桜月夜 〜覚醒〜“斎藤一”


(※この話には残酷な描写があります。苦手な方はご注意下さい。)




しんしんと降り積もる雪が斗南の地を白銀に染める。
身を切るような冷たさに晒されながらも、俺の目は穢れない白さをただ見つめていた。

『考え事ですか?』

穏やかな声が話しかけてくる。
振り向く視線の先にはにこやかに佇む女がいた。

斗南に暮らすようになった俺のもとに、妻としてやってきた女。
穏やかながらも芯の通ったその性質は、愛しい面影を思わせた。

『あなたは時々遠くを見つめられますね。そんな時には話しかけることを躊躇ってしまいます。ほら、子供達も不安そうにしていますよ』

『それは、すまない・・・』

くすりと笑いを零しながら、彼女が俺の手元を見る。

『雪うさぎ、ですね。あなたは雪が降る度に作っていらっしゃいます。余程お好きなのですね』

『ああ・・・』

俺の手のひらの上に納まる小さな雪のうさぎ。
俺に残された、“彼女”とのほんの小さな思い出の形だ。


激動の時代の中、会津と命運を共にする覚悟を決めた自分の決断に後悔はない。
斗南へと移住してから辛く厳しい毎日を送ることになったが、俺は家族を得ることができた。生涯付き合える親しき人達を得ることができた。
失ってしまった大切なもの達の代わりとはなり得なくとも、これから培ってゆける未来がある。

だが、時々考えてしまうのだ。
もしもあの時彼女の手を離さなかったら、俺達に未来はあっただろうか、と。

戦の混乱の中、見失ってしまった大切な少女。
どんなに危険でも、俺の傍から離さずに守っていたならば彼女を失わずに済んだかも知れない。
罪悪感ともどかしさに、仲間達が深く傷つくことはなかったかも知れない。

江戸に落ち延びてから何度も足を運んだ彼女の実家は、いつも冷たい沈黙を保って俺達を拒絶していた。
その度に思い知る。
俺達は守るべき存在を見捨てたのだと   

失って初めて自覚した想い。
二度と彼女と会えないと解った時、俺の中の何かが死んだ気がした。

彼女の無事さえ知ることができれば、隣に立つのが自分でなくとも彼女が笑っていられるならばと諦めもつけられよう。
しかし、戦場に置き去りにされた女がたった一人で生き延びられる可能性は限りなく低い。
捜しに行くことも出来ず、ただ彼女の無事を祈るしか出来ない永い年月だった。


斗南の厳しい冬を幾度も乗り越えた頃、再びかつての江戸に足を踏み入れた俺が真っ先に向かったのは、雪村診療所があったはずの地だ。
だがその場所には、あの頃何度も訪れた無人の診療所の名残すらなかった。

鳥羽伏見の戦で、彼女との繋がりはすでに途絶えてしまっていたのだと、絶望とともに思い知らされた。





■■■■■





豆腐の味噌汁に冷奴、高野豆腐の煮物、豆腐ハンバーグ、そして中央に湯気を立てる鍋の中は寒い日にぴったりの湯豆腐。


夕方から日が暮れるまで仲間達と稽古に励んだ後、夕飯を食べるため食堂に入った一は食卓に所狭しと並べられた豆腐料理に目を輝かせた。

まさに楽園だ。この世の春だ。・・・真冬だが。
素晴らしい料理の数々に見入っていると、両側から歳三と総司が一の肩を叩いて彼を現実に引き戻す。

「誕生日おめでとうさん」

「おめでとう、一君」

二人の祝福の言葉を皮切りに、仲間達が次々と一に“おめでとう”と声を掛けてきた。

一年に一度の誕生日。
その日は一族の食卓を預かる源三郎の母が、誕生日を迎えた者の好物を作ってくれる。
故に、今日の一の誕生日は豆腐尽くしである。

「見事に豆腐だらけだなあ」

感心したように左之助が感想を漏らせば、新八がちらりと歳三を見る。

「歳兄の沢庵尽くしよりかはいいんじゃねえの」

「自分の誕生日には酒を要求しておばさんを困らせてる奴が何言ってやがる」

軽口を叩き合いながらそれぞれ席に着き、全員が手を合わせて「いただきます」と声を揃える。
思い思いに箸を動かす少年達だが、そこに昨年まであった顔ぶれがいないことに一は一抹の寂しさを憶えた。

