鬼姫は眠る 【約束】





「千鶴、準備できたか?」

「う、うん、これでいいのかな?」

初めて袖を通す筒袖の着心地に戸惑いを覚えつつ、千鶴は襖を開けた。
隣室で千鶴が着替え終わるのを待っていた薫やお千、君菊は一拍の沈黙ののち、口々に感想を述べる。

「まあ、いいんじゃないか」

「千鶴ちゃん可愛い! でもできれば女物を着せてあげたかったなあ」

「よくお似合いです、千鶴さん」

「あ、ありがとうございます」

薫に目を向けると、彼も千鶴と似た筒袖を纏っていた。
千鶴の紅い衣装と対になるような、青が基調の洋装だ。

「兄様も似合ってるよ。お揃いだね」

「ちょっと苦しいけど、悪くはないな」

お千は自分の見立てに満足したように頷き、最期の仕上げというように千鶴の首元に赤いリボンを結ぶ。

「くれぐれも無理はしないでね。まだ病み上がりなんだから」

「うん、わかってる。ありがとう、お千ちゃん」

「今頃、風間や天霧が蝦夷地に渡る船を手配してくれてるはずよ。急ぎましょう」

頷いて、千鶴は薫達と共に半年間静養した小さな家を出た。


白河城での一件の後、薫は陸奥の山奥にひっそりと建つ小さな空き家で千鶴の看病に専念した。
数ヶ月の間、魂と身体が離れていたせいで、千鶴は心身共に酷く衰弱しており、何日も昏睡状態が続いた。
さらに変若水による毒素が回復を妨げ、幾度も生死の境を彷徨ったのだ。

それでも、薫やお千達は諦めることなく看病を続け、ようやく回復の兆しが見えてきたのが秋の終わり頃だ。
魂が身体に定着したからか、それとも変若水の毒が薄まってきたのか、一旦快方に向かい始めれば鬼の回復力は目覚しい。

千鶴が危機を脱すると、薫はすぐに次の行動に移った。
それは、伊庭八郎の行方を捜すこと。
千鶴が目覚めれば、きっと彼に会いたがるだろうという確信があった。

薫の依頼をお千と君菊は快く引き受け、間もなく伊庭が遊撃隊と共に蝦夷地に渡ったことを調べ上げた。
各地で敗走を重ねた旧幕府軍は、続々と北に集まっているという。その中には遊撃隊や新選組も含まれる。

日本の最北端の地である蝦夷は、冬になると雪と氷に閉ざされる。
その間は新政府軍も容易に蝦夷地に渡ることはできず、戦は冬の間ほぼ休戦となった。
お陰で千鶴はゆっくりと療養でき、薫もお千や風間達の手を借りて蝦夷地へ渡る手筈を整えられた。

そして雪が融けて遅い春の足音が聞こえる頃、千鶴を伊庭に会わせるため、蝦夷へ向かう船があるという仙台に向かった。


「伊庭さん、無事だといいけど」

薫の隣に歩み寄ってきたお千が、心配そうな眼差しを前方に向けて言った。
視線の先には、港を行き交う船を一心に見つめている千鶴の小さな背中がある。

伊庭が蝦夷に渡ったことまではわかっても、その後の消息は調べようがなく、安否が掴めなくなって数ヶ月が経つ。
春になるや新政府軍は大軍を率いて蝦夷に進軍し、すでに旧幕府軍との激しい戦が始まっている。
伊庭もその戦に参戦しているとしたら、今も無事でいられる公算は低い。
彼が左腕を失って隻腕の身だからという理由もあるが、最たる理由はやはり・・・。

「早く行ってやらないと、あいつ千鶴が死んだと思って後を追いかねないしな」

一年前に横浜で会ったことを、彼は覚えているだろうか。
あの時の伊庭は重傷を負って、熱に浮かされたような状態だったから、薫と出会った事を夢か幻だと思っていたとしても不思議ではない。
そして蝦夷地で新選組と再会し、千鶴のことを彼らに訊いたとして、楽観できる状態だとは思わないはずだ。

