まどろみ





気が付けば、いつだって傍には彼女がいた。


付かず離れず、程よい距離感を保ったまま、けれど苦しげに咳き込めばすぐさま背を撫で、薬湯を飲ませてくれる小さくて優しい手。
邪険に追い払っても、冷たくあしらっても、一瞬だけ哀しげに瞳を揺らすだけで、すぐに彼女はいつものふんわりした笑顔を浮かべるのだ。

“皆さん、心配していますよ”

子供を諭すような言葉を残し、静かに立ち去る彼女を引き止める声を幾度飲み込んだだろう。
遠ざかる彼女の手を、着物を掴んでしまいそうになる己の手を、幾度握り締めただろう。

放っておいてほしい、構わないでほしい。
けれど。
傍にいてほしい、一人にしないでほしい。

相反する気持ちに苛立ち、余計に彼女に対してきつい態度をとってしまう悪循環。
僕は本当に扱い辛い病人だったことだろう。

そんな我侭な子供のような態度に、しかし彼女は困ったような顔はしても決して見捨てようとはしなかった。
どうしてそこまでするのか不思議なくらい辛抱強く、献身的に尽くしてくれたその寛容さには感服してしまう。

(いったい僕のどこがいいんだか)

それは僕だけでなく、仲間達の共通の疑問だろう。
すぐに彼女と打ち解けて優しく接していた騒がしい三人組と違い、僕は彼女に優しくも甘くもなかった。
常に物騒な言葉を投げつけ、彼女を不安に陥れてきたというのに、いったいどこに惹かれる要素があったのか。

いつしか彼女が向ける眼の中にほのかな色が灯り始めたことに、戸惑いを覚えずにはいられなかった。
迷惑だとか鬱陶しいとかいう気持ちはなかった。
ただ純粋に不思議で仕方が無かったのだ。


(あんなに小さな女の子だったのにな)

出会った頃の彼女を思い浮かべてみる。
今の彼女との大きな違いは見出せない。あの頃も今も、彼女は変わらず小さく可愛い。
外見だけを見るならば、強い風に煽られればすぐに散ってしまいそうなほどか弱い花だ。
けれど、実際は地面にしっかりと根を張り、真っ直ぐにお天道様を見上げる野の花。

手折ってしまえば、どうなるだろう。
少し力を入れて握り締めれば、可憐な花を散らして枯れるかな。

残虐な欲望が胸の奥に芽生える。

スラリと鞘から抜いた刀の鋭い刃が鈍く光を放つ。
この刀が彼女の血を吸う、そんな日がいつか来るのだろうか。
その時、この手は躊躇い無く刃を引けるのか。

そんなことを考えてしまう時点で、すでに彼女を傷つけられなくなっていたのだと気づくのは、それから少し経ってからだった。


“私なら大丈夫です”

そう言って微笑むけれど、ほんの少しの傷すら、彼女に負わせたくなかった。

「ごめんね・・・ごめん・・・」

詫びたところで彼女が血を流したことに変わりは無い。
その血で己の狂気を抑えた事実は否定できない。

以前は平気で彼女に向かって“殺すよ”と言えたのに。
今は、彼女が死んでしまえば僕も死んでしまうと確信する。

羅刹になった切欠は近藤さんのため。
だが、羅刹の力を振るうのは彼女のため。

彼女と似た面立ちの、だが彼女には決して浮かべられない昏い笑みを宿す男の不愉快な哄笑が耳の奥にこだまする。
彼女に過剰なまでの憎しみをぶつけ、彼女を傷つけるためだけに僕に変若水を飲ませた男の声。
傷つけて、どん底まで落として、僕が恨みと憎しみを抱きながら彼女に背を向けるのを望んでいたのだろうけれど。

残念だね。
彼女は君なんかに渡さないよ。


近藤さんを失ってから、道を見失いそうになっていた僕の前に、確かな道が拓けた。


僕が羅刹となってから、彼女は泣き虫になってしまった。
どんな酷い言葉をぶつけたって泣かなかったのに、自分のせいで僕を羅刹にしてしまった、と泣く。

羅刹になったから何だと言うのだろう。

その程度のことで君は僕の傍から離れるつもりなの?
近藤さんを失った今、僕には君しかいないのに?

