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桜月夜 〜誓い 七〜
ゴロゴロと地鳴りのように空を覆う音に、千鶴は身を竦ませた。
「今でも雷の音は苦手ですか?」
心なしか青ざめた表情で窓の外を窺う千鶴に、網道が優しく問いかける。
昔、雷に怯えていた小さな少女の姿が千鶴と重なった。
あの頃と同じように周りに心配を掛けないよう恐怖を押さえ込んでいるようだが、根が素直な娘は隠し事が本当に下手だ。
今もあっさり見破られ、彼女は恥ずかしそうに眼を伏せた。
「大きな音は少し怖くて・・・それに・・・」
空を見ていた千鶴の視線が下に降りる。
時間が経つにつれ勢いを増した雨が叩きつける地上では、何人もの羅刹が倒れている。
先程まで彼らを叩き伏せて薬を飲ませていた風間と天霧の姿も、いつの間にか見えなくなっていた。
「彼らならば心配ありません。ここにいる羅刹達はまだ狂ってはいませんし、人並以上の力を持っていても風間様達をどうにかできるほどのものでもない」
「そう・・・ですよね」
網道の言葉に幾分ほっとしたのか、千鶴の硬い表情が少しだけ和らいだ。
まだぎこちなくではあるが、父娘として暮らしていた時に戻ったかのような穏やかな空気が漂う。
不意に、コンコン、と軽いノックの音がして研究室の扉が開いた。
「ここに居られましたか」
現れたのは敬助だ。
彼は網道に何かを言いかけたが、彼の傍に立つ千鶴に気付くと驚きを浮かべて足を止めた。
それは千鶴も同様で、彼を見つめたまま凍りついたように立ち尽くす。
「山南、さん・・・?」
「貴方は・・・」
互いに驚愕の眼を向けながら静止する二人の間に、張り詰めた沈黙が落ちた。
その時、突然雷鳴のような音を立て、敬助が入って来たのとは別の扉が開け放たれた。
「新見さん?」
扉の前に鬼気迫る表情で立っていたのは、新見だ。
彼は自分に注がれる視線など気にも留めず、ずかずかと部屋の中に入り込むや陳列する器具や棚の中を漁り始める。
「雪村さん、変若水はどこです!」
「何故、そのようなことを?」
「貴方ならもう完成させているのでしょう!? 私によこしなさい!」
「新見さん、何を言っているんですか?」
網道の質問に答えず、新見は乱暴にそこらのものを引っ繰り返していく。
敬助が彼を捕らえようとするが、散乱する器具や新見がばら撒いていく物などに阻まれて思うように近づけないようだ。
その間に新見は薬品を保管している冷蔵庫の中を荒らし、ふと眼を輝かせた。
「これで私は・・・っ」
彼が手にするものの正体に逸早く気付いた網道は、サッと顔色を変えた。
「やめなさい!」
新見に駆け寄り、彼の手からそれを奪おうとするも、網道の手が届く前に新見は手にしたものを一気に飲み干した。
ほぼ同時に再び音を立てて扉が開き、数人の男達が部屋の中に雪崩れ込む。
「新見!!」
(え・・・?)