「千鶴が無事だとわかれば、きっと伊庭は千鶴のために生きようとする」

「薫も、伊庭さんのことは認めているのね」

からかうような口調にむっと顔を顰めた薫だが、やがて視線を落として呟いた。

「あいつだけだから。千鶴が甘えられる他人は」

悔しいけれど認めざるを得ない事実。
薫や両親の記憶を失くした幼い千鶴の、唯一人の特別な人間が伊庭だ。

「千鶴は新選組の奴らには絶対に甘えない。けど、伊庭にだけは心を許してる」

同化したからこそ解る、千鶴の中の明白な感情の違いに薫は直に触れた。
だから横浜まで伊庭に会いに行こうと思えたし、彼に自分達の事情を話すことに躊躇いもなかった。
そして伊庭も千鶴を深く想っているのだと知って、何としても二人をもう一度会わせてやりたいと思ったのだ。


向こうから風間と天霧がこちらに歩いてくるのが見えた。どうやら時間のようだ。

「行くぞ、千鶴。お前の身は俺が守ってやる」

「うん!」

「二人共、気をつけてね」

お千の声を背後に聞きながら、薫と千鶴は蝦夷地に向かう船に乗り込んだ。





■■■■■





「八郎お兄さん、あの人たちは、なにをしているんでしょう?」

繋いだ手が引かれ、隣を歩く小さな女の子が立ち止まったことを察して、八郎も足を止めた。
彼女の視線の行く先を追うと、ある一軒の家の前に大勢の人々が集まっているのが見える。
一張羅に身を包んだ人が、いくつもの荷物を外に出そうとしているようだ。

「あれは花嫁さんの輿入れの支度ですよ」

「はなよめさん?」

もうすぐ日暮れだ。日が落ちれば、嫁入り道具を担いだ人々と花嫁が嫁ぎ先へ向かうのだろう。
そう説明すると、大きな目をきらきら輝かせ、無邪気な問いを投げかけられた。

「わたしも、いつかおよめさんになれますか?」

「もちろん、千鶴ちゃんは可愛いから、きっと引く手数多です」

断言しておいて、何故か不快なものが胸にずしりと圧し掛かった。
可愛くて優しい彼女が成長したら、男なら誰もが心引かれる魅力的な娘となる。そう思ったのは事実なのに。

「・・・なんか、いやだな」

「お兄さん?」

大人になった千鶴が多くの男達に求婚される様を思い浮かべると、胸がざわめく。
特に先日彼女に石を投げた子供が手の平を返して言い寄ってきたら、竹刀で叩きのめしてやりたくなるだろう。
そんな乱暴なことが嫌いだから剣術に身が入らないのに、何故想像しただけで竹刀を振り回したくなるのか。

「ね、千鶴ちゃん、お婿さんはどんな人がいいですか?」

「おむこさん・・・」

「お嫁さんになるには、お婿さんが必要でしょう?」

千鶴ははっと目を丸くした。考えたこともなかったらしい。
う〜ん、と考え込んだ後、千鶴が出した条件は一つだけ。

「やさしい人がいいです」

よし、石を投げた子供達は候補から消えた。十数年後の近所の男共はめでたく全滅だ。

「じゃあ、僕がお婿さんになってもいいですか?」

単純なようでいて、千鶴が求めたのはとても難しい、けれど自分にとっては都合のいい条件だった。
一年後だろうが十年後だろうが、彼女に優しくできる自信は有り余るほどある。