昨年高校を卒業した勇と敬助は現在大学生となり、二人は家を出て寮暮らしをしている。
勇は大学を卒業した後警察学校へ進むため法律や心理学等を学び、敬助は医療に携わる仕事に就くため医科大学へ通っている。
日々勉学に勤しむ彼らが家に帰って来られるのは長期の休みの時だけで、次に彼らが家に帰るのはもうじき訪れる春休みだ。
勇は今年小学校を卒業する総司の学生服姿を見ることを何より楽しみにしているらしい。


「そういえば一の誕生日の日ってさあ、毎年必ず雪なんだってな」

「ああ、一が生まれた日も寒い雪の日だったな」

「そういやあそうだな」

新八、歳三、左之助が窓の向こうの雪景色を見ながらそんな会話を交わす。
すでに夜の闇に閉ざされた外の様子も、雪の白さは窓越しにも解る。街中とは違い、山間のこの家は雪が積もりやすく、真冬の現在は雪がない日の方が珍しいくらいだ。

そんな雪深い真冬に生まれたからか、一は雪が好きだった。
身を切るような冷たさも嫌いではない。むしろ気が引き締まる。


「あーあ、一君の誕生日がもうちょっと遅かったら良かったのにな」

不意に隣に座る平助が不満そうに呟いた。

「どうした、平助」

「もうすぐ総司が小学校卒業だろ。来年は一君も卒業するし、その後小学生は俺だけになるじゃん」

「そうだな」

「・・・新兄ちゃんや左之兄ちゃんに絶対馬鹿にされる・・・」

そんなことはない、と断言できないのが哀しいところだ。
今はまだ歳三に「お前らも中坊だろうが」と窘められているが、四月には彼らも高校生。まだ小学生の平助は間違いなくからかいの対象となることだろう。
平助の言うようにあと数ヶ月遅く生まれていたら彼と同じ学年だったかも知れないが、残念ながら一は平助より一学年上であり、彼よりも一年早く卒業を迎える。

平助に掛ける言葉もなく、一は無言のまま味噌汁を一口啜った。


“〜〜♪”

突然電子音が鳴り響いた。
音の発生源は歳三の携帯電話だ。
ちなみに携帯電話は高校に上がってから持つことが許されるため、この場にいるメンバーで携帯電話を持っているのは歳三だけである。

「お、敬助さんからだ。一に祝いの言葉でも掛けてえのかもな」

言いながら携帯電話を開いて通話ボタンを押す。
電話の向こうの敬助と少し言葉を交わした後、歳三が訝しげな表情でこちらに声を掛ける。

「おい、テレビを点けろ。今ニュースやってる局だ」

歳三の言葉に左之助がリモコンを操作してテレビの電源を入れた。
映し出されたニュース映像は、殺人事件の現場らしい人気のなさそうな暗い道だ。
アナウンサーの落ち着いた声が事件の詳細を読み上げる。
それは、昨夜から行方不明になっていた若い男性の遺体が発見されたというものだ。不思議なことに遺体からは大量の血が失せているにも関わらず、現場に血痕が少ないという。別の場所で殺されて発見現場に遺棄されたのではないか、というのが警察の見方というものだった。

「羅刹の仕業かも知れないってことか?」

歳三の言葉に総司と左之助の雰囲気ががらりと変わる。
肌が粟立つような感覚に、一は思わず顔を顰めた。こういう時の彼らは一が踏み込めない空気を纏っている。それが苦手だった。歳三も総司も左之助も大切な仲間なのに、彼らとの間に一線を引かれたようで寂しく思う。

敬助と何度か言葉を交わし、歳三は携帯電話を閉じた。

「総司、左之助、行くぞ」

「あれ、羅刹の仕業だっていうんですか? ニュースを聞く限りじゃ特に珍しくもない死体遺棄事件だと思えるんですけど」

「被害者は敬助さんと同じ大学に通っている奴の友人らしい。事件の時、二人は携帯電話で会話してたんだと」

始めは普通の若者同士の会話だった。だが、突然被害者となった男がおかしなことを口にし始める。

“何だ、あいつ。真っ白な髪? あ、振り向いた。な、何だよ、目が赤く光ってないか?”

