来し方、行く末の恋




     ◇  ◆  ◇


「沖田さん…沖田さん……」
 着物が血に染まるのも構わず、細い腕に抱きしめた男の名を呼び続ける。
 止め処なく頬を伝う涙の雫が息絶えた男の顔を濡らした。
 手の平にはまだ彼のぬくもりが伝わってくるのに、彼が微笑んでくれることはもうない。
 何度名を呼んでも答える声はなく、命の灯が消えた虚ろな眼に彼女への慈愛の光が灯る日は二度とこない。
 抗えないその事実が千鶴の心を打ち砕く。

 誰よりも大切な人。
 心を通わせ合い、二人で幸せになろうと誓ったのに。


 どれ程の時が過ぎたのか。
 いつしか夜が明け、太陽の光が血に染まった大地を照らしながら蒼天を昇る。
 普通なら心地良いはずの陽のぬくもり。しかし、今の千鶴の身体にそれは凶器となって苦痛を齎す。
 光に苛まれながらも、彼女はその場を動かない。ただ骸を抱きしめたまま、苦痛に耐えた。…否、光の灯らぬ虚ろな目には感じているはずの苦痛の色すらない。
 だが彼女にとっては毒でしかない陽光は、確実にその身を蝕んでいた。

 どくん

 大きく心臓が脈打つ。
 急激に喉が渇き、呼吸が荒くなる。
「くっ……は…っ」
 苦しげに喘ぐ彼女の身体が切実な叫びを上げた。

――血が欲しい……!

 容赦なく襲う吸血の衝動。
 昏く濁る金色の眼が、腕の中の愛しい男の胸を染める紅に釘付けとなる。
 自分が何をしようとしているのかも解らぬまま、未だ乾ききらぬ血に濡れた己の手に舌を這わせ、こく、と小さく喉を鳴らした。
 すうっ、と苦しさが和らいでいく。
「あ…私は……」
 苦しさから開放されて正気に戻った千鶴は、自分がしたことに気付いて愕然となった。
 我を失えば、愛しい人の流した血すら己の欲望を満たす糧となるのか。
 あまりにも浅ましい己の姿に絶望する。
「沖田さん……っ」
 物言わぬ躯を抱きしめ、 ぽろぽろと涙を流す。
 呼びかけに答えてくれないことも、涙を拭ってくれないことも解っていた。
 それでも、千鶴には彼しかいないのだ。




〜中略〜





 その日、斎藤が滞在する旅籠に思いがけない来客があった。
「あんたは…」
「久しいですね、斎藤」
 現れた二人の男の姿を眼にするや、斎藤は鋭い殺気を纏う。
「天霧、風間…っ!」
「お待ち下さい。我々は貴方と戦うためにここに来たわけではありません」
「何?」
 怪訝な表情で睨みつける先の男は、変わらぬ無表情を保ったまま斎藤を見ていた。
――風間千景と天霧九寿。
 自らを鬼と名乗る彼らは、以前より度々新選組に仇をなしてきた強敵であり、現在、会津と敵対する薩摩藩に関わる者達でもある。
 そんな彼らがいったい何の用でここに来たのだろう。
 疑問を浮かべる斎藤に答えるように、天霧の後ろに佇んでいた風間が一歩こちらに踏み出した。
「貴様、この者を受け取る気はあるか?」
 天霧の大きな身体に遮られて気付かなかったが、風間の腕には人らしきものが抱えられていた。
 今は洋装を身に纏う風間が以前着ていた羽織に頭からすっぽりと隠されている為、顔の判別はできない。だが、羽織の陰に垣間見える小袖や袴の色には見覚えがあった。
「千鶴?」
 その色を纏う知り合いは彼女だけだ。しかし、彼女は沖田総司と共にいるはず。それが何故ここにいるのか。
 ぶわりと、胸の奥底から湧き出てくる憤怒の情が斎藤の全身を取り巻いた。
「何故貴様が千鶴を……総司はどうしたのだ!」
 厳しく問うと共に刀の柄に手をやって居合いの構えを見せる斎藤を、天霧の静かな声が押し止める。
「斎藤、私達の話を聞いて下さい」
 普通の人間ならば恐怖に凍りつくであろう鋭い視線を、目の前の男達は平然と受け流す。
 それだけの力を持っているのだと、斎藤自身もよく知るが故に下手な行動は起こせない。
「……っ」
 逡巡しながら、風間の腕に抱かれた人物を見やる。
 血が上っていた頭が少しずつ冷え、冷静な思考が戻ってくる。今は、彼女のことを優先すべきだ。
 何故彼女が彼らと共にいるのか、総司はどうしたのか。
 答えを知るのはやはり彼らなのだから。

