喜ぶ顔





けほ、けほっ

苦しげな咳とともに、雪村千鶴は眠りから覚めた。

昨夜から喉の調子がおかしい。
喉の奥に、ざらざらとした不快な痛みを感じる。

(もしかして風邪引いたのかな)

秋から冬へと移り変わるこの季節。
昼間は陽があればまだ温かさを感じるが、夜は一転して冷え込みが厳しくなる。
この寒暖の差に身体がついていかず、体調を崩す者は多い。
人より身体が丈夫だと自負する千鶴も例外ではなかったようだ。
昨夜から不調を覚え、一晩経てば治るものと楽観視していたが、どうやら悪化してしまったらしい。

井戸で顔を洗った後、何度も口を濯いでも喉の痛みは一向に取れない。
油断していると、いつまでもこほこほと咳が出てしまう。

(皆さんに移したらいけないし、今日は部屋でおとなしくしていた方がいいかな)

本当は朝餉の支度を手伝うつもりだったが、咳をすることによって他の人にも病気が感染してしまう恐れがある。
自分が発端で新選組の中に病を蔓延させるわけにはいかないし、今日は食事の席にも同席しない方が良いだろう。

そう決めて、親しい隊士の誰かにそれを告げるべく屯所の中に戻ろうとした時、見慣れた二人組がこちらに歩いてくるのが見えた。

「おはようございます、雪村先輩」

「先輩、おはよーございます!」

元気良く挨拶するのは、千鶴の後輩である相馬主計と野村利三郎だ。

「けほっ、けほけほ・・・っ」

「大丈夫ですか?」

おはよう、と返そうと口を開いた途端、激しく咳き込む千鶴に相馬が慌てて駆け寄り、背を擦ってくれる。
しかし咳はなかなか止まらず、後輩二人があたふたと慌てふためくのが申し訳ないと同時に、どこか笑えてしまう。

「・・・・・・」

ひとまず落ち着いたところで、「もう大丈夫」と告げようとするが、何故か言葉が声にならない。
ぱくぱくと口を動かしても、掠れた吐息が喉を震わせるだけ。

「・・・? もしかして声が出ないんですか?」

喉に手を当てて項垂れる千鶴の様子に、相馬も異変を察したようだ。
千鶴は困り果てた顔で頷いた。何度言葉を絞り出そうとしても、聞き慣れているはずの自分の声が出てこない。

「昨夜咳をしていたから心配していたんですが、やはり風邪を引かれたんですね」

気遣わしげな相馬の言葉に思わず目を丸くする。
まさか昨夜の自分の状態に気付かれていたとは。
意外、と言っては相馬に失礼だが、彼は思いの他周りによく気が付く青年のようだ。

先輩小姓から感心されているとは露知らず、相馬は千鶴と自分の額に手を当てて熱を確かめる。

「熱は・・・ないみたいですね。でもこれから上がるかも知れないし・・・」

千鶴は足元の小枝を拾い、地面に文字を綴った。

“すぐに治るから、心配しないで”

「怪我や病気を甘く見てはいけないことは、先輩ならよくご存知じゃないですか」

「そうだよ。自分でいつも言ってるのに、忘れちまったのか?」

二人が鍛錬で生傷を作る度、手当てをしながら言った言葉を返され、苦笑する。

“皆さんに移すといけないから、今日は部屋で繕い物をしてるね”

「わかりました。でもあまり無理はしないで下さい。あとで山崎さんに頼んで薬をお持ちします」

口の動きで千鶴が「ありがとう」と礼を述べると、相馬は嬉しそうに笑顔を返してくれた。





■■■■■





「土方副長、相馬です。お茶をお持ちしました」

「・・・入れ」

土方は障子戸の向こうから聞こえた声が少女のそれではないことを怪訝に思ったが、声の主の名に思い当たると短く返事を返した。

「失礼します」

「お前が茶を持って来るのは珍しいな」

「雪村先輩が風邪気味なので、俺が代わりに参りました」

「雪村が?」

相馬は湯飲みを載せた盆を置くと、軽く千鶴の病状を説明し、本題を切り出した。

「それで山崎さんに薬を頂きたいのですが、部屋を訊ねても居られなかったので、どこにいらっしゃるのかご存知ではないでしょうか」

「山崎は監察方の任務で偵察に出ている」

「そうですか・・・」

うーん、と何やら難しい顔で考え込み始める相馬。
彼が先輩小姓である千鶴をとても慕っているという情報は、監察方や幹部達から聞いていたが、どうやら真実のようだ。
千鶴のためにできることを懸命に思案する様子は、微笑ましくもある。

