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閉じた瞼
「いい天気だなあ・・・」
晴れ渡った空を見上げ、藤堂平助は眩しげに眼を細めた。
釣竿を手に川縁に腰掛け、涼しげなせせらぎの音に耳を澄ませる。
遠くから微かに聞こえる鳥の声。風に揺られて擦れ合う木々のざわめき。
激動の日々が遠い過去のように思えるほど、ゆったりとした静かな時間が流れる。
平和だ、としみじみ思う。
徳川の世が終わり、時代が急激に変化する日本だが、ここはそんな喧騒とは無縁だ。
以前はこの国の行く末ばかり気にしていたのにな、と少し前までの自分を振り返って苦笑を浮かべる。
今はただ、この穏やかな日々が愛しくて堪らない。
この身が羅刹と化してからは辛くて仕方のなかった陽光だが、いつの間にか変若水を飲む前とほとんど変わらず日の下を歩けるようになり、こうして日の光を浴びながら草の上に寝転がっても気持ち良いと感じられる。
(今の俺には、千鶴さえいれば何もいらねえ)
家に居るであろう大切な人を想い、眼を閉じる。
家事を済ませたらおにぎりを持ってここに来ると言っていた彼女を待つ時間も楽しいものだ。
千鶴が来たら何をしよう。どんな話をしようか。
つらつらとそんなことを考えるうちに、ふと通り過ぎる不安の影。
(俺、ちゃんと千鶴を幸せにできてるかなあ)
幸せになれ、と祝福してくれた仲間達の想いに応えられているのだろうか。
自分は幸せだ、とは胸を張って断言できる。
けれど、彼女は幸せかと考えると、いまいち自信がない。
(だって俺、あいつのために何かできてるかわかんねえし・・・)
苦労ばかり掛けていると思う。
なのに彼女はいつも優しく笑っていて、辛い顔一つ見せずに明るく振舞う。
昔からそうだ。彼女は滅多に不満を口にしない。
自分がどんな辛い境遇に置かれても、弱音など吐かない。
真っ直ぐに前を見つめ、自分ができることを探してこつこつと努力を積み重ねるのだ。
そんな千鶴のことが大好きだと気づいたのは、いつ頃だっただろう。
初めは、放っておけないと思った。
年下で、女の子である千鶴は平助にとって守るべき存在だ。
自分が仲間内でも年若く、散々子供扱いされてきたから尚更、千鶴に庇護欲を抱いた。
彼女が恋しいと心から痛感したのは、御陵衛士になってからだ。
それまでも彼女のことが気になっていたが、恋だとは気づかなかった。
一所懸命な姿がけなげで可愛いと思ったのも、妹のように思っているのだと信じて疑わなかった。
仲間達が彼女を構うのを見てちくりと胸が痛んだ時も、彼女に抱きつく総司や、彼女の頭を優しく撫でる原田を引き剥がしたい衝動に駆られた時も、まだ自覚はなかった。
気づいた時にはもう、それは自分の中で大きくなり過ぎていて、会うことを許されない立場に立ったが故に尚のこと、彼女に会いたくて気が狂いそうだった。
油小路で瀕死の重傷を負った時は、ああ罰が当たったんだな、と自嘲した。
千鶴を悲しませて、泣かせて、傷つけて。
俺はいったい何がしたかったのか。
抑えきれなくなった想いに降伏し、原田や永倉とともに彼女を守って戦いながら二度と己の想いを封じることはするまいと誓ったのに、こんな所で終わるわけにはいかなかった。
俺はこの手で、この刀で千鶴を守りたい。
そんな決意を嘲笑うかのように儚く消えようとする己の命を繋ぎとめる方法は、唯一つしかなかった。
二度と彼女の傍にいられなくなったとしても構わない。
彼女が自分以外の誰かと結ばれるのだとしても、その幸せな姿を見られるだけで良い。
ただ、もう一度、彼女を守りたいだけ。
今度は自分の命を掛けてでも 。
