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嚶鳴(おうめい)
朝の気配に、龍之介は目を覚ました。
布団の上で身を起こして身体を伸ばしながら、大きな口を開けて欠伸をする彼の口から零れるのは静かな吐息だけ。
寝ている間に緩んではいないだろうか、と触れる首元には幾重にも包帯が巻かれていた。
白い布の下にある傷は、彼から“声”を奪った。
傷自体は塞がりつつあるが、刀による痛々しい傷跡は一生残るだろう。
布団を畳んで身支度を整え、家の外の井戸で顔を洗うと幾分さっぱりする。
朝の陽射しが心地よい高い空を見上げると、今日も良い天気になりそうだと笑みを浮かべた。
声を出せないことには未だ慣れないが、滅多に人の来ないひっそりとしたこの地では声は特に必要なものではない。
偶に訪ねてくれる友人も、話さずともこちらの意思を汲んでくれる聡い男なので非常に助かる。
(こんな身体になっても、何とかなるもんだな)
さて、今日は何をしようかと思案する龍之介の表情は、過酷な環境に置かれながらも生き生きと輝いていた。
町外れの寂れたあばら家での気ままな一人暮らしとはいえ、やることは探せばいくらでもあった。
掃除や洗濯、料理、そして小さいが畑もある。
それは友人である山崎烝や、短い間だが仲間と呼んだ藤堂平助や原田左之助、永倉新八が龍之介のために土を耕し、種を蒔いてくれたものを彼が育てているのだ。
収穫できる数は多くないし、百姓のように上手く育てられることも稀だが、彼にとっては充分なご馳走だ。
自分が丹精込めて育てたという達成感も味わえる。
陽光を浴びて日に日に大きく育つ作物を見るのは、彼の毎日の楽しみとなっていた。
「精が出るな」
不意に耳に届いたのは、聞き慣れた声だ。
雑草を毟る手を止めて振り向けば、山崎烝が相変わらずの無表情で立っていた。
新選組監察方として多忙な彼だが、時間を見つけてはこうして様子を見に訪ねて来て、龍之介に物資や金を運んでくれる。
友人という存在がこれほどまでに心身の支えとなってくれることを、龍之介は彼と出会って初めて知った。
“よう、山崎”
声は出せずとも、軽く挙げた手と浮かべた笑みで歓迎の意思を伝える。
すると、彼もまた微笑を返してくれるのだ。
■■■■■
井吹の家を後にした山崎は、屯所への帰り道を急いでいた。
久しぶりの非番の日の友との語らいは楽しく、うっかり時間を忘れてしまったようだ。
言葉を交わすことは叶わなくなったが、考えていることが顔に出やすい彼との会話に然程の苦労は感じない。
故についつい箍が緩んで日頃溜め込んでしまっている鬱憤をつらつらと吐き出してしまったが、井吹は同意したり笑ったりと山崎の愚痴に付き合ってくれた。
そして気がつけば、空は夕暮れ時を迎えようとしていた。
非番とはいえ屯所の中では様々な雑用があるのだから、いつまでも話し込んではいられない。
逸る思いのまま、山崎は京の町を駆け抜けて行く。
ふと、前方に見えた人物に山崎の足が止まった。
そんな彼の様子に気付くことなく曲がり角を折れて歩み去るのは、何かの稽古帰りらしき一人の娘だ。
井吹が“小鈴”と呼んで、何かと気に掛けていた舞妓の少女。
直接彼女と山崎が接触したことはないが、彼女が何度か井吹と親しげに歓談しているところを眼にしたことはある。
その舞妓は、今も島原や町中で新選組の姿を見ると苦しげに眉を寄せ、何かに耐えるように俯くのだ。
島原の常連で、浪士組の頃からの顔見知りである永倉や原田、藤堂を見る時は尚更辛そうなのだという。
それも仕方がない。
新選組を見れば、儚く散った彼女の淡い恋を思い出してしまうのだから。
