笑う顔





鈴が鳴るような可憐な笑い声に、斎藤一は足を止めた。

空耳か、と自分の耳を疑ったのは、聞こえた場所が場所だからだ。

(副長の部屋から笑い声が・・・?)

気のせいでなければあの声は、この屯所で唯一人の少女のもの。
そして現場は泣く子も黙る鬼副長の部屋だ。
三年もの付き合いで慣れたとはいえ、和やかに談笑できるほど彼女は土方と親しんでいるとは思えないのだが。いや待て、そういえば先日・・・。

「失礼する」

好奇心に駆られて障子戸を開けた斎藤は、部屋の中にいた面子を見て納得した。

「あ、斎藤さん」

「こんにちは、お邪魔しています」

「八郎、来ていたのか」

そこには部屋の主の姿はなく、土方を訪ねてきたのであろう伊庭八郎と、伊庭を案内したと思われる雪村千鶴の二人だけがいた。
成る程、彼が相手だから彼女は楽しそうに笑えていたのか。

「副長はまだ帰られていないのか」

「はい、でももうじきお帰りになられるはずなので、伊庭さんにはこの部屋でお待ち頂いているんです」

「そうか」

「斎藤さんも土方さんに御用ですか? お茶を淹れて来ましょうか?」

「いや――・・・そうだな。頼む」

「はい」

一瞬断り掛けたが、ふと思い立って千鶴の厚意を受け入れることにする。
礼儀正しく退室の挨拶をして部屋を出て行く彼女の背を見送り、斎藤は土方の部屋に腰を下ろした。

千鶴がいなくなると、室内には斎藤と伊庭の二人が残る。
伊庭はお茶請けの菓子を頬張り、にこにこと上機嫌だ。

「あんたは雪村を喜ばせるのが上手いな」

「そうですか? そう言ってもらえると嬉しいですね」

「八郎といる時の雪村は笑顔が多い。それも愛想笑いでなく、本物のそれだ。我々にはできぬことだ」

「斎藤君?」

「彼女は俺達の前ではほとんど笑わない。困った顔や悲しげな顔は散々見てきたが、心から楽しそうな顔などさせてやれたことはない」

何やら深刻な表情でぶつぶつと呟く斎藤。
それを当惑を浮かべて見守る伊庭を、突然刃物のように鋭い目線で睨みつけ、彼は言った。

「何か秘訣があるなら教えてくれ」

「はい?」

決闘を申し込むかのような勢いで突きつけられた言葉に目が点になる。
もしかして自分は頼み事をされたのだろうか。脅しではなく。

「雪村を喜ばせる秘訣だ。俺が見たところ、あんたは誰よりもそれに長けている」

「秘訣と言われましても特別なことは何も・・・」

「あんたの物腰の柔らかな姿勢は俺にはないものだ。もしやそれが雪村を安心させる要因か? いや、しかし山南さんも物腰が柔らかく笑みが絶えないが、雪村はあのような笑顔にはならん」

むしろ山南に笑い掛けられた者は皆顔が引き攣る。
同じにこやかな笑顔でも、伊庭と山南と沖田総司は受ける印象がまったく違う。この違いはいったい何なのだ?

「あの、聞いてますか? 斎藤君?」

「く・・・っ、俺はいったいどうすれば・・・」

何故斎藤がこうも深刻に苦悩しているのか、伊庭にはさっぱり理解できなかった。
千鶴を笑顔にしたいという本来なら明るい話題のはずなのに、彼が纏う空気はどんよりと重苦しい。

「どうしてそんなに千鶴ちゃんを喜ばせたいんですか? 君にはお世話になってると彼女はよく言っていましたが・・・?」

この屯所で千鶴が誰よりも斎藤を頼っているのを伊庭も知っている。
土方の命令ということもあるだろうが、事実斎藤は彼女のために何かと心を砕いているように見えた。
そんな彼が、何故今更千鶴の機嫌を取るような真似をするのか。