きょとんと見上げてくる千鶴ににっこり笑いかけ、さらに言葉を重ねる。

「僕と、ずっと一緒に仲良く暮らしましょう」

「八郎お兄さんと、ずっといっしょ?」

ゆっくりとその言葉を咀嚼し、うれしいです、と満面の笑顔が咲く。

「じゃあ約束です。大きくなったら家族になりましょうね」

「はい!」

小指を絡めながら交わした、優しい約束。
幼い頃の他愛ない誓いでも、心に偽りはなかった。

他人から理解されない寂しい子供同士。
だから、互いの存在が心を癒してくれる。

千鶴といると、呼吸が楽だった。
彼女は伊庭道場の跡取りという目で八郎を見ない。剣術に興味がない武士の子を出来損ないと蔑んだりもしない。
そして千鶴は、彼女の特異体質を知っても変わりない八郎を、心から信頼してくれている。

その信頼を、純粋な好意を裏切らないために、強くなりたいと思った。
彼女に釣り合う立派な大人の男になったら、その時こそこの約束をもう一度彼女と交わそう。

そうして八郎は、竹刀を握る覚悟を決めたのだ。





朝の気配に、伊庭八郎は目を覚ました。

(随分と懐かしい夢を見たな)

幼少の頃の甘い幸せに満ちた思い出は、心が弱っている今の伊庭には少し辛い。
見る夢が幸せであればある程、現実の残酷さに打ちのめされる。

長い冬が終わり、この蝦夷地にも春が巡ってきた。
同時にひと時の平穏も終わりを告げて、再び激しい戦が始まった。
これまで多くの仲間を失ってきたが、先日の戦ではついに親友である本山小太郎が戦死した。

昔の伊庭と同じくらい荒事とは無縁だった彼が、共に遊撃隊として戦に参戦したのは、武士としてこの地で散る覚悟を決めたからだと理解していても、かけがえのない友の死は伊庭に深い傷を与えた。
耐え難い哀しみに蓋をして毅然と振舞ってきたが、傷ついた心は無意識のうちに安らぎを求めていたのだろう。

(千鶴ちゃん・・・)

彼女のことを想う度、切なさに胸が締め付けられる。
どうしているだろう。無事でいるのだろうか。

昨年の夏、伊庭は横浜で療養している頃に不思議な夢を見た。
大切な少女によく似た面立ちの少年が訪ねて来る夢だ。
色んな話をした気がするけれど、熱に浮かされていたせいもあって、はっきりと思い出せないのがもどかしい。

あの夢が現実だったのかも知れないと思い始めたのは、彼女が江戸から姿を消したと知った時だった。
夢のことがどうしても気になった伊庭は、本山に千鶴の様子を確認してくれるよう頼んだのだが、いつ行っても雪村診療所には人がいなかったと報告され、疑問を抱いた。
そして、新選組と再会すれば彼女とも会えるのではないかと一縷の望みに懸けて、旧幕府軍が集結しているという蝦夷地に渡った。
会うことは叶わずとも、何らかの情報は得られるはずだと信じて。

けれど知り得たのは、ほんのわずかな希望だけ。
少なくとも死んではいない、としか言えないものだった。

(羅刹、か)

蝦夷で再会した新選組の面々の中で、千鶴と最後に言葉を交わしたのは相馬と野村の二人だという。
彼らの口から語られたのは、あまりにも信じ難い話で、二人の人柄を知らなければ怒りを覚えただろう。

信じたくはない。千鶴が、人間を化け物へと作り変える劇薬を飲まされたなどと。
それが彼女の父親である綱道の所業で、千鶴の目の前で綱道は粛清されたなんて。
この話が真実なら、千鶴は心身ともに深く傷ついているはずだ。
そんな時に、近くで彼女を守ってあげられなかった己が不甲斐ない。

彼女に会いたい。会って元気な姿を確かめたい。
けれど、もしも死んでいたら――。
そう考えると、怖くて堪らなかった。

親友の死に続いて、彼女までこの世にいないと知ってしまったら、自分は本当に生きる意味を失くしてしまう。

(しっかりしなければ。今は落ち込んでいる場合じゃない)

