とある犬の憂鬱





俺は平凡な男子中学生である。決して犬ではない。

そう、俺はごく平凡なしがない男子中学生だ。
だから頼む、厄介ごとよ、俺に降りかかってこないでくれ!!


「龍之介、遅れているぞ、早く来い」

前方から二つ年上の友人、山崎烝が俺を呼ぶ。

「毎日暑いからね、歩みが遅くなるのも仕方ないさ」

そう言って大らかに笑うのはさらに年上の友人、島田魁だ。

「なあ、何で俺まで東雲の家に行かなきゃならねえんだ?」

汗で張り付いた前髪をかき上げながら不満を漏らす俺に、山崎は「仕方ないだろう」とにべもなく言う。

「それとも君は、東雲総司君からの呼び出しを無視できるのか?」

「・・・う・・・っ」

返す言葉を失う。

今回俺を呼び出したのは平助だが、山崎は一に、島田は新八に呼ばれたらしい。てことは、たぶん向かう先には全員がいるのだろう。
つまり、この呼び出しはあいつら全員の総意であるのは間違いない。それを無視した場合・・・・・・これ以上考えるのはやめとこう・・・。
ともかく、あいつらに逆らったら後が怖いってことは長年の付き合いで嫌と言うほど思い知っている。特に東雲総司の凶悪さは筆舌に尽くし難い。
山崎の言う通り、俺は東雲家に赴くしかないのである。


俺達三人は炎天下の中えっちらおっちらと山を登り、やがて拓けた場所に辿り着いた。
まるで一つの集落のようなこの地こそ、東雲一族の住まう土地だ。
門を通って、さらに長い道を歩くと、一軒の建物の前で足を止める。
ここは俺も昔無理矢理通わされた道場だ。あの連中は母屋よりもここにいることの方が多い。

「「失礼します」」

山崎と島田が礼儀正しくそう言って引き戸を開く。
中から涼しげな空気がこちらに流れ出る。
冷房が効いているということは、やはりあいつらはここに居るようだ。

「おう、来たか」

「待ってたぜ」

中から新八と左之助の声が聞こえた。
山崎と島田の後から道場に入った俺は、一歩踏み込んだところで思わず固まった。

道場で俺達を待っていたのはいつもの面々だった。
しかし、その中で初めて見る顔が一つ。
二十代そこそこの若い女だ。
歳三さんや左之助と並んでも見劣りしないほど綺麗な女だが、俺には見覚えが無い。

珍しいな、こいつら以外の人間がいるなんて。

道場に通わされていた頃、東雲家の同年代の人達とは一通り顔を合わせている。だがこの女性は記憶になかった。
不思議に思っていると、こちらを凝視していた女性が何故か泣きそうに顔を歪めた。
俺はもちろんのこと、山崎や島田もおろおろとうろたえ、平助や左之助が女性を慰めるように肩を抱いたり頭を撫でたりしながら何か声を掛ける。

「貴方は、確か・・・」

島田が遠慮がちに口を開き、彼に軽く頷いた歳三さんが俺達に言った。

「紹介しておく。彼女は雪村千鶴だ」

「雪村・・・あっ」

名前を聞いて、島田や山崎は何かに気づいたかのように声を上げた。
雪村千鶴と紹介された女性は俺達に向き合うと、優しく微笑みながらも言葉に迷う素振りを見せる。

「え、と、お久しぶりです・・・」

「はい、お久しぶりです。修学旅行の日に会った方ですよね」

「初めまして、お話は伺っています」

どうやら島田は彼女と面識があるらしいが、山崎は俺と同様初対面のようだ。
だが、二人と違って何も聞かされていない俺としては、どうすればいいのか戸惑うばかりだ。
山崎達に向けられていた、彼女のどこか複雑そうな瞳が俺に向けられると、不思議そうな色へと変わる。そりゃ見ず知らずの男がいればそんな反応になるよな。

