安らぎ





ざくざくと真っ白な雪道を早足で駆け抜け、斎藤一は我が家へと急ぐ。

雪の上を走るのは危険だ。いつ足を滑らせて転倒するか解らない。
それを理解していても、家で自分の帰りを待つ彼女を想うと、いつも自然と走り出してしまうのだ。

(早く千鶴のもとへ――!)

ただ、それだけを強く想う。

家に帰れば、彼女は愛らしい笑顔で斎藤の帰りを喜んでくれる。その笑顔を早く見たい。
彼女に「お帰りなさい」と言ってもらえると、ようやく彼は落ち着ける。


まさかこんなにも心安らげる場所を得られるとは、以前は思いもしなかった。
そして、そんな場所を作ってくれる彼女への感謝の念は日に日に大きくなるばかりだ。

千鶴のもとに帰る。
それがとても幸せなことなのだと感じるようになったのは、いつからだろう。
斗南で暮らすようになってからは殊更強く感じるが、その想いはずっと昔から抱いていた。

会津での戦の最中も。
御陵衛士として新撰組を離れていた頃も。
新選組三番組組長として、京の巡察に出ていた頃も。
いつでも斎藤の“帰る場所”には彼女の笑顔があった。

耳に心地良い柔らかな声が名を呼んでくれるのが、不思議と嬉しかった。
土方の密命で御陵衛士となった頃は彼女の視界に映らぬこと、名を呼ばれぬことが酷く寂しく感じた。
そんな中で何度か訪れた彼女との逢瀬の機会。
偶然であったり、己から出向いたりと、様々な条件のもとで叶えられたものだが、そのどれもが大切な時間だ。

その頃にはもう、自分の中で彼女の存在はとても大きなものになっていたように思う。
武士として刀と共に生き、新選組以外に大事なものなどなかったはずなのに、いつから彼女を恋うるようになったのか。
女人に対してこのような想いを抱いたことがなかった為、この気持ちが何なのか長く理解に至らなかった。

ただ、彼女を守りたい。死なせたくない。
その思いだけは強く胸の中にあり、それが新撰組の命令だからだけではなく、己の本心からの願いからくるものだと風間との戦いで知った。

千鶴と出会い、気が付けば数年の月日が経っていた。
ずっと共に生活し、傍で守り続けた年月分、彼女への情が芽生えるのは当然だろう。
いつしか仲間と認め、大切にしたいと望んだ彼女を風間になど絶対に渡せない。
彼のそばで千鶴が幸せになる日など、決して来ないのだから。

彼女を傷つけるすべてのものを排除したかった。

例えそれが、自分自身であったとしても   





「お帰りなさい、一さん!」

引き戸を開けると同時に、厨に立つ彼女が笑顔を浮かべてそう言った。

「ただいま、千鶴」

無意識のうちに口元が綻ぶ。
千鶴の顔を見ただけで胸の奥からほんのりと温かくなる。

「お仕事お疲れ様でした。雪でお体が濡れていませんか?」

「いや、帰る時には止んでいたから濡れてはいない」

労いと自分を案じる言葉。これも昔から変わらぬ彼女の気遣いだ。


己の身など省みず、刀を振るう集団の中にあって、彼女の気遣いはいつも斎藤達を戸惑わせた。
原田や平助、新八などは純粋に喜んでいたが、土方や沖田、そして斎藤は反応に困ったものだ。

何故、そんなに気にするのだろう。
己が疲れていようと怪我を負おうと、彼女には何の関わりもないだろうに。
そんな風に思いながら、不可解な言動にわけの解らぬ苛立ちすら感じていた。

戦う力など持たない千鶴ならいざ知らず、斎藤達は己の剣に自信を持つ武士なのだ。
たとえ傷を負ったとて、それはただ己の腕が未熟であっただけのこと。
死ぬ覚悟など、刀を腰に差した瞬間から決めている。

なのに、何故彼女は   


(考えてみれば答えは簡単だった)

斎藤達が少しずつ千鶴を受け入れたように、彼女もまた自分達に心を開いてくれたのだ。
心優しい少女が親しくなった者達の身を案じるのは当たり前のこと。
武士の覚悟を軽んじているのではなく、いつ命を落としてもおかしくない仲間を心配している。ただそれだけ。

『心配してくれなんて頼んだ覚えないんだけど?』

冷めた口調で言い放ったのは沖田総司だ。
そのあまりの言い草に平助が『そんな言い方ないだろう!!』と怒りも露に噛み付いていた。

斎藤はというと    自分はそんなに頼りなく見えるのか、と密かに落ち込んだ。

我ながら頓珍漢な考えだと、当時の自分の考えに恥じ入る。

昔の自分を思いながら苦笑を零し、斎藤は穏やかな眼で千鶴を見た。
いったい己のような無骨な男のどこに惚れてくれたのか。
共に会津戦争を乗り越え、斗南の地まで付いて来てくれた彼女は今や斎藤の妻として傍に在る。

決して大柄ではない斎藤の腕に、すっぽり納まる程華奢な肩を抱き寄せようと、腕を伸ばす。
   が。

「あ、駄目です!」

慌てたように自分の腕から逃げる千鶴の反応に、浮き立っていた心がずーんと重く沈んだ。

「・・・・・・何故?」

「あの、この手では、一さんの服を汚してしまいますから」

見れば、千鶴の手から腕までが随分と汚れている。
いや、この匂いは何やら懐かしい気がする。

「糠(ぬか)・・・?」

千鶴の肩越しに、斎藤を出迎えるまで彼女がいたであろう空間を見ると、そこには壷らしき物が一つ置かれていた。
その脇には大根が数本並んでいる。
ふと気づけば、何やら今日はいつになく家の中に野菜や荷物が多い。

