桜廻り 〜後編〜





戦後も羅刹が出現したという情報は、時折入ってきた。
戦時中に風間達が大きな組織を潰しはしたものの、やはり完全に変若水が消えることはないようだ。

各地の鬼達には羅刹への対処法を伝達していたので、人里に住む鬼達が密かに始末していたのだが、最近羅刹の情報が多くなってきたような気がする。
鬼の里の時間で数ヶ月に一度程度だった頻度が、今は毎日のように知らせがくる。


そんな折、千鶴達の住む隠れ里に風間が天霧と不知火を伴って訪ねて来た。

「紛い物共の数が増えているようだ。人里に下りて奴らを始末する」

しばらく里には居ない、と言い置いて早々に立ち去ろうとする風間の背を、千鶴は慌てて追いかける。

「私も同行させて下さい!」

振り返る風間の表情には驚きが浮かんでいた。

「お前はここにいろ。紛い物とはいえ、お前に人間は殺せないだろう」

「でも、羅刹の数は増えているんですよね? だったら探す人数は多い方が良いと思います。微力ですが、私もお役に立ちたいんです。お願いします、風間さん」

言い募る千鶴に、風間の傍らに立つ天霧は僅かに困惑を滲ませ、不知火は面白がるように口角を上げる。

風間は沈黙したまま、すべてを見透かすような眼で千鶴をじっと見つめた。
見つめ返す澄んだ瞳に強い決意の色を見止めると、小さく嘆息する。

「いいだろう。だが羅刹を見つけたらすぐに俺に知らせろ。一人でどうにかしようとはするな」

「はい」

「俺も当然行くよ。千鶴は危なっかしいからね」

揶揄するように言いながら、薫が太刀を手に千鶴達に追いつく。
その後ろからは見送りに来たお千が、風間達に向けて声を張り上げた。

「そこの男共、何があっても千鶴ちゃんを守りなさいよ! 風間、あんた変なことするんじゃないわよ! 薫、天霧さん、ちゃんと見張っててよね! 千鶴ちゃん、男は狼なんだからねっ!!」

お千の叱咤激励に、風間と薫は不快げに眉間に皺を寄せ、天霧は小さく笑いを漏らし、不知火はゲラゲラと腹を抱えて笑った。
千鶴はというと「お千ちゃん、行ってきま〜す」とにこやかに手を振っていた。



幕末の頃とは比べ物にならない程に明るく光が舞う夜の街。
人の世の時間で数年毎に街に下りてはいたが、いつもその変化には驚かされた。

昔とはまるで違う様相の街の中を、千鶴は薫と共に足早に歩く。

通りから外れて閑静な住宅街の中、ひっそりと静まり返る公園に辿り着くと、二人はベンチに腰を下ろした。
ややあって、どこからともなく風間、天霧、不知火が集まってきた。

「いたか?」

風間が簡潔に問う。

「残念ながら」

「こっちもいなかったよ」

天霧と薫が答える。

「ったくよ、夜だってのに人間共が多過ぎるんだよ」

不知火はいらいらと髪を掻き揚げながら吐き捨てた。

街の中で異様な雰囲気を醸し出しながらふらふらと歩いていた一人の男がいた。
それが羅刹であるとすぐに察した彼らはすぐさま男を追ったのだが、人波の中に飲まれて見失ってしまったのだ。

「あれはどう見ても獲物を探してやがる。さっさと見つけないとな」

「街の中で凶行に及ぶとは思えません。捜索の範囲を広げましょう」

天霧の言葉に全員がそれぞれ四方に散ろうとするが、風間の声が千鶴を呼び止めた。

「南雲と共に行けと言いたいところだが、紛い物は一刻も早く見つけねばならぬ。お前も単独行動となるが、解っているな? 決して無茶をするな。紛い物を見つけたら必ず俺を呼べ」

「・・・はい」

千鶴が頷くのを見届けると、風間は闇の中に姿を消した。


一人になった千鶴は住宅街を離れ、街の外れに向かった。

街の中を薫と共に歩いていて解ったのだが、どうやら着物姿の千鶴は目立ってしまうらしい。
特に異国の人間は物珍しげに話しかけてくるので、思うように動けなくなってしまうのだ。

(やっぱり洋服で来た方が良かったのかしら)

そんなことを思う。

人里に下りた鬼から土産にもらったり、お千や君菊と人里に買い物に行った時に買ったりして何着か洋服を持ってはいる。
しかしやはり着慣れた着物の方が好きだし小太刀を隠しやすいので着物姿のままで街に下りたのだが、まさか目立ってしまうとは思わなかった。

