夜明け





追いかけても追いかけても、捉えることのできない背中。

共に戦うことはできなくとも、ほんの少しでも彼らの力になれたなら、それで良かった。
命懸けで戦う男達に、自分のような存在が何か役に立てるなんて思っていなかったけれど、ただ傍で彼らの生き様を見届けたかった。

   だから。

“お前は残れ”

冷たい口調で言い放ち、振り返ることなく去っていく背中が醸し出す拒絶に、その背を追うことができなくなった。

“僕が君を呼んであげるよ”

立ち尽くして動けなかった彼女に、そっと差し出された“ハンケチーフ”は残されたたった一つの彼らとの繋がりのようだった。


待っていても良いのだろうか。会いに行っても良いのだろうか。
そんな不安を抱えながら、その時を待ち続けていたもどかしい日々。

夢の中に現れては彼女を置き去りにして去っていく彼らの背中を追い続け、あともう少しで触れられそうだと思った瞬間、指先に触れることなく幻のように消えた。

『土方さん!』

声を振り絞って名を呼んでも決して振り返ることはない後姿は、やがて遠く霞んで見えなくなってしまう。

そして最後の言葉   “お前に幸せになってほしいんだよ”という残酷で優しい言葉だけが残されるのだ。



『あーあ、まったく格好付けたがりだよねえ』


ふいに聞こえた声に、ハッとして振り返ると懐かしい笑顔がすぐ傍にあった。
あまりにも意外なその姿に、哀しいのも忘れて唖然となる。

『泣かないで、千鶴ちゃん。あんな我侭な俺様のために君が心を痛める必要なんてないんだよ』

『沖田・・・さん・・・?』

どうしてこんな所に彼がいるのだろう。
新選組を追いかけて来たのだろうか。労咳は治ったのだろうか。

病の悪化のため江戸に置いていかれたはずの彼   沖田総司は驚きに言葉を失っている千鶴に悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべた。





■■■■■





微かに耳に届いた物音に、土方はふと目を覚ます。
寝台を出て窓の外を見やれば、薄い藍の紗が幾重にも重なっているかのような夜明け間近の空の色が雲間から見えた。

昨夜から降り続いた雪が景色を白く染め上げ、物音一つない部屋の中、まるでこの世に存在するのは自分だけなのかという錯覚すら覚える。
見下ろした窓のすぐ傍に、こんもりと積もる雪山が見る間に形を崩した。
どうやらこの雪の塊が降り落ちてきた音で目が覚めたようだ。

もう一度眠る気にもならず、土方は素早く身支度を整えると部屋を後にした。



暗い廊下を迷わず歩いた先に辿り着いた一室。
音も立てずに扉を開き、静寂に包まれた暗い室内を気配を殺して寝台に近づく。

微かな寝息を立てて眠る愛しい寝顔に、見下ろす眼が優しく細められた。
伸びた手が彼女の額に掛かる前髪をそっと梳き、滑らかな頬を撫でる。

「千鶴・・・」

吐息のような声で名を呼ぶと、睫がふるりと震える。
触れた手に感じる頬のぬくもりが、確かに彼女がここに存在するのだと伝えてくれる。

愛しい、と素直に感じる。
出来ることならば、彼女のいない日々に戻りたくはない。
離れていた月日の中、何度も夢に見て、朝になれば彼女の気配のない虚しさに苛まれた日々。
それが終わりを告げた時、もう二度と彼女を手放す時の辛さを味わいたくはないと心から思った。

だが、と心のどこかでまだ迷う自分がいた。
傍にいて欲しいと願うと同時に、こんな馬鹿な男のことなど忘れて女として幸せになって欲しいとも思う。
彼女の覚悟を知っていても尚、自分の傍に置くことで彼女まで命を落とすかも知れない未来が怖い。

この五稜郭で再会を果たした日、抱きしめた身体は小さく柔らかかった。
自分や部下達のような鍛え上げた筋肉などない、たおやかな女の身体。
大鳥の力を借りたとはいえ、いったいこの細い体のどこに蝦夷まで自分を追ってくる強さと度胸を隠し持っていたのか。

(情けねえな・・・)

“鬼”とまで呼ばれた自分が、唯一人の女にこれ程に溺れる日が来るとは。

(総司達には見せられねえ姿だ)

沖田や原田、平助に永倉が自分を指差して腹抱えて笑い転げる様が容易に思い浮かぶ。


“ガキに興味ないって言ってたくせにデレデレじゃないか、土方さん!”

“土方さんもただの男だったんだなあ”

“ま、千鶴は年々良い女になってるからなあ”

“千鶴ちゃんのために恥ずかしい歌でも詠んであげたらどうですかあー?”