「お千ちゃんが色々届けてくれたんです」

首を傾げていると、千鶴が疑問に答えてくれた。

京にいた頃、千鶴と親しくしていた少女、お千。
彼女は、斎藤と千鶴が斗南に来てからも時々手紙や物資を送ってくれていた。
いったいどうやって情報を得ているのかは謎だが、古き鬼の血脈だという彼女は日本中の鬼との繋がりを持っているらしく、自分達の居場所もすぐに突き止められた。
この家に落ち着いて一月もしない頃、突然お千から手紙と野菜が届いた時は驚愕したものだ。
とはいえ、彼女の存在は斎藤達にとって非情に有難かった。

「礼状を出さねばな」

「はい、こちらからもお千ちゃんに何か送れるようになれば良いんですけど・・・」

今はまだ、自分達の分で精一杯だ。
彼女にお返しができるのは、ずっと先になるだろう。

斗南の地に、これから訪れる長く厳しい冬。
会津から斗南に来た者達が初めて迎える冬を無事に越すことができるのか、斎藤にも解らない。
特に江戸や京で暮らしてきた斎藤と千鶴には、地元の人間ですら毎年凍死者を出すほどの寒さなど経験がないのだから、尚更不安は尽きない。

そんな中でのお千からの援助は、まさに光明であった。
そして、限りある食料をやりくりするのは家を守る千鶴の仕事。

「それで、ご近所の方にも野菜をお裾分けしたら、お礼にと糠を分けて頂いたので、大根などを漬けておこうと思って」

本格的な冬を迎える前に、少しでも保存の出来るものを蓄えておく。
雪に閉ざされ、外に出られなくなった時に困らぬように。

斎藤は「成る程」と呟くと、コートを脱いで腕捲りをした。

「では俺も手伝おう」

「え?」

千鶴が驚く間に、斎藤は大根を手に取って下準備に取り掛かった。

「は、一さん、私一人でできますから、休んで下さい!」

「二人の方が効率が良い」

慌てて駆け寄る千鶴にそう答え、せっせと大根の汚れを丁寧に拭う。
逡巡していた千鶴も斎藤の様子に説得を諦めたのか、申し訳なさそうな顔で糠床に向かった。



「じゃあ次は夕餉を作りますね。座って待っていて下さい」

漬けられるだけの野菜を漬け込み終えると、千鶴がそう言って座敷を指す。
囲炉裏には火が灯り、いつの間にか熱燗の準備もできていた。

しかし斎藤は厨から動かない。

「手伝う」

「駄目です、一さんは寛いでいて下さい。お仕事でお疲れなのに糠漬けを手伝って下さったんですから、夕餉は私に任せて下さいね」

(別に疲れてなどいないのだが)

むしろ千鶴と一緒に料理がしたい。
彼女と並んで料理をするのは、実は密かな楽しみでもあるのだ。

しかし千鶴は頑として譲ろうとしない。
外見に似合わず、彼女は頑固な一面を持つ。
ここは斎藤が折れなければ、千鶴の機嫌を損ねてしまいそうだ。

渋々諦め、斎藤は座敷に上がって囲炉裏の傍に腰を下ろした。
その様子に満足気に微笑み、千鶴は俎板に向かう。

トントン、と心地良く響く包丁の音。
ぼんやり千鶴の後姿を見つめながら、くい、と杯を傾けた。

次第と浮かぶのは、堪えきれない笑みだ。
千鶴が斎藤に対して強く出るのは、いつだって斎藤のため。

例えば鳥羽伏見での敗戦後、多忙な近藤と土方の負担を少しでも減らしたくて、斎藤もまた無理をしていた時。
ただでさえ羅刹となって間もなく、室内とはいえ昼間起きているのが辛いのに休むことなく働く斎藤に、千鶴は執拗に「休んで下さい」と言い募った。
その声を聞かず、無理をし続けた結果倒れてしまったのは、今思い出しても情けない限りだ。

信頼していないわけでも、軽んじているのでもない。むしろその逆なのだ。
大切な人ならば尚のこと、少しでも手助けしたいもの。
あの頃の千鶴の言葉、行動が今ではよく解る。
現にこうして、家事に関しては斎藤よりもずっと手際の良い千鶴を手伝わずにはいられない自分がいるのだから。


そうやって互いに助け合うことで一層絆が深まり、夫婦、そして家族になってゆくのだろう。

いつまでも、この命ある限り千鶴と共に    





■■■■■





ふと、背後で何かが落ちた音に気づいて振り返ると、座ったまま器用に眠る斎藤の姿があった。
さっきの音は、だらりと力が抜けた手から杯が落ちた音だったようだ。

幸い、すでに酒は飲み干した後だったようで、床は濡れていない。
そのことにほっと胸を撫で下ろし、千鶴は夫に優しい眼を向けた。

「今日もお疲れ様です、一さん」

毎日慣れぬ地で尽力する斎藤を思うと、胸が痛む。
無理をしないで欲しいと願っても、彼は己の限界を超えて頑張ってしまうのだ。

もう二度と、いつかのように疲労困憊で倒れてしまう彼を見たくはない。
だからせめて家の中ではゆっくり休んで欲しいのに、何故かいつも千鶴の手伝いをしたがる。

「もっと自分の身体を大事にして下さいね」

困ったようにそう呟き、千鶴は再び彼に背を向けた。

自分が彼のためにできることは、彼の居場所を守ることだけ。
仕事の手伝いはできないし、斗南の厳しい冬を乗り切る名案も持たない。

けれど、大切な人が安らげる場所で在りたいと思う。


ただ、それだけ。



〈了〉

13.9.30up

斎藤さん、千鶴ちゃんのそばにいたくて仕方ない模様。
千鶴ちゃんは斎藤さんを癒したくて頑張ってます。



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