話しかけてくる人達は薫が手早く追い払ってくれたが、一人だと上手く対処する自信がない。
そんなわけで千鶴はなるだけ人の居ない場所を目指して、街を外れたのだった。


街を離れると、昔と変わらない自然の残る山の中に入った。

春とはいえ夜は冷える。
ひんやりとした風に運ばれて、桜の花びらがはらはらと舞い降りてきた。

街の中は染井吉野と呼ばれる交配によって生み出された品種が多いが、山の中は昔ながらの桜が残っている。

かつて新選組の皆と賑やかに花見をしたことや、幹部の中の誰かと二人で穏やかに見上げた桜を想い、千鶴はそっと目を綴じた。

その時、頬を撫でる風の中に異様な匂いを感じてハッと目を開ける。
もう何年も縁がなかったとはいえ、父の手伝いをしていた頃や京で新選組と行動を共にしていた頃には毎日のように漂っていた匂いだ。

(血の匂い・・・いったいどこから?)

風に運ばれてくるその匂いを追って、千鶴は山道を奥へ進んで行った。


やがて、木々の陰に無造作に放り出された物体を見つけた。
いっそうきつい血の匂いが周囲に充満するも、物体自体に血の気がない。
大量の血を抜き取られたのだ。何者かの手によって。

千鶴はその物体が人間ではなく、動物の死骸であることを確認してほっと息を吐いた。
羅刹にはまだ人間を襲わないだけの理性があったのだろうか。
だがこれからも人を襲わない保障などない。一刻も早く見つけ出さなければ。


血の匂いはさらに山奥へと続いていた。

舗装された道が通っているのを見るに、人間の行き来のある山なのだろう。
もしもその人達が羅刹と出くわしてしまったら、と思うと自然と歩調が早くなる。





ひゃーっはっはっはっは!!


夜闇を切り裂いて、おぞましい哄笑が響き渡った。

ざわり、と肌が粟立つほどの嫌悪感が走る。
千鶴の瞳が金色へと色を変え、人ならぬ眼光は血に狂う羅刹の姿を捉えた。

羅刹の狂気に満ちた紅い目に映るのは、幼い少年達。

瞬時に駆け出した千鶴の姿は、すでに人のものではなかった。



お前の血を寄越せ!!


叫び、刃物を持った羅刹の手が大きく振り上げられる。
凶刃の狙う先は、懸命に逃げる二人の少年だ。


やめろぉ!!


悲鳴のような声が上がる。


ギイイインッッ!!


金属音と共に、腕に衝撃が走る。

千鶴の小太刀は、振り下ろされた刃をしっかりと受け止めていた。
驚愕に満ちた羅刹の視線を真っ直ぐに見返し、渾身の力で刃を弾く。

「このような所にいたのね」

千鶴の声に、羅刹は殺意を漲らせて刃を構える。
もう、理性はないようだ。

ふと気付けば、茫然と佇む少年達の姿があった。
まだ幼い子供達。そんな彼らにこれから起きる惨劇を見せるわけにはいかない。

「目を綴じ、耳を塞いでおいでなさい」

そう注意を促し、千鶴は羅刹に意識を集中させる。

一撃で仕留める。
これ以上子供達を危険に晒さないために。
そして、羅刹を解放するために。


「血を・・・血を寄越せ!」


理性を失い、血に狂う“可哀想な子”。


「今、眠らせてあげます」



微塵の躊躇いも見せず、千鶴の刃は羅刹の心臓を貫いた。





■■■■■





「泣いているかと思って来てみたが、やはり泣いていたのだな」

微かに笑いを含んだ声が頭上から降り落ちてくる。

鬱蒼と茂る木々の中、一本の巨木の陰に小さく蹲る千鶴は顔を上げないまま反論する。

「泣いてなんて、いません・・・っ」

しゃくり上げながら声を震わせて否定しても、説得力など皆無だ。
風間は困ったように、そして愉快げに笑みを浮かべた。

「その涙は哀しみか? それとも歓喜か」

問いに答える声は嗚咽の中に紛れて言葉とはならない。
だが、風間も答えを望んではいなかった。

カタカタと小さく震える細い肩。
人を殺めてしまった動揺からか、愛しい面影に出会えた嬉しさかは解らない。むしろ両方かも知れない。
それだけ今夜は千鶴の身に様々なことが起きた。

