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桜月夜 〜後編〜
いったいいつ現れたのか。
女性の後ろに見知らぬ男が立っていた。
淡い金髪に紅い目を持つ、端正な顔立ちの男。
紅い目に先程までの狂気を思い身を強張らせるが、男の瞳には狂気ではなく知性がある。
「風間さん」
警戒心もなく、千鶴と呼ばれた女鬼が彼を振り返る。
どうやら彼女の知り合いのようだ。
しかし何故だろう。
酷く、気に食わない。
「紛い物を片付けたようだな」
よくやった、と怜悧な瞳に賞賛が浮かぶ。
「私だって、お役に立ちたいと言ったでしょう?」
「俺は、見つけたら俺を呼べと言ったはずだがな。強情なところは相変わらずか」
仕方のない奴だと小さく笑いを零し、風間と呼ばれた男の瞳が少年達を捉えてスゥッと冷徹さを帯びる。
狂気の男よりも遥かに鋭い殺気が立ちこめ、その場の空気が一瞬で張り詰めた。
視線だけで射殺せそうな程に強い眼差しに見据えられ、心胆から戦慄する。
白い髪の化け物とは次元が違う圧迫感。この男の手に掛かれば、自分達などいつ死んだか解らないほどあっさり屠れるだろう。
「目撃者か。騒がれては面倒だ。始末するか?」
「馬鹿なこと仰らないで下さい!」
今にも腰に差した刀を抜きかねない様子に、千鶴と呼ばれた女鬼が声を荒げる。
彼女は両手を広げて歳三達を庇うように風間の前に立ち、彼から発せられる覇気に臆すことなく睨み付けた。
身を抉るような鋭利な眼差しが、彼女の存在によって歳三達への重圧を和らげてくれる。
成長途中の歳三と比べて僅かに背が低く、華奢な背中であるのに何故かとても頼もしく感じられた。
暫しの睨み合いの末、視線を逸らして殺気を霧散させたのは風間の方だった。
「冗談だ。そう怒るな」
幾分和らいだ紅の瞳が改めて歳三達を見渡し、一瞬の瞠目の後皮肉げに口角を上げる。
面白いものを見た、という愉悦と共に、僅かな失望が覗く。
「ふん、かつては勇ましかった武士達がこのザマか」
嘲りを含んだ声音に歳三の胸に不快感が込み上げる。
自分達では到底敵うはずはないと解っていても、今すぐに千鶴を背に庇ってこの男を追い払いたい。
実際は千鶴の背に守られていればこそ、無事な命だという事実が辛かった。
それは皆同じ思いなのか、新八や左之助から悔しげな声が漏れる。
総司や一は能面のような無表情ながら瞳だけは爛々と燃え、平助は小さな身体を震わせながらも決して風間から目を逸らさない。
きつく睨みつけてくる少年達に、風間は馬鹿にしたような笑いを返す。
「あの頃は犬といえど番犬並ではあったが、今の貴様らは生まれたての仔犬に等しい」
懸命に威嚇しようとしているようだが、その迫力は“あの頃”と比べるべくもなく粗末なものだ。
彼らは“記憶”を持たない子供であることは解っているが、そんな彼らが本物の武士であった時代を知るが故に今の彼らの姿が厭わしい。
だが、と風間は目を眇める。
(あの頃と同じ姿に追いつけるか)
彼らの中に流れる“血”に微かな希望が芽生える。
間違いなく、彼らには“力”が秘められている。そしてそれを伸ばすことができるかも知れない。
非力な癖に気丈に自分を睨みつける、その心のままであるのならば。
風間は興味は失せたと少年達から視線を外し、千鶴に向き直る。
「この紛い物は俺が処分しておく。お前もいつまでも仔犬と戯れないで早く戻ることだ」
言い残すと、化け物の死体とともに闇に溶け込むかように風間の姿が消えた。
訪れた沈黙には、先ほどまでの張り詰めた緊張感がなかった。
そこにあるのは、どこか懐かしくもある穏やかな空気。
