鬼姫は眠る 【同族】





「目が覚めたか」

「風間・・・さん?」

瞼を開くと、ぼんやりした視界に意外な顔が映った。
眠ったり起きたりを繰り返す中、目が覚めた時にそばにいるのはいつも薫だった。
なのに今は彼の姿はなく、どういうわけか千鶴を覗き込んでいるのは風間千景。

寝起きに見るには、些か心臓に悪い相手だ。
敵ではないことはわかっているが、これまでがこれまでだから真っ先に警戒心が湧く。

そんな千鶴の葛藤など知る由もなく、風間は静けさを湛えた紅玉の瞳でじっとこちらを見つめている。

「お前の中の穢れは少しずつ薄れている。鬼の血が紛い物の毒を浄化しているようだな。しばらくすれば完全に元通りになるだろう」

「本当ですか?」

普通の人間より遥かに強い生命力を持っているとは自覚していたが、体内の毒を自浄までするとは。
自分の身体ながら、内包する力には驚かされる。

「お前を嫁にするのを諦めなければならぬかと思ったが、これなら問題はなさそうだな」

「・・・・・・」

いきなり何を言ってるんだろう、この人は。

答えに詰まった千鶴は何とはなしに周囲に視線を巡らせ、ふと異変に気付く。
記憶にあるよりも、随分と部屋が広くなったように感じるのだ。
寝ている間に別の場所に引越したのだろうか。

どこからか吹き込む風に、不思議と懐かしさを憶えた。
その風に乗って、誰かが近づいてくる音が聞こえる。

「千鶴、起きてたのか」

「兄様」

薫の声に、強張っていた身体からほっと力が抜けた。
部屋に入ってきた薫は千鶴の顔を見て目元を和らげたが、風間に視線を移すや鋭く尖らせた。

「俺の妹におかしな真似をしてないだろうな」

「祝言を挙げるまで手出しなどするわけがなかろう」

「・・・・・・・・・・・・」

本当に、何を言っているのか、この人は。

「祝言だの嫁だのと・・・。あのな、千鶴を取り戻すために協力してくれたことは感謝するが、千鶴をお前にやるとは一言も言ってないぞ、俺は!」

「何を言う。純血の女鬼ならば俺の妻に相応しいではないか」

「その条件なら千姫もいるだろうが!」

「俺が目をつけたのは千鶴の方だ」

どこまでも傲慢な物言いに、流石の薫も二の句を継げなくなった。何なのこいつ。
沈黙する双子に代わって、呆れを含んだ声が風間に向かう。

「あんたの物言い、どうにかならないの? それじゃあ女の気持ちを動かすなんてできないわよ」

薫の後ろから心底呆れた表情のお千、不知火、天霧がぞろぞろと部屋の中に入ってきた。
大勢が集まれば少し窮屈になるものの、やはり部屋が広くなっている。

「風間ぁ、お前姫さん助けた直後は嫁に迎えるのは無理か、とか言ってなかったか?」

「あの頃は、今より紛い物の気配が色濃く残っていたからな。俺が何の責任も負わぬ一般の鬼ならば、それでも良いと我を通せただろうが、風間の頭領の身で愚を冒すわけにはいかぬ」

忌々しげに吐き捨てた風間の言葉に、思わず全員が目を丸くした。
風間の発言を素直に受け止めると、頭領でなければ羅刹であろうと迷わず千鶴を妻に迎えた、と聞こえる。

もしかして、こいつ結構本気なのか?

そんな意味を込めた視線が、風間と千鶴以外の間で通い合った。

「あの、風間さん?」

「何だ」

「鬼の里の方は大丈夫なんですか? 確か人間達に見つからないように姿を隠すとか仰ってましたよね?」

以前彼は、恩義のある薩摩藩の要請で倒幕までは手を貸したが、その後は一族で身を隠すと言っていた。
なのに何故まだ千鶴の傍にいるのだろうか。

その疑問に風間は、何をわかりきったことをと言いたげに、さらっと答えた。

「お前を里に連れ帰るために決まっている」

「え?」

「お前は鬼だ。鬼と共に生きるのが当然だろう」

たとえ千鶴が紛い物のままだったとしても、風間は鬼の里に彼女を連れ帰るつもりだった。
風間の里でなくとも、八瀬でも不知火のもとでもいい。
千鶴と薫は鬼の世界で生きていくべきだと確信して。

風間の言い分は理解できるが、千鶴はすぐに頷くことができなかった。
人の世界と隔絶された地で生きることを選ぶには、心残りが多過ぎるから。

そんな千鶴に、お千が優しく語り掛ける。

「千鶴ちゃんは、新選組の人達が気になってるのよね?」

「・・・うん」

何度も眠りと覚醒を繰り返す日々を送る中、彼らはずっと戦い続けていた。
最後に聞いた報せは、新選組が蝦夷地に発った、というものだ。
冬の間はほとんど休戦となっているが、春になれば再び戦が始まる。
最後の戦場は、蝦夷地。そこですべてが終わってしまう。
その結末を知らぬまま、人の世との関わりを断ちたくはなかった。

