桜月夜 〜覚醒〜“沖田総司”





怒り、悔しさ、悲しみ、憎しみ   ・・・・・・。

いろんな感情が渦巻いて、心の置くまでどす黒く塗り潰されていくようだ。


近藤さんの役に立ちたい。新選組の剣として、刀を振るいたい。
心は折れていないのに、まだ戦えるのに。
どうして僕の身体は動かないんだ。

悔しさに涙が滲んでも、肺が潰れるような苦しみは消えてなくならない。
枯れ木のように細くなった腕を持ち上げ、かつては手足のように振るっていた刀の柄を握るけれど、上手く力が入らなくて落としてしまう。

近藤さんを守りたい。あの子を守りたい。なのに何故僕は刀を持てないんだ。
焦りばかりが募る。



“千鶴ちゃんは?”

そう問いかけても、見舞いに来た人達は誰もがただ俯くだけ。

どうして守れなかった?
新選組幹部が揃って、何故女の子一人置き去りにして江戸に逃げた?

そう言って責めるのは簡単だ。
皆は言い訳もせずに“済まなかった”と苦しげに吐き出すのだろう。

だけど、僕に彼らを責める権利はない。
僕は、その場にすらいなかったのだから。

それが何より悔しい。


   僕は、役立たずだ。

それを受け入れてしまえば、残るのは絶望だけだ。


広く大きな心で僕を導いてくれる近藤さんを、小さな身体で懸命に僕を看病してくれた陽だまりのようなあの子を、この手でこの剣で守りたい。

だけど僕は今、病に冒された身体を横たえて、今も戦い続ける同志達の背を追うこともできずに命尽きる時をただ待つ。


・・・苦しいよ・・・哀しいよ・・・


視界がぼやけて歪む。
動かすことすら辛い身体がまた酷く咳き込む。
大量に吐き出される血の塊はもう見飽きたよ。

嗚呼、終わりが近いみたいだ。


近藤さんは、土方さんは、新選組の皆は   あの子は無事だろうか。


何かを求めるように伸ばした手は、何も捕らえることなくパタリと落ちた。






■■■■■





息苦しい。
一度咳き込んだだけで胸に重く痛みが走る。

呼吸すらまともにできず、喉の奥からひゅうひゅうと嫌な音がする。



『沖田さん、苦しいんですか?』

心配そうな少女の声が聞こえる。
枕元に誰か居る。
顔を見ようと目を凝らすけれど、ぼんやりとした視界は輪郭しか捉えてくれない。

喉元に温かな布が宛がわれた。
優しい手がそっと張り付いた前髪を払ってくれる。
咄嗟にその手を掴むと、彼女のびっくりする気配を感じた。
捕まえた手に頬をすり寄せてくすくすと笑うと、彼女が益々戸惑う。

『もう、沖田さんたら・・・』

どこか拗ねたような声音が可愛い。


だけどね。
一つだけ気に入らないことがあるんだ。

それは。




「・・・沖田って誰・・・?」



不機嫌な自分の声で、総司は目を覚ました。

視界に映るのは見慣れた天井だ。
傍らに人の気配を感じて視線を向けると、困惑したような顔があった。

「勇兄さん・・・と、何でいるんですか歳三さん」

「居ちゃ悪いか」

目を覚ました途端にそれか。
歳三の秀麗な顔の眉間に深く皺が寄る。
二人のやり取りを「まあまあ」と嗜めながら、勇は総司の額に手を当てた。

「まだ熱が高いな。喉は渇いていないか?」

「ありがとうございます、勇兄さん」

歳三に向けたものとは打って変わった素直な反応だ。
勇に支えられて上半身を起こし、宛がわれたコップの水を口に含む。
喉が潤う感覚に、ほっと息をついた。

「しかし、何故いきなり熱が出たのだろうな。冬にも風邪を引いたばかりだというのに」


鬼の末裔である一族の者は、皆身体が丈夫だ。
人並み以上の身体能力と体力を誇り、怪我の治りは早く、体調を崩すことも少ない。
齢八十を越えた当主すら、毎朝ジョギングで山を一つ越えるほどだ。
だが、総司だけはその例から漏れている。