電話の向こうの声が怯えを孕み、直後に狂ったような奇声と凄まじい悲鳴が聞こえたという。
電話の相手はすぐに異常を察して警察に通報したが、友人は無残な姿となって見つかった。


「そりゃあ、そいつもショックだったろうな」

左之助が同情を滲ませた呟きを落とす。

精神的に大きな打撃を受けた医学生は、警察の事情聴取を受けた後憔悴しきった様子で寮に戻ってきたところを敬助が捕まえて事情を聞きだしたらしい、と歳三が説明すると総司は「目に浮かぶようだよ」と笑った。

「敬助さんは外面良いから、あの穏やかな口調で根掘り葉掘り問いただしたんだろうね」

「とにかく行くぞ。羅刹はまた人間を襲うはずだ。その前に俺達の手で殺す」

歳三が何気ない口調で言い放った“殺す”という言葉に一はもちろんのこと、新八や平助の表情も強張った。だが総司と左之助は歳三の言葉を当然のように受け止め、頷きを返す。
そして歳三は申し訳なさそうに一を見やる。

「悪いな、お前の誕生日だってのにとんでもねえことになっちまって。悪いがお前らは留守番していてくれ」

そう言い置くと、三人は慌しく準備を整えた。
玄関へと走る彼らの手には、しっかりと小太刀が握られている。

数年前から総司が小太刀を隠し持つようになった後、左之助も、歳三もそれに倣い始めた。
「本当は太刀の方がいいんだがな」と零していたのを一は聞いてしまったことがある。
しっかりと刃を研ぎ、十分に凶器となりえる白刃を当たり前のように手にしだしたのは、彼らが“変わった”頃と同じ時期だ。

そして彼ら三人が毎日のように夜出掛けていることも知っている。
何をしているのかを問うても、「巡察だよ」と意味不明な答えを返された。
歳三や左之助は夜が明ける前に新聞配達のバイトをしているというのに、毎晩出掛けて大丈夫なのかと言っても、「心配すんな」と頭を撫でられるだけだ。

仲間なのに。大事な家族なのに。何故彼らは何も話してくれないのだろう。
取り残される寂しさが込み上げ、一は暗い表情で俯く。

すると、落ち込む一の肩を誰かの手が叩いた。
顔を上げると新八が一と平助を見下ろしていた。

「後をつけようぜ」

「「は?」」

「毎回俺ら置いてけぼりじゃねえか。そんなんお前らも納得できねえだろ?」

素直に頷く二人に、新八はニヤリと笑みを浮かべる。

「なら行くぞ。上着着て来い」

一と平助は当惑したように互いに視線を交わしたが、結局二人も歳三達と共に行きたかったのは同じなので、新八と共に三人の後を追いかけたのだった。



自転車で山を下り、街に出た歳三達は地下鉄に向かっていた。
一定の距離を空けてついていく一達も、駅に入ると適当な切符を買って改札を通る。

だが歳三や左之助とは違って毎月の小遣いの残高しか持ち合わせのない三人は切符代に不安が残った。特に新八などは小遣いが入った時点で遣いきってしまうため、小学生の一にお金を借りるという情けない状況となってしまった。
「もうすぐ高校生のくせに」という平助の侮蔑に満ちた呟きに新八が立ち直れないほどのダメージを受けたのは言うまでもなく、この一件のおかげで高校生になった新八が小学生の平助をからかおうとした時に反撃できる強力なカードを得られたのだった。



「で? てめえらは何してやがる」

地の底から這い上がるかのような低い声が重く響く。
絶対零度の氷の眼差しに見据えられ、新八や平助は顔を上げることもできずに蒼白な顔を俯かせた。
怒り心頭の歳三の後ろでは、総司と左之助が楽しげににやにやと笑っている。

駅を出た後、歳三達を尾行していた三人はやがて彼らに存在を気付かれてしまった。
曲がり角で待ち伏せをされていたらしく、あっさり捕獲されて歳三の怒りに晒されることとなって現在に至る。

「申し訳ありません。言いつけを破ってしまいました」

そう言って深く頭を下げる一に、歳三は深いため息をついた。

「どうせ新八がお前と平助を巻き込んだんだろ」

その通りではあるが、その新八の言葉に乗ってしまったのも事実だ。
一は否定も肯定もせずに頭を下げ続けた。

「ったく、ここで追い返すのも却って危ねえし、お前らもつれて行くが   いいか、平助は俺の、一は総司の、新八は左之助の傍を離れるんじゃねえぞ。羅刹に遭遇しても自分でどうにかしようとするんじゃねえ。俺と左之助と総司に任せろ」