彼らの姿を眼にした瞬間、千鶴は周囲の時が止まったように感じた。
一切の音が消え、全てのものが忘我へと追いやられ、彼らと千鶴だけが存在する世界に立つ。
そして懐かしい六対の瞳が千鶴を捉え、歓喜の色に満ちた。
“やっと会えた”
そんな声が聞こえた気がした。
だが、空気を揺るがして響き渡った哄笑によって千鶴達は現実の世界へと引き戻される。
「ふ、ふふ、ひゃーっはははははっ!!」
狂ったような笑い声を上げているのは、黒かった髪を真っ白に染めた新見だ。
「馬鹿なことを! あれは完成品ではなく、改良前の変若水なのに!」
新見から距離を取って千鶴を守るように立つ網道が発した言葉に、彼らは忌々しげに顔を歪めながら一斉に刀を抜いた。
「ということは、力を得るどころか完全に狂ったわけか」
「最後の最後にドジ踏んじゃったってことだね」
「くそ、こうなったら仕方ねえな!」
新見はおぞましい奇声を上げながら、手当たり次第に周囲のものを破壊する。
空を裂く白刃を素早い動きで避けながら、理性を失った禍々しい紅の瞳はこの場で最も弱い者 網道と千鶴に向けられた。
それを察した網道はすぐさま千鶴の腕を引き、部屋の奥にある扉を開けて彼女を押し込んだ。
そこは彼が研究所に泊まる時に仮眠室として使っている小部屋だ。
「隠れていなさい」
「父様!?」
咄嗟に昔のように呼びかけると、網道はあの頃と同じ表情で微笑みを返す。
そして扉を閉め、開けられないように手近にあった棚やダンボールでを扉を塞いだ。
「父様、開けて!」
扉の向こうから千鶴の声と扉を叩く音が聞こえる。
だが網道はその声に答えることなく、研究室の中で繰り広げられる戦闘と向き合った。
彼らの周囲は夥しい血に濡れていた。
先程、網道と千鶴が背を向けた瞬間、その背に飛び掛ろうとした彼の足を目掛けて総司の剣が鋭く凪いだのだ。
普通の人間ならば切断されていたであろう傷も、羅刹の驚異的な回復力によってすでに塞がれている。
窓から鋭い光が差し込み、稲光に照らされた羅刹は一層興奮したように奇声を発する。
意味を為さない言葉を叫ぶ姿は、もはや人間のものではなかった。
「網道さん、悪いがこいつを殺さずに捕らえるのは無理だぜ?」
「解っています。ここまで狂ってしまえば救う手立てはありません」
左之助に答えた網道の言葉に、彼らから炎のように殺気が立ち昇った。
もう容赦はしない、という意思はその刀に現れる。
平助の素早い剣先や新八の鋭い一閃に斬り裂かれても、新見は噴出す己の血に酔いしれ、狂喜の声を上げた。
しかし彼はその刹那、一の剣によって心臓を一突きにされていた。
何が起きたのか理解する間もなかっただろう。
新見は虚空を見つめたまま、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「結局あんたは変われなかったんだな、新見さん」
動かなくなった新見を見下ろし、歳三は哀れみを込めてそう呟いた。
「終わったようですね」
雷鳴だけが鳴り響く中、まず声を発したのは敬助だ。
倒れた新見の傍に立った敬助は、彼の身体を抱えながら網道に目を向ける。
「雪村さん、手を貸して頂けますか?」
「・・・わかりました」
迷うように奥の扉を見た網道だが、何事かを察したのか敬助に頷いてみせる。
「君達は自分達のすべきことをして下さい。君達の願いと、我々一族の悲願を果たさなければいけないでしょう?」
仲間達を見渡し、穏やかに微笑んだ敬助は網道と共に新見を連れて部屋を出て行った。
残された六人の視線が向かう先は、奥の部屋に続く扉だ。
逸る思いで部屋の前に立ち、新八と左之助が扉を塞ぐ棚を退ける。
そして歳三は取っ手に手を掛け、ゆっくりと扉を開いた。
■■■■■
雷の轟音は苦手だ。
激しい破壊音や、唸るような低い音が怖くて堪らない。
幼い頃、家族と暮らしていた幸せを奪った音や、大切な人達との絆を引き裂いた大砲の音を思い出してしまうから。
何度も鳴り響く雷鳴に足が竦み、千鶴はその場に膝を着いてしまった。
扉の向こうでは恐ろしいことが起きているかも知れないのに、何もできないことが歯痒い。
父は無事だろうか。
そして、大切な思い出の中にいる人達の面影を持つ彼らは大丈夫なのか。
彼らの姿がまるで“鬼”のように見えたのは、目の錯覚だろうか。