すっかり着慣れた筒袖に袖を通し、腰に刀を差す。
滅多に抜くことはなくなったが、やはり腰に刀がないと落ち着かない。

今の自分は遊撃隊の隊長だ。
一つの判断の迷いが、部下の命を危険に晒す結果を招く。

友の死への哀しみも、愛しい娘への執着も、一歩外に出た時点で胸の奥底に封じてしまわなければ。





■■■■■





断続的に鳴り響く銃声。大砲の弾が命中する度に、あちこちで砂煙が上がる。
未明から始まった戦は、夜が明けた後も一層の激しさを増すばかりだ。

旧幕府軍は善戦するものの、新政府軍との戦力差に徐々に圧され始めた。
総指揮を執る大鳥圭介は、函館まで下がって態勢を立て直すことを決断し、遊撃隊は殿として仲間の撤退を助けていた。

「よし、我々も一旦撤退しよう。動ける者は負傷者を連れて行け!」

「はい!」

伊庭の指示に部下達が慌しく駆け回る。

彼らを背後に伊庭は銃口を敵に据え、引き金を引く。
一人、また一人と敵が倒れるのを視界に捉えながら、淡々と銃を撃ち続けた。

しかし向こうも負けじとこちらに銃弾の雨を降らせてくる。
その一発が腕を掠め、一瞬体勢が崩れた。

刹那――。

「伊庭さん!」

すぐ近くで声が上がり、身体に衝撃を感じた。
同時に前方に突然影が落ちてきたかと思うと、キンッと金属がぶつかり合う鋭い音が耳に届く。

何が起きたのかわからぬまま、衝撃に二、三歩たじろいだ伊庭は、腕の中に飛び込んできた“何か”を茫然と凝視した。
高く結い上げた艶やかな髪が、紅い結い紐と共に目の前で風に揺れる。

伊庭の腕にすっぽりと納まる小さな体躯、一瞬聞こえた澄んだ声。
まさか――。

「千鶴・・・ちゃん・・・?」

「何してるんだ、さっさと後退しろ!」

太刀を鞘に収めながら、こちらに駆けて来る小柄な少年。
彼が現れた場所の近くには、真っ二つに割れた弾の破片が転がっている。

(銃弾を刀で斬ったのか?)

次々に飛び込んでくる信じられない光景に、思考が上手く働かない。
しかし鍛え上げられた反射神経のお陰か、伊庭は無意識のうちに千鶴の腕を引き、少年の後に続いて走り出した。


銃声も、敵の追ってくる音もしなくなると、前を走る少年がようやく足を止めた。
振り返った顔は、千鶴によく似ている。

「千鶴、大丈夫か?」

「うん、平気・・・」

荒い呼吸の合間に彼女が応える。
その手を握ったまま、伊庭は震える声で訊ねた。

「本当に、千鶴ちゃんなのですね?」

「はい、お久しぶりです、伊庭さん」

顔を上げた千鶴が、真っ直ぐに伊庭を見て微笑んだ。
一年前よりほんの少し大人びた、愛しい女
(ひと)の笑顔だ。
ためらいがちに伸ばした手で頬に触れると、ほんのりと朱に染まった。

(ああ・・・)