「面白い者達に会ったものだな」

本心からの言葉だ。
今はまだ小さく頼りない雛達だが、育てばかつての姿に近づく可能性を秘めている。

千鶴が愛し、風間も認めた“武士”達に   


「あいつらをどうするつもりだ。奴らは羅刹の姿も俺達の顔も見た。面白がって吹聴せんとも限らんぞ」

「・・・皆さんは、そんなことしません・・・」

涙に潤んだ眼が風間を強く睨みつける。

「何故そう言える。奴らは記憶も覚悟も持たないただの子供だ」

「それでも、彼らは言いませんっ」

何の根拠もなく言い切れるその自信はどこからくるのやら。
風間は思わず苦笑した。

「では、こちら側に引き入れるつもりか?」

その問いに、千鶴は瞠目した。
そんなこと思いもしなかった、という表情だ。

そして彼女は「とんでもないっ」と首を振る。

「彼らはこの平和な時代で新たな人生を歩むんです。邪魔なんてできません」

二度と彼らと会う気はない、と言い切る。

「そうか」と短く答えながらも、風間は千鶴のその思いが叶うことはないだろうと確信を抱いていた。

明らかな力量の差を痛感しながらも、千鶴を守りたいという強い決意を秘めて風間に敵意を向けてきた小さな子供達。
千鶴が望まずとも、彼らは千鶴を探そうとするだろう。

人の世界で十年も経てば、最も幼い者とて元服の年を迎えている。
鬼の世界でほんの数ヶ月待てば、面白くなるかも知れない。

風間は優しい仕草で千鶴の頭を撫で、彼女が立ち上がるのに手を貸す。

「とにかくお前は戻れ。その姿を見たら南雲や八瀬の姫が卒倒しかねんぞ」

「う・・・」

改めて自分の今の姿を見下ろしてみて、千鶴は反論できずに口を噤んでしまう。

着物にべっとりと付いてしまった返り血。
これを目にした薫やお千がどんな反応をするか・・・。

普段は犬猿の仲ともいえる二人だが、千鶴が無茶をすれば二人掛かりで声を揃えて怒るのだ。
この姿を見た二人は心から怒り、嘆き、そして二人で延々説教してくるだろう。
二人が心から千鶴を案じてくれているのは解るが、如何せん怖いのだ。心から。


(でも、仕方ないよね・・・)

一人で羅刹に立ち向かう行動が無茶であったとは、自分でも思う。
ここは潔く怒られよう。


悲壮な覚悟を決め、千鶴は風間と共に山を下りるのだった。






■■■■■





鬼の里に戻った千鶴は、自分の部屋に入るなり力尽きて倒れた。


あの後、合流した薫に叱られ、説教されながら戻った里ではお千に叱られ、風呂に放り込まれて着替えた後も二人掛かりの説教は食事を挟んで延々と続いた。
流石に疲労困憊である。


だが説教地獄を抜けて一人になると、昨日の出来事がまざまざと記憶に甦る。

初めて人を殺した。
覚悟を決めていたとはいえ、やはり辛く苦しいものだ。

幼い命が脅かされそうな状況で、風間達を呼ぶ間も惜しく咄嗟に身体が動いたのだ。
衝動的な行動だが、後悔はなかった。
自分が救った幼い命が、彼らであったことで尚更そう思う。

(本当に、あの子達はあの人達なのかな・・・)

姿形は当時の彼らをそのまま小さくしたような容姿だったが、その魂までも彼らだとは限らない。
それでも、信じたかった。彼らであると。

血に濡れた千鶴に躊躇いなく抱きついてきた彼ら。
千鶴の鬼の姿に恐れもせず、真摯に感謝を述べた彼ら。

あのままあの場にいたら、千鶴は彼らに縋って泣いてしまいそうだった。


   もう置いていかないで、傍にいさせて下さい


あの頃言えなかった言葉、追いつけなかった背中。

彼らと共にいたい。
それは今も変わらず千鶴の中にある切なる願い。


けれど。

この平和な時代で、彼らは普通の人間の子供として生を受けた。

時代はもう幕末ではない。
彼らは武士ではない。

二度と関わるべきではないのだ。



(今度こそ、幸せになって下さいね、皆さん・・・)


戦いのない平和な日本で、命のやり取りとは無縁の穏やかな生をまっとうして欲しい。

寂しさを押し込めてそれだけを願い、千鶴は柔らかな笑みを浮かべて目を綴じる。


薄れゆく意識の中で、彼らが自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。


眠りに落ちる千鶴の目元から、一筋の涙が静かに零れて流れる。



〈了〉

11.6.20up

『桜月夜』の千鶴ちゃんサイドの話です。
薫とお千ちゃんは過保護です。風間さんも過保護です。
だから多分君菊さんも天霧さんも不知火さんも過保護でしょう。



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