色々な疑問や不安が渦巻き、ズキズキと鈍く痛みだした頭を抱えて蹲る。
ふと、音を立てて外から扉が開いた。
ハッと顔を上げた千鶴は、目の前に立つ青年達の姿に息を呑む。
「千鶴」
あの頃と同じ声が、愛しげに名を呼んだ。
「やっと会えたね」
「ずっと探していた」
優しく千鶴を見つめる彼らの手が、そっと差し伸べられる。
「どうして・・・」
信じられない、とぎこちなく首を振る。
「どうして・・・っ」
同じ言葉を繰り返し、千鶴は哀しげに彼らを見つめた。
確かにそこに存在するのは、あの頃を思わせる青年達。
それは以前千鶴が命を助けた少年達が成長した姿であり、かつての武士達が生まれ変わった姿なのだろう。
そして、彼らはあの頃の記憶と共に在るのだと確信する。
“彼らはこの平和な時代で新たな人生を歩むんです。邪魔なんてできません”
仲間として共に羅刹と戦うか、と風間に問われた時、千鶴はそう答えた。
羅刹だの鬼だのとは関係のない、平穏な一生を過ごしてほしいと願っていたからだ。
なのに何故彼らは、あの頃と同じように刀を振るっているのだろう。
羅刹とは違う、自分とまったく同じ能力を持って 。
千鶴の苦悩を読み取ったかのように、歳三達は彼女を囲んで膝を着いた。
「解るか、千鶴。俺達には記憶がある。“前世”のな」
「それに俺達今生では鬼になったんだぜ? お前と同じだな」
優しい左之助の声も、平助の明るい口調も、懐かしさと共に胸を苦しくさせた。
彼らとはぐれてからの数年間、何度も夢に見た気配を身近に感じ、縋りつきたくなる衝動を懸命に押さえ込む。
すると、頭に柔らかな感触を感じた。。
正面に眼を向ければ、見惚れるほど整った顔がすぐ傍にあった。
歳三の手に頭を撫でられているのだと認識するより早く、その手は千鶴から離れる。
「お前に言わなければならないことがある」
真剣さを湛えた藤色の瞳に見据えられ、知らず知らず息を詰める。
緊張した面持ちで言葉を待っていると、歳三は居住まいを正して深く頭を下げた。
「済まなかった」
「ひ、土方さん?」
突然のことに動揺し、千鶴はおろおろと助けを求めるように周りを見やるが、歳三だけでなく総司や一、左之助も平助も新八も同じように頭を下げていた。
いったいどういうことなのだろう。
困惑する千鶴の疑問に答えるように、苦渋に満ちた声が続く。
「お前を戦場に置き去りにしちまった。どんなに詫びても、償えるものじゃねえ」
「お前を守ると、お前にも風間達にも、千姫にも言ったのにな。結局俺達はお前を守れなかった」
「それは皆さんのせいでは・・・」
自嘲気味に紡がれる左之助の言葉に千鶴は咄嗟に声を上げるが、平助がそれを否定する。
「状況なんて理由にはならねえよ。俺達がお前を見捨てたのは事実だ」
「風間がお前を救ったのも、結果論に過ぎぬ。お前はあの時、殺されていたかも知れないのだから」
あの日から千鶴との繋がりの一切を失ってしまった一は、当時の絶望感を思い出して眼を伏せた。
病で臥せってしまい、新選組のためにも千鶴のためにも何もできなかった総司も、悔しげに眉を寄せる。
「だから、今生では同じ過ちを二度と繰り返す気はないよ」
「ああ。俺達は今度こそ千鶴ちゃんを守り抜くって誓ったんだ。命の恩人でもあるしな」
前世の悔恨から過去の再会へと話が流れると、六人の表情が和らいだ。
対照的に、千鶴の表情は暗く沈む。
「私は、皆さんが今度こそ穏やかな一生を過ごせるようにと、ただそれだけを願って・・・っ」
そこに千鶴が含まれていないのは、言葉にしなくても解る。
相変わらず自分を過小評価し過ぎる彼女に苦笑が広がる。
「俺達はお前を守るために記憶を持ってここに居る。それを否定されちゃあ立つ瀬がねえな」
「君は僕達の存在する意味を否定するの?」
「え?」と眼を丸くする千鶴を諭すように、一が静かな口調で語る。
「お前はここにいる全員に武士の誓いを破らせた唯一の女だ。武士としての矜持を傷つけられた俺達が、誇りを取り戻したいと望むのは当然だろう」
「俺達のことを誰より知るお前には、もう解っているはずだぜ」
守れなかった誓いを。果たせなかった約束を。
後悔とともに胸に刻んだまま幕を閉じた遠い過去。
再び生を受けたこの世で巡り合えた奇跡は、彼らに与えられた一度だけの好機。
しかしそれを果たすには、誰よりも千鶴の協力こそが必要だ。
