視ル眼 後編





「お願いいたします、お侍様。この文を副長の土方様にお渡し下さりませ」

普段、千鶴に幹部への恋文を渡してくる娘達とは違い、酷く切羽詰った様子で彼女は文を差し出した。
あまりに追い詰められた様子に、いったい何があったのか問いたかったが、彼女は文を託すとすぐに立ち去ってしまった。

その背を追いかけるのは、単独行動を禁じられている千鶴にはできない。
せめて一刻も早くこの文を土方に届けることが、彼女にしてやれる精一杯なのだろう。

顔なじみの西本願寺の僧侶と少し言葉を交わした後、千鶴はすぐさま土方の部屋に向かった。

土方はいつものように机に向かい、筆を走らせていた。
仕事の邪魔をしてしまうのは心苦しいが、千鶴は思い切って土方の背に話しかける。

「土方さんに文を預かったのですが・・・」

「文だあ? 恋文の類ならその辺にでも置いとけ」

「いえ、たぶん違うと思うんです。できればすぐに読んで差し上げて下さい」

千鶴の様子に土方も何かを感じ取ったのか、筆を置いて彼女に向き合った。

「寄越せ」

千鶴から受け取った文を開き、文面に眼を通していた土方の表情が次第に真剣なものとなっていく。
そして読み終えた彼は一言、千鶴に言った。

「山崎と島田を呼べ」

監察方を呼ぶということは、やはり重要な内容が記されていたのだろうか。
しかし詮索を許されない千鶴は、ただ「はい」とだけ答えて部屋を後にするしかなかった。


そんなことがあって数日経ったが、千鶴に文を託した娘はあれっきり姿を見せることはなかった。





■■■■■





新選組屯所として使われている建物に足を踏み入れた彰月は、内部の清潔さに驚いた。
掃除が行き届いているというのもあるが、何よりも彼の眼から視ても屯所内は“綺麗”なのだ。

多くの人の命を奪い、命を奪われた者やそれに連なる者達から数多の恨みや憎しみを向けられている彼らは、常にその業を背負っている。
そんな者達が多く生活しているというのに、この建物にはそういったもの達の気配が感じられない。

(これも雪村さんの力か)

そうとしか考えられなかった。
あの少年には、どれだけ力が秘められているのだろうか。



彰月が通されたのは、土方の部屋だった。
ここまで彰月を案内してくれた隊士  斎藤と言ったか  も、彰月を警戒しているのか、静かに後ろに控える。
彰月は前方の土方、後方の斎藤に挟まれる形で腰を下ろした。

「まさか西本願寺の僧が訪ねてくるとはな。で、俺に何か用か?」

油断なく自分を見据えてくる厳しい視線を浴びながら、彰月は単刀直入に切り出す。

「土方殿、“おゆう”という女人をご存知ですか?」

「・・・?」

「数日前、貴方に文を送られたはずです」

「・・・確かに、先日お夕と名乗る女から文をもらったが・・・何故あんたがそんなことを訊く?」

警戒心に満ちた鋭い瞳が彰月を射抜く。
だが彼は動じることなく、その視線を真っ直ぐ受け止めた。

「彼女が亡くなりました」

「何?」

「私は人ならぬものの姿を視ることができます。先日、お夕さんが雪村さんに文を渡していた時、彼女の周囲を不吉なものが取り巻いていました。彼女の身に何か起きるのではないかと心配していたところ、今日、霊魂となった彼女を眼にしたのです」

「別に俺は霊の存在を否定はしないが、あんたの言葉が事実だとして、それをどうやって証明できるんだ?」

土方の表情にも声にも、疑念が溢れていた。
突然こんな現実味のない話をされれば無理もない。
だが、今は時間を掛けて納得させられるような余裕がなかった。

「彼女は雪村さんが危ないと、私に警告してきました」

「何だと?」

「どうやらあの日、お夕さんが雪村さんに文を渡していたのを何者かに見られていたようです。気になって彼を探しましたが、境内にはいませんでした。雪村さんに変わりはありませんか?」