「千鶴、あいつは芹沢龍之介。俺のクラスメートなんだ」

「平助君のお友達?」

「まあ、腐れ縁かな。龍之介については後で色々聞かせてやるよ」

色々って何だ!?
昔から散々見せてしまった情けない姿を思い出し、平助達に詰め寄りそうになった俺の隣に、いつの間にか悪魔が立っていた。

「君なんかに千鶴ちゃんを紹介してあげるのはもったいないけど、もし万が一千鶴ちゃんに危険が迫ったら君には自分を犠牲にしてでも千鶴ちゃんの盾になって欲しいからね」

「ちょっと待て! 自分を犠牲にしてって何だよ!!」

「じゃあ何、あんなに可愛い女の子が危ない目に遭っても助ける気ないんだ。君、それでも男?」

何でそこまで言われなきゃならないんだよ。
反論しようとする俺を、淡々とした声が遮った。

「総司、やめておけ。俺達が彼女を危険な眼に遭わせるわけがなかろう」

「ま、それもそうだね」

一の言葉で悪魔はあっさり引き下がった。
それにしても、こいつらがあの女性を随分大事にしている様子に俺は驚きを隠せない。
特に、この東雲総司は勇さんを筆頭に仲間と認めた者達以外にはどこまでも無関心な男だったはずだ。
歳三さんや一は自分にも他人にも厳しい性格で、安易に近寄ってくる女にはかなり冷たい対応をしていたのに彼女を見る眼は見たことがないほど優しい。

雪村千鶴という女は何者なんだ?
疑問を浮かべながら彼女を見やれば、雪村さんは山崎や島田と言葉を交わしていた。
一ほどではなくとも、いつも固い表情を浮かべている山崎が柔らかく微笑んでいる様子にまたもや驚いてしまう。短時間で随分打ち解けたように見える。

男だらけの中に女一人。
見たところ控えめで穏やかで女らしい彼女は、顔は良くても荒くれ者の巣窟であるこんな所には縁のなさそうな人だ。
けれど、何故だろう。
俺なんかよりずっとこいつらの中に馴染んでいるような気がする。

総司や一が俺から離れ、彼女に近づいていく。
二人とも、初めて見る穏やかな笑みを浮かべていた。

「千鶴、可愛いだろ」

二人に代わって俺の隣に立ったのは平助だ。左之助や新八もすぐ傍にいる。

「俺らの大事な女だからよ、あいつが困ってたらお前も助けてやってくれよな」

女なんて黙ってても寄って来るであろう男が、心底大切なんだって想いを隠そうともせずそんなことを言う。

一人一人を見渡してみると、何だか誰もがどこか変わったように思えた。
こいつらの“変化”といえば、まだ俺が小学生の頃の不思議な感覚が蘇る。

数年前、一と平助の雰囲気が突然変わったことがあった。
昔から歳三さんと左之助、総司は出鱈目に強く、一や平助や新八は剣術でまったく歯が立たなかったのに、ある日を境に彼らと互角の戦いをするようになったと山崎が言っていた。
その“変化”は俺にも何となくだが感じ取れた。
平助が“変わった”のは、俺の巻き添えで誘拐された時からだと記憶している。

彼らの身に何があったのか、俺には知る由も無い。
“変化”が果たして良いことだったのか、悪いことだったのかも解らない。

ただ、どんなに強くなっても、こいつらの結束が強くなっても、何故かこいつらは満たされていなかった。
いつも誰かを捜して、視線を巡らせていた。
何かを求めて足掻いているように見えた。
何でも持ってるくせに、何故こいつらはこんなにも餓えているのか不思議だった。