許さないよ。僕から離れるなんて。

逃げるのなら、僕が君を何とも思っていなかった時にするべきだったね。
死病を患う僕を見捨てなかった時点で、君に逃げ道なんてない。
放っておけと言ったのに放っておかなかったのは君でしょう?

気難しい病人に精一杯尽くしてくれたこと、僕はしっかりと覚えているよ。
お陰で僕はこんなにも君を愛しく思うようになってしまったんだ。
だから、今度は僕が君に尽くす番だよね。

君は僕が嫌がればすぐに引いてくれていたけれど、僕は違う。
そんな気遣いなど持ち合わせない、自分勝手な男だということは君もよく知っているはずだから。

決して引かない。常に彼女の前に立ち、守り抜く。
迷惑を掛けたくないなんて思わないで、目一杯迷惑を掛けて。
巻き込みたくないなんて遠慮はいらないから、僕を巻き込んで。

残された命を君と共に生きることが、僕が抱く最後の望みなのだから。





■■■■■





ふいに、意識が浮上した。
草や土の匂いが鼻を擽り、ぽかぽかとした陽の温かさが全身を包み込んでいる。
何より気持ちが良いのは、己の頭に感じる柔らかな感触だ。

時々髪に触れる指に甘えるように頬を摺り寄せると、小さな笑い声が耳に届く。
すると自然に彼の口元にも笑みが宿った。
眼を綴じていても感じられる彼女の存在に心が満たされる。


午後のひととき。
人里離れた山奥での二人きりの暮らしは、とてもゆったりと時間が流れていた。
ゆるやかで穏やかな暮らしは安らぎに満ちていて、野原に寝転がって昼寝をするのも日課になって久しい。

一緒に眠りに落ちた時はこの手に彼女を抱きしめていたはずだが、いつの間にか彼女は起きて膝枕してくれていた。
もう意識は眠りから覚めたのに、いつまでもまどろんでいたいと思わせるほど気持ち良い。


カサカサと、小さく葉を揺らす音が聞こえた。
ハッと彼女がそちらに視線をやり、「あ・・・」と声を漏らす。

リスか兎か。小さな動物の気配を捕らえる。
女性というものは、得てして小さなものに愛情を持つものらしい。
それは彼女も例外ではなく、「可愛い」と呟く声が聞こえた。

駄目だよ、動物なんかに気を取られちゃ。

ぎゅっと腰にしがみ付くと、「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げる。
目を綴じていても容易に想像できる彼女の表情に、くすくすと笑いを漏らすと、彼女の声が少し尖った。

「総司さん、もしかして起きています?」

「・・・起きてないよ」

「・・・起きてるじゃないですか」

うっすらの瞼を上げると、目の前には少し拗ねた愛しい顔があった。
不機嫌でも可愛いな、と彼女を見上げながら浮かぶ笑みは甘く優しい。

「おはよ、千鶴」

手を伸ばして柔らかな頬を優しく撫でれば、白かった頬に赤みが差す。

「おはようございます。よく眠っていらっしゃいましたね」

「うん、たくさん夢を見ていたよ」

彼女を見つめる表情に何かを感じ取ったのか、細い指が優しく頭を撫でてくれる。
心地良さに再び目を綴じ、小さくため息を漏らした。

「千鶴は、よく僕を好きになってくれたよね」

「え?」

「だって、僕、君に優しい男じゃなかったでしょ?」

昔の彼からの仕打ちを思うと、優しい彼女も苦笑交じりに「そうですね〜」としか言えない。
確かに出会った当初を思い出せば、彼女自身も彼を愛したことが不思議なくらいだ。