身体能力ならば一族の中でも随一と言えるだろう。
まだ幼いが、ずっと体格の良い年長者にも時に剣で勝つ。
だが何故か一族の中で特に身体が弱い。いや、一族どころか普通の人間よりも弱いかも知れない。
毎年冬には必ず風邪を引くし、季節の変わり目には体調を崩す。
また、他の一族の者なら風邪を引いても一日経てば完治するのに比べ、総司の場合は長引く。
最も血筋が良く、身体能力面でも群を抜いているというのに、何故身体だけが弱いのか。

本人が最もそんな自分の身体にもどかしさを感じている為、誰も口にはしないが、跡取りたる総司の身体のことは一族の心配の種だ。


「早く元気になって剣を握りたいです」

勇の前でなら素直に気持ちを吐露できた。
そんな総司の頭を温かな手が撫でる。

「そうだな。剣といえば、最近トシ達の剣が鋭くなったんだ。平助の剣すら、気迫というものが感じられてな」

勇の言葉に総司の表情が歪む。

数日前から皆の剣が変わった、と大人達が口々に言っていた。
今まではただ習い事でしかなかった剣が、“敵を倒すためのもの”となったと。
その切欠となったものが何かというのは総司も歳三も解っている。勇も後から聞かされて理解している。


夜桜の下での不思議な出会い   

紅い目の化け物から総司達を守ってくれた、美しい女鬼。
本来ならば、自分達が守らなければならない存在。

彼女を守れるだけの力が欲しい。

あの夜、誰もがそう願った。

その想いのままに、翌日から強い決意とともに剣を握った少年達。
しかし、その中に総司の姿はなかった。
あの夜から高熱を出し、三日経った今も起き上がれない状態が続いているのだ。


(どうして僕はこんなに弱いんだ・・・っ)

思うように動かない体がもどかしい。
剣を握りたい。強くなりたい。その強い思いが焦燥を駆り立てる。

(このままでは僕は“また”役立たずのままじゃないか!)

悔しさに唇を噛み締める総司に、歳三がぶっきらぼうな口調で言う。

「とにかく今は身体を治すことを考えろ。無茶はしようとするんじゃねえぞ。治るものも治らねえだろうが」

「うるさいですよ土方さん」

何気なく答えた言葉に勇も歳三も、言った本人である総司も首を傾げた。


「「「土方さんって誰(だ)?」」」


三人の声が見事に揃った。



総司の部屋を出た勇と歳三は神妙な表情のまま、並んで廊下を歩く。

「相当辛そうだったな」

それが身体的なことを指しているのか、精神的なことを指しているのかは解らない。いや、両方なのだろう。

「あの夜からもっと強くなりてえって思っているのは、総司も同じだからな・・・」

決意を共有しているだけに、あの日から不本意にも寝込んでしまった総司のやるせなさを思うと胸が痛かった。

広い居間に入ると、思い思いに寛いでいた仲間達が一斉に二人を見た。

「いさみにーちゃん、としにーちゃん、そーじは?」

平助が心配そうに尋ねてくる。

「まだ熱が高いんだ。静かに寝かせてやろうな」

小さな頭をガシガシと撫でてやりながら勇が言うと、新八が努めて明るい声音を出す。

「ったく、あいつは強いくせに弱いんだよな。俺みたいに好き嫌いせずに何でも食わなきゃ強く逞しく大きくなれねえぞ」

「確かにあいつは偏食だが、その総司から飯を恵んでもらってるお前が言う言葉じゃないよな」

「まったくだ。嫌いなものを食べてやるのではなく、ちゃんと本人に食べさせるべきだ」

左之助と一が冷静に突っ込む。

「年少者にご飯を恵んでもらうというのも、浅ましい行為だと思いますがね」

敬助の棘のある台詞に、新八は冷や汗を浮かべながら「いや、それは、あの〜・・・」と誤魔化すように笑う。
勇と歳三から向けられる、呆れに満ちた視線が痛い。

「それじゃ、道場に行くぞお前ら」

歳三の掛け声に、「はーい」と応える声が重なる。





外が騒がしい。

総司は緩慢な動作で布団から這い出ると、障子の隙間から外を窺う。
胴着姿の少年達が談笑しながら道場に向かって歩く後姿が目に映る。
勇の姿だけを食い入るように見つめていたが、やがて彼らの姿が見えなくなると静かに障子を閉めた。

