桜月夜 〜覚醒〜幕間一





「羅刹・・・?」

「ああ、彼女はその化け物をそう呼んでいた」


“羅刹”

その言葉を聴いた瞬間、胸の奥に込み上げた言いようのない高揚感は何だったのか。


肌寒い春の夜に年下の仲間達が経験した恐ろしい体験を、敬助と勇が聞かされたのは全てが終わった後だった。
勇も敬助も歳三達が命の危険に晒されていた時にその場に居なかったことを心から悔いたが、彼らの口から語られるその夜の詳細はあまりにも現実離れしたものだった。

白髪の紅い目の化け物と、命を助けてくれた優しい女鬼、そして歳三達をも圧倒したという男。

歳三達の口から出たのでなければ夢だと一蹴したと思えるそれらは、彼らが語ったからこそ勇も敬助も事実として受け入れた。
何より“羅刹”という言葉に、敬助はこれまで感じたことの無い衝撃を覚えたのだ。

決して世に出してはならぬもの。一刻も早く消し去らねばならぬもの。
胸が掻き毟られるような焦燥感と共に湧き上がるのは、祈りにも似た憐憫の情。


彼らが生きる道を開きたい。
血に狂うことなく、普通の人間と同じように生きられるように。
“   ”を作り出してしまった一人として、せめてもの償いを   ・・・。


これは、いったい誰の想いだろう。

自分であって自分ではない、意識の奥深くから溢れ出す不可解な感情。
それは敬助の中にしっかりと刻み込まれ、どれほどの月日が流れようとも決して消え去ることはなかった。





■■■■■





「ここで何をしているのです?」

「敬助さんこそ、どうしたんですか?」

古い書物が並ぶ書庫の中、敬助が発した問いに問いで返したのは総司だ。
彼の手には子供では読めるはずのない、古い文献が開かれている。

「読んでいるのですか?」

すでに読み終わった書物と、次に読むつもりと思われる書物が無造作に床に積み重なる。
それら全てが明治時代以前のもので、小学生の総司に理解できるものではないはず。


「総司君、君には訊きたいことがあるんです」

緊張からか、敬助の声音が固いものになる。
張り詰めた雰囲気に気付かぬはずはないだろうに、総司はにっこりと笑って答えた。

「ちょうど良かった。僕も敬助さんにはお話があるんです。でもまずは敬助さんからどうぞ」

促され、敬助は言葉を選ぶように逡巡し、やがて慎重に声を発する。

「ある時から、君達の心に大きな変化が生じたことは知っています。僕も話を聞いた時、少なからず胸によぎる何かを感じましたからね。そんな中、君の変化はあまりにも劇的です。総司君であって総司君ではない。そのような気がしましてね」

そこまで言って言葉を切り、敬助は油断のない視線でひたと総司を見据える。
受け止める総司はあくまでも無邪気な笑顔だ。

「単刀直入に訊きます。君は誰です?」

それは、この数日幾度となく敬助の脳裏を掠めた疑問だった。

命を助けてくれた女性―“千鶴”を守る力が欲しいという強い決意のもと、歳三達がこれまで以上に鍛錬に励みだし、みるみる力を身につけていくのをこの目で見てきた。
守りたいものを見つけたからか、彼らの顔つきすら違って見えた程だ。

その中で、総司の変化はまるで人が違ったかのように強烈なものだった。
姿形は総司だが、剣を握った瞬間に別の何かが乗り移ったかの如く、これまで感じたことのない威圧感を醸し出す。
自分の命を脅かされるかも知れないという本能的な恐怖。
まだ小学生でしかない少年が持てる力では断じてない。

だとすれば   総司の姿をした彼は、いったい何だ?


