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守リ人 後編
千鶴が部屋に戻るのを見届けた後、山南は再び歩き始めた。
就寝時間を過ぎた今も、明かりが灯る部屋がいくつか見える。
そのうちの一つは副長の部屋、そしてあの部屋は――。
(伊東さんもまだ起きているようですね)
こんな時間まで、いったい何をしているのやら。
伊東が新選組に入隊してしばらく経つが、次第に近藤派との溝が深まりつつある。
そのせいで隊士の間にもギスギスした空気が漂っており、いずれ新選組内部が真っ二つに割れるのは時間の問題だ。
(監察方にも伊東派が深く食い込んでいますし、伊東さんが“我々”に気付くのも時間の問題か)
“羅刹”の存在を知った時、伊東はどう出るか。
頭が切れる彼のことだ。幕府の密命によるこの研究の意味くらい、すぐに察しが付くだろう。
万が一外部に漏らせば、己が身がどうなるかも。
しかしそれは同時に、幕府と新選組の弱味を握ることでもあるのだ。
そんなことを考えながら歩いていた時、ふと気になる気配を感じ取った。
羅刹となってから、人間だった頃よりも遥かに夜目が利く山南の目は、暗い廊下の影で身を潜める人物の姿をはっきりと捉える。
(あれは・・・)
あからさまに怪しい人影。
周囲を警戒しながら、その人物は廊下を滑るように進む。
闇に溶け込むように気配を殺し、山南は不審者の動向を見守ることにした。
深夜にも関わらず行灯が灯る部屋の一つである副長室では、たった今書き上げた紙面を前に、土方歳三が詰めていた息を吐いた。
ようやく一つの仕事が片付いても、目を通さなければならない書状は山と積まれている。
だがとりあえず、今夜はこの切りの良いところで終わらせるべきだろう。
筆を置き、凝り固まった身体を解そうと伸びをした時、音もなく障子戸が開いて冷たい夜風が部屋の中に吹き込んだ。
「山南さんか?」
「こんばんは、土方君。こんな時間まで仕事ですか?」
柔らかな声音の中に咎める響きを聞き取り、土方は苦笑する。
新選組の中で自分を叱れるのは近藤と井上、そして山南くらいだ。
「今終わったところだよ。今夜はもう休む」
「そうして頂けると助かります。私も君を強制的に眠らせたくはありませんからね」
「・・・・・・」
さらっと恐ろしい台詞を吐かれ、土方は己の判断を内心で自賛する。
もう少ししたら休む、などと言わなくて本当に良かった。
「あ、そう言えば、あんたに話があるんだが」
「何でしょう」
「先刻、原田から報告があった。どうも平隊士共の間で、雪村に関して不穏な噂が流れているらしい」
「雪村君のことで、ですか?」
「ああ。ここのところ平隊士の間で金品の盗難が起きているらしくてな、雪村に疑いが掛かってるそうだ。で、幹部は雪村可愛さにそれを黙認し、隠蔽してるんだとよ」
「・・・・・・ほう」
丸い眼鏡の奥の目が細く眇められる。
心なしか、部屋の中の空気が冷え込んできたような。
「雪村はあの容姿だからな、以前から幹部の誰かの色小姓だと思われている節はあったんだが、最近は夜毎部屋に男を招いているだの誰かの部屋に入り浸っているだの、具体的なものになってるそうだ。しかも盗難は夜番の隊士が被害に遭っているから、余計に噂に信憑性が増したようだ」
「なるほど。確かに雪村君は時折夜中にふらふらと外を出歩いていますからね。それを誰かに見られていたのでしょう。もしかすると、私が雪村君を部屋に送り届けているのも見られたかも知れませんね」
「例の病気か。だがその都度山南さんが見つけてやってるんだろ? おかしな行動を取っていればあんたが見逃すはずがない」
