「ティエン」
不意に呼び止められ、解放軍リーダー天流・マクドールは思わず足を止めた。
振り返ると、どこか神妙な面持ちの青年が所在なげに立ち尽くしている。
「何か用か」
知らず知らず声が硬くなる。
それもそのはず、天流に声を掛けた男とは決して和やかに歓談できる間柄ではないからだ。
解放軍副リーダー、フリック。
解放軍が結成された頃からの初期メンバーの一人で、先代のリーダーであったオデッサ・シルバーバーグとは恋人同士だった青年で、オデッサ亡き後リーダーとなった天流に対して敵意と不審を隠そうともせずに、何かと反抗しては解放軍の中に不和を齎す頭の痛い存在だ。
しかし、今の彼の表情には敵意よりも困惑の色が濃く、天流の全身を確かめるように見渡す視線には憎しみではなく焦りが濃い。
「訊きたいことがあるんだが、いいか?」
「何?」
何を言われるのかさっぱり見当がつかない。
この様子からしていつもの嫌味や罵詈雑言ではなさそうだ。
促すように向かい合って立ってもフリックは尚も言いよどみ、居心地の悪い沈黙が降りる。
だがやがてそれに耐え兼ねたのか、フリックが意を決したかのように天流を真っ直ぐ見て言った。
「お前、実は女って本当か?」
「死にたいか」
聞くものを芯から凍りつかせるほどの冷たい声音が響き、同じくらい冷えた視線がフリックを射抜く。
その日、一人の傭兵がソウルイーターの闇に呑まれて魂をしゃぶられた事実は歴史の闇に隠された。
うっかりソウルイーターを発動させちゃった事件の後も、時折仲間達が不可思議な視線を向けてくることに、天流は気が付かざるを得なかった。
ある者は当惑に満ちた目で、ある者は期待を込めた視線で、またある者は天流には理解し難い邪な感情を乗せた表情で天流を見ている。
(いったい何だ? 僕が何か仕出かしてしまったか?)
自分ではなるだけ完璧なるリーダーとして振舞っているつもりだった。だが、どこかでやはり無理が生じているのだろうか。
我が身の未熟さを部下に隠しきれていないのだとするとこれは問題だ。
生真面目に自分のこれまでの姿勢を振り返っている天流に、誰かが近づいてきた。
「おう、リーダー」
「タイ・ホーさん」
飄々とした船乗りは天流の目の前に立つと、その全身にくまなく目を走らせた。
何だ?
「まだ色気が足んねえな」
「湖に沈め」
その日、トラン湖にぷかぷかと浮かんでいたタイ・ホーはヤム・クーによって無事救助された。
「ちょっとティル、どうなってるのさこの軍は!」
突然部屋に風を纏って現れた少年の姿に、流石の天流も意表を突かれた。
「何かあったのか? ルック」
「何かあったのかじゃないよ! いったい僕のどこをどう見れば女に見えるのさ!」
どこをどう見ればって・・・ルックは一見女の子と見紛うばかりの美貌と華奢さを兼ね備えているのは確かだ。性格は到って過激で好戦的だが。
しかし今はルックの怒りと戸惑いがよく解る。
「何があった?」
急に声音と雰囲気が変わった天流の迫力に一瞬圧されたルックは、そこで彼に八つ当たりしても仕方ないと思い至って落ち着きを取り戻した。
そして事情を説明し始める。
ルックによると、ここ最近用も無いのに石板の周囲をうろつく人間が増え、不快に感じていたのだという。
それでも無闇に仲間を攻撃してはいけないという天流の言いつけを律儀に守っていたのだが、いい加減我慢も限界を超えようとしていた時、それは起きた。
「あ、あの・・・お話しても良いかな?」
頬を赤く染めて話しかけて来たのは、傭兵の一人だ。まだ幼さを残す純朴そうな青年で、ビクトールを初めとする傭兵の中では珍しくむさ苦しくない。
だがルックにとっては天流以外は皆すべからく鬱陶しい。答える声も棘が生えまくる。
「何、何か用?」
「じ、実は、僕、君と一度話してみたいな、て思ってて・・・」
「こっちは迷惑だよ」
「そんな、つれない態度も可愛いなって・・・」
「・・・・・・は?」
今確かに鳥肌が立った。
「リーダーのような凛とした美少女も良いけど、君のように清純な美少女も萌えるよね!」
こいつは今すぐ殺す。
そうして容赦なく切り裂かれた傭兵の無残な姿をその場に放置し、天流のもとへと転移したのだという。
話し終えてハッと天流を見るが、問答無用で切り裂きを炸裂させたことを天流は怒らなかった。それどころか深い共感さえ浮かべ、「よく頑張った」と優しく頭を撫でてくれた。
・・・何か嬉しいかも。
先程まで渦巻いていた怒りと不快感が清らかな水によって清められていくような感覚を覚える。
そんなまったりとした空気を引き裂くように、突如部屋の外より悲痛なる声が響き渡った。
「ぼ、ぼぼぼ、坊ちゃあぁ〜〜んっ!!!」
涙声で絶叫しながら全速力で廊下を突進してくる家人の足音に、天流とルックはまたかと言いたげに深く息をついた。
部屋の前で急ブレーキを掛けて止まったグレミオは、部屋に入ってくるなり大粒の涙を瞳に浮かべながら天流の両手をがしっと掴んだ。