「ちぇ、何で俺らは駄目なんだよ」

「そうだよ、俺らだって弱くないし!」

同い年の左之助に頼るような立場に不満を漏らす新八に、平助も同意を示す。
一もまた、総司に劣ると思われていることが、事実であっても悔しかった。
そんな三人を見る歳三の目は強く揺るぎない。

「お前らには覚悟がねえからだよ。まだ早え」

厳しい口調で言い放たれた言葉に唇を噛み締める。
歳三の言葉が真実であるが故に尚のこと胸が痛い。
彼の言う“覚悟”が“殺す”ことであるのは理解できる。
“羅刹を殺す”という言葉に動揺している今の一や新八、平助では戦力にならないのだ。

“殺す覚悟”を、誰よりも早く決めたのは総司だろう。
数年前の春の夜の出会いを境に、真っ先に“変化”を見せたのが彼だった。
その半年後に左之助が、さらに半年後に歳三が“変わった”。
三人の“変化”を感じながらも、一には彼らを理解することもできず、引かれた一線を越える術も持ち得ないままだ。

皆で共に“彼女”と出会い、“彼女”を守るために強くなりたいと誓ったのに、何故こうも差が開いてしまったのだろうか   



全員で固まって歩いていても埒が明かないと、集合場所を決めた後六人は二人一組となってバラバラの道を歩き始めた。
一は歳三の言いつけ通り総司に同行する。

「ねえ一君、何で弱いのについて来ちゃったの?」

鼠を甚振る猫のようににんまりと笑いながら、総司が問いかけてくる。
総司の言葉を不快に感じながらも、一は無言を貫く。下手に反論するとさらに刺々しい言葉が返ってくるだけだ。

「今の君達って何の戦力にもならないんだから、家で大人しくしてれば良かったのに」

数年前から総司との力の差が大きく開いたまま、未だにその差を埋められないどころかどんどん彼の背が遠ざかっているのは不本意ながらも実感している。

たった一歳しか違わず、“あの日”まで二人の間に力の差はほとんどなかったはずだった。
互いにライバルとして認め合い、共に強くなれるのだと思っていたのに、ある日突然総司は一など到底及ばない遥か高見に居たのだ。
悔しさ以上に、取り残されたようで寂しかった。

「あんたは・・・」

抑揚のない声が端的な言葉を紡ぐ。言葉とともに吐き出された白い息が大気に溶けた。
一の言葉を待つように総司がこちらに視線を寄越したのを感じたが、続く言葉を声に出すことができない。
しばらく逡巡した後、一は諦めたように息を吐いて総司を見た。

「今、どこに向かっている?」

「ん? 殺人現場の近くまで行ってみようかなと思ってるけど?」

「そうか」

「羅刹がまだこの街の中に居ればいいんだけどね」

その後は二人とも黙したまま、歩くたびに踏みしめる雪の音だけが耳に届いた。



現場となった場所は、車や人通りの少ない道だった。
すでに報道陣の姿もなく、野次馬の類もいない。警察もすでに撤収したようだ。

「暗いし静かだし、人もいない。羅刹が好きそうな場所だね」

飄々とした口調でそう言いながら、総司はふと足を止めた。
どうした、と問いかけようとして、一は背後に感じる不気味な気配に気付く。

「まさか殺人現場に戻ってくるなんてね」

振り向きざまに小太刀を抜き放ち、すぐ近くまで迫り来ていた男を躊躇うことなく斬り付ける。
刃を受けた腕から血飛沫が上がり、足元の雪を赤く染めた。
かなりの深手かと思われたが、流れる血はすぐに止まる。

羅刹は傷を負ってもすぐに癒える。
総司や左之助、歳三が以前そう言っていたことを思い出す。

自分が流した血を見ながら恍惚とした笑みを浮かべる男の髪は雪のように白く、総司と一に向けられた眼は赤い光を放つ。
   羅刹。
数年前の恐怖が甦り、思わず後ずさる。