「斎藤」

「見て参ります」

後ろに控えていた斎藤がすぐさま部屋を出て行く。

二人きりとなった室内には、気詰まりな沈黙だけが漂う。
だが二人ともそれを面に出すことはなく、悠然と座したまま時を過ごした。

不意に沈黙を破ったのは土方だ。

「お夕とやらは、あんたに何を伝えてきたんだ?」

「彼女が己の死を理解しているのかは解りませんが、ひたすらに雪村さんと貴方の名を口にしていました。死ぬ間際まで気に掛けていたのでしょうね」

顎に手を当て、考え込む土方の眉間の皺が心なしか増えたように見えた。
なまじ顔が整っているだけに、彼の厳しい表情には近寄り難さを感じる。
この迫力で迫られてしまえば、西本願寺の一角を無理矢理間貸しさせられるのを断れなかったのも仕方ない。

「お夕さんからの文の内容を伺っても?」

「あんたがお夕とやらを殺したという者達と繋がってねえって保障はないからな、それは言えねえ」

僧侶達が新選組を信じていないように、新選組も西本願寺を信用していない。
言外にそれを匂わせる土方の言葉に、彰月は反論できなかった。

お夕が雪村に文を託していたことを知り、彼女の死をも知るという彰月は土方にしてみれば怪しいことこの上ない。
“人ならぬもの”を視る、という言葉を信じるより、敵側の人間であるという可能性の方が信憑性があるのだ。


やがて、バタバタと複数の足音が部屋に近づいて来たかと思うと、スパーンと音を立てて障子戸が開け放たれる。

「土方さん、どういうことだよ!」

「千鶴がいないって本当か!?」

「うるせえぞ平助に原田、客人がいるのが見えねえのか!」

土方の一喝に一瞬怯んだ二人は、彰月に気づくと呆気に取られたように目を丸くした。

「何で坊さんがここにいるんだ?」

不思議そうに首を傾げる二人の後ろから斎藤ともう一人  沖田総司が顔を出す。

「千鶴ちゃんの気配は屯所の中にはありませんよ」

「新八と源さんが屯所の周囲を探していますが、少なくとも目の届く範囲に雪村の姿はありませんでした」

「そうか」

土方の厳しい表情に、只ならぬ事態を感じ取った幹部達はそれぞれ腰を下ろして土方の言葉を待つ。
そんな中で、やはり彰月の存在が気になるのか、沖田や藤堂、原田の視線が彼に向かう。

