桜月夜 〜覚醒〜幕間五


(※この話には一部残酷さや不快を感じるような描写があります。苦手な方はご注意下さい。)




その薬と出会った時、私の中に芽生えたのはまるで愛しい者にようやく巡り合えたかのような昂揚感だった。

私はこの薬と出会いたかったのだ。
“今度こそ”この薬を完成させてみせる。
誰にも邪魔はさせない。二度と“あの時”のような失敗はしない。
そのためにも、決して“奴ら”に見つかってはならない。

自分自身でも理解できないほどの様々な思惑が、頭や胸の中を忙しなく行き交う。
しかし、そんなことはどうでもいい。
私は、私のやるべきことをやるのだ。

たとえ、どれほどの犠牲を払おうとも   ・・・。





■■■■■





新見錦の祖父は製薬会社の会長を務め、父は社長という立場にある。
母を始め、親類縁者の多くがその会社の研究員だ。
だから新見も幼い頃から研究施設を遊び場とし、慣れ親しんできた。

そんなある時、祖父が海外から不思議な薬を仕入れた。
まるで血のように赤い液体。
それは、普通の人間の能力を何倍にも高めることのできる薬なのだという。

動物実験を行う時、新見も見学を許された。
その時のことを、彼は生涯忘れることはないだろう。

赤い液体をモルモットに飲ませ、ゲージに戻して変化を観察する。
驚くべき変化はすぐに訪れた。
取り付けられた様々な計測器が不規則な反応を示し、ゲージの中ではモルモットの“変化”が起きる。

凄まじい鳴き声を上げ、同じゲージに入った他のモルモットに次々と襲い掛かったのだ。
僅かな時間でゲージの中の仲間を殺し尽くしたモルモットは、その血を美味しそうに啜った後、灰となって消えた。

あまりにも短い時間に繰り広げられた眼を疑うような光景に、誰もが声を失って見入っていた。
そんな凍りついた雰囲気の中、新見は驚きと共に心から歓喜した。

“僕はこの薬と出会いたかったんだ!”

捜し求めていたものとついに巡りあえたかのような、深い満足感とともにそう確信する。



その後、成長した新見は薬剤師となり、家族や親戚と同じ研究施設の社員となった。
彼が研究したいと強く申し出たのは、あの“薬”だ。フランス名で“エリクサー”という名の劇薬。
もっと相応しい名があったはずなのに、新見はどうしてもそれが思い出せず、歯痒くてならなかった。

“エリクサー”の研究は、あの後も着々と進められていた。
原液のままでは強過ぎて害にしかならないが、薄めて使用すれば飲んだものの身体能力を飛躍的に伸ばすことができる上、傷を負ってもすぐに癒すことまでできた。この薬ならば欲しいと望む者は後を絶たないだろう。
だが、やはり血に狂う衝動だけはどうにもならず、狂った挙句に寿命よりも遥かに短い時間で灰と消える結果に変わりはなかった。

モルモットでは身体が小さ過ぎて薬に耐えられないのでは、と思えば研究対象は猫や犬に変わった。
時々隙を突いて逃げ出す動物もいたが、研究者達はまるで頓着しなかった。

そしてついに、彼らは人間で実験することを決意する。

インターネットで被験者を募集すれば、謝礼に引かれてすぐに応募がきた。
そのほとんどが出稼ぎの外国人というのは彼らにとって幸いだった。戸籍がしっかりしている日本人では万が一の事態が起きれば事件に発展し、警察の手が伸びかねない。

人間で実験するには、まず研究者達の安全を確保する必要があり、頑丈な造りの建物を増設した。
薬に狂ったものの弱点である“銀”で作られた銃弾やナイフなども常備させた。
被験者達には彼らの寮であると偽って住まわせ、まるで刑務所のような閉ざされた空間で実験が始まる。