「ええ。雪村君は他の幹部や平隊士の部屋に近づいたことはありませんし、怪しい物を手にしていたこともありません」
「そもそも意識がある時でも、平隊士の部屋になんざ入ったことはないはずだからな。勝手場には毎日立ってるせいか、あんなことになっていたけどよ」
夢遊病状態の千鶴は外を出歩くとは言っても、自室の前の庭に立ち尽くしていることがほとんどだ。
唯一の例外が勝手場で、どうやら彼女が日頃慣れ親しんでいる場所に足が向かうらしい。
その勝手場で以前、千鶴が眠りながら刻んだという野菜の山を見た時は、流石の土方も苦笑を隠せなかった。
ちなみに切った野菜は、煮付けや白和えにされて膳に並んだ。
「噂を流した隊士は、何のつもりで雪村君に嫌疑を掛けたのでしょうね」
口元は笑みを象るも、その微笑は氷のように冷たい。
長い付き合いの面々が今の山南の顔を見れば、一目で彼の不機嫌を感じ取ってすぐさま逃げ出すだろう。
だが、山南が不快に思うのも当然だ。
土方ですらこの報告を受けた時は気分が悪かったし、原田は話しながら怒りを隠そうともしていなかった。
噂から読み取れるのは、千鶴への明確な悪意と彼女を特別扱いする幹部達への不満だ。
千鶴の事情を知らぬ者達は、少なからず彼女に妬みや猜疑心を持つ。
この噂は、そんな隊士達の不満を煽るには充分過ぎた。
(つまり雪村君を生贄にし、本物の下手人は何食わぬ顔で悪事を働いているというわけですか)
しかしこれで、“先程見たもの”に辻褄が生まれた、と山南は確信した。
「ところで、私も土方君に報せておきたいことがあります」
不思議そうにこちらを見る土方に、その出来事を語った。
山南は元々これを伝えるために土方の部屋を訪ねたのだ。
話を聞き終えると、土方は眉間に深く皺を寄せて頷いた。
「わかった、監察方に調べさせておく」
「それと、隊士達はいずれ近いうちに雪村君を糾弾するでしょうから、対策を練っておく必要がありますね」
「何かいい考えがあるのか?」
「そうですね・・・」
その時の山南の表情は、土方にとってあまりにも見覚えがある類いのものだった。
彼は長年、その表情を浮かべたこまっしゃくれたガキに、数え切れないほど煮え湯を飲まされ続けてきたのだから。
だが、話を聞くうちに己もまた同じ表情となっていたことに、彼は気付かなかった。
――その夜、副長室では凶悪な笑みを浮かべた鬼達による不気味な会談が夜遅くまで続けられたことは、幸いなことに誰も知らない。
■■■■■
数日後――。
五番組組長、武田観柳斎は配下の隊士達からの訴状を手に、ほくそ笑んでいた。
何とも面白い内容ではないか。
書かれていることが真実か否かは別にどうでもいい。
これは近藤や土方、伊東にさえも気に入られている目障りな小姓を、ねちねちと甚振れる好機なのだ。
あわよくば、生意気な試衛館出身の連中の面目をも潰せるかも知れない。
早速訴状を提出し、雪村を取り調べるべきだと上申すべく、彼は副長室に向かうのだった。
翌日、原田は土方の命令を受け、千鶴を連れて広間へとやって来た。
そこにはすでに局長の近藤、参謀の伊東、副長の土方を始め、幹部や平隊士が何人か集まっていた。
平隊士の顔ぶれは、訴状に名を記していた者達と窃盗の被害に遭ったという隊士達のようだ。
広間に入るなり、一斉にこちらに注がれる視線に臆して身を竦ませる千鶴の背を、原田は励ましを込めて大きな手で押しやる。
「雪村を連れてきたぜ」
「ご苦労だったな。二人共座れ」
「は、はい・・・」
針のむしろのような視線の中、千鶴はおずおずと腰を下ろした。