胸が詰まり、吐息が漏れる。
状況を受け入れれば、込み上げてくるのは歓喜。

「生きていてくれて・・・ありがとうございます・・・」

彼女がここに存在していることを確かめるように、細い身体を両腕できつく抱きしめる。
すると彼女の手が背に回され、そっと抱きしめ返してくれた。

――生きている。
耳元に微かに届く息遣いが、抱きしめた身体の温かさが、それを伝えてくる。

伊庭の頬を、一筋だけ涙が伝った。



「でも、どうしてここに?」

落ち着きを取り戻すと同時に疑問が浮かぶ。
再会できたのはとても嬉しいが、何故千鶴がこんな戦場にいるのだろう。

「伊庭さんにもう一度会いたくて、兄様や風間さん達に助けてもらって捜していたんです」

兄、という言葉に伊庭は少年を見た。彼は、確か・・・。

「南雲薫君、でしたか?」

一瞬驚いたように目を丸くした少年は、やがて表情を和らげて頷いた。

「江差から近い所にいてくれて良かったよ。さっきは肝が冷えたけどな」

江差には新政府軍の船が多数停泊している。
つまり千鶴達は、その船で蝦夷地に来たのだ。
そして松前や木古内で戦をしていた遊撃隊を――伊庭を探し当ててくれた。

先ほど薫が斬り落とした銃弾は、放っておけば間違いなく伊庭に命中していたものだ。
伊庭は、千鶴と薫に命を救われたのだと理解した。

「僕を捜してくれたんですか?」

「はい、ご無事で本当に良かった・・・」

「君は勇気がありますね」

戦場に乗り込んだことだけではない。伊庭が生きていると信じて捜してくれたことに、彼女の強さを感じた。

(僕は君の死を知るのが怖くて仕方なかったのに)

「私、色んなことを思い出しました。八郎お兄さんが、どれだけ私の支えになって下さったかも」

懐かしい呼びかけに、思わず口元が綻ぶ。
そう言えば一年前、薫が言っていた気がする。千鶴が“すべて思い出した”と。

「小さい頃、友達に嫌われていた私に優しくして下さったお兄さんが大好きでした。でも、いつからか会えなくなってしまって・・・」

当時のことを思い出したのか、千鶴の表情が暗く沈む。

「それが寂しくて、哀しくて、いつしか八郎お兄さんの記憶を閉じ込めてしまっていたんです」

だからなかなか思い出せなくてごめんなさい、と謝られ、伊庭は不思議に思った。

「文は、届かなかったのですか?」

「文?」

「季節の折々に送っていたんですよ。一度も返事は頂けませんでしたが」

文を送る度に返事を期待して、やがて落胆した昔を思い、伊庭は苦笑した。
忘れられないように努力していたつもりだったのに。

「綱道の奴・・・」

「・・・知りませんでした。ごめんなさい・・・」

苦々しく顔を歪める薫と、哀しげに目を伏せる千鶴の様子に、何となく事情を察した。
どうやら伊庭の文は千鶴に届く前に、握り潰されていたようだ。

「そんなに落ち込まないで下さい。京で再会して、時間は掛かったけれど僕のことを思い出してくれたじゃないですか」

忘れられていると知った時はさすがにがっくりきたが、その後も何度も彼女と会う機会があって、話ができて、再び親しくなれた。
子供のままではない、“現在”のお互いを知ることができて、とても嬉しかったのだ。

成長した千鶴は、子供の頃と変わらないところもあれば年相応に成長しているところもあって、その違いを見つける度に楽しくて、どんどん好きになっていった。
世情が不安定でなければ、大人の男女として向き合いたかった。
結局、江戸で最後に会った時その想いを口に出せなくて、伊庭は武士として戦う道に進んでしまったのだけれど。