彼らの顔が浮かんだと同時に囃し立てる声まで脳内に響き渡り、柔らかく笑んでいた表情がみるみるうちに強張った。
くっと唇を噛んで幻影と幻聴を振り払うと、ぽんっと現れるのは能天気な笑顔。


“可愛い小姓さん呼んじゃったー♪”


直属の上司の無邪気な笑顔に、苛立ちが一層増す。
確かにこうして千鶴と再会できたのは彼のお陰だ。感謝もしている。だがものすごーく不本意でもある。

込み上げてくる怒りに身を震わせていると、不穏な空気を察したのか千鶴が眼を覚ました。

うっすらと瞼を押し上げてぼんやりと土方を見つめる双眸。
険しい表情のまま千鶴を見つめていると、ふにゃあと泣きそうに顔が歪む。

「ひじかたさんがおこってる・・・」

「・・・怒ってねえ」

「せっかくあえたのに、め、めいわく、でしたか?」

「だから怒ってねえよ。お前に会えて、まあ、良かったと思ってる」

「じゃあにこぉってしてください・・・にこぉって・・・」

「無茶言うな」

じわあっと潤む瞳に涙が溢れると、土方は千鶴の身体を抱きしめた。

「泣いてんじゃねえよ。怒ってるように見えたとしてもお前のせいじゃない。嫌なこと思い出しただけだ」

「いやなこと・・・?」

「総司達の幻・・・いや、何でもない」

想像の中のことで機嫌を悪くしたなどと正直に告白するのは、何だか大人気ないような気がして口を噤む。
そんなことより、と咳払いし、腕の中の小さな身体をあやすように撫でた。

「さっきの“せっかく会えたのに”ってのは何だ?」

「あいたかったんです・・・おいていかれても・・・ずっと・・・」

舌足らずに呟かれた言葉に、土方は千鶴を見下ろした。
軽く瞼を綴じ、土方の胸に凭れるように全身を預けながら、布団の中から覗く手は弱弱しく服を掴んでいる。常では見せない甘えるような仕草に、彼女がまだ半分夢の世界を漂っていることに気付く。

「ずっと・・・ひじかたさんを・・・おもってました・・・」

「ああ、俺も同じだ」

「ひじかたさんのゆめ・・・たくさんみました・・・」

「もう、夢なんかじゃねえさ。俺もお前も、ここにいる」

先程までの不機嫌の色は消え、柔らかな笑みだけが口元に宿る。

朝を迎える度に、千鶴との再会が夢ではないと確認せずにはいられなかった。
「おはようございます」の言葉とともに現れた千鶴が、淹れてくれたお茶を飲む時間が何よりの安らぎだ。

「死ぬまで、手放せそうにねえな・・・」

そう言って困ったように笑う。

冬を越せば始まるであろう最後の戦の前に、彼女を安全な場所に逃がしたいと思っていた。

新選組が終わる時、自分もまた終わる。その覚悟はできている。
だが千鶴までそれに付き合う必要はない。
だから、いずれもう一度別れの言葉を口にしなければならないと思っていた。
自分は最後に共に過ごせただけで幸せだったのだから、残りの人生は自分の為に生きろ   と。

しかしこのままでは、その時が来ても彼女を手放すことができるか不安だ。

「お前は、最期まで付き合ってくれるか?」

「はい・・・ひじかたさんのこと・・・みとってあげますから・・・」

「・・・・・・・・・そうか・・・」

迷いのない答えに、土方はそれだけしか言えなかった。
千鶴の腕の中で息を引き取ることができたなら、それは最上の死に方かも知れない。
胸の中に広がるのは、そんな幸福感だ。


「だから・・・あんしんして・・・くしゅうのしんさく・・・だしてください・・・」

「句集・・・?」

「おきたさんが・・・よみたいって・・・」

「・・・・・・総司が・・・何だと・・・?」

スゥッと頭の中が冷える。
同時に声音も低くなり、耳元でその声を聞いた千鶴がびくっと肩を揺らした。

まどろんでいた意識が浮上したのか、ぼんやりとしていた目線に意思の力が宿る。
そして自分を抱きしめている腕と目の前にある顔に気付くや、大きな瞳を零れんばかりに見開いた。

「ひ、土方さん?」

「千鶴、お前今どんな夢を見てやがった?」

「え? 夢?」

何故そんなことを訊くのだろう。いや、それ以前に何故土方はこんなに不機嫌なのだろう。
わけが解らず混乱しながらも、問いに答えるべくさっきまで見ていた夢を思い出そうとしてみる。

「えっと、夢・・・?」

が、出てこない。

夢を見ていた記憶はあるのに、内容が思い出せない。
切なさや、嬉しさや、楽しさなど、夢の中で感じた感情はまだ胸の中にあるのに。

混乱している千鶴に、土方は深いため息をつく。

「ああ、もういい。それより、後で俺の部屋に茶を淹れてきてくれ」

「あ、はい!」

すっかり目が覚めたらしい千鶴は、土方の言葉に慌てて飛び起きる。
身支度を整えようとする彼女に背を向け、土方は扉に向かった。

扉を開けて外に出たところで、足が止まる。

「・・・・・・・・・・・・」

「あ、おはよう。えっと、・・・泊まり?」

何とも言えない表情で首を傾げる男  大鳥圭介の姿を視界に捉えた瞬間、土方の周囲をどす黒い靄が取り囲んだ。
無意識に伸びた右手が刀の柄を握り、鯉口を切る音が不気味に響いた瞬間、大鳥は引き攣った笑顔を浮かべたままずささささっと土方から距離を取る。

「見てない、僕は何も見てないよ! 土方君が可愛い小姓さんの部屋で一夜を明かしたなんて、誰にも言わないからねえええ」

そう叫びながら、背を向けて脱兎の如く駆け出す大鳥の背中に、土方の怒声が叩きつけられた。


大声で叫んでんじゃねえか!!



ようやく夜が明けようとしていた時間、陸軍奉行の悲鳴と陸軍奉行並みの怒声は早朝の五稜郭にそれはそれは広く響き渡ったのは言うまでもない。



〈了〉

12.3.31up

あんまりらぶらぶにならなかった・・・(涙)。



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