 風間達を伴って自分の泊まる部屋に入った斎藤は、すぐさま床を敷く。
 その上に意識のない千鶴の身体を横たえると、彼女の身を覆っていた着物が肌蹴られ、眼に飛び込んできた光景に心臓が凍りついた。
 千鶴の薄紅の小袖は、深い紅に染まっていた。
「千鶴!」
「心配は要りません。この血は彼女のものではないのですから」
 では誰のものだ、という問いは斎藤に嫌な予感しか運んでこない。
 夥しいほど流されたと思われる血。こんなにも彼女の着物を汚せるまで近くで血を流す人物といえば、真っ先に思い浮かぶのは、誰よりも彼女の傍に在るべき存在だ。
「千鶴は眠っているだけだ。そうしておかねば死のうとするからな」
「総司と千鶴に……何があった?」
 膝の上で固く拳を握り締め、斎藤は昂る感情を必死に抑制しながら問いかけた。
 聞くのは恐ろしい。けれど、知らなければならない。

 生気のない千鶴の寝顔を見下ろす風間は、視線を動かさぬまま淡々と語り始める。
 新選組を離れた沖田と千鶴が辿った道、その結末を――。




〜中略〜





 夜の帳が下りた頃、 千鶴は目を覚ました。
 ぼんやりとした行灯の光が淡く照らす部屋。
 見覚えのない天井に、 覚醒しきらぬ頭でここはどこだろう、と辺りを探る。
「眼が覚めたか」
「……斎藤…さん?」
 不意に聞こえた声にそちらを見ると、 思いもしない人物がすぐ傍にいた。
 二度と会うことはないだろうと思っていたその人は、 横たわる千鶴を深い藍の双眸で見下ろしている。
「何故、 斎藤さんが……?」
「風間がお前をつれて来た」
「風間さん……」
 そういえば、 風間の姿が見当たらない。
 千鶴が意識を失う前まで、 何か話していた気がするのだが。
「彼らはここにはいない。 おそらく故郷に戻ったのだろう」
「そう…ですか……」
「風間から話は聞いた。 総司のことは残念だ」
「……っ」
(斎藤さん、 知ってるんだ……)
 風間はどこまで彼に話したのだろう。
 沖田の死だけでなく、 千鶴の身体のことも知られてしまったのだろうか。 だとしたら、 斎藤はどんな判断を下すのか。
「今は何も考えずに休め。 これからの事は、 ゆっくり考えればいい」
 優しく、 静かな声。
 いつも千鶴を安心させてくれる揺ぎ無い瞳は労わりに満ちていて、 心身共に疲れ果てた千鶴を包み込んでくれる。
 そんな斎藤の存在が、 今の千鶴には心強いと同時に、 泣きたくなる程胸が痛かった。


 翌日、 千鶴は斎藤に付いて会津藩の軍が構える陣に訪れた。
 白河城奪還の戦準備に慌しい陣営には、 旧幕兵や会津兵に混じって見慣れた人達の姿も見える。新選組隊士達だ。
 現在斎藤は土方から指揮権を委ねられ、 新選組隊長として彼らを率いているという。
 陣営に現れた斎藤に気付き、 隊士達が集まってきた。
 彼らは斎藤の傍らに立つ千鶴を見ると、 一様に驚きを露わにする。
「もしや、 そちらは雪村君ですか?」
「雪村君が何故ここに?」
「あ…あの……」
「雪村は、 昨日合流した」
 答えられない千鶴に代わって、 そう返したのは斎藤だ。
「そうなのですか。 久しぶり、 雪村君」
 千鶴を歓迎しながらも、 ふと隊士達の表情が翳る。
「しかし雪村君が合流したということは、 沖田組長は……」
「……っ」
 身を強張らせる千鶴の肩を斎藤の手が抱き寄せ、 言い聞かせるように耳打ちされる。
「隊士達はあんたと総司の仲を知らぬ。 ただ、 総司の看病の為に江戸に残ったとだけ伝えている」
「そう、 ですか…」
 つまり、 彼らの間で沖田総司は江戸にて病死したという事になっているのだ。 まさか真相を話すわけにはいかず、 そう思ってもらった方が良いだろうと斎藤は判断したようだ。
 一頻り沖田の死を悼んだ後、 隊士達は再び千鶴に意識を向けた。
「沖田組長の事は残念だが、 雪村君が戻ってくれて良かった」
「え?」
「そうだな、 雪村君がいれば斎藤組長の負担が減る」
「ああ、 幹部の方々は雪村君がいると楽しそうだからな」
「いえ、 そんな……」
 口々に掛けられる言葉に、 千鶴は恐縮しきりだ。
 自分は彼らに歓迎してもらえるような存在ではない。
 彼らの認識とは逆に、 自分の存在によって斎藤の負担が減るどころか、 更なる荷物を背負わせてしまっているのだから。
 斎藤に同行を願い出た時、 太陽を苦手とする身に辛いだろうから昼間は休んでいろと言われ、 彼が全てを知っているのだと悟った。
 千鶴が羅刹であると知った上で尚、 保護しようとしてくれる斎藤の厚意が嬉しく、 そして世話になるだけで何もできないでいるのが申し訳なかった。
『お願いします。 皆さんの邪魔にならないようにしますから、私にも何か手伝わせて下さい』
 言い募る千鶴に、 斎藤は「変わらないな」と表情を和らげ、決して無理をしないという約束で同行を許してくれたのだ。


続きは本編でどうぞ♪

13.11.11up

こんな感じで始まります。
設定が設定なので、無理だと思われた方は無視して下さいね。
後、エロシーンがかなり無理矢理なので要注意です(汗)



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