原田が近くにいてくれることが、せめてもの慰めか。
「さて、皆揃ったようだな」
まず口を開いたのは近藤だ。
「今日こうして集まってもらったのは他でもない。隊士達の間で起きた窃盗事件について訴えがあったからだ。武田君、詳細を話してくれたまえ」
「はっ」
武田は訴状を広げ、下座に座る平隊士達と千鶴を見渡した。
「以前より隊士達の間で窃盗の被害が発生していました。そしてそれは夜番の隊士が狙われており、下手人は“巡察に参加しない者”ではないかと疑っていたところ、ある夜、そこの雪村君が夜中に一人で怪しい行動を取っているのを、隊士の一人が目撃したとのことです。雪村君、心当たりはあるか?」
「いいえ、そんなことしていません」
「では、君は夜中に部屋の外には出ていないと?」
「そ、それは・・・」
どう答えれば良いかわからず、言葉に詰まる。
千鶴自身には覚えがないが、眠っている間に自分が何をしているのか解らないのだから、否定ができない。
「何故答えられないんだ? 隊士が真夜中に部屋を出る君の姿を見たと言っている。それは本当なのかどうか答えれば良いだけだぞ」
「・・・・・・」
どうすればいいのだろう。夢遊病だと明かすべきか?
だが、信じてくれるだろうか。
そもそも自分は本当に無罪なのかどうかもわからない。
千鶴が何も言えずにいると、武田は一人の隊士の名を呼んだ。
「目撃したのは君だったな? これは確かに雪村君のことなのか?」
呼ばれた隊士は雪村にちらと視線をやり、質問に答える。
「暗闇の中でしたのではっきりと顔を見たわけではありませんが、人影は小柄な印象を受けました。新選組で一番小柄なのは雪村君ですので、一番怪しいと思った次第です」
「ところで、お前はそんな夜中に何をしてやがったんだ?」
原田はその隊士をじっと見つめながら問い掛けた。
彼は確か、屯所が西本願寺に移った後に入隊してきた、五番組の隊士だったか。
「厠に起きたのです。廊下を歩いていた時、ふと庭を見たら人影が見えました」
原田の問いにも、隊士はまったく動揺せず答えを返す。
まるで用意していた文章を読み上げているかのように淀みなく。
「しばらく見ていると、もう一人人影が現れました。誰かはわかりませんが、あの辺りには幹部の部屋しかありませんから、幹部のどなたかではないでしょうか」
暗に“貴方では?”と言いたげに、挑戦的な目で原田を見た。
武田は部下に頷くと、再び雪村に問う。
「君は、真夜中に幹部と二人で何をしていたのだ?」
「あ・・・」
もう一人の影とは、おそらく山南のことだろう。
まさか彼の名を出すわけにもいかず、千鶴は困り果てた。
「君は夜中に自分の部屋に幹部を招いたり、逆に幹部の部屋に行ったりしているそうだな。つまりそれは人に言えないようなことをしているということか?」
「ち、違います。そんなこと・・・っ」
このままでは原田達にまでおかしな疑いが掛かってしまう。
だからと言って、夢遊病でふらふらしている自分を山南が見つけて部屋に戻してくれている、なんて馬鹿正直に明かすことはできない。
いったいどうすれば・・・。
その時、土方が大きなため息を吐いた。
「そこまで見られていたのなら、話さねえわけにはいかねえな」
「え?」
思いがけない方向から上がった声に、全員が土方を見た。
まさか男色嫌いを公言し、隊内の風紀を乱す者には容赦がないはずの彼が、雪村の逢瀬の相手なのか?
そんな動揺が走ったが、彼が口にしたのはまったく予想もしていなかった言葉だった。
「夜中に雪村が会っていたのは、亡霊だよ」
「「「「「は?」」」」」
その場の全員が目を点にした。亡霊?