彼女と井吹が互いに惹かれ合い、ほのかな恋心を育てていたのは山崎も知っている。
井吹は死んだと、いつからか姿を見せなくなった彼を気にして安否を尋ねてきた彼女に原田がそう告げた時、化粧が滅茶苦茶になるのも構わず泣き崩れたと聞いた。
“女があんな風に泣くのは、二度と見たくねえな”
人情家の原田は苦しげにそう呟きを落とし、端正な表情を歪めていた。
井吹は生きていると、告げることができたならどんなに良いだろうか。
しかしそれを知っても二人に未来はない。
今はただ、彼女が早く井吹のことを忘れて立ち直る日が来ることを祈るばかりだ。
急いていた足取りが若干重くなりながらも、日が落ちる前に屯所に帰り着く。
そんな彼に逸早く気付き、駆け寄ってくる人物があった。
「お帰りなさいませ、山崎さん」
「ああ」
答える山崎の声も表情も、意図せず柔らかくなる。
山崎はその人物の後方の井戸に眼をやり、水を張った盥に並ぶ野菜に気付くと考えるより先に口が動いた。
「俺も手伝おう」
「え? いえ、私一人で平気ですよ。山崎さんはお帰りになったばかりなのですから、お休みになって下さい」
「いや、構わない。手伝わせてくれ」
別に仕事をしていたわけではないのだから。
そう続けると、若衆姿のその子供は迷う素振りを見せたが、それ以上反論することなく「ではお願いします」と素直に山崎の好意を受け入れる。
感謝の意を込めてあどけなく微笑むその子供が、実は少女であると知る者は少ない。
小鈴と立場は違えど、気の毒な娘というなら彼女もそうだろう。
見てはならぬものを見てしまった為に、新選組屯所に監禁されることになった少女の名は雪村千鶴。
まだ子供と言って良いほどいたいけな娘だが、その性質は幹部達も驚くほど気丈だ。
あまりにも不安定な己の立場を嘆くよりも、自分の出来ることを見つけて力を尽くそうとする彼女を好ましく思っているのは山崎だけではない。
命令を受ければ彼女を殺すことになるかも知れないが、できることなら傷つけたくない。
二人並んで野菜を洗いながら、楽しげに自分と言葉を交わす彼女の無邪気な様子を見ていると、自然と山崎の口元も笑みを象った。
■■■■■
静養を続けていた龍之介が、新選組と交流のある医者、松本良順の弟子となって一月が経つ頃。
庭で洗濯した包帯を干していた彼はこちらに向かって歩いてくる人物に気付いて一瞬手を止めるが、それが山崎であることを視認すると作業を再開する。
「頑張っているようだな、井吹。松本先生は居られるか?」
頷くことで問いに答えると、山崎は礼を述べて診療所の中に入っていった。
その後姿を見送った後、龍之介は洗濯物を干す速度を上げる。
そして、最後の一枚を干し終わると息をつく暇も惜しいとばかりに診療所の中に駆け込んだ。
診療所の一室では、山崎が真剣な面持ちで文机に向かっていた。
龍之介が部屋に入ると、気配に気付いた山崎の切れ長の瞳が向けられる。
“俺も手伝う”
身振り手振りでそう伝えると、友人はすぐにこちらの意図を汲んでくれる。
「済まない、助かる」
そう言って再び自分の手元を見やる山崎の前には、書きかけの書類がある。
傍には松本の字による新選組隊士達の診療記録の束があり、彼はそれを書き写しているのだ。
龍之介に引き合わせるより早く松本は新選組隊士達の健康診断を行っていたらしく、その時の記録を山崎が隊士達の健康を管理するために帳面に纏めようとしていた。
それを知ってから、山崎が診療所に来るたび龍之介は彼の手助けをしている。
山崎の力になりたいというのもあるが、僅かなりともかつての仲間達に関われることが嬉しかった。
同時に、思ったより新選組隊士の健康状態が良くないらしいことが心配になる。
“皆、元気か?”