「さすが、山南さんだなあ」

敬助の剣呑な眼差しに見据えられても総司は動揺せず、むしろ感心したようにそう言った。
何の含みもない口調とともに言われた言葉の意味を測りかね、敬助の方が当惑してしまう。

「僕は総司ですよ。昔も今も、皆の知ってる総司です。ただちょっと、色々思い出しただけですよ」

「色々、とは?」

「ねえ、それを訊くってことは、それなりの覚悟があるってことですよね? 僕の話を聞いて受け止めて、理解する気があるってことでいいんですか?」

「・・・?」

「僕からの話っていうのがそれなんです。敬助さんに力を貸して欲しいとお願いしたかったんですよ。だから、僕の話を聞いてもらいたいと思っていたんです」

いつの間にか総司の表情から笑顔が消え、常に浮かんでいた人を食ったような悪戯っぽい光もなかった。
表情にも瞳にも、声すらもどこまでも真剣な色を湛え、総司が本気で敬助に問いを投げかけていることが窺えた。

「何故僕なんです? 君なら真っ先に勇さんに話をするでしょうに」

「勇兄さんに言うつもりはありませんよ。僕には協力者が必要です。でもそれは誰でも良いわけじゃない。周囲の人達の中で一番相応しいのが敬助さんなんです」

物心ついた時から総司が誰より心を預けているのが勇だ。
総司の中で世界は自分と勇とそれ以外に分類されているのではないかと思わせるほど、彼は徹底的に勇だけを慕っている。

しかし、ある時―総司の剣が変わった頃から、彼の目は勇だけを一心に見つめることがなくなったように見えたのは、どうやら敬助の気のせいではなかったようだ。
底知れない感情を秘めた翡翠の眼は、一族の人間全てを観察するように見ていた。何かを見極めようとしているかのように。

その中で彼が定めたのが、敬助なのだと言う。

「話を聞きましょう」

ならば自分も今の総司と向き合う覚悟を決めよう。
そう決意し、敬助は総司に頷いてみせた。





「つまり、前世の記憶が甦った、ということですか」

長い話を聞き終え、敬助は確認するように問う。

「荒唐無稽な話だって笑いますか?」

「俄かに信じられる話ではありません。しかし、君が嘘を吐くとも思えない」

それに幕末を生きた武士の記憶を持つというのなら、古書を読めるのも理解できる。

突然自分が新選組の沖田総司の生まれ変わりだ、と言われて素直に信じるのは無理というものだ。
だが、総司の劇的な変化を目の当たりにしてきた敬助は、一概に“嘘”だと決め付けることができなかった。

それにしても。

「勇さんが近藤勇で歳三くんが土方歳三、そして僕が山南敬助ですか・・・」

どれも有名な人物だ。
他にも斎藤一や原田左之介、永倉新八に藤堂平助・・・。
ここは鬼の末裔一族であると同時に、いつの間にか新選組屯所になってしまっていたのか。

「切腹はしていませんけどね」

眩暈を感じて眼を綴じる敬助に、総司の楽しげな声が掛けられる。

敬助は気を取り直すようにコホン、と咳払いをした後、改めて総司と向き合った。

「それで、君はこれから何をしたいと考えているんですか?」

本当に前世の記憶とやらを持っているとして、総司がこれから何をしたいのか、何をしようとしているのかがまだ解らない。

そんな敬助の問いに、総司はあっさりと答えを返した。

「僕は、いえ僕達は千鶴ちゃんを守りたい。前世の記憶を思い出してしまったのも、僕達がこうして生まれ変わったのも、きっと千鶴ちゃんの為だと思うんです。でも今の僕は子供ですし、何の力もない。だから協力者が欲しいんです」

「それが僕ということですか?」

「敬助さんはパソコンを使えますよね。僕には機械を扱う知識も経験もほとんどありません。だから色々と調べて欲しいんです。“羅刹”のこととかを」

“羅刹”
その言葉は敬助の胸の奥に黒い波紋を起こさせた。

敬助の顔色が変わったことを視認し、総司は言葉を重ねる。

「あの夜、僕達を襲ったのは“羅刹”でした。それは前世で僕達とも深い関わりがあった。僕はあれがどうなったのかを知らない。けれど、現代にもあれが存在するのなら、それが千鶴ちゃんにも関係があるのなら、僕は真実を知りたいと思います」

そして視線を傍に積み重なる古書へと移す。

「ここには一族の鬼達が見てきた歴史の記録がある。羅刹のことも書かれていましたよ」

総司達が前世を生きた幕末の時代に生み出されたという“羅刹”は、東北の一族のもとにも情報が入っていた。
明治初期にほとんどが西の鬼の手によって粛清されたらしく、その後の記録は今のところないという。