そうして“人”であることを捨て、“羅刹”となった平助に、仲間達は以前と変わらず仲間として接してくれた。それは千鶴も同じで、生きていてくれて良かった、と微笑んでくれた。
いつもいつも悩んで、迷って、間違えて、どうすれば良いのかも解らなくなった自分を、彼女は決して見捨てようとはしなかった。
ただそっと手を握り、隣に立っていてくれた。
それがどんなに嬉しかったか。
二度と日の下を歩けない自分に変わらぬ笑顔を向けてくれる彼女の存在が、どれほど救いとなったか、とても言葉で言い表せられるものではない。
だからこそ、強く、強く思うのだ。
千鶴が誰よりも幸せになりますように と。
けれど、彼女が選んだのは未来の不確かな男である自分、藤堂平助だった。
天にも舞い上がるほどの高揚と、底の見えない不安を同時に味わった。
いつ灰となって消えるのか解らない己の身。
夜が来る度に不安に慄き、朝を迎える度に安堵する。
それは千鶴も同様のはずだ。否、残される立場の彼女の方がずっと恐ろしい思いを味わっているだろう。
愛する女に毎日そんな思いを抱かせながら、彼女を幸せにしている、などと自惚れることはできない。
■■■■■
木漏れ日の降り注ぐ木立の中、千鶴は早足で歩いていた。
両手で綺麗に畳まれた布地とおにぎりの包みを抱え、川の傍にいるはずの人物を探す。
(あ、いた)
土手に寝転がる姿を捉えて駆け寄ってみると、やはり彼だった。
「平助君?」
呼び掛けてみるも返事が無い。
静かな寝息が聞こえる距離まで近づいてみて、ようやく彼の状態がわかった。
(・・・寝てる)
つんつん、と頬を突付いてみるが、ぐっすりと寝入ってしまった彼が眼を覚ます気配は無い。
くす、と小さく笑い、千鶴は腕の中の布地を見下ろし、そっと平助に掛けてやる。
そして自分も腰を下ろすと、包み込むような眼差しで無防備な寝顔を見つめた。
「平助君、そろそろ起きて」
ここに来て一刻ほど経った頃、そろそろ起こした方が良いかと判断し、千鶴は眠る平助の肩を揺すった。
「・・・ん?」
「あんまり寝てると、夜寝られなくなっちゃうよ?」
「んん・・・」
眠たげな声とともに、瞼が薄く開く。
若草色の瞳が千鶴を映し、二度三度と瞼を瞬かせた。
「千鶴・・・?」
「うん、おはよう平助君」
「おは・・・・・・うわ、ごめん! 俺寝てた!?」
ようやく覚醒した平助は自分の置かれた状況を理解するや、勢い良く上体を起こした。
その時、パサッという音とともにずり落ちた感触に気づいて目線を落とす。
「これって、着物?」
自分の上に被さっていた布地を手に取って広げてみる。
それは、最近千鶴がせっせと縫っていた、彼の新しい着物だ。
もうすぐ縫い終わると聞いて心待ちにしていたものだった。
「今朝縫い終わったの。平助君に早く見てもらいたくて」
「うわあ、ありがとな!」
すっくと立ち上がり、出来立ての新しい着物を羽織る。
二人で一緒に選んだ反物は、彼にぴったりの着物へと変化していた。
裁縫は苦手ではなくとも得意というほどでもない、という千鶴が自分のために頑張って縫い上げてくれた、世界にたった一つの特別な着物。
明日はさっそくこれを着よう、と心に決めながら、隠しきれない嬉しさに頬が緩む。
「・・・あ」
ふと、平助の笑顔が曇った。
「どうしたの、平助君」
「いや、何かごめんな、俺、千鶴に色んなことしてもらってるのに、何も返せなくて・・・」
バツが悪そうに言われた言葉に、千鶴はきょとんと目を丸くした。
その様子にますます居た堪れない、とばかりに平助は頭を抱えてしゃがみ込む。
「駄目だ、俺、千鶴を幸せにしてやりたいのに、何すればお前が喜んでくれるのかわかんねえっ」