だが、今なら口に出しても許されるだろうか。
彼女がすべて思い出して、その上で自分に会いに来てくれたと言うのなら。

「千鶴ちゃんは憶えていますか? その・・・」

「約束、しましたよね? いつか家族になろうって」

言い淀む言葉の先を千鶴が引き継いだ。真っ直ぐな眼差しが、どこか不安げに揺らぐ。

「私、伊庭さんと一緒にいたいです。伊庭さんがここで戦い抜くというのなら、傍にいさせて欲しいです」

千鶴の手が、恐る恐るというように伊庭の左腕を包み込む。そこはもう、手首から先がない。

「伊庭さんがあんな風に傷つかないように、私にできることがあれば何でもしたいんです・・・」

ああ、あの時彼女は、南雲薫と共に会いに来てくれたのだ。
情けない姿を見せてしまった気恥ずかしさと共に、彼女自身大変だったろうに自分を気に掛けてくれたのが嬉しい。

「傍に、いて下さい・・・」

言葉を搾り出しながら、伊庭は少し身を屈めて千鶴と視線を合わせた。

「貴方のことを相馬君達から聞いた時、貴方のもとに駆けつけたかった。貴方が辛い思いをしている時に、何もできなかった自分が悔しかった」

「伊庭さんとの思い出があったから、私は心を強く保ち続けることができたんです」

だから今度は私が何かしたい、と言い募る千鶴に、伊庭は「僕もですよ」と返した。

「これからは傍で貴方を守らせて下さい」

もう二度と、大切な人を喪いたくない。
その想いを込めて紡いだ願いに、千鶴はとびきりの笑顔で応えてくれた。

「はい・・・! 私も伊庭さんを支えたいです」

幼い頃と同じ、花が咲くような笑顔。



「で、これからどうするんだ?」

黙って成り行きを見守っていた薫が、話が纏まったところで訊ねてきた。
伊庭は少し考えた後、淡々と言った。

「五月になれば、新政府軍は五稜郭まで攻め入るでしょう。僕達は、負けます」

「伊庭さん・・・」

心配そうに見上げてくる千鶴に、優しく微笑み返す。

「最後まで、一緒に見届けてくれますか? 武士達の最期を」

「はい、もちろんです」

「この戦が終われば武士としての僕は死に、ただの男になります。その後は千鶴ちゃんと薫君と、どこまでも共に生きたい」

“生きたい”。
はっきりとした口調で紡がれた言葉に、千鶴も薫も心から安堵した。

戦場で伊庭を見つけた時、無表情に敵を撃つ姿に戦慄を覚えた。
仲間を逃がすために殿を務める彼には、生きようという意欲が見えなかったのだ。

けれど今は、共に歩む未来を再び望んでくれている。

「伊庭さんと薫兄様とずっと一緒にいられるなら、とても嬉しいです」

「お嫁さんだけじゃなく、弟もできるんですね」

「はあ? 俺は千鶴の兄だから義兄だろ」

聞き捨てならない言葉に薫が食って掛かると、伊庭は不思議そうに首を傾げた。

「でも千鶴ちゃんと同い年なんですよね?」

「そうだけど」

「なら僕より年下です。それに双子の場合、兄とか弟とかこだわる必要はありませんよ」

「・・・くっ」

にこにこと無邪気な笑顔で兄の矜持を打ち砕かれた。

確かに、双子の場合兄とか妹というのはあまり意味がないかも知れない。
両親だって兄なら妹を守れ、ではなく、男鬼は女鬼を守るもの、と薫に言い聞かせてきた。
ということは薫を“兄”と認めてくれているのは、もしかして千鶴だけなのか?

「良かったら僕のことは八郎お兄さんと呼んでくれても」

「呼ぶか!」

二人のやり取りに、耐え切れなくなった千鶴が笑い出すと、伊庭も楽しげに笑った。





明治二年、五月。
ついに旧幕府軍は新政府軍に投降し、鳥羽伏見に端を発した戦は幕を閉じる。

多くの旧幕兵が捕らわれ、あるいは戦死した中で、生死が不明となった者も数多くいる。
そんな中に、伊庭八郎の名もあった――。



〈了〉

17.7.10up

伊庭さんENDでした。
伊庭さんと薫君は割と仲良くやっていけるんじゃないかと思います。
二人とも千鶴ちゃん大好きをこじらせてますから(笑)。
小さい頃の千鶴ちゃんがいかに愛らしかったとか、今の千鶴ちゃんがどれだけ可愛いとか。
朝から晩まで二人で語り合ってもまだ足りなさそうで。
その傍で千鶴ちゃんは居た堪れない思いをしているわけですが・・・。



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