涙の理由(わけ)





「土方さん、雪村です。お茶をお持ちしました」

「入れ」

応えを確認し、千鶴は静かに障子戸を開けた。
「失礼します」と声を掛けて土方の部屋に入ると、慣れた手つきで湯呑みの乗った盆を邪魔にならないよう置く。

それを横目で確認した後「ご苦労だった」と言って目線を戻すのが常なのだが、ふと異変を感じた土方は違和感を探すべく千鶴の顔を見た。

一拍の後、眉間に深い皺が寄る。

「お前、どうしたんだ? 泣いていたのか?」

「え? あ・・・っ」

問いに首を傾げる千鶴だが、土方が自分の顔を凝視していることに気付いてハッとする。
ここに来る前に冷たい水で顔を洗ったり、濡れた手ぬぐいを当てたりしたのだが、やはり腫れぼったさがすぐに取れるわけではない。
赤く潤んだ目も、朱に染まった鼻も、明らかに涙を流した痕跡として残っていた。


「何があった? 確か今日は一番組と巡察に出てたんだったな。網道さんのことで何かあったのか?」

気遣わしげに問いかける土方に、千鶴は慌てて首を振る。

「いえ、そうじゃないんです。何でもないんです」

「何でもねえってことはねえだろうが。そんなに目腫らして・・・相当泣いたんだろ? 言ってみろ」

「本当にたいしたことではなくて・・・」

「いいから言えつってんだろ。愚痴くらいいつでも聞いてやるって以前言わなかったか?」

恐縮しきりといった千鶴に、土方は畳み掛けるように問い詰めてくる。
これは全て聞き出すまで解放してくれそうにない。


「・・・総司が原因か?」

「・・・っ」

父親のことでないならば、今日彼女と行動を共にしていた者がまず怪しいと踏んで尋ねると、解りやすい反応が返ってくる。間違いない。総司絡みだ。

土方は筆を置くと姿勢を正して千鶴と向き合い、しっかりと目線を合わせる。

「あいつに何言われた? お前がこんなに泣きはらしたってことは、相当だろう」

「ですから、あの・・・っ」

「お前が言えねえなら総司を呼んで直接吐かせるぞ」

「うう・・・っ」

このままでは大事
(おおごと)になってしまう。

土方の仕事を中断させてしまうことを申し訳なく思いながらも、千鶴は覚悟を決めて今日の出来事を語り始めた。





■■■■■





この日、千鶴は一番組の巡察に同行していた。


春が終わりに近づき、徐々に季節は夏へと移り変わろうとするこの時期。
じめじめした梅雨の季節が来る前に、空は五月晴れに澄み渡る。

そんな青空を見上げ、今日もいい天気だなあと千鶴は微笑んだ。


「千鶴ちゃん、空ばかり見上げてはぐれないようにね」

からかいを含んだ声音でそう言ったのは、新選組一番組組長の沖田総司である。
慌てて「すみません!」と駆け寄る千鶴に、柔らかく苦笑しながら「迷子になったら置いてっちゃうからね」と本気とも冗談ともつかない言葉を放つ。
その言葉を真面目に受け取った千鶴は、置いて行かれないようにしなくちゃ!と決意も新たに沖田の後ろに付く。