「で、何この人」

「情報提供者、というべきか? 千鶴がいねえってことを知らせてくれた人だ」

その言葉に、三人の表情が益々怪訝そうに歪む。
何故この男が雪村を気に掛けるのか。

疑念が彰月の周りを取り巻く中、足音も荒く新たな人物が現れた。

「土方さん、外にも千鶴ちゃんはいなかったぜ。最後の目撃情報では、うちの隊士の一人と話していたらしい」

苦々しい表情で言いながら、その男  永倉新八が部屋に入って来る。
永倉の言葉に土方は納得したように頷いた。

「成る程、俺の顔を知っていたってことはつまり、隊内の間者が関係してるってわけか」

「どうすんだよ土方さん、早く千鶴を捜しに行かないと!」

「いや、あいつの居場所の目処はついている」

えっ、と藤堂や永倉が驚きを浮かべた時、また一人、誰かが慌しく飛び込んできた。

「副長、取り急ぎお知らせしたいことがあります!」

どれほどの距離を走ったのか、大量の汗を額に滲ませながら息せき切って現れた細身の男は、息を整える間も惜しいとばかりに声を張り上げる。

「例の宿屋に、二番組隊士の一人が雪村君を連れて入って行きました!」

その瞬間、土方が立ち上がった。

「御用改めと行きたいところだが、ぞろぞろと大勢で押しかけるのは無理だな。すぐに気づかれちまう」

そう言って土方はこの場に居る面々を見渡す。
すでに彼の次の言葉を理解しているのだろう。幹部達は真剣な面持ちで土方を見る。

「総司、斎藤、平助、原田、新八、行くぞ」

「「「おう!」」」

「御意」

「はいはい」

返事と共に、一斉に彼らも立ち上がる。

雪村の居場所を報せに来た男の先導で彼らが部屋を出て行く中、土方は座したままの彰月を見やった。

「あんたも同行してもらう」

「元よりそのつもりです」

新選組の内部のいざこざについては正直どうでもいいが、雪村のことは心配だ。彼の無事だけでもこの目で確かめたい。

屯所を出ると、すでに土方以外の六人は目的地を目指して駆けて行ったようで影も形もなかった。
土方だけは彰月に合わせて歩いて現地に向かうらしい。
とはいえ彼も気が急いているのは同様で、歩く速度はかなり速い。


「土方殿、何故雪村さんは新選組にいるのです?」

彰月も自然と小走りとなって土方を追う道すがら、疑問を口にした。
何故そんなことを問う、と横目で睨みつけられるが、ここで怯むわけにはいかない。

「あの子は、本来ここにいるべき人間ではないのではないですか?」

「どういう意味だ」

「雪村さんは人斬りの中にいていい人ではない。あの子に相応しい場所は他にあるのでしょう?」

「あんたには関係のないことだ」

にべもなく言われた言葉に一瞬詰まる。
そう言われてしまうと返す言葉もない。

「彼は私と同じ、いえ、私よりずっと強い力を持っているかも知れない。このまま埋もれさせるには惜しい存在です」

「・・・何が言いたい?」

眉を顰める土方に、彰月は自分の眼で視た雪村の力を語った。
彼がいかに清浄な存在であるか。
無意識のうちに行う“浄化”によって、どれだけ新選組がその恩恵を受けているのか。

半信半疑の様子で彰月の言葉を聞いていた土方だが、ふと苦笑と共に「あいつらしい力だ」と呟いた。





■■■■■





娘は暗い部屋の中で、数人の男達に取り囲まれていた。

手足をきつく縛り上げられ、何度も蹴られ、殴られた全身には軋むような痛みが駆け巡る。

“言え、あの文には何と書いた”

厳しい詰問の声に、彼女は必死に歯を食いしばる。
何も言わない。何も見ない。ただ、襲いくる痛みと恐怖に耐えていた。

“この女が文を渡したのは土方の小姓だ。戦う力も持たないガキだから、攫うのも容易いだろう。あいつを尋問することにしよう”

薄れゆく意識の中、男達の一人が言った。

どうしよう。自分のせいで、あの若いお侍さんが危ない目に遭うかも知れない。
ああ、この足が動けば、この身体が動けば彼らに危険を伝えられるのに。
彼女の焦りとは裏腹に、痛めつけられた身体は指一本すら動かせない。

彼は土方さんに文を渡してくれただろうか。
新選組の副長は、文を読んでくれただろうか。

どうか、これ以上誰も傷つかずに済みますように・・・。

暗闇を漂う娘は、ふと見覚えのある僧侶の顔を見たような気がした。






「・・・っ」

目覚めると同時に圧迫されるような痛みを感じ、千鶴は小さく呻いた。
たった今見ていた夢が現実のものとなったかのように、自分の手足を縛る縄の痛みに顔を顰める。

ここはいったいどこだろう?