「ひ、土方さん?」
戸惑いの声を上げる千鶴を、土方の鋭い視線が制した。お前は黙ってろ。
「山南総長の亡霊が出るとかいう噂があるだろ。あれは事実だ。山南さんだけじゃなく、今まで俺達の手で殺した浪士や切腹させられた隊士達の亡霊が出る。このままじゃ悪霊になって新選組を祟る恐れがあるから、雪村が夜な夜な話し相手になって亡霊共を鎮めてくれているんだよ」
・・・・・・・・・・・・。
長い長い沈黙が落ちた。
誰もが言葉を失ったまま、二の句を継げずにいる。
真面目な顔していったい何を言ってるんだ、と突っ込みたいが、相手が相手だけに平隊士は何も言えない。
土方より立場が上の近藤や伊東は何故か黙ったままだし、ここは俺が突っ込むべきかと原田は真剣に悩む。
「それとも何か? お前らが亡霊共を鎮められるってのか? あの芹沢さんや山南さんが相手だぜ?」
顔色を変えて一斉に首を振るのは、山南を知る隊士達のようだ。
彼らは山南が腕を負傷した後、非常に扱い辛い人間になったことをよく覚えているのだろう。
芹沢を知るほど古参の者はいないが、彼の傍若無人振りは話に聞いているはずだ。
「そいつらとまともに話ができるのは、この雪村だけなんだよ」
「ええ、わかりますわ。こんなに可愛らしい方に供養して頂けるなら、山南さん達もさぞ喜んでいらっしゃることでしょうね」
伊東が深く頷きながら賛意を示す。近藤もそれにうんうんと同意する。
一部の平隊士の千鶴を見る目が、尊敬の色を帯び始めた。
「で、だ。雪村を通して亡霊から報告があった。最近、就寝時刻を過ぎた後に屯所内をうろつく怪しい輩がいるってな。だがそれは雪村じゃねえ」
「待って欲しい。そんな真偽も定かでない情報を信じるのですか?」
武田が異議を唱えるも、土方は不敵に笑ってみせる。
「もちろん、霊が言ったからって無条件で信じやしねえさ。だから監察方に調べさせた」
「・・・っ」
先ほどまで強い語気で千鶴への疑いを論じていた隊士が、さっと顔色を変えた。
土方も原田も伊東も、それを見逃すほど甘くない。
「私の配下の監察方からも報告が上がっておりますわ。その怪しい輩とは、とある隊に属している者のようですわね」
優雅に扇子を開き、口元を隠した伊東の目線がつい、とその隊士を見据えた。
同時に刃のように鋭い土方の眼光が、彼を射抜く。
「そいつは夜中に外に出ている雪村を見て、自分の罪を被せることを考えたんだろうな。名を聞かせてやろうか? 誰よりもお前自身がよく知る人物だぜ」
「・・・・・・っ」
今や彼は顔面蒼白で、全身から冷や汗が吹き出している。
これでは白状しているも同然だ。
助けを求めて彼は自分の上司である武田を見やるが、あっさりと顔を背けられる。
「詳しく詮議させてもらうぜ」
その言葉は、すべての終わりを感じさせた。
がっくりと項垂れたその隊士にはもう用はないとばかりに、土方は他の隊士達を見やって言い放つ。
「お前らも雪村に余計な手を出すと、もれなく亡霊共の呪いが付いてくることを忘れんじゃねえぞ」
いいな、と念を押すと、即座に「はい!」と妙に必死さを滲ませた声が返る。
――そうして、雪村千鶴の疑いは何だかんだで晴らすことができたのだった。
「これであいつに悪意を向ける奴は減るだろ」
「てか、恐れられるな。間違いなく」
満足げな土方の言葉に、原田は苦笑と共にそう呟いた。
後日、山南総長の霊が取り憑いた小姓として、雪村を敵視する隊士はいなくなったのは言うまでもない。
■■■■■
今夜は随分と冷える。
冬の足音もすぐそこまで来ているようだ。
吐く息がほんのり白く闇に解ける様に冬の訪れを感じながら、山南はいつもの散歩道を歩く。