「結果などわかりきっている。奴らの負けだ」

にべもなく斬り捨てられ、千鶴はぎゅっと拳を握り締めた。
お千や薫の咎める視線が風間に突き刺さる。

「勝ち負けじゃないんです。新選組の皆さんは、自分の信じた道を歩み続けているのですから」

敗戦を重ね、手負いの獣のように傷だらけの身体を引きずりながら、尚も戦い続ける武士達。
愚かだと蔑まれようが、彼らは最後まで刀を振るい続けるだろう。【誠の旗】の下で。

彼らと深く関わった者として、新選組の辿った道と行き着いた先を、最後まで見届けたいと思う。

「勝てぬとわかっていても、信念を貫き通す、か」

呟いた風間の声に、侮蔑の色はなかった。
彼は千鶴を見つめているようで、どこか遠いところを見ているようだ。

「雪村の当主は生前、こう言っていたそうだ。雪村家は決して人の戦に関わらない。人と争う気もない。それを人間達に解ってもらえるよう、あらゆる手を尽くす。それでも人が鬼を脅威と見て攻め入るならば、最期まで抵抗せずに死を受け入れる、と」

近いうちに鬼達の力を借りたいと、薩摩藩から風間家に打診があったのは十年以上前の話だ。
西国諸藩を中心に倒幕の機運が高まり始める頃、彼らは鬼の力を引き込むことにした。
いずれは日本中の鬼の一族がそれに巻き込まれると予感し、風間や京の鬼達は雪村家に警告した。
人間達の動きに気をつけろ――と。

倒幕派か幕府側か。
どちらにしろ人間の勢力が東北最大の鬼の一族、雪村家の力を欲するのは時間の問題だった。

対する雪村家の返答が、それだった。
もしも雪村の里が人間に攻撃された場合、人と鬼が共存することは難しいということになる。
同じ悲劇を生まぬよう各自で自衛の道を探るように言い残し、雪村は宣言通り人間の軍に抵抗することなく滅ぼされた。

「愚かだと思うか?」

「いいえ、誇らしく思います。父様と母様は、同族を守ろうとしたんですよね」

人間がどこまでするか。抵抗しない相手でも容赦なく攻め滅ぼすのかどうか。
自らを犠牲にして日本中の鬼に知らしめた。

「雪村が滅んだことで、我々も思い知ったのだ。抵抗する意思がなくとも、人間は我らを見逃すつもりはないのだと」

人間からの協力要請を断った後、当主はせめて幼い兄妹は安全な場所で保護して欲しいと、各地の鬼の里に請願してきた。
だがその書状がこちらに届く頃には、人間の軍勢が雪村の里に攻め入っていた。
協力要請を断った時点で、雪村は脅威だと人間達に判断されたのだ。
そして鬼の言い分など一切耳を貸さず、人間達は武器を手に攻め込んだ。
この一件で、人間を侮っていたことを鬼達は痛感した。

「その後、雪村が身を以って示した教訓を無駄にしないために、我々は己が一族を守るために準備を進めてきた。しかし、一つの問題が生じた」

「問題、ですか?」

風間は真っ直ぐに千鶴を見た。その視線の強さに、彼が言おうとしていることが漠然とわかる気がした。

「“里を持たない鬼”達の存在だ」

鬼は同族同士で集まって作り上げた“里”の中で暮らしている者がほとんどだが、中には人里に降りて人間との間に子を作り、人間として育つ鬼もいる。
多くは人と変わらぬほど血が薄まっているので、人間として問題なく暮らせるだろう。

しかし唯一人、あまりにも鬼の血が濃い者が人間の中にいた。
それが、雪村千鶴だ。

彼女と初めて会った時の風間やお千の驚きは、筆舌に尽くし難いものだった。
何故、希少な“純血の女鬼”が人間に紛れてひょっこり現れたのか。

彼女の存在を知るや、あらゆる手を尽くして千鶴の情報を集めた。
出た結論は、死んだと思われていた、雪村家当主の幼い子供が生き残っていたのではないかというものだ。
その子供がどういう経緯か、性別を偽って新選組屯所で暮らしている。
同族として、放っておけない事態だ。