見覚えのない部屋に転がされている自分の状況が理解できない。

「気が付いたようだな、雪村君」

「貴方は・・・」

すぐ傍で聞こえた声に顔を上げると、見覚えのある男がそこにいた。
男は新選組の一般隊士の一人だ。
永倉が組長を務める二番組に所属し、巡察に同行した時に何度か顔を合わせたこともある。

彼の顔を見た瞬間、数刻前の出来事が徐々に思い出された。

日課となった境内の掃除をしていた千鶴に、彼が不意に話しかけてきたのだ。
何を話していたのかは覚えていないが、彼と話している間に意識が途切れたということは解る。

「何のつもりですか?」

自分は気絶させられたのだ。
そして、この場所に連れて来られた。
この男の手によって。

「手荒な真似をしてすまないね。君にどうしても訊きたいことがあったんだ」

「訊きたいこと? こんな人攫いのような真似をする相手に答えると思いますか?」

殴られたらしい後頭部がズキズキと痛み、男への視線も口調もきつくなる。
気丈に睨みつける千鶴に、彼はせせら笑うように鼻を鳴らした。

「では君もこの女のようになりたいのかな?」

「・・・っ!」

無造作に彼が掴んだのは長い髪の毛だ。
それは千鶴と同じように縛られて転がされている女のものだった。

女の顔には見覚えがあった。
殴られたのか、痛々しく腫れ上がっているが、彼女は間違いなく以前千鶴に文を託した娘だ。

「ひ、ひどい・・・っ」

「酷い? この娘のせいで、我々は新選組に存在が知られてしまいそうなんだよ?」

憎々しげに吐き捨て、女を畳に叩きつける。
生きているのか死んでいるのか。彼女はぴくりとも動かない。

男の手はそのまま千鶴の胸倉を掴み上げ、触れ合いそうなほど間近に顔を寄せる。

「雪村君、君は彼女から文を手渡されていたね? 何と書かれていたんだ? 彼女は我々やこの場所を伝えたかい?」

「知りません」

パン、と乾いた音が響き、頬に痛みが走った。
衝撃によってぶれる視界に、怒りを露にする男の顔が映る。

「彼女から文をもらったのは君だ。知らないはずはないだろう!」

「文は土方さんにお渡ししました」

「何!?」

「土方さんなら、貴方の企みなどすぐに気付きます。貴方は必ず裁きを受けるでしょう」

二度、三度と頬を打つ音が響く。
切れたのだろうか、口の中に血の味が広がった。

「こうなったら、君を人質にさせてもらうよ。君は幹部に可愛がられている。あの人達の弱点となり得るんだろう?」

「無駄です。私は別にあの人達の大事な存在ではないのですから」

邪魔になれば殺す。
何度も彼らの口から聞かされた言葉だ。

網道という存在と、鬼という共通の敵の存在によって今は庇護してくれているが、千鶴は彼らにとって然程重要な立場にいないことは自覚している。
この男に人質とされたとて、彼らは千鶴諸共敵を斬るだろう。
解っているはずなのに、何故か胸が痛んだ。