そうして京の町を颯爽と風を切って  ついでに人波もざっくり切って  一番組は巡察を続ける。


一際賑やかな通りに出た。
見世物小屋が立ち並び、色とりどりの幟がはためいている。

それを興味なさげに通り過ぎようとした沖田だが、やたらとおどろおどろしい看板に足を止めた。


「お化け屋敷があるよ。行ってみる?」

意地悪く傍らの千鶴に話しかける。

反応がない。

「千鶴ちゃん?」

振り返って見ると、顔を真っ青にして看板を凝視する千鶴の姿があった。
千鶴は沖田の呼びかけに我に返ると、必死に看板を見ないようにして首を振る。

「いいえ! 私は結構ですっ。それより巡察を続けましょう、沖田さん!」

お願いします!という強い想いを乗せた必死な瞳で縋る。沖田には逆効果であることも知らず・・・。



「ふうん・・・」



猫が捕らえた鼠を甚振るように、沖田はニヤリと笑った。





■■■■■





   で、連れ込まれたと」

「・・・・・・はい」

「泣いたのはそれでか?」

「・・・・・・・・・・・・はい」

消え入りそうな声で頷く千鶴の姿に、土方は深く深くため息をついた。

   巡察中に何をやってるんだあの男は。

新選組幹部のくせに、隊務そっちのけで遊ぶとは何事か。
それに千鶴も千鶴だ。総司に弱味を見せた上、お化けへの恐怖で泣いたなど・・・。

千鶴の涙の理由はやはり総司だった。だが、普通こんなことで泣くか? 総司の「殺すよ?」の言葉にさえ耐え切ってみせた意思の強さはどうした?

土方は呆れた口調でその思いを言葉に乗せた。

「お化け屋敷なんて全部作り物だろうが」

「作り物でも怖いものは怖いんですっ!」

鬼の副長を相手に怯むことなく声を張り上げる度胸はたいしたものだ。内容は、あれだが・・・。

すでに引いていた涙が込み上げたのか、大きな瞳を潤ませながら見上げてくる千鶴を見つめ、土方は眉間の皺を深める。


(・・・総司の気持ちも解らねえではないな)

つい弄りたくなるほどの可愛らしさ。自他共に認める苛めっ子沖田総司の加虐心が擽られないわけがない。

気を取り直し、土方はコホンと咳払いする。

「続きを話せ」

千鶴の頭を撫でくり回したくなる衝動を険しい表情で耐えつつ、話の続きを促した。





■■■■■





ヒュ〜ドロドロドロ・・・


どこからともなく聞こえてくる不気味な効果音。

その中に、少女の痛ましげな嗚咽が混じる。

「ふえぇ〜ん、とうさまあ〜」

「ねえ、泣き止んでよ千鶴ちゃん」

しゃがみ込んで泣き続ける千鶴の傍に膝を付き、沖田は困り果てていた。

「大丈夫ですか?」

心配そうに訪ねたのは、井戸から出てきた幽霊だ。
沖田の腕に縋りついて何とか歩いていた千鶴が、井戸から這い出る彼を見た途端に限界を迎えたのか、崩れ落ちて泣き出してしまったのである。

「いいから君、井戸に引っ込んでてくれる? 千鶴ちゃんが怖がるじゃない」

「は、はいっ」

沖田の尖った視線を向けられた幽霊は、慌てて井戸の中に隠れた。


(苛め過ぎちゃったなあ)

どうしたものか、と天を仰ぐ。

これまで千鶴がこんなに泣いたところを見たことはない。どんなに心細くとも、沖田の言葉に怯えようとも、ぎゅっと唇を噛んで涙を堪えてきた気丈な少女。それがこんな所で大泣きしてしまうとは。

さすがの沖田も反省したのか、千鶴をからかう言葉はない。小さな背中を撫でながら、優しい口調でなだめようとするも、千鶴の恐怖が和らぐ気配はなさそうだ。


「ごめんね、君がこんなに苦手とは思わなかったんだ。すぐに出口まで連れて行ってあげるから」

立って、と千鶴の腕を掴んで立たせようとするが、千鶴はふるふると頭
(かぶり)を振る。

「た、立てないんです・・・っ」

「仕方ないなあ。でもまあ悪いのは僕だしね」

沖田はおもむろに千鶴の肩を掴むとぐいっと引き寄せ、尻餅をついた形の千鶴の背と脚に素早く腕を回すとひょいと抱き上げた。

「きゃあ!? ひっ!!」

抱き上げられたことに悲鳴を上げたかと思うと、視界が開けた瞬間にお化け提灯と目が合ってしまった為、恐怖の声を上げる。

「しっかり目を綴じていてね」

「あ、あの、沖田さん!?」

「立てないんでしょ。僕が抱いて行ってあげる」

「で、でも・・・っ」

「お詫びの印なんだから、甘えていいよ」

耳元で囁く声が優しい。

お化けを見たくないということもあるが、千鶴は何だか気恥ずかしくなってしまい、ぎゅっと目を綴じた。どきどきと胸の鼓動が早く感じるのは、恐怖のせいだけではないように思える。