「お前を何としても新選組から救い出さねばならないと思った。雪村一族の生き残りと知ってからは尚のこと、お前を人間共のもとに置いておけぬと」

「心配してくれたんですか?」

風間は否定も肯定もしなかった。

人間に家族を殺され、自身も殺されかけた過去を持つ雪村の鬼。

以前、白河城で綱道が言ったことは、決して間違いではない。
純血の女鬼である千鶴が人間への復讐を望んだ時、どれほどの鬼達が呼応して人間に牙を剥くか。
そうなれば、風間や八瀬の力を以ってしても抑えきれるかわからない。それほど、雪村を滅ぼした人間への鬼の怒りは深い。
その怒りが燃え上がる切欠となり得る千鶴は、ある意味とても危険な存在でもあった。

しかし幸い、雪村一族の気質そのままに穏やかで辛抱強い気性の千鶴は、そういう意味で脅威ではなかった。
むしろ問題は、新選組と雪村綱道だ。
彼らが作り出す“羅刹”という鬼の紛い物を、放置しておくわけにはいかない。
そんな場所に千鶴を置いておくことは、さらにできない。
雪村家当主の最後の願いを叶えるためにも。

故に、風間達は何度も新選組を襲撃し、千鶴を連れ去ろうとしてきた。
そしてお千も、千鶴を新選組から引き離そうと働きかけたのだ。

彼らの強引ともいえる行動の数々を、千鶴はようやく本当に理解できた。
同時に、それほどまで気に掛けてもらったことを有り難いと思う。

「ありがとうございます、皆さん」

同族として、何度も手を差し伸べてくれた一人一人に、心からの感謝を告げる。
今の自分があるのは、彼らのお陰だ。
恩に報いるためにも、これから先、薫と共に鬼の世界で生きるのも良いとは思う。だが――。

「新選組の最期を見届ける覚悟はあるか」

「え?」

「奴らがどんな風に生きて、散ってゆくのか。その目で見届けたいと思うか?」

「いいんですか?」

期待に満ちた眼差しに、むっと眉が寄る。

新選組と関わるうち、風間の中で少なからず心境の変化があったのは事実だ。
手段は違えど、彼らの志がどこか雪村一族と重なるような気がしたのも。
しかしそれを認めるのは癪だった。

「いつまでも奴らに未練を持たれられては面白くないからな。鬼として生きるのなら、人の世での心残りはなくしておけ」

「そんな簡単になくなるものじゃありません。・・・でも、ありがとうございます」

千鶴は薫に視線を移した。

「兄様、一緒に来てくれる?」

「当然だろ。お前を風間なんかと二人にさせられるか」

「私も同行します。この面々では少々心配ですので」

「どういう意味だ天霧」

「俺も行くぜ。面白そうだしな」

「じゃあ私も行こうかしら」

「ではたくさんお弁当を作らなければなりませんね」

「・・・物見遊山に行くわけではないぞ」

我も我もと声が上がり、結局全員で行くことになった。

賑やかなやり取りを眺めていると、新選組の屯所にいた頃を思い出す。
面子は大きく変わってしまったが、彼らといると何だかほっとする。すでに自分の中で“鬼”を受け入れているということだろうか。

「春になると忙しくなるんだから、早く身体を治せよ」

「うん」

薫の言葉に頷き、千鶴は鬼達の団欒の中で微笑んだ。





■■■■■





「家が・・・」

久しぶりに外に出た千鶴は、たった今自分が出てきた家を見上げて絶句した。

家が、ある。
いや、それはわかっている。療養のため、東北の冬を過ごした場所なのだから。

当初の部屋に比べて広くなったとは感じていた。部屋数も増えたから、いつの間にか引っ越したのかなと思っていた。
掃除が行き届いているのか、綺麗な家だなあとか、木の香りが残っているなあとも思った。

それがまさか、新築の家だとは想像もしなかった。

何故新築とわかったかは簡単だ。この地には長いこと、建物はなかったはずだからだ。
あるのは十年以上放置された、家の燃え跡。雪村の里の、残骸だけだった。
かつて幼い薫と千鶴が暮らしていた家も、焼けて輪郭だけが残っていた。

それが、雪が融けて身体も回復したからと数ヶ月振りに外に出てみれば、何とまあ立派な屋敷が建っているではないか。

「天霧と不知火に造らせた」

「造らせたって・・・」

そんなあっさり言うことなのか。
隣に立つ風間を信じられないものを見るような目で見上げると、嘆きに満ちた声が響き渡った。

「聞いてくれよ姫さん、風間の野郎ひでえんだぜ!」

不知火が訴える話によれば、当初は千鶴の微かな記憶通り、小さな家を借りて薫が看病してくれていた。
兄妹二人なら特に問題のない広さだったが、風間達もお千も頻繁に出入りするため、特に体格の良い風間達は非常に窮屈な思いをしていた。
それに我慢がならなくなった風間は、天霧と不知火に家を建てるよう命令したのだ。
しかもうるさく注文つけまくってくれて、ついには詳細な見取り図まで用意して寸分違わずこの通り造れと無茶なことを言ってきたという。ついでに薫もそれに乗っかって色々と口を出したらしい。
そうして完成したのが、この“新・雪村邸”である。