(せっかく、久しぶりに勇兄さんと稽古が出来たのに・・・)

今日は休日だ。
高校の部活の方も休みで、今日は勇も敬助も家の道場で稽古をすることになっている。

勇と一緒に稽古がしたかった。
強くなったと褒めてもらいたかった。
だが今の総司は、ただ起き上がるだけで眩暈が襲うほど弱っている。

悔しさを堪えながら布団を被り、見送った後姿を打ち消すようにぎゅっと目を綴じた。



『沖田さん、お粥作ってきました。少しで良いので食べてくれませんか?』

静かな中にも切実な響きを宿す声が耳に届く。

『いらない。食欲ない』

そっけなく答えると、しゅんと悲しそうに項垂れる少女。
そんな顔をさせたいわけじゃないけど、今の彼には彼女を思いやる余裕もない。
しかし、顔を上げた彼女の表情は決然としていた。

『大根降ろし入れました。葱は入れてません。お味は少し甘くしましたよ。沖田さんのためのお粥なんですから、一口くらい食べてもらいますからね」

普段とても控えめなのに、何でこんな時にだけ強気なのさ。
煩わしさも忘れ、思わず苦笑してしまう。

蓮華に掬ったお粥にふうふうと息を吹きかけ、彼の口元に運んで少女はにっこりと笑った。

『はい、あーん』

『・・・・・・』

しばらく少女の顔をじっと見つめていたが、やがて観念して口を開くと温かなものが口の中に広がる。
冷え切った彼の心までも柔らかく包み込むようで、その優しさが心地良かった。

ゆっくりと咀嚼すると、少女は嬉しそうに微笑む。

『変な子だよね、君って』

僕のことなんて放っておけばいいのに。
なのに君は僕のために何故そんなに一所懸命になれるんだろう。

じっと少女を見つめていると、彼女は花のような笑顔を浮かべたまま、幻のように消えた。

   ちゃん?』

名を呼ぶが、彼女の気配はない。
きょろきょろと辺りを見回すが、部屋には彼一人しか居ない。

起き上がって彼女の姿を探そうとするも、身体に力が入らずに崩れ落ちた。

茫然となる彼に、誰も声を掛けてはこない。誰の気配もない。

(そうか・・・僕はここで一人残されたんだ)

剣を握れないどころか動くことすら侭ならず、新選組のお荷物となった彼はこの部屋で一人死を待つだけとなった。

(せめて、君の無事だけでも知りたかったな・・・)

最後に聞いた彼女の近況が生死不明だなんて、心配で仕方がないじゃないか。

『君って、放っておいて欲しい時には放っておいてくれないくせに、会いたい時には居ないんだね・・・』


本当に、困った子だよね・・・。



「千鶴ちゃん・・・」



ぼんやりとした意識の中、総司はその名を呼んだ。

ふと気付けば部屋の中は真っ暗だ。
上体を起こすと、けだるさは残るものの眩暈はなかった。

(熱、下がったのかな)

喉の渇きを覚えて傍らの盆に載ったコップを手に取るが、中身は空だ。
そういえば昼間、勇に飲ませてもらった後注ぎ足していなかった。

(勇兄さんはともかく、歳三さんはそれ位の気を回してくれてもいいのに)

気が利かない人だな、と歳三限定で恨み言を吐きながら総司は部屋を出た。
夜の闇に閉ざされた家の中はひっそりとした静寂が漂う。
今が何時かは解らないが、深夜であることは間違いなさそうだ。

ひたひたと廊下を歩きながら、総司は随分と体が楽になっていることを感じる。
この分だと朝には治っているだろう。
そんなことを思いながら洗面台の前に立ち、冷たい水で顔を洗う。

顔を上げた瞬間、ぎくり、と全身が強張った。

暗闇の中でもはっきりと解る。
自分の身に起きた異常が。

白い髪。金色に光る瞳。額には二本の角。

(千鶴ちゃん・・・)