「相馬、お前が薬問屋に行って薬を買って来い」

そう言って、ぽん、と小銭の入った巾着を投げ渡す。
反射的にそれを受け取った相馬は、きょとんとした顔で土方を見た。

「ついでにあいつが好きそうな食いもんでも買って来てやれ」

「はい、ありがとうございます」

笑顔を輝かせ、相馬は土方に深々と頭を下げて部屋を出る。

廊下に出た途端、弾むような足取りで駆け去る音を聞きながら、土方は堪え切れない微笑を浮かべた。



さて、千鶴のための買い物に出るのは良いが、何を買って来るべきだろう。
廊下を歩きながら、相馬は再び考え込んでいた。

「雪村先輩の好きな食べ物、か。喉が痛そうだったし、喉越しの良いものを選ぶべきだよな」

藤堂や原田はよくお菓子を買ってきて渡しているが、具合が悪い時に食べるのはむしろ気分が悪くなりそうだ。
となればやはり果物が無難だろうか。今の時期は蜜柑があるはずだ。

「あれ、相馬。難しい顔してどうしたんだ?」

「藤堂さん」

広間の前に差し掛かった時、ちょうどそこにいた藤堂平助が声を掛けてきた。
彼は新選組幹部達の中で年若く、新入りの相馬にとっても比較的話し易い相手でもあり、千鶴とも親しい。

(藤堂さんに相談してみようか)

そう思い立って千鶴が風邪を引いたようだと伝えると、平助は目に見えて動揺した。

「千鶴が風邪!? それ酷いのか? 俺、今日非番だし、看病に付いててやった方がいいかな」

「いえ、それはやめた方が。藤堂さんに風邪を移してしまわないか、先輩が心配しますから」

「そ、そうか・・・。病人に気を遣わせちゃ本末転倒だよな・・・」

しゅん、と項垂れた平助は、更に言葉を繋げながら落ち込みを深くしていく。

「あいつは医者の娘だし、俺達なんかより病気の時の対処方なんていくらでも知ってるだろうし、むしろ看病に行ったって邪魔だよな・・・」

「でも先輩は他人の心配はするのに、ご自身のことはあまり大事にされていないような気がします」

先ほどの千鶴とのやり取りを思い出すと、相馬まで何だか気分が落ち込んでいった。
相馬や野村が怪我をすると、心から心配しながら丁寧に手当てしてくれるのに、自分の身体のことは妙に軽視しているような、そんな印象を受けた。
部屋で繕い物をしている、という言葉も、自身のために安静にするのではなく、他者に風邪を移したくない一心だった。

「もっと俺達を頼ってくれてもいいのに」

「ああ、そりゃ総司のせいだな」

「沖田さんの?」

「そう。総司が散々あいつを苛めたから、俺達に迷惑掛けちゃだめだって内側に溜め込むようになっちまったんだよ」

千鶴に頼りたいと思ってもらえるほど、自分達は信頼されていない。
それは、彼女に甘えを許さなかったからだ。
千鶴の年齢も性別も考慮せず、無理矢理抑え付けた結果、彼女は自分自身を二の次三の次に置くようになってしまった。

「だいたい総司も土方さんも、千鶴に辛く当たり過ぎなんだよ。十五、六の娘にあんな扱いしたら萎縮するの当然じゃねえか」

「いったい何があったんですか?」

「そりゃ・・・」

言いかけて慌てて口を噤む。
そういえば相馬は千鶴が新選組に来た経緯について、ほとんど知らないのだった。
まさか気軽に羅刹や変若水の話などできるわけもなく、平助は「まあ、色々あってな・・・」と言葉を濁した。

「それより、千鶴のことだよ。山崎君にはもう診せたのか?」

「いえ、山崎さんは隊務で留守にされているそうなので、俺が薬を買いに行くことになったんです。そのついでに先輩が好きな食べ物も買って来きてやれと、土方副長からお金を預かりました」