けれど、今の彼らに“餓え”は感じられない。
むしろ、やっと落ち着ける場所に辿り着いた達成感のようなものが漂う。

「良かったな」

思わず口をついて出た言葉に、平助達が不思議そうな顔を向けた。

「いや、何かお前達がようやく捜してたものを見つけられたみたいな気がしたからさ」

そう言うと、何故か平助達はぽかんと口を開けて固まった。
左之助など、色男が台無しの間抜けな顔になってしまっているんだが。

「龍之介って、時々妙に鋭いよな」

「普段は朴念仁もいいところなのにな」

「笑えるくらい要領悪いくせにな」

・・・余計なお世話だ。

「だが、お前の言うとおりだ。俺達はやっと捜し求めていたものを手に入れられた」

胡乱げに三人を睨んでいると、いつの間にか傍に来ていた歳三さんが女なら間違いなく見惚れるであろう柔らかな笑みを浮かべながら言った。

「お前が芹沢さんちの犬小屋に収まるのと同じくらい、俺達にとってあいつは傍にいるのが当たり前の存在なんだ」

待て。例えがおかしいだろ。

「そうそう、龍之介が芹沢さんの鉄扇で殴られるのと同じくらい、千鶴の茶を飲める日常は当たり前だよな」

「龍之介が芹沢さんの肩揉みをするのと同じくらい、千鶴ちゃんと言葉を交わす毎日は当たり前だな」

「あ・・・あんたら・・・っ」

ぷるぷると、握り締めた拳が震える。
こいつら、一度思いっきり殴りてえ・・・っ。

「それだけ千鶴は俺達にとってなくてはならない存在だってことだよ」

「例えが酷過ぎるだろうが!!」

綺麗にまとめたつもりかどうか知らないが、犬小屋や鉄扇や肩揉みが俺になくてはならないものだと言わんばかりの左之助の言葉に喰って掛かった俺は決して間違ってはいないはずだ。

しかし、俺の文句などこいつらはまるで相手にしない。
気が付けば、山崎達との会話を終えた雪村千鶴が総司と一の口論の間でおろおろしていた。二人の手は彼女の左右の手をそれぞれ掴み、彼女を巡って言い争っているのは明白だ。
そんな三人に「何やってんだ!」と勢い良く突っ込んでいくのは平助。
「千鶴が困ってんだろうが」と嗜めるのは左之助。
「千鶴ちゃんの手を握るなんて羨ましいぞ!」と余計な茶々を入れるのは新八。
そして酷くなっていく事態に、ついに歳三さんの「てめえらいい加減にしやがれ!!」という雷が落ちる。


「何やってんだか」

呆れ混じりに呟く俺の傍に、山崎と島田が来た。

「だが、不思議と懐かしい光景だな」

「そうだね、彼らが嬉しそうだと俺も楽しいよ」

騒ぐ彼らを見る二人の表情は、とても穏やかだ。
木刀が出ようものなら間違いなく血を見るであろう雰囲気なのに、それを微笑ましげに見てるこいつらもたいしたものだと思う。

やがて彼らは床に正座させられ、歳三さんの長い説教が始まる。
山崎と島田は彼女を促し、道場の奥に設置されている炊事場に向かった。
茶や菓子が盆に並ぶ頃には説教も終わり、不満を口にしながら総司達が立ち上がる。

そして、翡翠の眼が俺を見た。


ぞわり


全身を嫌な予感が駆け巡る。

咄嗟に踵を返して駆け出そうとする俺の襟首を、いつの間にか背後に立っていた総司の手が掴む。

「龍之介君、久しぶりに稽古付けてあげようか?」

悪魔の囁きが俺の命の炎を吹き消そうと嫌な風を運んでくる。

「い、いいいいいや、おおおおお俺はその・・・っ」

「一君には邪魔されるし、歳三さんには怒られちゃってむしゃくしゃしてるんだよね。ちょっと一緒に遊んでよ」

いつもの軽い口調で告げられた言葉は、俺にとって死の宣告に等しい。

助けを求めて道場の中に視線をやるが、最も頼りになる歳三さんや一は寛いだ様子で茶を啜り、こちらに気付く様子もない。
平助や左之助は上機嫌に雪村さんに話しかけている。
新八は・・・俺に向けてぐっと親指を立て、晴れやかな笑顔を浮かべている。
山崎は俺に向けて合掌し、島田は夢中で菓子を摘まんでいる。


嗚呼、やっぱりこんな所に来るんじゃなかった・・・。



畜生、いったい俺が何をしたって言うんだ!!



〈了〉

13.7.10up

犬・・・ではなく、とある少年の受難の物語でした。
千鶴ちゃんは生まれ変わった山崎さんと初めて出会いました。
これから山崎さん、島田さんとは親交を深めていきます。
龍之介君は平助君のおまけで時折会うこともあります。



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