その時だった。

「そう、この子を人質にしても無駄だよ」

突然降り落ちて来たのは、聞き覚えのある声だった。
だが、それはここにいるはずのない人物の声でもある。
空耳だろうか、と自分の耳を疑った時、静かに襖が開く。

「だって、その前に僕達が敵を斬っちゃうからね」

風が動いたかのように思った瞬間、男が必死の形相で畳を転がった。
先程まで彼がいた空間を切り裂いたのは、一振りの刀の一閃。

「沖田さん、それに斉藤さんも・・・」

声の主はやはり沖田だった。そして刀を振るったのは斎藤だ。

紙一重で斎藤の刀を避けた男はすぐさま自分の刀を抜き、襲いくる斎藤の攻撃を懸命に受け止める。
平隊士とはいえ、流石に永倉に鍛えられただけあって腕は立つようだ。

彼への対応は斎藤に任せ、沖田は千鶴の傍にしゃがみ込んだ。
そして、暗い室内の中でも千鶴の赤くなった頬に目敏く気付いて眼を眇める。

「へえ・・・」

伸びてきた指が頬に触れ、ピリッと感じた痛みに顔を顰める。
千鶴の様子に触れるのを躊躇うように指を離し、沖田は斎藤と切り結ぶ男を見やった。

「君、この子の可愛い顔に傷をつけたんだ?」

刹那、斎藤から炎のような殺気が立ち昇った。
視覚的にも感覚的にも増大した圧迫感に、男は思わず呻き声を漏らす。

「それってさあ、万死に値すると思わない?」

斎藤の背後で沖田が刀を抜くのを眼にし、心胆から恐怖した。
新選組でも一、二を争う組長二人相手に勝てる見込みなどない。

「だ、誰か!」

部屋の外に居るはずの仲間達を呼ぶも、返ってきたのは絶望を齎す沖田の言葉だった。

「君の仲間なら、新八さんと左之さんと平助君が遊んであげているよ」

「お前は千鶴を甚振るのに夢中で気付かなかったようだな」

ようやく口を開いた斎藤の声音は、氷よりも尚冷たかった。
男は、自分の命がすでに風前の灯火であることを自覚した。



「雪村君、大丈夫か?」

沖田と斎藤が男の相手をする脇で、千鶴の傍に駆け寄ったのは山崎だ。
彼は千鶴を縛る縄を解くと、倒れたままの娘の縄も解いてやる。
千鶴は自由になるやいなや、山崎と共に娘の様子を調べた。


打ち合う刀の音の間に、男の苦痛に満ちた声が混ざる。
それが悲鳴に変わる頃、部屋に土方と彰月が現れた。

「千鶴、無事か!」

「土方さん!」

土方は部屋の惨状を視ると険しく顔を顰めた。
千鶴と娘の痛々しい姿に、男への抑えきれない怒りが込み上げる。

「その娘、お夕は死んだのか?」

「いいえ、僅かですが息があります。ですが、このままでは保ちません」

山崎の返事に土方は一瞬驚きを浮かべたが、素早く部屋の外に向かって叫んだ。

「島田! 手を貸せ!」

千鶴は知らなかったことだが、この建物はこの日、二人の監察方が見張っていた。
山崎が伝令に走った後も島田はずっとその場に留まって様子を窺っていたのだ。
誰よりも体力の有り余る巨漢の男は、軽々とお夕の身体を抱き上げると医者のもとへと駆けたのだった。


そうして、捕り物は終わった。

宿屋に潜伏していた浪士達は一人残らず捕縛された。
その中で新選組に間者として潜り込んでいた男は、一番組と三番組の組長によって散々に痛めつけられ、捕らえられた時にはボロ雑巾のような状態であったのは言うまでもない。





■■■■■





「つまりあれは、お夕さんの思念だったのでしょうか。それとも瀕死の状態だったからこそ、一時霊魂として現れたのかも知れませんね」

西本願寺の境内にて。
重症を負ったお夕が手当ての甲斐あって一命を取り留めたことを、見舞い帰りの土方と雪村によって知らされた彰月はしみじみとそう言った。
幽霊となる一歩手前だったお夕が助かったというのは、本当に嬉しい。

彰月の言葉の意味が解らない雪村は戸惑ったように土方を見上げた。
その視線に気付いた土方は、「この坊さんは霊が見えるんだと」と簡潔すぎる説明をする。

「雪村さんにも私と同じような力が秘められているんですよ。土方殿、先日の話の続きですが、彼を私に預けて下さいませんか? 雪村さんの能力は育て上げれば絶対に素晴らしいものになるはずなのです」

「そいつは無理だな」

「え、何故です?」

「あんた、こんな顔のこいつを前にして言えるのか?」

言われて改めて雪村の顔を見た彰月は、土方の言いたいことをはっきりと悟った。

「ああ、成る程」

彰月はもう慣れたものだが、幽霊などというものは本来不気味で恐ろしいものだ。
青ざめて硬直してしまった雪村の反応を見る限り、彼は殊更そういったものを苦手としているらしい。
これは能力を育てるとか以前の問題だ。