「千鶴の好きな食べ物か・・・」

色々と思い浮かぶが、体調の悪い時にも食べ易いものを選ばなければならない。
となると――。

千鶴のために何かができる数少ない好機に迷わず飛びついた平助は、あーでもないこーでもないと意見を交わしながら、相馬と共に町に出掛けるのだった。





■■■■■





「けほ、けほけほ、こほっ」

何度目かもわからない発作のような咳に襲われ、千鶴は繕い物の手を止めた。
咳のせいで、いったい何度指に針を刺したか数え切れないほどだ。
あまりにも咳をし過ぎるせいか、それとも風邪の症状か、時間が経つにつれて頭痛も酷くなってきた。

(うう、これ以上酷くならないといいけど・・・)

千鶴は傷を負ってもすぐに治るように、病気も一日や二日で完治することが多い。
だから今回もすぐに治るものと、自分の回復力を過信していた。

明日もこの状態だったらどうしよう。
何もせずに部屋に篭ってばかりいるのは、さすがに申し訳ない。

(お料理は無理でも、お洗濯とか廊下の掃除くらいなら・・・)

しかし、咳き込みながら洗濯や掃除をしていたら、気付いた人に余計な心配をさせてしまう。
下手をしたら、新選組は病人を無理矢理働かせている、なんて噂が立ち兼ねない。

何故こんなにも自身を省みずに働こうとするのか。
平助の言っていた通り、新選組に捕らわれた当初に心に刻み付けられた強迫観念のようなものに、幸か不幸か千鶴は気付いていなかった。



「千鶴、いるか?」

「?」

不意に聞こえた声に顔を上げると、少しだけすかした障子戸の隙間から、平助が遠慮がちに中を覗き込んでいるのが見えた。

「えっと、入っても大丈夫か?」

躊躇いつつも、何か大事な用事だろうかと思い、頷くことで返事をする。
少しだけなら、平助に風邪を移すことはないだろう。

障子戸が開くと、平助と相馬が部屋の中に入ってきた。

「雪村先輩、失礼します」

平助の後ろから現れた相馬の手には、膳が抱えられていた。
それを千鶴の前に置くと、器の蓋を取る。
料理の熱さを物語る白い湯気が立ち昇り、ふわりと優しい匂いが鼻を擽った。

(おかゆ・・・?)

卵が入っているのだろうか。柔らかな黄色に三つ葉の緑が映えるお粥と、湯飲みが二つ。一つはお茶のようだが、もう一つからは生姜の匂いがする。
そして蜜柑がいくつかと薬の包み、水の入った小さな椀が膳の端に載せられていた。

「先輩ほど料理が上手くないですから、お口に合うかわかりませんが・・・」

「相馬がお粥を作って、俺がこっちの生姜湯を作ったんだ。早く喉が良くなるといいな」

「・・・・・・」

嬉しい。
素直にそう思った。

二人の手を煩わせて申し訳ないという思いもあるが、それ以上に平助と相馬から向けられる気遣いが有難い。

(誰かに気遣ってもらえるなんて、久しぶり・・・)

二人に礼を言いたいのに、出せない声がもどかしい。
千鶴は深く頭を下げると、冷めないうちにと蓮華を手に取った。
お粥はほんのりと塩で味付けをしただけの、簡潔だが優しい味わいだ。

緊張した面持ちで千鶴をじっと見ている相馬に、美味しいよ、と思いを込めて微笑んでみせると、彼はほ〜っと力が抜けたように強張っていた肩の力を抜いた。

お粥を食べ終わると、生姜湯を口に含む。
砂糖の甘味と生姜の風味が絶妙で、飲んだ後は身体の奥がぽかぽかと温かくなった。

言葉はなくとも、千鶴の表情から彼女が喜んでいるのが見て取れ、平助と相馬も嬉しそうに笑う。
二人にとっては、千鶴に喜んでもらえたことが何よりも嬉しかった。

そんな二人の気持ちが千鶴もまた嬉しくて――。
明日には風邪が治りますように、と願わずにはいられなかった。



その祈りが天に通じたのか。

翌朝、声を取り戻した千鶴は平助と相馬に、自分の声で礼を言うことができたのだった。



〈了〉

16.12.10up
12.20加筆修正

千鶴ちゃんの表情シリーズ“喜ぶ”です。
一応三つ巴もののつもりなんですが、
この三人じゃ子犬がじゃれ合ってるとしか見えないか・・・。



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