だが、総司達がその“羅刹”を見たのはつい最近だ。

「羅刹は今も生み出されている・・・」

総司が呟いた言葉は不穏な空気を伴って敬助の耳に残った。

「だから調べて下さい。普通の人間が血に狂う化け物と化す事例を。日本だけじゃなく、世界中の情報を調べられるでしょう?」

情報社会と呼ばれる現代、インターネットや携帯電話の存在は世界中のあらゆる情報を光の速さで検索することができる。
電気の存在すらなかった幕末の記憶では、文明の利器を扱えないのも当然だ。

「何故君はそこまで必死になるのですか? 君の言う通り今の君はまだ子供です。“羅刹”とやらのことも君が気に掛けずとも良いのでは?」

たとえ幕末に“羅刹”が生み出されたのが新選組のせいであっても、現代の“羅刹”は総司達に何の関係もないはずだ。
何より、敬助は大切な仲間達をそんな得体の知れない危険に立ち向かわせたくはなかった。

だが、応える総司には何の迷いもない。

「千鶴ちゃんのためですよ、もちろん。千鶴ちゃんが誰かを殺すなんて、絶対にあってはいけないことでした。僕は二度と、血に染まったあの子を見たくない。この手で守りたい」

そう語る総司の表情にも声にも苦渋が滲み出ていた。
翡翠の瞳に宿るのは苦しいばかりの後悔と悲しみ。
勇以外のことで彼がこれほど感情を表すのは珍しい。

「そういえばあの日、君だけが血まみれでしたっけ」

総司や歳三達にとって全てが変わったあの夜。
道場から家に帰ってきた彼らの中で一人、顔や胴着に血の跡をつけた総司の姿を見て、勇がパニック寸前にまで動揺を見せたことを思い出す。
総司の様相が最も衝撃的だったものの、他の面々も汗や土埃に汚れていたのを見て、敬助も唖然としたものだ。

「あの時は千鶴ちゃんを捕まえたい一心でしたし、あの子が血に染まっている姿がどうしても我慢ならなかったんですよ。僕が代わりたいって、本気で思いました」

まあ、あの時の僕は弱かったから無理でしょうけれど。

ほんのこの間までの自分を“弱い”と切り捨てる何気ない口調に、彼があの頃までの子供とはまるで違う存在であることが窺えた。
今の総司はもう“子供”とは言えない。むしろ敬助や勇よりも“大人”なのだろう。

彼が変わる切っ掛けとなったのが、“千鶴”という女鬼の存在だ。
彼女は敬助達の一族が永い年月待ち続ける“雪村の双子鬼”である可能性が高いという。
総司達の前世に深い関わりを持ち、現代では一族の悲願というべき真なる頭領の一人。

「前世の僕にとって、彼女がどういう存在だったかは解りますか?」

好奇心に駆られて問うてみると、苦笑と共に総司が答える。

「それは自分自身で答えを見つけて下さい。僕にだって他の人達が千鶴ちゃんにどういった感情を抱いていたかなんて解りませんよ。解りやすい人も中にはいましたけど」

それもそうか、と敬助はあっさり納得する。

一夜にして総司や歳三達の人生を変えた“千鶴”。
彼女に会えば、自分も何かが変わるのだろうか。

あの日から胸の奥深く沈殿する澱みの正体を掴むことができるのだろうか。

「手を貸しますよ、総司君。僕も“羅刹”のことを知りたい。いいえ、知らねばならないと感じますからね」

力強い口調でそう言った敬助の不敵な笑みは、総司にとってあまりにも馴染み深いものだった。

記憶を持たずとも、そこには確かに“新選組総長、山南敬助”の姿があった。



〈了〉

11.9.10up

今回は『覚醒』したわけではないので『幕間』にしました。
次の人が覚醒するまでの間の沖田さんの動向を書いておきたかったので。
こういう時に真っ先に共犯者になるのはやはり山南さんでしょうっ(笑)。



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