「でも、総司さんは意地悪を言った後で子供みたいな表情になるんですもの」

「は?」

言われた言葉が理解できず、目を丸くする。

「最初は確かに怖くて仕方なかったんですけど、少しずつ打ち解けていくにつれて私だって色々なものを見られるようになったんですよ」

それは知っている。
辛い立場に置かれながら、彼女が自分にできることを探し、周囲に馴染もうと努力していたのをずっと見てきたのだ。

「総司さんのことも、怯えてばかりいては駄目だと思って頑張って向き合おうとしたんです」

その頃には労咳のことも知っていて、心配だったからということもあった。
日に日に病が悪化していく中、医術に明るく、幹部達の小姓という立場もあって彼女が彼の看病を任されることも多くなっていた。

けれど天邪鬼な彼は周囲の心配など余計なお世話だと撥ね付け、特に看病する彼女に対する態度は酷いものだった。

「でも“出て行け”と言いながら、“傍にいて”って顔に書いてました」

「・・・・・・っ」

頬に熱が灯る。
見透かされていたという衝撃に、思わず片手で顔を覆った。

(は、恥ずかしい・・・っ)

「総司さんってひねくれてますよね。私、どうやって貴方と向き合えば良いのか解らなくて、あの頃は本当に困ったんですよ?」

彼女に向けられる態度も言葉も刺々しいのに、ふと見せる表情はまるで嫌われるのを恐れる小さな子供のようで。
手を差し伸べても鋭い爪で引っ掻くのに、手を引っ込めれば途方に暮れたように肩を落とす。
あんな表情を見せられると、酷い態度を取られると解っていてもまた手を差し伸べるしかなかった。

そのうちに少しずつ彼の扱いに慣れていき、気が付けば彼のことばかり考えるようになってしまったのだ。

(・・・年下の女の子に何させてんの僕・・・っ)

改めてあの頃の態度を思い出すと、土方や斎藤や平助や原田や山崎が何度も苦言を呈した気持ちがよく解る。
とはいえ、それだけ振り回されながらも見捨てなかった彼女の辛抱強さと母性が、彼にこんなにも穏やかな幸せを与えてくれた。
そう思うと、彼女には本当に頭が上がらないな、と思う。

上体を起こすと、見上げていた可愛らしい顔を見下ろす形となった。
小さな身体は簡単に腕の中にすっぽりと納まる。

「こんな面倒な男を好きになってくれてありがとう」

鼻先が触れ合うほど間近に顔を寄せ、心からの笑顔を浮かべる。
すると、みるみるうちにほんのりと赤かった頬が林檎のように真っ赤になった。
二人きりで暮らすようになって随分経つというのに、未だこうした触れ合いに慣れていないらしい。

(もっとすごいこともしてるのにね)

しかし、そんな恥らう彼女が可愛らしくて堪らない。

「め、面倒だなんて・・・それを言ったら私の方がずっと面倒な女じゃないですか・・・」

「何故?」

「・・・鬼ですし、総司さんに変若水を渡したのは実の兄でしたし・・・それに・・・っ」

続く言葉を唇で封じる。
彼女が自分を否定するような言葉など、聞きたくはないから。

驚きに強張る背を優しく撫でながら口付けを深くしていけば、やがて柔らかな身体がくたりと腕の中で力を失う。

「君は僕の大好きな女の子で、大事な可愛いお嫁さんだよ」

唇を解放し、とろんとした表情で荒い呼吸を繰り返す彼女の耳元で囁く。
潤んだ瞳から一筋、涙が伝った。

「ずっと僕の傍にいてね。いつまでも僕と一緒に居てほしい」

あの頃は素直に口に出せなかった想いも、今では簡単に言葉にできる。
むしろ“放っておいて”という言葉の方が口にするのが難しいほどだ。
家事に忙しいと解っていても“放っとかないでよ、構ってよ”と毎日彼女に纏わりついているのだから。

そして彼女はそんな彼を拒むことなく、いつもの寛容さで受け止めてくれる。

今も、そっと背に回された腕が彼への答え。


「好きだよ・・・」


溢れ出る感情のままに、その身を草の上に横たえた。



〈了〉

13.8.20up

甘くなったかな?
私にしては珍しく、ちょっと色気のある話になったような?
・・・気のせいかな・・・?



ブラウザのバックでお戻り下さい