桜の舞う月夜の下で見た彼女とまったく同じ姿。

魅入られたように鏡の中の自分を見つめていると、頭の中に奔流のように流れ込んでくるたくさんの映像があった。

それは、今まで夢の中で見ていただけのぼんやりとした記憶の数々。

幸せと苦しみに満ちた短い一生。
浅葱色の羽織を翻して刀を振るった充実した日々と、病に倒れて無力に苦しんだ辛い日々。
浮かんでは消えていく、見慣れた人達の顔。


(嗚呼、そうだ・・・思い出した・・・)



僕は“沖田総司”。



“新選組一番組組長、沖田総司”だ   




今まで不明瞭だったものが、突然霧が晴れるように拓けて全てを理解した。
同時に現在自分が置かれている状況も理解し、不思議な縁と廻り合せに感心する。

前世では新選組と敵対していた鬼の一族に、自分達が加わることになろうとは。

だが、それも全て彼女の為だと思うと、返って嬉しく感じる。

桜舞う月夜の下、ほんの数刻だけの奇跡的な出会い。
その瞬間、全ては変わった。

(君が生きていた   

それが何より嬉しい。
だけど同時に、自分達を守ろうとして彼女の手を汚させてしまったことが辛い。


もう絶対にあんなことにはさせない。
君の敵は僕が殺す。
君を苦しめるものは全て排除する。


(僕は、君を守るために生まれ変わってきたんだ・・・)


前世で守ることができなかった、唯一人の少女の為に。



気付けば鏡の中の自分の姿が元に戻っていたが、そんなことはもうどうでもいい。


己の全てを賭しても成し遂げたいものを見つけた少年に、迷いなど欠片もなかった。





■■■■■





ダンッと鈍い音を立てて、新八の身体が床に叩きつけられた。
木刀を握っていた手にビリビリとした痺れを感じ、何が起きたのか解らない表情で対峙していた人物を見上げる。

しん、と静まり返った道場。
打ち合いの途中だった歳三と左之助、一と平助もいつしか動きを止めて二人を凝視していた。
彼らの手合わせを見ていた他の者達もまた、揃って呆気に取られているようだ。

全員の驚きの視線を一身に受けながら、総司はにっこりと猫のように笑った。

「新八さん、腕が落ちたんじゃない?」

「いや、お前が有り得ねえだろうが!」

思わず新八が叫ぶ。


無事に熱が下がり、数日振りに稽古に参加した総司。
病み上がりなのだから無理はするなと散々に言われたが、周囲の心配などどこ吹く風と早速新八を相手に試合を始めた。

そして総司が木刀を構えた刹那、彼を取り巻く空気がガラリと変わった。
数日前に出会った“風間”という男に匹敵するほどの凄まじい覇気が立ち昇り、真正面で対峙した新八の目には、小さな総司が自分よりずっと大きな存在のように映った。

“彼女”との出会いから、誰もが強い信念を抱いて剣を振るっていた。
一夜にして彼らの剣が変わったことは誰もが気付く程だ。

しかし総司の剣は彼らの比ではない。
次元が違うと言っていいだろう。

一瞬で雰囲気に呑まれた新八が総司に敵うはずもなく、鋭く突き出された一閃に剣を弾かれた上、風圧に耐え切れず倒れてしまった。


試合に勝った総司は立ち位置に戻って一礼するや、勇の傍に駆け寄った。

「勇兄さん、どうですか? 僕、新八さんをこてんぱんにしましたよ!」

「あ、ああ、凄いな総司、驚いたぞ」

勇の言葉に、総司は心から嬉しそうな無邪気な笑顔を浮かべる。
いつもと変わらないように見える素直な喜びの表情。

だが、総司がこれまでの彼とはまるで違うということを、その場の誰もが感じ取っていた。

今までのこまっしゃくれた生意気な子供の中に、確かな覚悟の意思が宿る。



大切な存在を守る為に、まずは一人目の武士が目を覚ました   



〈了〉

11.7.10up

真っ先に記憶を取り戻したのは沖田さんでした。
千鶴ちゃんと会って数日後というスピード覚醒です(笑)。
前世で最も未練を残して逝ったのが彼でしょうし・・・。
他の人達が沖田さんに続くことができるかどうかは不明です(え?)。



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