口の動きを読んで龍之介の言葉を解した山崎は思わず苦笑する。
「ああ」と答えたいところだが、大量の診察記録を見られては誤魔化すこともできないようだ。
「あ、だが、幹部の皆さんは元気だぞ」
慌てて言い繕うが、そいつらのことなど心配していない。
特に永倉や原田や斎藤辺りは健康を心配すること自体無駄ではないか。
“お前は大丈夫なのかよ”
龍之介の表情から言いたいことが解ったのか、山崎は苦笑ではない笑みを浮かべる。
「ああ、もしもの時は松本先生がいて下さるし、屯所の中にも俺以外に隊士達の身体を気遣ってくれる人がいるからな」
いったい誰を思い浮かべたのだろう。
そんな疑問が込み上げるほど、不思議な表情だった。
屯所にいた頃にも、町外れのあばら屋で時折愚痴を漏らしていた頃にも、診療所で共に作業する時にも見せたことのない表情。
土方や近藤に対する尊敬や、幹部達に対する憧れや、島田への信頼とも違う感情。
彼がこんな感情を向けるような相手が屯所に居ただろうか、と己の記憶を辿ってみる。
浮かぶ様々な顔の中に、ふと脳裏を掠めゆく一人の少女の記憶に触れた。
考えないようにしていても、心の奥に住み着いて消えない存在だ。
(あいつ、元気かな・・・)
「どうした、井吹」
山崎の怪訝そうな問いにハッと我に返った龍之介は、“何でもない”と首を振り、赤らんだ頬をそのままに筆を取るのだった。
■■■■■
時の流れと共に時代は大きく動き、無敵を誇った新選組も、鳥羽伏見の戦でついに新政府軍の前に敗北してしまう。
大坂から江戸に向かう船の中、山崎は絶え間ない苦痛に苦しんでいた。
彼の腹を大きく裂いた傷口からは、未だに血が流れ続けて白い包帯を赤黒く染め上げる。
松本が懸命に手当てし、千鶴が何度も包帯を換えてくれてはいるが、すでに手の尽くしようがないのは誰の眼にも明らかだ。
医術に明るい二人がそれに気付かないはずはないだろうに、それでも二人は山崎を見捨てようとはしない。
普通の娘なら最悪気絶しかねないほど目を背けたくなるような傷だろうに、彼女は気丈にその傷と向き合ってくれた。
大きな瞳に溢れる涙も、山崎の前では決して流すこともなかった。
だが、その涙は自分が死ねば白い頬を止め処なく濡らすのだろうと容易に想像できる。
彼女を泣かせたくなどないが、彼女が自分の死を哀しんで泣いてくれるのを嬉しいとも思う。
(済まない、雪村君)
近いうち、彼女を哀しませてしまうことを心の中で詫びる。
彼女はきっと、これからも多くの死と向き合わなければならないだろう。
労咳に冒された沖田の余命は幾許もなく、羅刹となった土方や山南、藤堂には未来が見えない。
(だが、それでも・・・)
どうか、幸せになって欲しいと、心からそう願う。
己の元にひたひたと近づいてくる死の気配を感じるも、山崎は恐怖など感じなかった。
刀傷による激痛と高熱に身体は悲鳴を上げているが、彼の心は不思議と凪いでいた。
これ以上新選組の役に立てないのは悔しいが、自分は精一杯生きたと胸を張れるから。
武士になりたいという夢を追い続け、敬愛する主と信頼できる仲間達に恵まれた。
最後にほのかに甘い想いを抱くこともできた。
後一つ、心残りと言えば ・・・。
「誰か、話したい相手はいるかね?」
様子を診に来てくれた松本が言った言葉に、自分の時間が消えようとしているのを悟る。
苦痛に歪む表情にぎこちなく笑みを浮かべ、山崎は彼に礼を告げた。
これまで世話になったこと、決して見捨てず手を尽くしてくれたこと。
もう恩を返すことはできないが、せめてもの感謝の言葉を「ありがとうございました」の言葉に乗せる。
そして、生の最後に会いたい人を思う。
新選組隊士としての自分は土方や仲間達に託した。
医者としての自分は彼女に託した。
ならば残るのは “山崎烝”としての自分を託せる相手。
それは彼にとっても唯一の友と言える、彼以外にいない。
苦しい息遣いの中、山崎は苦痛を堪えてその名を告げた。
井吹を と。
〈了〉
12.9.30up
土方ルートの井吹君と山崎さんの友情話でした。
タイトルの“嚶鳴”とは友人を求める声、 友人同士が仲よく語り合うこと、という意味です。
実はこの後『鬼と菩薩と犬』に続き、千鶴ちゃんのお手伝いをするわんこ井吹君が
千鶴ちゃんが大事にしている“山崎さんの帳面”と再会する、というおまけもつくのですが、
あちらの話は完全にギャグの世界なので、後書きでこっそり語るだけです(笑)
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