「周りの音なんて気にしないで、僕の声だけを聞いていて」


沖田の体温に、感触に、息遣いに、声に包まれて、千鶴はただ彼に身を任せる。


千鶴を抱いた沖田は揺るがない足取りで、人魂が照らす道を穏やかに微笑みながら歩き去った。





■■■■■





「それで、沖田さんに出口まで連れて行ってもらったんです」

「ったく、あいつは・・・」

話を聞き終わった土方は米神を押さえながら、疲れたような息を吐いた。

千鶴は照れたように、嬉しそうに頬を染めているが、そもそも彼女が嫌がっていると解っていながら無理矢理お化け屋敷に連れ込まれて泣かされたというのに、何故さも「沖田さんて優しい人ですね」とでも言いたげなのだ。

「お化けの声が聞こえないように、沖田さんずっと話して下さってました」

「・・・まあ、あいつにしては良い判断かもな。何を話してたんだ? 昔話か?」

「えっと、確か・・・」

記憶を辿って視線を中空に彷徨わせ、沖田の言葉を思い浮かべる。


「“梅の花 一輪咲いても 梅は梅”」


ピシリ


空気が凍った。


だが明後日を見つめる千鶴は気付かず、さらに言葉が続く。


「“春の草 五色までは 覚えけり”・・・とか、色々な俳句を詠み上げて下さいました。私に沖田さんの声しか聞こえないように配慮して下さったのか、小屋の外にまで届くくらいの声で・・・・・・」

言いながら、何とはなしに土方の方に視線をやった千鶴は   そのまま固まった。


彼女の目の前には。


鬼がいた。



役者のように整った顔に浮かぶのは、夜叉の如き憤怒の表情。

眉間には深い皺がいくつも刻まれ、切れ長の瞳には殺意のみが宿る。引き結ばれた唇はピクピクと震え、握り締めた拳には青筋が浮かぶ。背後にはどす黒い瘴気が渦巻いているような錯覚すら覚える。


「ひ、土方、さん?」

恐る恐る呼びかける千鶴の声に答えず、ゆらり、と緩慢な動作で土方は立ち上がった。


立ち昇る瘴気はとぐろを巻き、鬼の周囲を包んでいる。

殺意を秘めた瞳がカッと見開かれ、獲物を噛み千切らんばかりに歯を剥き出しにした口から発せられた怒りの咆哮が屯所中に轟き渡った。





「総司ぃぃいいい!!!!!」





叫びとともに部屋を飛び出した土方は、凄まじい勢いで廊下を突っ切って行った。



部屋に一人取り残された千鶴は、土方を見送った姿勢のまま呆然と佇む。


「・・・ええと・・・」


いったい何が起きたのだろう。

先程まで普通に会話していたはずなのに、突然土方が怒り狂って飛び出してしまった。

自分が何か悪いことを言ってしまったのだろうか。
いくら考えてみても心当たりがない。
何が土方の怒りを買ってしまったのだろう。


ただ、一つだけ言えるのは。

お化けよりも数倍恐ろしい鬼を見た。

その事実だけ。



   遠くで怒鳴り声と笑い声と騒がしい足音が聞こえてきた。



〈了〉

11.5.10up

沖ちづ・・・?
いやいや沖ちづです、無理にでもそう思って下さい。
思ったより土方さんが出張ってる話になってしまいました・・・(汗)



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