「なあ、本当の想いを言ってみてくれよ。千鶴ちゃんは本当にそれを望んでいるのか?」
自分達と関わらない道を本当に選びたいのか。
そう問われ、千鶴は何も言えなくなる。
肯定しなければと頭では解っていても、心がそれを否定する。
「俺は、千鶴と一緒にいたい。また前のように、いや、前の世でできなかったことを一緒にやりたいって思うよ」
彼女の迷いを見透かすように、平助のひたむきな言葉が千鶴を揺さぶる。
「私は・・・」
望んでもいいのだろうか。
差し出された手を取っても良いのだろうか。
追い掛けて、追い掛け続けて、ついに辿り着けなかった背中。
見失ってしまった大切な人達との思い出を抱いて立ち止まっていた月日の中、再び出会えた愛しい面影。
はぐれてしまった彼女の元に、今度は彼らの方が追い掛けて来てくれた。
そうして差し出された優しい手を拒めるほど、千鶴は強くはない。
皆と一緒にいたい。
二度と離れたくない。
それこそが、彼女の本当の願いなのだから。
「千鶴」
誰かが名を呼んだ。
じんわりと霞む視界に映し出されたその人は、万感の想いを込めて囁く。
「ずっと、傍にいて欲しい」
ぽろぽろと、白い頬に透明な雫が零れ落ちた。
「私は、皆さんと一緒に・・・いたいです・・・っ」
嗚咽とともに紡ぎだされた言葉は悲痛な想いを載せて彼らの耳に届く。
両手で顔を覆い、泣き崩れる華奢な身体を誰からともなく抱きしめた。
誰のかは解らない手に縋るように触れれば、強く握り返された。
それは以前とはやはり少し違うけれど、優しく温かいぬくもりで千鶴の手を包み込んでくれる。
「もう、二度と離さねえよ」
誠実さを込めた土方の声。
「ずっと一緒にいよう」
無邪気な沖田の声。
「俺達にもお前が必要だ」
静かな斎藤の声。
「だから一人で泣くなよ?」
優しい藤堂の声。
「辛い想いさせちまって悪かった」
掠れを帯びた原田の声。
「また千鶴ちゃんの飯を食わせてくれよ」
冗談めかした永倉の声。
懐かしく、あたたかな声に包まれ、心を満たす溢れるほどの幸福感に身を委ねる。
もう二度と戻ることはできないのだと諦めていた場所。
望むことすらも許されないのだと、封じ込めていた願い。
千姫や薫が傍にいても、胸の奥でぽっかりと開いた空虚感は一生埋められないのだと覚悟していた。
だがこの瞬間、千鶴はそんな哀しみや辛さが急速に癒えていくのを感じた。
感情のままに小さな子供のように声を上げて泣く千鶴を、彼らは強く抱きしめた。
やっと手元に戻ってきた愛しい花を、今度こそ幸せにしてみせるという決意を込めて 。
「で、千鶴」
「はい」
泣き声が止んだ頃を見計らって名を呼ぶと、泣き腫らした眼が上目遣いに自分達を見上げる。
泣き顔を見られたことを恥らう様子が何とも可愛らしい。
そんな彼女に、新八を除く五人は異口同音に問いかけた。
「「「「「誰の嫁にくる?」」」」」
「・・・・・・はい?」
それは、新たなる戦いの火蓋が切って落とされた瞬間だった。
■■■■■
新見の遺体は、別の研究室に運ばれた。
その部屋は羅刹化した人間を調べるための機材が揃い、ここで新見は暫くの間研究対象として検査されることになる。
研究者である新見が羅刹化した上に息絶えていることに研究員達も驚いていたが、すぐに意識を切り替えた彼らは新見の遺体を研究材料として扱っていた。
その様子を複雑そうに見つめていた網道に、敬助はおもむろに切り出す。
「網道さん、貴方の研究に関しては我々一族も手を貸しましょう」
「一族?」
「ご存知ありませんか? 東雲のことを」
「東雲・・・」
考え込んだ網道はやがて何かに思い当たったかのように、驚きの視線を敬助に向けた。
「東の鬼の一族・・・」
かつて雪村に次いで鬼の力が強かった一族の名が東雲であったことに気付くや、先程新見と戦っていた彼らが“鬼”の姿をしていたことにも合点がいく。
「貴方とは逆で、我々は今生では鬼なんですよ。変若水についても、幕末の頃から一族はその存在を把握していました。事情を話せば協力を得られると思いますよ」
穏やかな口調で語られる言葉に、網道は深い安堵を浮かべて頭を下げた。
「よろしく、お願いします」
日本の“鬼”達が力を貸してくれるのなら、これほど心強いことはない。
歳三達が来る前は、風間達も網道の話を聞いてくれた。