「わかりました、嫌がる人に無理強いはできませんね。でも、やはり私は雪村さんは貴方方と共にいるべきではないと考えています」

部外者の私が口を挟むべきではないかも知れませんが。
そう言いつつも問いかける視線を土方に向けると、彼はそれを真剣に受け止めてくれた。

「確かにあんたの言う通り、こいつは本来ここにいるべき人間じゃねえ。だが、いてもらわなけりゃ困るんだよ」

土方の言葉に驚いたのは彰月だけではなく、雪村も同様だった。
いや、雪村の方が驚きが強いだろうか。
そんな雪村の頭をくしゃりと撫で、土方は優しげに微笑んだ。

「俺達は、こいつを守ると決めたんだからな」

あんたでは無理だ。
声にはならない言葉が聞こえた気がする。

彰月が雪村の秘められた能力に気付いたように、土方もまた、彼らにしか知りえない何かを知っているということだろうか。


「雪村さんはどうですか? 貴方は新選組から離れたいと思いませんか?」

問いかけは雪村へと向けられた。
当惑したように彰月と土方を見やる雪村だが、答える声に迷いはなかった。

「私は、皆さんと共にいたいと思っています」

「彼らと共にいると、此度のように危ない目に遭います。貴方自身も血に穢れてしまうかも知れない。それでも、彼らと共に行くのですか?」

彼らを取り巻く黒い怨嗟の念。
例え雪村にそれらを浄化する力があっても、いずれ取り込まれてしまう可能性もある。
否応なく彼らに巻き込まれ、穢れなき手を血に染める日がくるかも知れないのだ。
その時、この清らかな子供はどうなってしまうのだろうか。

「誰かを傷つけるのは嫌です。でも、私は少しでも皆さんのお役に立ちたい。それだけは、譲れないんです」

毅然とした表情で言い切った雪村を、心から美しいと思った。
彰月の心配など、雪村はとっくに見据えて覚悟を決めているようだ。

しばらく雪村を見つめていた彰月は、やがて諦めたような笑みと共に目を伏せる。

「私は京を騒がす不逞浪士も、新選組の方々も好ましくは思いません。お夕さんのように、犠牲になるのはいつだって力を持たない人達なのですから」

「・・・・・・」

「ですが、貴方の無事は祈っていますよ。早く貴方が本来の姿に戻れる日がくることも」

「え?」

雪村が何か言いたげに見上げてきたが、彰月は二人に一礼するとそのまま立ち去った。

言うべきことは言った。
これ以上の会話は必要ないのだ。

ふと芽生えかけた雪村へのほのかな想いを打ち消し、彰月は己の在るべき場所に戻る。





「あの坊さん、若いがなかなかの人物だな」

歩き去っていく僧侶の後姿を見つめながら、土方はぽつりと呟いた。

千鶴のことを知らせに来た時も、彼女を助けに向かった時も。
土方は彰月を敵かどうか測りかねていた。
少しでも彼がおかしな素振りを見せれば、躊躇いなく斬っただろう。
土方の厳しい視線を受けながらも彰月は平静さを失わず、土方に真っ直ぐに疑問をぶつけてきた。その胆力には素直に感心する。
そんな男だからこそ、“人ならぬもの”を視るという言葉もいつしか信じていた。

(まあ、理由はそれだけじゃないが)

彰月が語った千鶴の力が、あまりに彼女らしいものだったから余計に納得してしまったのだ。
彼女が来てからというもの、屯所内が住みやすくなったのは事実だ。
彼女と言葉を交わすと心が軽くなるのも気のせいではないだろう。
それを“浄化”だと言われると、成る程確かにそうだ、と思えたのだ。