「私は、平助君が笑ってくれたら幸せだよ」
平助はうっ、と一瞬詰まったが、「その気持ちは嬉しいんだけどさ!」と情けなく歪んだ赤い顔で立ち上がった。
「それじゃ駄目なんだよ、俺だってお前に何かしてやりたいんだから!」
平助の剣幕に呆気に取られながら、千鶴は心の中で(たくさんしてもらってると思うんだけどなあ)、と呟く。
平助は千鶴ばかりが尽くしてくれている、などと思っているようだが、千鶴はそうは思わない。
掃除も洗濯も料理も、彼は一緒にやってくれる。千鶴より手際の良さに劣るのは経験の差なのだから仕方が無い。
家の周りの草むしりは率先してやってくれるし、畑仕事だって手は抜かない。力仕事は全て引き受け、千鶴に危険な仕事は絶対にさせない。
ここまでしてくれているのに、不満など言っては罰が当たるというものだ。
けれど、どうやらそれでも平助には物足りないらしい。
う〜ん、と逡巡した後、千鶴は笑みを浮かべて平助に向き合った。
「じゃあ、帰りは家まで手を繋いで歩いてくれる?」
「は?」
今度は平助の方が呆気に取られてしまった。
「平助君と手を繋いで歩きたいの。駄目?」
平助よりも小柄な千鶴は間近で視線を合わせる時、どうしても少し上目遣いになってしまう。
黒眼がちな澄んだ瞳で見上げられ、さらに小さく小首を傾げる仕草に平助の胸は大きく跳ね上がった。
「だ、駄目なんかじゃないし、う、嬉しいけど、そんなことでいいのか?」
「私が平助君にして欲しいことは、少しでもたくさん私との時間を作ってくれること。一緒に家事をしたり、散歩したり、遊んだり・・・。そんな何気ない日々を一緒に過ごして欲しい。たくさん話して、笑って、触れ合って欲しい」
「・・・千鶴」
「平助君と一緒にいられることが、私の幸せだよ」
そう言って千鶴はふわりと満面の笑顔を浮かべる。
かぁ〜っと茹蛸の如く、ただでさえ赤い平助の顔がさらに真っ赤に染まった。
「ったく、お前って奴は・・・」
俺を喜ばせてどうすんだよ〜っ。
笑いたいのか、泣きたいのか、叫びたいのか。
わけのわからない想いが胸を満たす。
ただ、今一番やりたいのは、この愛しい存在を腕に抱きしめることだ。
ぎゅっと、千鶴には少し痛いくらいの力で抱きしめると、小さな手が背中に回るのを感じた。
「大好きだ、千鶴・・・」
囁いた声は掠れていた。
しかし千鶴はしっかりとその声を受け止めてくれた。
「私も、平助君が大好き・・・」
その瞬間、眩暈を覚えるほどの幸せが胸に込み上げた。
ああ、こんなことでいいんだな。
抱きしめて、言葉を交わして、互いの存在を感じる。
それだけでこんなにも心が満たされる。
ならば、ずっと彼女の傍にいよう。
雨の日も風の日も、朝も昼も夜も。
手を繋いで隣を歩いて、一緒に季節を感じながら。
命尽きるその日まで、彼女の傍らに寄り添おう。
そして、最期のその時まで、笑顔でいよう。
来たる別れの未来を恐れるのではなく、その日までにどれだけ幸せな思い出を積み重ねられるかが大切なのだ。
少しだけ身体を離すと、涙に潤んだ瞳と眼が合った。
いつかは哀しみに曇らせてしまうだろうけれど、一緒にいる間は幸せに輝いていて欲しい。
そっと顔を近づければ、こちらの意図に気づいて閉じられる瞼。
瞳を隠したそれに優しく唇を落とし、額に、頬に、口付ける。
やがて口付けは薄桃色の唇を捕らえ、深く、熱く重なり合った。
〈了〉
13.9.10up
お互いがお互いのために何かしたくてわたわたしております。
平千はずっと二人できゃっきゃうふふとやってればいいよ。
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