風に煽られた白く長い髪が、月が雲間に隠れるように闇色へと色を変えた。額の二つの突起も消え、金色に光る瞳は桜を混ぜ込んだような優しい茶色へと変化する。
そこにいるのは女鬼ではなく、優しげな一人の女性だ。
年の頃は二十代前半辺りだろうか。十代にも見える幼げな顔立ちだが、纏う雰囲気は落ち着いた大人の女性のもの。
鬼の姿は神々しくて美しいが、歳三には今の姿の方が愛しく感じられた。
佳い女になったな。
心の奥で感慨深げな声がする。
「怖い思いをさせてしまいましたね」
申し訳なさそうに千鶴が言った。
「千鶴・・・」
「えっ?」
呟くように名を呼べば、千鶴は驚きを浮かべて歳三を凝視した。
「さっきの男が、そう呼んでいた」
「あ、はい。私は雪村千鶴といいます」
落胆と安堵がない交ぜになったような表情で千鶴が頷く。
雪村千鶴
それが彼女の名前。
愛しくて、懐かしくて、切なくて、哀しい。
様々な感情が呼び起こされる。
「ごめんなさい、皆さん。私がもっと早く羅刹を見つけていれば、皆さんが危ない目に遭うこともなかったのに・・・」
羅刹 。
聞き慣れない言葉のはずなのに、胸がざわめく。
その言葉があの狂人を指していることは、すぐに解った。
あれは、存在してはならないものだということも。
不意に、傍らに立っていた総司が歳三の脇を擦り抜けて千鶴に向かって走った。
「おい、総司!」
慌てて首根っこを掴もうと手を伸ばすが、それより早く総司は千鶴に抱きついた。
他人に触れられることを嫌い、勇以外には決して甘えようとしない総司が何の躊躇もなく千鶴に抱きつく様に、歳三や新八、左之助は驚きを隠せない。
すると平助も千鶴に駆け寄るや、所在なさげに浮かされた白い手にしがみ付いた。
続いて一も千鶴の傍まで駆け寄るも、触れて良いのかと戸惑うように彼女を黙って見上げる。
年少組の不可解な行動。だが歳三達は何故かそれが理解できた。
彼らの中にも確かにある衝動的な想い。
彼女がどこにも行かないように。
二度と離れないように。
捕まえておかなければ と。
「あ、あの・・・?」
千鶴がおろおろとしがみ付いてくる総司達と、立ち尽くしたままの歳三達を交互に見やる。
どうすればいいのか困り果てている様子が、何故か懐かしくて仕方ない。
「おい総司、平助、離れろ」
「嫌です」
「おれもやだ」
即答される。
「あの、私、汚れていますから・・・」
「気にしないよ」
「でも・・・」
我が道を突き進む総司には何を言っても無駄だ。
千鶴から引き離すのを早々に諦め、歳三は彼女の前に立った。
「さっきは助けて頂き、ありがとうございました」
そう言って頭を下げると、新八、左之助、一もそれに倣う。
千鶴は驚いたように目を瞬かせていたが、ふんわりと微笑んで言った。
「皆さんが無事で良かった」
花が綻ぶような愛らしい笑顔。
殺伐とした日々を、柔らかく照らしてくれた癒しの光。
陽光のようにあたたかく、月光のように優しく、いつしかなくてはならなくなった存在。
(さっきからいったい何だってんだ。まるで俺の中に別の俺がいるみたいだ)
初めて会ったはずの千鶴が何故こうも懐かしく思うのか。
恐れを抱いて当たり前のはずの異形の姿を、何故抵抗もなく受け入れているのか。
知らないものを知っている、覚えのないものを覚えている。なのに自分自身には全く心当たりがない。それがもどかしい。
ふと、千鶴の胸に顔を埋めていた総司が彼女を見上げて問いかけた。
「お姉さん、もしかして雪村の双子鬼?」
その言葉に全員がハッとする。
“雪村の双子鬼”
それは彼らにとって、とても重要な言葉だ。
千鶴は何を言われたか解らない様子で目を瞬かせていたが、やがて当惑の表情となった。