「笑っていたのだ・・・」

「笑っていた? 誰がです?」

「雪村が・・・・・・総司の前で」

「・・・・・・・・・・・・は?」

「副長も腹を抱えて笑っていた」

「はあ!?」

何だそれはどういう状況だ???
驚愕のあまり素っ頓狂な声が出てしまった。

聞けば先日、斎藤は土方の部屋の前で沖田と千鶴が話しているのを偶然目にしたのだという。
千鶴が困っている様子だったから、また何か無理難題を吹っかけているのだと思って仲裁に入ろうとしたら突然土方が笑い出し、何か言葉を交わした後千鶴までもが笑顔になり、彼は激しい衝撃を受けたらしい。

「あの総司だぞ? 物騒な物言いで雪村を怯えさせてばかりで怖がられ恐れられている総司が! 副長を怒らせ、迷惑を掛けることしかしない悪童のような総司が二人を笑わせていたのだ!」

「それはすごい。次の日は嵐でしたか?」

「いいや快晴だ。しかしまた奴が何かやらかしたらしく、副長の怒声が屯所中に響き渡っていた」

「・・・・・・」

そちらの方が容易に想像できる、と言ったら土方に悪いだろうか。

「あの総司ですら雪村を笑わせられるというのに、俺は一度も彼女を楽しませてやったことがないのだ。俺は人間として総司にすら劣るのか・・・っ」

何だか色々と酷い物言いだが、彼が随分と落ち込んでいるのは理解できた。
つまるところ、沖田より二人の信頼が厚いと自負していたはずが、沖田を恐れているはずの千鶴と沖田には悩まされてばかりの土方が揃って彼の前で笑ったことで、その自信が揺らいだようだ。

(・・・少し真面目に考え過ぎている気がしますが・・・)

斎藤の性格からして誰かを笑わせてやれるような話ができるとは思えない。
だが彼は土方や千鶴から信頼を得ているのだから、それで充分なのではと伊庭は思うのだが、当人はどうやらそう考えられないらしい。

「とりあえず事情はわかりました。出来る限り力添えしましょう」

「恩に着る」

何はともあれ、常に己に厳しい彼が珍しく頼ってくれたのだ。期待には応えたいと思う。
“千鶴のため”というのが引っ掛かりはするが――これで少しでも彼女にとって屯所が居心地の良い場所になるのだと考えればいいのだ。

「それで、何かいい案はあるだろうか」

「美味しいお菓子を一緒に食べるというのは? 京には甘味処も多いですし」

「それは総司と平助と左之が頻繁にやっていることだ」

その中にはもちろん伊庭も含まれる。
いくら彼女が甘いものを好むとはいえ、毎日のように誰かしらにお菓子を押し付けられるのは流石に苦痛だろう。

「それに俺は甘味は好まぬ故、味の良し悪しもわからん。そんな俺と一緒に菓子を食しても楽しくはあるまい」

「では斎藤君自身の好きな食べ物を勧めてみては如何ですか?」

「俺の好きな食べ物か・・・」

酒と豆腐。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「雪村は酒が飲めない」

「そうですね、酒を勧めるのはやめてあげてください」

甘酒一口で目の前で昏倒された苦い記憶が蘇る。

「食べ物以外はどうです? 斎藤君の好きなことといえば・・・」

刀の薀蓄と稽古。

「・・・・・・刀以外で」

「思いつかん」

「そうですか・・・」

普段無口な斎藤だが、刀のこととなると途端に饒舌になる。
同じ趣味を持つ者であれば話に花が咲きまくるだろうが、大抵の者は彼の立て板に水の如く流れる薀蓄にうんざりするものだ。
千鶴にそんな苦行を強いるわけにはいかない。もっと楽しませてやらなければ。

「非番の日にでも一緒に遊ぶのは如何でしょうか。皆で賑やかに遊戯をすれば、きっと彼女は楽しんでくれますよ」

「遊戯か。以前総司達と双六をやったときは、危うく士道不覚悟で切腹する事態になりかけたな」
(※限定版CD『雨の日の襲撃者』参照)