(こんな夜は、彼女もあたたかな布団の中にいるでしょうか)
千鶴に掛けられていた疑いが晴れたと、土方が知らせてくれたはつい先ほどのこと。
この数日は千鶴が不安がっていた通り、眠りながらふらふらと出歩いていたが、今夜はきっと心安らかに眠れているだろう。
そう思いながらも足が彼女の部屋の方を目指してしまうのは、もう癖のようなものだ。
ただ確認するだけだ。
誰もいなければ、そのまま散歩を続ければいいのだから。
そんな言い訳を繰り返すうちに、山南は千鶴の部屋の前に辿り着いた。
「雪村君?」
「こんばんは、山南さん」
そこにはここ数日と同じように千鶴が佇んでいたが、違うのは今夜の彼女には意識があることだ。
「女の子が身体を冷やしてはいけませんよ。こんな夜中に何をしているんです?」
まるで先日の再現のような状況に、つい口うるさくなってしまう。
千鶴はすみません、と侘びながらも、暗闇の中でもわかるほど真っ直ぐな目を向けてくる。
「山南さんを待っていたんです。一言お礼を言いたくて」
「お礼ですか?」
「はい、土方さんから聞きました。山南さんのお陰で、私への疑いを晴らすことができたって」
「土方君にも困ったものですね」
別に彼女に明かす必要はないのに。
どうにも彼は身内に甘い。
しかし疑いが晴れたというのに、千鶴の顔色が優れないのは何故だろう。
寒さで風邪を引きかけているのかも知れないと、山南が早く部屋に戻るよう促そうとすると、不意に千鶴が深く頭を下げた。
「でも、私のせいで皆さんにご迷惑を掛けてしまいました。ごめんなさい・・・」
「先日も言ったでしょう。貴方に謝られるようなことではありません」
何故この娘はこうも――いや、彼女にそんな考え方をさせてしまうのは自分達の責任か、と思い直す。
“邪魔になれば斬る”――何度そう言って脅したか。
他人の顔色を窺い、迷惑を掛けないことばかり考えるようにさせたのは自分達だ。
千鶴から自由も希望も奪っておきながら、もっと自分に自信を持て、などといったい誰が言えるだろう。
「いつか、こうなるんじゃないかって思っていたんです。私が知らないうちに外を彷徨っているのを誰かに知られたら、山南さんにも土方さん達にもたくさんご迷惑を掛けるって。でも、どうにかしたいのに、どうすればいいのかわからなくて・・・」
どうすればいいかわからない。
考えても考えても見えない答えを探して彼女の心は疲弊し、夢遊病として表れてしまう悪循環。
迷惑を掛けてはいけないと思えば思うほど、自由を求めるように鳥籠から出ようとする自身を止める術などない。
(君を夢遊病になるまで追い詰め、平隊士から不満を向けられるような扱いをしたのは我々の方なのですがね)
けれどこんな言葉で彼女の心が軽くなるわけがないことくらい、短くない付き合いからよくわかっている。
彼女自身の努力で少しずつ新選組の中での待遇は良くなったものの、植え付けられた恐怖は心の奥深くにしっかり根付いてしまった。
ならば、論じるべきは誰が悪いとかいうものではなくて――。
「ねえ雪村君、君は私達に迷惑を掛けることを気に病んでいるようですが、掛けられる側が迷惑だと思っていないのにそれは迷惑ですか?」
「え?」
「むしろ私は楽しいんですよ? 夜毎、可愛らしい娘さんと手を繋いで歩けるなんて、役得じゃないですか」
「え? ええ!?」
みるみるうちに真っ赤になって動揺する千鶴。
彼女は今更のように気付く。夢遊病状態の自分が、いかに無防備な姿でいるのかを。
(ど、どうしよう。ものすごく恥ずかしい・・・っ)
先程までの申し訳なさよりも、そちらの方が頭の中を占め始めた。
すると、火照った頬に冷たい指先が触れた。