薬を投与された者達は、自分の身体がまるで超人のような力を得たことに歓喜した。
傷を負っても瞬く間に癒え、身体能力は信じられないほど向上している。ただ日中は酷く身体が辛く、やがて彼らも自分はとんでもない所にいるのではないかと気付き始めたようだが、時既に遅く、彼らは少しずつ狂っていった。

そんなある夜。
施設の外に逃げ出した一人の被験者が大学生を殺した。

血に塗れた姿で施設に戻ってきた彼を見た研究員の一人が茫然と呟く。

“まるで悪鬼羅刹のようだ・・・”

その言葉は新見に再び深い衝撃を与える。

羅刹・・・そうだ、こいつらは羅刹だ!

それ以上に相応しい呼称はない。
歓喜のあまり声を出して笑う新見を、研究者達は驚きと恐怖に満ちた目で見ていた。

喜びも束の間、血の匂いに刺激された他の被験者達が血を求めて狂気に支配され始める。
そうして翌日の雪降る夜、何人かの羅刹が施設の外に飛び出した。
ただでさえ前日に大学生が殺されたことで施設の近くの現場では暫く警察の眼が厳しくなるだろうに、犯人となり得る羅刹達が徘徊するなど危険極まりない。

そんな不安と焦燥に新見や研究者達が羅刹を捜しに行くことを決めた時、門の前に信じ難い光景を見た。

息絶えた羅刹が施設の門の前に並べられていたのだ。
いったい何者がこのようなことをしたのかは解らないが、その人物は人智を超えた能力を持つ羅刹を殺せるほどの腕を持ち、新見達のやっていることを知っているというのは確かだろう。

このままでは不味い、と新見の中に恐怖が渦巻く。

   “あいつら”かも知れない。

顔も名前も、正体すら掴めないが、その“存在”はいつも新見の背後に影のように付き纏う。
羅刹の研究にのめり込めばのめり込むほど、ひたひたと迫ってくる影。
その手に握られた白刃の煌きが、新見を断罪しようと振り下ろされる夢に何度うなされたか。

我が身と研究施設の安寧のためにも、何か強力な後ろ盾を得なければならない。

白羽の矢が立ったのは、芹沢一族だった。
政界や財界に大きな影響力を持ち、警察なども迂闊に手が出せないほどの権力者達の一族。

この地には芹沢家以外にも古くから続く大きな一族があったが、そちらは芹沢に比べて“余所者”を拒絶する傾向が強く、偏屈者が多い。新見の祖父や父が何度交渉しようとしても話も聞かずに追い返された過去もあり、あまり期待はできなかった。

偏屈者というのであれば芹沢もたいして変わらないが、こちらは気紛れな性質らしく、数年前には一族の若き後継者が孤児を養子にするという奇妙な行動を取ったことがある。

芹沢ならまだ、こちらの話を聞いてくれるかも知れない。
そんな期待を抱き、新見は芹沢鴨を訪ねた。


「人間の能力を飛躍的に高め、傷を負っても瞬く間に癒える薬、か。確かに誰もが欲しがる妙薬のように聞こえるが、美味い話には裏があるという。どうせ致命的な欠陥があるのだろう」

まだ三十に届かない若さだというのに、芹沢鴨が放つ威圧感は凄まじいものがあった。
今は社会人として働いているが、将来は彼の父親や祖父と同じく政界に進出するのは確実視されている。この男が経験を積んで国政に携われば、諸外国の重圧に決して引かず、逆に自分の要求を押し通すほどの強さを発揮するに違いない。

そんな彼は新見が持ち込んだ話に興味を持つ素振りも見せず、鼻で笑って猜疑心を露にした。
傲慢な態度に内心怒りを覚える新見だったが、彼は浮かべた笑みでその感情を隠す。

「確かに未完成の薬ですし、色々と解決できていない問題もありますが、それを無くすためにも芹沢先生のお力添えを頂きたいのです。決して先生に後悔させないよう結果を出してみせます」