上手くいけば、彼らの助力も得られるかも知れない。
そうなれば、この国は羅刹の脅威から解放される。
千鶴が生きる国を少しでも安全なものにできれば、それだけで網道のやってきたことが意味のあるものとなるのだ。
敬助と網道が研究室に戻ると、千鶴や歳三達が荒らされた室内を掃除しているところだった。
「話は着きましたか?」
彼らの間に漂う親密な空気に問うまでもないかとも思ったが、仲間達の楽しげな様子が嬉しくてそう尋ねていた。
案の定、彼らの顔には満足げな笑みが広がる。
千鶴がどこか困惑している様子なのは少し気に掛かったが、何だかんだで幸せそうなのだから心配するほどのものでもないだろう。
そんな敬助に、今度は歳三の方から問いかけてきた。
「敬助さん、思い出したんだろ?」
「おや、解りましたか」
「そりゃ、あんな壮絶な場面に居合わせながら平然としてたからな」
凄絶な戦闘の果ての新見の最期を目撃しながら、彼は息絶えた彼に何の躊躇もなく触れていた。
その様子は医療現場に慣れているからというものではなく、戦場に慣れているから持ち得る冷静さだ。
「ええ、はっきりと思い出しましたよ。雪村君を眼にした瞬間から、色々なものが頭の中に浮かんできました」
そこに網道や新見といった、彼が変若水に関わることになった要因が揃っていたのだ。
直後に飛び込んできた歳三達のお陰で変化するほどの昂揚感は抑えられたものの、敬助は数刻前までの彼とは明らかに違っていた。
彼は“山南敬助”だ。
そんな確信が歳三達にはあった。
敬助は事情が飲み込めずにきょとんとしている千鶴の前に立つと、優しく微笑みかけた。
「雪村君、貴方が無事で本当に良かった」
「ありがとうございます、山南さん」
彼の言葉が現在も、過去も含まれていることに気付いているのかは解らないが、千鶴は素直に彼の言葉を受け止めて礼を返す。
自分にはない真っ直ぐさは、時を経ても変わっていないようだと嬉しくなった。
掃除を終えて建物の外に出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
いつの間にか雨も上がり、幾分涼しい風が頬を撫でる。
研究施設の敷地の外に停めていた車の元に行くと、そこにはいつからか姿が見えなかった風間達が待っていた。
近づいてくる歳三達に気付くと、すぐさま薫が千鶴の傍に駆け寄ってくる。
愛する妹の表情から憂いが消えていることに、薫は悔しげに歳三達を睨んだ。
「会えたようだな」
どこか愉快そうにそう言ったのは風間だ。
彼は敵ではない。むしろ千鶴をずっと守ってきた男だ。
頭ではそれを理解していても、歳三達は反射的に千鶴を背後に庇って風間に敵意を向けてしまう。
それを風間や不知火が面白がるのが余計に苛立たしい。
「あの〜、いったい何があったんでしょうか・・・?」
風間達と歳三達の間にどこか不穏な空気が漂い始めた時、キャンピングカーの中からおずおずと顔を出す一人の青年がいた。
「くりすさん?」
所在なさげに周囲を見渡していたクリストフは、千鶴を見つけるとパアッと顔を輝かせる。
満面の笑顔で千鶴に駆け寄ろうとした彼だが、不意に差し出された総司の足に引っ掛かり、派手な音を立てて転んだ。
「結局この人、何か役に立ったっけ?」
「さあな」
倒れて動かなくなったクリストフの頭上から、総司と一の会話が降り落ちてくる。
それが、この日最後の彼の記憶だった。
気絶したクリストフをさっさと棺桶に放り込み、歳三達はそれぞれ車に乗った。
「さて、帰るか」
晴れやかにそう言うと、車を発進させる。
永年待ち続けた“雪村の双子鬼”を連れ帰ったと知ったら、一族は大騒ぎだろうな、と近い未来の騒動を思って心躍らせながら 。
〈了〉
12.7.30up
再会しました♪ ついでに山南さん覚醒ですっ。
これで『誓い』終了です。ここまで来るの長かったな〜。
何だかクリスさんの扱い酷い気がしますがスルーして下さい(え?)
ところで、うっかり書き忘れていましたが、鬼の皆さんは洋服姿です。
千鶴ちゃんは小花模様の淡い色の膝下までの丈の半袖ワンピースの上に
薄手のカーディガンを羽織っています。髪は一つにまとめて横に流しています。
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