ当たりは一層酷くなる。

「ったく、いい歳して年下の娘に気を遣わせてんじゃねえよ」

しかも自分がしたことで自分が落ち込んでりゃ世話はない。振り回されるこっちが迷惑だ。
いつの間にか図体ばかりでかくなったが、中身がまるで成長しない。どうやったらああまでひん曲がって育つのやら。
何年も傍で成長を見てきた土方にもさっぱりわからない。

「お前も、あまりあいつを甘やかすなよ。飲まねえだの何だの駄々を捏ねやがったら俺に言え」

土方の言葉では無理でも、他にも手はある。
けれど彼女はいつものように従順に頷かなかった。

「大丈夫です。沖田さんが薬を飲んで下さるように、私も頑張りますから」

お前じゃ無理だろ。
出かけた言葉を咄嗟に飲み込むも、顔にはしっかり出てしまった。

近藤のように沖田に心酔されているわけでも、山南のように狡猾でも、井上のように年の功を備えているわけでもない、ただの無力な娘。
沖田にとって格好の遊び相手と認識されているだけの彼女が、あの捻くれ者に言うことを聞かせられるとは思えない。

振り回されて心労を溜め込むより、できぬものはできないと諦め、できる者に任せるべきだ。

(斎藤や源さんにそれとなく言っておくか)

あの馬鹿の我侭のせいで余計な仕事ばかり増えやがる、と今はここにいない男への悪態を心の中で呟きつつ、千鶴の淹れてくれた茶を啜った。





一旦自室に戻った沖田は、千鶴が部屋で待っていないことに落胆したが、すぐに気を取り直して彼女の姿を捜し屯所の中を歩き回っていた。
そして厨で火を使った痕跡を見つけ、行き先がわかった。

(何だ、土方さんの部屋に行くなら待ってれば良かった)

擦れ違わないうちにと廊下を進んでいると、目的の部屋からちょうど千鶴が出てきた。

「千鶴ちゃん」

「は、はいっ」

びくっと肩を撥ねさせ、おずおずとこちらを見上げる無垢な瞳。
いったいどんな悪戯をされるのかと怯える様子に、嗜虐心が擽られる。

(そんな目で見られるといじめたくなるんだけど・・・)

平助や原田が聞けば呆れて怒り出すようなことを考えながらも、なけなしの理性を働かせて疼く衝動を抑える。
彼女をいじめるために捜していたのではないのだから。

「ねえ、僕に何かして欲しいことない?」

「え?」

「甘味を食べに連れて行ってあげたら、喜ぶ?」

「沖田さん、体調が悪いのに無理しないで下さい」

喜びそうな提案をしたつもりなのに、何故か心配そうな顔で叱られた。
ちょっと、僕の厚意を無にするなんて酷いんじゃないの?

「外に出るのが駄目なら屯所の中ですること? 折り紙とかお手玉?」

って、それは子供が喜ぶことか。千鶴以外の年頃の女の子と遊んだことなんてないから勝手がわからない。

「君が好きなことって何? ちょっとお兄さんに我侭言ってみてくれない?」

何故かみるみるうちに千鶴の顔から血の気が引いた。
どうしたの、と声を掛けようとした瞬間、彼女は慌てた様子で手近な障子戸を開け放ち、涙混じりに叫んだ。

「土方さん、沖田さんの様子がおかしいんです! もしかして熱が上がったのかも!」

「君、すごく失礼だよ」

障子戸の向こうには文机に突っ伏して肩を震わせる鬼の副長がいた。

「くっ、は、はははっ!」

珍しい土方の笑い声に千鶴は目を丸くし、対照的に沖田は不機嫌も露に半目を据わらせる。
どうやら先程のやり取りをすべて聞かれたようだ。まあ、副長室の真ん前で話していたのだから聞こえない方がおかしいが。

(ていうか、僕が笑わせたかったのは土方さんじゃないんだけど)

本来の標的はおろおろと困惑に満ちた表情で土方と沖田を交互に見ている。
そこには笑顔の欠片もない。こんなはずじゃなかったのに。



これほど笑ったのは久しぶりだと自分でも驚くくらい、土方は笑い転げた。
また沖田が千鶴に無理難題吹っかけるつもりかと外の会話に耳を澄ませていたが、まさかこんな微笑ましい要求をするとは。

心酔されているわけでも、狡猾でもない、ただの娘。
けれど彼女は彼女にしかできない方法で、沖田と向き合ってきたのだ。
沖田が“笑った顔が見てみたい”と思わせるほどに。

「雪村、安心しろ。総司は正気だ。ただ偶には年上振ってお前の我侭を聞いてやろうと思ってるだけだ。こんな機会はそうそうないぞ」

「え? え?」

土方に手助けされるのは非常に癪だが、千鶴もようやく事態を飲み込み始めているようだから、ここは我慢するしかない。

「で? 君は何か僕にして欲しいことはないわけ?」

「この際だから何でも言ってみろ。俺が許す」

「えっ?」

そんなことを急に言われても・・・。
そう呟いてぐるぐる思い悩む千鶴。そんな無理難題を口にしただろうかと、ちょっと複雑な気分になった。

「えっと、それじゃ、お薬をきちんと飲んで下さい」

「・・・・・・は?」

散々頭を悩ませていた千鶴が口にしたのは、思いもしなかった言葉だった。
呆気に取られる沖田の視界の端に、ぶはっと堪らず噴出す土方の目障りな姿が映る。
邪魔だからどこかに行ってくれないかな、あの人。

「薬って、それが君のして欲しいこと??」

「はい、私が沖田さんにして欲しい一番のことですっ」

「・・・・・・・・・・・・わかったよ」

そう応えるしかない。
すると、ぱあっと萎れた花が息を吹き返すかのように笑顔が広がった。

「ありがとうございます!」

「・・・ほんと、変な子」

まさかこんなことで笑顔になるなんて。
けれど不思議と悪い気分ではない。

とりあえず、にやにやとこちらを意味ありげに見ている土方には後で仕返しをさせてもらうことにして、沖田は千鶴を連れて自室に戻るのだった。



――後日、とある幹部隊士によって放たれた大量の犬と猫と鼠と鳥の襲撃を受けた副長室が見るも無残な惨状と化し、屯所に地獄の鬼が降臨するのはもう少し先の話。



〈了〉

17.12.11up

千鶴ちゃんの表情シリーズ“困る”です。
これ、三つ巴というより沖千を見守るお父さんな土方さんの図だわ・・・。
いやでも屯所時代の土方さんなら、この距離感で正しい、のかな。
沖田さんのいたずらは『或る騒がしい日』をイメージしています。
あの後日談なのか、また別の日の騒動の後なのかは不明ですが。



ブラウザのバックでお戻り下さい