「新見、といったか。確かお前の会社は裁判中ではなかったか?」

「そ、それは・・・」

芹沢の問いに言葉が詰まる。
彼の言う通り、新見の会社は日本でも海外でも禁止されている有害な薬物を偽りの情報で流通させたことで、病院や被害に遭った患者等から訴えられていた。
このままでは裁判に負け、多額の慰謝料を支払わなければならなくなるどころか、会社自体も危うくなる。

“エリクサー”と羅刹は、会社の存続を賭けた最後の希望だ。
ここで芹沢家の協力を得られなければ、新見は全てを失ってしまうかも知れない。

「俺も妻と子を持つ身だからな。家族に危険が及びかねん薬を取り扱うような会社に協力なぞできんな」

鷹揚な口調でそう言うと芹沢は席を立ち、必死に引き留めようとする新見の訴えに答えぬまま悠然とした足取りで部屋を出て行った。

その後、何度通っても芹沢の反応は変わらなかった。
訴訟のせいで世間からの風当たりも強くなる一方で、このままではいずれ“エリクサー”のことも公になってしまうかも知れない。

追い詰められた新見は最後の手段に出ることを決意する。
それは芹沢の養子を誘拐して身代金として彼に金を出させるという手法だった。
紛れも無く犯罪だが、そんなものは今更だ。
すでに薬の実験によって多くの命を奪ったのだ。子供一人くらいどうとでもなる。

しかし、その判断こそが彼の破滅への時間を速める結果となる。





■■■■■





何故だ!
いったい私はどこで間違えた!?


暗い夜道をひた走りながら新見は何度も自問を繰り返す。
足が縺れて転倒しても、必死に起き上がって重い足を動かす。激しい息切れに胸が焼け付くような痛みを覚えても、立ち止まるわけにはいかなかった。
振り返れば最後、迫り来る影が白刃を振り翳すだろう。

何故“あいつら”がいるのだ!
“奴ら”はまたも私の邪魔をするのか!

彼の計画は順調に進むはずだった。
芹沢の養子は簡単に手に入った。途中でおかしなおまけも付いてきたが、所詮何の力も持たない子供だ。恐れるものではなかった。むしろ人質が増えれば手に入る金額も多くなるかも知れないとまで思った。
なのに、そのおまけこそが破滅への引き金となった。

いったい何なのだ、あのガキ共は!
いや、あれは羅刹以上の化け物だ!

目に焼きついて離れない光景。
常識を超えた力を得たはずの羅刹を、一振りの刀で次々と斬り殺した二人の子供。
羅刹と同じ白い髪と、羅刹とは違う金の瞳、そして羅刹にはない二つの角を持つその姿は明らかに普通の人間のものではなかった。

羅刹を超えた羅刹   

(まさか、私の他に羅刹の研究をしている者が日本にいるのか? そしてそれは私の羅刹以上の力を持っていると!?)

そんなはずはない。そんなことがあっていいはずがない!
完璧な羅刹を作るのは私だ!
羅刹は私のものだ!


あんたはまだ取り付かれてるんだな

哀れみと怒りが込められた言葉が甦るも、新見はそれを瞬時に打ち払った。

ものの価値の解らぬ愚か者共が!!

記憶の奥底で誰かの怒りに満ちた咆哮が聞こえた気がする。

(見ているがいい、化け物共! この私の作った羅刹こそが至高のものだと、思い知らせてやる!!)

鬼気迫る形相が夜闇の中で一層の狂気を醸し出す。
狂気に取り付かれた男は、深淵の闇を目指して脇目も振らず駆け抜けて行った。


かつて“新選組局長”の一人という立場に立ちながら、やがて羅刹に狂って破滅への道を辿った“新見錦”と同じ運命を選んでいることも知らずに   



〈了〉

11.12.10up

幕間第五弾は新見さんです。ほとんど会話がない・・・(汗)。



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