「一君は下がっててね」

一とは対照的に、総司は何の恐怖も感じていない様子だ。

「血を・・・お前の血を寄越せ・・・」

「悪いけど、君には死んでもらうよ!」

男が手にした包丁らしき刃物で総司を斬り付けるより早く、総司の小太刀が男の身体を傷つける。
そして凄まじい速さで繰り出された三段の突きの一つが、男の心臓を貫いた。

何が起きたのか理解する間もなかったのだろう。
驚愕に瞳を開いたまま、男の身体が崩れ落ちる。

「こいつが犯人だったのかな?」

何の迷いもなく命を奪った男の傍にしゃがみ込み、総司は男の身体を調べ始めた。
その様子を、一は言葉もなくただ茫然と見つめる。

ざく、と背後に雪を踏みしめる音が聞こえた。
何だろう、と振り向いた一は赤い瞳に見下ろされていた。

「!?」

刹那、強い力で腕を引かれ、体勢を整える間もなく地面に倒れこむ。
後方から金属の打ち合う音が数回響き、やがてくぐもった悲鳴が上がった。
慌てて立ち上がって状況を確認しようとした一の目に、羅刹の心臓を貫く小太刀を握り締めた白い髪の少年の姿が映った。

「やれやれ、羅刹が複数いるなんて聞いてないんだけどな」

白髪の少年から聞き覚えのある声が発せられた。
振り向いた少年の瞳は金色の光を帯び、額には二つの突起が現れている。
羅刹ではない。
“彼女”と同じ、“鬼”だ。

「総司、なのか・・・?」

「他の誰に見えるの?」

猫を思わせる笑みも、声も、間違いなく総司だ。
しかし何故、と疑問を口にしようとした一は、総司の背後から近づいてくるいくつもの赤い光を眼にして愕然となった。
総司も後ろからの気配に気付いて振り返り、困ったように肩を竦める。

「何、この人数。どうなってるの?」

五、六人はいるだろうか。二人の少年を取り囲む羅刹達。
その手には包丁やナイフ、アイスピックなどが握られている。
総司は一を背後に庇うように立ち、小太刀を構えた。

一が隠れられるような場所もなく、総司は思うように動けないのだろう。
自分の存在が彼の足を引っ張っているのかと思うと、酷く辛い。
一は近くに倒れている男が握っていたナイフを手に取り、総司に声を掛ける。

「自分の身は自分で守る。あんたは羅刹を倒してくれ」

「弱い君が自分の身すら守れるはずないでしょ」

あっさりと言われた言葉に、一の中で怒りにも似た感情が迸った。

「俺はあんたの足手まといになる気はない! 俺とて“新選組”の・・・っ!?」

無意識のまま自分の口から飛び出し掛けた言葉に、一は驚きに息を呑んだ。
同じように驚きを浮かべた総司だが、すぐにそれは笑みに変わる。

「じゃあ僕の背中は君に預けるよ、一君」

総司と背中合わせに羅刹と対峙した瞬間、一は自分が何をすべきかを悟る。
眼に掛かる髪が白く変わっていたことにも気付かぬまま、一は目の前に立つ敵を金色の瞳で見据えた。



雪の上に倒れて動かなくなった八人の羅刹。
人目に触れることがないよう物陰に死体を移動させた後、一人一人を調べていた総司と一は彼らが身につけていた共通のものを見つけた。

「同じ製薬会社の社員だな」

「この会社って、この道の先にあるみたいだね」

すでに元の色を取り戻した二人の双眸が、暗い道の向こうに視線をやる。
暗闇と静寂に閉ざされたその先は、言い知れない不気味さに覆われているようだ。

「とにかく、副長の判断を仰がねば」

「一君、土方さんは今副長じゃないよ。今まで通り歳兄さんって呼んだ方がいいんじゃないかな?」

「む・・・」

言葉に詰まる一に笑いを零し、総司は立ち上がって小太刀を一に手渡す。

「僕が皆を呼んで来るから、もしまた羅刹が襲ってきたらこれで戦いなよ」

「有り難く借りておく」

総司は一応ナイフを一振り腰のベルトに挟み、来た道を走り抜けていった。

一人残された一は、しんしんと雪が舞い落ちる夜空を仰ぎ見る。
何とも不思議な気分だ。
つい数十分前まで感じていた焦りや寂しさが、今はまったく感じられない。
総司と背中合わせに戦う中で、綴じられていた扉が開くかのようにすべてを理解した。