土方の肩ほどしかない娘を見下ろしていると、ふと大きな眼が彼を見上げた。

「土方さん、お夕さんの手紙にはあの浪士達のことが書かれていたんですか?」

「ああ、不逞浪士の一味がお夕が働いている宿屋に居座って良からぬことを企んでいるようだってな」

そこまで言ってから、土方は苛立たしげにため息をついた。

「ったく、無茶をする女だ。こちとらとっくにあの宿屋を怪しいと睨んでいたんだ。しばらく待ってりゃ何とかしたのに、自分の身を危険に晒しやがって」

「でも、お夕さんはそれを知りません。犠牲が出る前に、何とかしたかったんじゃないでしょうか・・・」

千鶴の擁護に土方は反論しなかった。
余計な真似だ、と切り捨てられなかったことを不思議に思ったのか、千鶴が不安げに土方を見る。

「まあ、お夕のお陰で思ったより早くあいつらを捕縛できたのは確かだな」

お夕から文を受け取った後、土方は監察方に彼女の素性を調べさせた。
彼女の文が罠かどうか確かめる必要があったからだ。

監察方が調べたところによると、彼女は不逞浪士によって何度も迷惑を被った被害者だった。
畑を荒らされたり、収穫した野菜を売り歩いていれば売り上げを奪い取られたり、それに逆らった彼女の父親は今も満足に動けないほどの怪我を負った。
少しでも家計の足しに、と親戚が営む宿屋に奉公に出れば、無理矢理不逞浪士のねぐらにされてしまった。
彼女が不逞浪士を疎ましく思い、新選組に頼ろうとしたのも無理のないことだ。


「だが、その為にお夕とお前が痛い思いをした」

苦しげに言って、土方は千鶴の頬に触れた。

あの日、彼女の頬が赤く腫れ、口の端に血が滲んでいるのを見た時、目の前が真っ赤になるほど怒りを覚えた。
翌日には千鶴の頬は元の白さを取り戻していたが、その日はあの場にいた男達全員が怒り狂っていたものだ。

もう、あんな思いは味わいたくない。

「千鶴」

「はい」

「お前、あまり俺達以外の奴と話すんじゃねえぞ。それと、ちゃんと俺達の目の届く所にいやがれ」

「はい、ご迷惑をお掛けしました・・・」

今回は千鶴にも、土方達にも油断があった。
千鶴は幹部の誰かと共にいるべきだったし、土方は千鶴に護衛を一人でもつけておくべきだった。

人の多い場所にいれば、鬼と名乗る者達は容易に千鶴を攫うことはできないだろうと思っていたが、人が多ければまた別の危険があるのだ。
新選組の誰かに恋心を抱いて千鶴に恋文を託す娘がいるように、新選組を良く思わない者が戦う力のない千鶴を狙うことだって起こりえないことではなかった。

千鶴から自由を奪い、鳥籠に押し込める真似はしたくないが、今回のようなことが起きてしまえばそうも言っていられない。
そして千鶴も、二度と土方達に迷惑を掛けないよう、これまで以上に己の自由を制限するだろう。


哀しげに肩を落とす千鶴の頭を一撫でし、土方はいつもより穏やかな声で彼女に命令を下した。

「茶を淹れて来い」

「はい・・・」

土方の言葉に、千鶴はふんわりと笑みを浮かべた。


千鶴の出来ることは少ない。
土方達には迷惑ばかり掛けてしまう。
だが、彼らが自分の存在を許してくれる限り、自分が出来ることを精一杯やっていこう。


屯所に向かう土方の後に続きながら、千鶴は目の前の広い背中を見つめる。

せめて彼らの邪魔にならないよう、こうして彼らの背中を見ていたい。

他の何を諦めても、それだけは譲れないのだ。



〈了〉

13.1.31up

名前連呼すりゃ、そら気付かれますわな(苦笑)。
土千の恋愛が始まるのは鳥羽伏見以降だと思うので、
屯所時代はどうしても甘さがないですね(汗)。



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