どう答えるべきか悩む姿が、彼らへの答えのように思えた。
“雪村の双子鬼”であるならば、彼女は少年達の守るべき存在ということになる。
生涯かけても会えることなどないと思われた、一族の真の頭領 。
千鶴は総司の問いに答えを返さないままそっと平助の手を解き、総司から身を離すと一人一人を優しく見つめて微笑んだ。
「どうか皆さん、この夜のことは忘れて下さい。私のことも、今夜目にしたものも全て・・・。一夜の悪夢として・・・」
夜闇が覆い隠すように千鶴を包み込み、言い終わると同時に彼女の姿と声は闇に吸い込まれていく。
傍に立つ総司、平助、一が慌てて伸ばした手は彼女に届かず空を切った。
「千鶴!」
呼び止めようと発せられた声は、虚空に消える。
風が通り過ぎた後には、はじめから誰もいなかったかのように静寂だけが横たわっていた。
夢でも見ていたのかという錯覚に陥り掛けるが、地面に黒く染み渡る血がこの夜の惨劇を物語る。
また、見失ってしまったのか
深い喪失感。
己の内側から漏れ出す不可解な感情を持て余す。
「歳兄さん、彼女は本当に雪村の双子鬼なのでしょうか」
沈黙が支配する中、抑揚のない声音で一が尋ねた。
「可能性は、あるな」
「間違いないよ。見ず知らずの正体不明の存在を守るなんてまっぴらだと思ってたけど、僕、あの子ならいいよ」
はっきりとした答えを返すことができない歳三に反して、総司は自信満々だ。しかも自分より年上の大人の女性を指して“あの子”と言ってのける。
「だが双子ということは、もう一人いるはずではないのか?」
「そんなの知らないよ。一君にあげる」
簡単に言うな。
「俺達が守るのは両方だろうが。しかもお前、直系の跡取りのくせに選り好みしてんじゃねえ」
「だって千鶴ちゃんは可愛いけど、あの子と同じ顔のもう一人を想像したら、すごく憎たらしくなるんだもの」
意味がわからん。
総司の独特の感性は時折歳三達の理解を超える。
「千鶴ちゃん・・・千鶴ちゃんかあ。俺より年上なのに、千鶴さんって呼ぶより千鶴ちゃんの方がしっくりくるよなあ」
新八がうんうんと頷きながら呟く。
「いい女だったよなあ。嫁さんに欲しいぜ。何で俺って小学生なんだろうな」
左之助がさも残念だとばかりに肩を落とす。本当に何でこいつは小学生なのだろう、と思わせる台詞だ。
「おれも、はやくおおきくなりてえ」
左之助以上に落ち込んだ様子で平助がぼやく。
「てめえら・・・今考えなきゃいけねえのはそんなことじゃねえだろうが!」
暢気な三人組に対し、歳三の怒声が浴びせられる。
雪村の双子鬼や、羅刹とかいう化け物や、もう一人の男など。
今夜一度に起きた様々な事態を考えなければいけないというのに、何が“千鶴ちゃん”で何が“嫁”だ。
説教モードに入ろうとする歳三に、新八が口を挟む。
「じゃあ歳兄は千鶴ちゃんのことどう思ったんだよ」
「・・・・・・っ、あの人は、俺たちの命の恩人だろう」
「そうですね。命を救われたのだから、全力でお仕えせねば」
「一君、君、いったいどこの宮仕えの武士なのさ」
真面目な顔で子供らしからぬ台詞を吐く一に、総司が呆れた口調で突っ込みを入れる。
「とにかく、早く家に戻るぞ! 今日のことを勇さんや敬介さんに報告しなきゃいけねえだろう」
そう言って歳三は総司達に背を向け、早足で並木道を歩く。
「へーい」と気の抜けた返事を返しながら、五人も後に続いた。
ひんやりとした夜風を頬に受けながら、歳三は赤みを帯びた顔を総司達に見られずに済んだことに胸を撫で下ろす。
夜空を仰げば、満開の桜の上に優しく道を照らす月が浮かんでいる。
昔から、春の月ほど美しいものはないと思ってきた。