夜空を舞う雪ですら、今までとは違った感情を呼び起こす。
足元の雪を手の平に掬うと、小さな塊を作る。
飾る葉も南天の実もないが、一の目には雪のうさぎの姿がはっきりと思い浮かぶ。
愛しい少女とのほんの小さな、けれどあたたかく幸せな思い出の形。

(あの頃、俺は“新選組三番組組長、斎藤一”だった)

何かある度に、“斎藤さん”と呼びかけてきた少女。
彼女に頼られるのが、面映くも嬉しかった。

(その頃にはすでに特別だったのだ)

なのに、失ってしまうまでその気持ちに気付かぬとは何と情けないことか。
だが、と一の瞳に強い光が灯る。

(俺は今も“斎藤一”だ)


もう一度巡りあうことができた奇跡を、決して無駄にはしない。





■■■■■





その日の道場は冷たい殺気に満ち溢れていた。


「い、いったい、何事ですか?」

道場に入ってきた山崎烝が異変に気付き、戸惑いを浮かべて近くに立つ新八に問いかけた。
尋ねられた新八はぎくしゃくと持ち上げた手で道場の中心を指差す。

そこは地獄への入り口が黒い口をぱっくりと開いているが如く、不穏な空気を撒き散らしているのが遠目にもはっきり見えた。
瘴気の発生源は、一だ。
対峙するのは総司。
今、この道場でこの二人以外に動く者はない。

「総司、俺が言いたいことが解るか」

氷河が地表を覆い尽くすかのように、冷えた声が流れる。

「えー? 何だろうなあ」

対するは気まぐれな風のように軽やかな声。

「確かに記憶を取り戻すのが遅かった俺にも非はある。だが、その力を使ってまだ目覚めぬ者を叩きのめすことは卑怯ではないか!」

一にしては珍しい、怒気を孕んだ鋭い声が叩きつけられた。
新八や平助などはびくっと身を竦ませるが、総司はまったく動じていないようだ。

「えー? だって弱い君達と自分との力量の差を知っておきたかったし、そもそも僕手を抜くなんてできないし〜」

目にも止まらぬ速さで繰り出された木刀の一閃が総司を襲うも、瞬時に見切ってそれを避ける。
続けざまに次々と木刀の突きが総司に放たれるが、素晴らしい身のこなしでそれを避け、あるいは手にした木刀で受け止める。

「ねえ一君、本気で僕を殺しにきてる?」

「当たり前だ! 長年お前に味合わされた屈辱、今こそ晴らさせてもらう!」

目の前で繰り広げられるのは、壮絶な打ち合いだ。
作法も何もあったものではない、喧嘩としか表現のしようがない出鱈目かつ並々ならぬ迫力を秘めた試合。
誰も口を挟むことができず、眼で追うのがやっとの光速の打ち合いを呆気に取られて見守るしかない。下手に手を出せばこちらが大怪我しかねない。

「おーおー元気だな、二人とも」

歳三がいない今、この場でただ一人冷静なのは左之助だ。

「な、なあ左之兄ちゃん、二人を止めなくていいのか?」

「ああ? あれはじゃれ合ってるだけだ、ほっとけ」

平助にそう返し、左之助は壁に背を預けて二人の打ち合いを眺める。

(懐かしい光景だな)

かつて試衛館で初めてあの二人が打ち合った時も、こんな感じだったと遠い過去に思いを馳せる。

(そういやあ、あの時はどうやって止めたんだったかな?)

記憶を探って考え込んだ時、道場に落雷のような声が轟き渡った。



何してやがるてめえら!!!



歳三の指示で左之助、新八、山崎が総司を、歳三、平助、島田が一を取り押さえ、道場を恐怖の渦に包み込んだ試合は何とか無事に幕を閉じる。

あまりに懐かしいその状況に、不意に笑い出した総司と左之助の声が明るく響き渡った。
歳三は呆れたように溜息をつきながらも、こっそりと口の端を持ち上げ、一もまた過去を思って目を綴じる。

再び瞼を開けて仲間達と視線を交わすその瞳に迷いはなく、誇り高き武士の姿だけがあった   



〈了〉

11.11.10up

四番目は斎藤さんです。土方さんから三年近く経とうとしています。
その間に相当沖田さんには苛められた模様(苦笑)。



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