「何をどうしたらそうなるんです」

何だか頭痛がしてきた。
千鶴を喜ばせる云々の前に、斎藤をどうにかするべきかも知れない。

外に連れ出して綺麗な景色を見せてやったり、芝居小屋などに連れて行くというのも一案ではあるが、問題は斎藤に彼女と交わせる話題がないことだ。
下手をすれば延々黙ったまま、気詰まりな沈黙の中で京の町を歩き回らせる羽目になってしまう。

思えば自分は千鶴との会話に事欠かなかった。
各地で見たものや聞いたこと、食べ物の話など。彼女も興味深げに耳を傾けてくれて、時間はあっという間に過ぎ去っていく。

対して斎藤は付き合いは悪くないものの、自ら率先して何かをする性格ではない。
興味を持ったものに対する執着は凄いが、のめり込むがために他に目が向かなくなる。
伊庭はどちらかといえば多趣味だが、斎藤はその正反対なのだ。
彼の数少ない趣味が相手と共有できれば良いが、千鶴では無理だろう。というか、余程の剣術好きや刀の愛好家でなければ男でも付いていけない。


これといった名案が浮かばないまま二人で膝付き合わせて考え込んでいると、廊下の向こうから足音が近づいてきた。

「お待たせしました」

盆を手に部屋に戻った千鶴は斎藤の前に茶を置き、伊庭の湯飲みに急須から茶を注ぎ足すと、お茶請けを二人の前に置いた。

「これは、田楽か?」

「はい、厨に行ったら豆腐がたくさん届けられていたので、少し分けて頂いて作ったんです」

「じゃあ千鶴ちゃんの手作りなんですか?」

「はい、お口に合うかわかりませんが」

「嬉しいです、頂きます」

「有難く頂戴する」

二人はいそいそと田楽を口に運び、斎藤は好物の豆腐に、伊庭は千鶴お手製の味に満足気に舌鼓を打つ。
そしてふと気づく。
自分達が喜んでどうする――と。

同時にその疑問を抱いた二人は何とも言えない目線を互いに交わし、けれど田楽を口に運ぶ手は止めなかった。

「それで、あの、斎藤さん」

「何だ」

「明日の朝の食事当番は斎藤さんでしたよね?」

「そうだが」

「その、大変言い辛いのですが、斎藤さんに頼まれた朝餉用のお豆腐の注文の量を野村君が間違えてしまったようで、厨に山のようにお豆腐が届けられていて・・・」

「山のような豆腐・・・だと」

「今日の夕餉はもちろん、明日一日掛かっても消費できるかどうか・・・」

「・・・そうか」

その報せに、斎藤は静かに瞑目した。
千鶴は不安そうに、その顔を見つめる。厨で山のような豆腐に囲まれて、顔を青くしているであろう野村のことを心配しているのだろう。

「ならば俺は、気合を入れて豆腐料理に臨まねばなるまい」

きらん、と固い決意に満ちた鋭い眼光をきらめかせ、斎藤はそう断言した。

「「・・・・・・・・・・・・」」

暫しの間、時が停まった。
沈黙の後伊庭と千鶴は同時に笑い出す。

「何故笑っているのだ?」

眉を顰めて問う彼の生真面目な顔が余計に笑いを誘う。

「す、すみません、斎藤さんがすごく力強く仰るから・・・」

その言葉に同意するように伊庭もうんうんと頷くが、斎藤は益々怪訝の色を浮かべる。

「わけがわからぬ」

本気で当惑する斎藤に、一頻り笑って落ち着きを取り戻した伊庭はにっこりと微笑んだ。

「斎藤君は素のままでいいと思いますよ。十分千鶴ちゃんを楽しませてるみたいですから」

「・・・・・・そうか」

確かに、わけがわからないながらも自分が千鶴を笑わせたのは事実のようだ。
何もした憶えはないのに、どういうわけか目的は達成した。


しかし何故だろう、素直に喜べない。



〈了〉

18.1.30up

千鶴ちゃんの表情シリーズ“笑う”です。
この三人だと何故か自然と食べ物の話になりました。
『困り顔』の後日談でもあります。



ブラウザのバックでお戻り下さい