「本っっっ当に苦労したんだぜ? 何で仮住まいの家なのにやたらとこだわるんだよお前ら!」

「ここは雪村家頭領の家だぞ。半端なもので許せるわけないだろ」

「僅かな間とはいえ、我が妻が療養する場所だ。それなりのものでなければなるまい」

「誰がお前の妻だ誰が!」

「えっと、その、お疲れ様でした、不知火さん、天霧さん」

「お気遣い、痛み入ります」

「姫さんの優しさの一欠片でも、あいつらにあればいいのによ・・・」

それでも、風間や薫の言う通りに立派な家を建ててみせたのだから、二人も人が好いというか何というか。


そして数日後、まだ雪が残る集落跡を背に、千鶴達は山を下り始めた。
前を行く風間に置いて行かれないよう最初は必死だったが、ふと違和感を感じた。

(歩調、合わせてくれてるのかな)

しばらく歩いたが、思ったより疲労を感じない。
確か離魂して薫と同化していた頃は、風間の歩調はもっと速かったはず。小柄な薫は小走りしていたくらいに。

けれど今は、風間との距離が離れることはない。
薫もずっと隣にいるし、お千や君菊はともかくとして、不知火や天霧も常に近くをゆったり歩いている。
同じ歩調で、千鶴の歩く速さに合わせてくれているのだ。

いつも遠ざかる背中ばかり見ていた千鶴には、すぐ前を歩いてくれる背中を見るのは不思議な感じがした。それが妙にくすぐったい。

不意に、風間がこちらを振り返った。

「用が済んだら里で婚礼の儀だ。心の準備をしておくがいい」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

思考停止――。

今この人、いったい何を・・・?
頭が真っ白になった千鶴に代わり、反応したのは当然薫だ。

「告白もお付き合いもすっ飛ばして結婚だと!? 兄として許せるわけないだろうが!!」

「邪魔立てするつもりか? 貴様、千鶴の恋を応援するなどとほざいていなかったか?」

「千鶴の恋を応援するとは言ったが、お前を応援するとは言ってない!!」

「兄馬鹿ここに極まれりだな」

ぎゃあぎゃあと言い争う二人にお千まで参戦し、当人を置き去りに千鶴の嫁入り話が何故か進んでいく。

このままでは駄目だと、千鶴は心底危機感を抱いた。
反撃しなければ、なし崩し的に風間の嫁にされてしまう。

「か、風間さん!」

「何だ」

「私達、結婚はまだ早いと思います!」

「すでに適齢期は越えている」

――確かに。
一瞬納得しそうになって、慌てて心を奮い立たせる。問題はそこではないのだ。

「お互いのこと、まだ何も知らないじゃないですか」

「必要なことはすべて知っているはずだが?」

「そうではなくて、お互いの考え方とか、この先仲良くやっていけるかとか・・・」

自分で言ってて、何だか恥ずかしくなってくる。これではお付き合いを始める前提のようだ。
周囲もそう思ったのだろう、妙に生暖かい視線が千鶴に注がれていた。

風間はしばらく沈黙した後、「ではどうしたい」と問うた。
あの風間が、他人に意見を求めた?と不知火や天霧の間で激震が走ったが、千鶴や薫はその異常さに気付いていないようだ。
むしろそう問われても答えを用意してなかったのか、千鶴は困ったように薫を見た。

「えっと、お互いを知るためには、まず何をしたらいいのかな」

「そりゃ決まってるだろ。まずは清く正しいお付き合いの基本、交換日記からだ」

交換日記・・・?
ぽかんと口を開けたまま固まる不知火や天霧の様子には気づかず、お千が「それいいわね!」と声を上げた。
では日記帳を作りましょう、と君菊もにこやかに続く。


そして――。


蝦夷地に向かう道中、蝦夷地での戦の行方、戦後の混乱。そのすべてを見続ける間。
鬼達の間では毎日交換日記が取り交わされていたのだった。

「つーか、風間と雪村の姫さんが親しくなるためにやるってことだったよな? 何で全員で交換日記してんの?」

不知火の心からの疑問は、蝦夷地の風に吹かれて消えた。



〈了〉

17.9.20up

風間さんENDでした。
何故鬼全員で交換日記することになったのか、私にもわかりません。
風間さんは薫が勝てない数少ない相手なので、
伊庭さんや相馬君が相手の時のように優しくはありません。
全力で邪魔しに掛かります。鬼モードで斬り合いなんて日常です(え?)
でも生まれてくる甥っこ姪っこ達には良い伯父さんしてます(笑)。



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