千鶴をどう思うかと問われた時、真っ先に浮かんだのが“春の月”だ。
彼女はまるで春の月のようだ と。
(こんなこと言ったら、あいつらに何を言われるかっ)
新八や左之助は腹を抱えて笑い転げるだろう。
総司ならば面白がって、ここぞとばかりにからかってくるに違いない。
だから絶対に知られるわけにはいかないのだ。
心に固く決意を秘め、歳三は一文字に口を引き結んで夜道を急ぐのだった。
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遥かな昔から、日本国には“鬼”と呼ばれる種族がいた。
姿形は人間と変わらない。しかし彼らは人間を軽く超越した存在だった。
純血の鬼であれば、一人で一軍を数刻で全滅させられるほどの力を有していたという。
故に人は“鬼”を恐れ、また利用しようと野心を抱いた。
強大な能力を持ちながらも平穏を望む彼らは、そんな人間達の前から姿を消した。彼らは一族だけで、ひっそりと暮らすことを望んだのだ。
西の鬼を統べる風間家。
東の鬼を束ねる雪村家。
だが、幕末の時代の少し前、東の雪村家は滅んだ。
人間達の争いに巻き込まれることを是としなかったが為に。
東国の鬼達は頭領を失い、混乱した。
統率を失った鬼達は各地に散り散りとなり、今ではもう自分達がかつて鬼であったことすら知らぬほど血は薄まっている。
そんな中、東の鬼の中で雪村に次いで血統が良い鬼達がいた。
彼らは頭領を守れなかったことを悔やみ、せめての弔いをと焼き払われた村を訪れた。
一人一人を大切に埋葬する中、彼らはふと気付いた。
雪村の当主夫婦の間に生まれた、幼い双子の兄妹の遺体がないということに。
あまりに小さな遺体だから見落としたのだろうか。それとも骨すら残さず焼かれたのか。
だが、もし幼い兄妹が生きているのだとしたら?
望みは薄かったが、可能性は決してなくはない。
いずれ、兄妹が雪村の当主として戻ることがあるのならば。
我らは次こそ東の鬼の頭領を守り抜こう。
だからこそ、彼らは未だに“鬼”として在る。
一族の中だけで子孫を残すことで血統を守り、鬼であることの矜持を抱いて。
東の地で、雪村の双子鬼が戻る日を待ち続けている。
こんな話、ただの伝承だと思っていた。
自分達が鬼の末裔であることなど意識したことはないし、鬼という存在が本当にあるとも思っていなかった。
だがこの夜、彼らは“鬼”を見た。とても美しい鬼を 。
翌日から、少年達の剣が変わった。
習い事の域を出なかったそれが、明らかに敵を倒す為・・・否、“殺す為”のものへと変化したのだ。
年端もいかない少年達が醸し出すにはあまりにも不釣合いな覇気。それは紛うことなく“殺気”と呼ばれるもの。
彼らの目は確かに、敵を捕らえていた。幼い総司や一、平助の剣すらも例外ではない。
だが同時に、彼らの剣は“守る為”の剣でもあった。
彼らの後ろには、誰かの存在が在る。その存在を守る為に、少年達は強くなろうとしていた。
いずれ、会える日を信じて ただ一心に。
そうして、月日は流れ行く。
〈了〉
11.5.10up
書いてみたかったんです、転生ネタ。千鶴ちゃんとちーさまは転生ではないですけど。
主に歳三さん視点なので土千寄りっぽいですが、ノーマルED千鶴ちゃんなので相手は決まってません。
何だか長編の序章のような話ですが・・・続きを書くかどうかは解りません(汗)。
設定だけなら色々考えていましたが、完結させられる自信が欠片もありませんものっ(断言)
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