はっと顔を上げると、すぐそばに山南が立っていることに気付く。
「たとえ眠っているのだとしても、君に触れることで私は正気を保つことができる。私はまだ生きているのだと、実感できるんです」
「山南さん・・・」
「君は何度か言っていましたよね。“私でお役に立てることがあれば”、と。そう思っているのは貴方だけではありませんよ。特に今の私は、決して許されない行為に手を染めているのですから、余計に誰かの役に立つことで少しでも自らの存在意義を見出したいんです」
日の光を厭う身体となり、さらにその薬の研究に没頭する日々を送るようになった山南。
夜の巡察でしか町を歩くことができなくなった彼は、今では千鶴以上に自由がない。
自分で選んだ道とはいえ、時折わからなくなることがある。
自分が正気なのか、あるいはすでに狂っているのかが。
「だから、君のために何かができることを嬉しいと感じられることで、私は私でいられると思うんです」
千鶴には、山南の気持ちが痛いほどわかった。
江戸の実家で便りの途絶えた父を案じていた時も、新選組に捕らえられた頃も、自分にできることを必死に探していた。
そうしなければ、どんどん心が暗闇に沈みそうだったから。
「ただの私の我侭ですが、よろしければ協力して頂けませんか?」
「でも、私は山南さんに何もお返しできないのに・・・」
(ほんのひと時でも君と触れ合えるのなら、充分なご褒美なのですが)
さすがにその台詞は彼女には刺激が強過ぎるか。
さっき、見事なまでに真っ赤になってうろたえていた姿を思い出す。
「では、時々で良いですので井上さんを手伝ってあげてくれませんか?」
「井上さんのお手伝いですか?」
「羅刹の世話ができる隊士は限られています。以前は私と井上さんだけで何とかなっていたのですが、私が羅刹になってからは、ほとんど井上さん一人に負担が掛かっています。他の幹部や山崎君、島田君も手伝ってくれていますが、それでも毎日とはいきませんから。それに・・・」
一旦言葉を切り、山南はにっこりと笑った。
「時折、無性に君のご飯が恋しくなるんです」
「・・・・・・」
告げられた言葉に一瞬呆気に取られた千鶴だが、やがてくすくすと笑い出す。
それは山南が久しぶりに見た、千鶴の笑顔だった。
(この笑顔を守るためならば――)
滅多に動くことのない心の内に、ぽっと明かりが灯る。
我が身に浴びることができなくなった、“光”を思わせる娘。
新選組の“闇”となった身には触れることすら許されないけれど、できることなら見届けたい。
彼女に恒久的な幸せが訪れる、その時を――。
その後、千鶴の夢遊病の症状はなくなった――わけではなかった。
やはり男所帯に女一人というのは何かと心労を溜め易く、そこに鬼まで関わってくるとなれば更に彼女の悩み事は増える。
加えて伊東派の離脱で、仲良くしてくれていた平助や斎藤とも別れることとなり、千鶴が落ち込んでしまう出来事は尽きなかった。
そんな日々を送る中、千鶴は毎朝目を覚ます度に期待と不安に胸を高鳴らせていた。
何しろ夢遊病の症状が出た翌朝は、山南が枕元に一輪の花を添えるようになったからだ。
彼は落ち込む千鶴を励ましてくれているつもりなのだろうが、花をもらった千鶴は恥ずかしさに悶絶しながら一日の始まりを迎える羽目になるのだった。
〈了〉
16.11.12up
いまいちシリアスになりきれませんでした(苦笑)。
山南さんと土方さんが悪ノリした結果、こんな話になってしまいました。
屯所時代の山千は恋愛にはまだまだ遠いです。山南さんなんて子守気分ですし。
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