「坊ちゃんが実はお嬢様って本当ですか!? い、いつからそうなったんでしょう!? 何故私は知らなかったのでしょうか!! ああ、でも心配しないで下さい! 坊ちゃんがお嬢様でもグレミオの愛に変わりはありませんからね! でも坊ちゃんにはもう少し可愛い服を着せて差し上げなければ! お嫁入り前の御身に何かあっては・・・っ」
「落ち着け、というか黙れグレミオ」
天流の静かながらも強い口調に、先程まで滝のように喋っていたグレミオは瞬時に口を噤んだ。よく訓練されている。
「僕が男だということは冷静になれば解るだろう。小さい頃一緒に風呂に入ったことを忘れたの?」
「・・・・・・あ」
言われてようやく気付く、その事実。
「そういえばそうでした。あの頃は坊ちゃんの珠のようなお肌を洗って差し上げてましたね。ええグレミオはホクロの位置も数もしっかり覚えておりますとも」
それも何か嫌だ。
無表情を保てず口元を引き攣らせる天流の様子には気付かず、グレミオは過去に思いを馳せてうっとりと遠くを見ている。ルックの同情の込められた視線が痛い・・・。
誤解は解けたようだが、問題はまだしっかり残っていた。
「それよりグレミオ、一体どうしてそんな馬鹿な誤解をしたんだ?」
「え? ああ、そうでした、実はですね、これを」
そう言ってグレミオが差し出したものを見た瞬間、天流とルックはその場にピシッと凍りついた。
「マッシュ、これを見てくれ」
執務室に入るや否や固い表情で切り出した軍主に、軍師はわけも解らず差し出された一枚の紙を受け取った。
「何ですか、これは? ・・・ん? おやまあ・・・」
それっきり、冷静な軍師といえど言葉を失った。
横から覗き込んだアップルも「あ」と一声漏らした後は固まっている。
マッシュの手の中の紙に描かれているのは、天流の絵姿だ。
それだけならば何の問題もないのだが、それはあまりにも衝撃的な絵だった。
天流の容姿が、絵描きであれば誰もが描いてみたくなるほど魅力的なのはマッシュも認めるところだ。
だがその絵は、実物よりも三割り増しほど愛らしく可憐でたおやかだ。
胸には有り得ない膨らみがあり、天流の纏う胴着を上手くアレンジしたチャイナドレスの大きく開いた襟ぐりからは谷間が見える。ミニスカートから覗く白い素足は細いながらも柔らかそうで、見えそうで見えない絶妙の露出に思わず視線が吸い寄せられてしまう。
“下からのぞいちゃダメだぞ☆”とはキャッチフレーズだろうか。
「・・・・・・何です? これは」
「僕が聞きたいよ。これを見てグレミオが僕の性別を勘違いしたんだ。おそらく他にも誤解した人がいると思う」
「何故グレミオ殿が・・・」
いや、あの坊ちゃん命な家人ならば在り得るかも知れない。
「お、いたいた、ティル!」
再び執務室の扉が開き、顔を出したシーナが天流の姿を見止めるなり遠慮なく部屋に入ってきた。
途端にアップルの顔が不機嫌なものになるが、シーナはまったく気にせずウインクまでする余裕を見せる。
「これ、見てくれよ」
そう言うとシーナはマッシュの机の上に手に持つ何枚もの紙を広げて見せた。
「・・・・・・!」
「・・・・・・なんとまあ」
「・・・・・・何、これ・・・」
三人揃って絶句した。
机の上に広げられた何枚もの―美少女な天流とルックの―絵姿はあまりにも衝撃的だ。
ある一枚などには二人揃って描かれているのだが、所々破られた刺激的な服を着た美少女な天流とルックがお互いを抱きしめ合って切なげにこちらを見ている。
その謳い文句は―“ぼくたちを守って一緒に戦ってネ☆(by.ティエン)”と“べ、別に助けて欲しくなんてないんだから!(by.ルック)”。
スゥーッと室内の空気が冷えた。
「犯人は?」
黙ることを許さない覇者の気迫に思わず後ずさる。
別に何も悪いことはしていない自分ですらこうなのだから犯人ともなれば・・・――などと心配してやるほどシーナは甘くない。
「案内してやるよ♪」
あっさりそう答え、二人は執務室を出て行った。
その部屋には異様な熱気が渦巻いていた。
カリカリと紙面を走るペンの音が絶え間なく流れ、先の細い筆先が白い部部に慎重に色を引いてゆく。
「どうだ、出来の方は」
問いかけに、作業中の傭兵達の一人が手を止めることなく答える。
「今キャッチフレーズを考えているところです。この潤んだ上目遣いなら“信じてるからね”か“お願い”辺りでしょうか」
「とにかく可愛く頼りなく抱きしめたくなるようなやつでいけ」
「了解」
「着色完了です。ルックちゃんのドレスのフリルが大変でした。今度はティエンちゃんのチャイナドレスを塗りたいであります!」
「許可する。ならばこの縛られて絶体絶命のティエンちゃんを塗れ!」
「ようし、頑張れよ手前等! その努力の結晶が他の連中の士気を上げるんだ!」
「「「「「イエッサー!!!」」」」」
「士気を上げるって何だよ?」
「あ? だからいつも言ってんだろう。ただでさえ女ッ気がねえんだから可愛い奴を萌えキャラにして男共の士気をだな・・・」
言いながら振り向いた男はその瞬間、――凍りついた。
その様子を不審に思った傭兵達も次々に視線を向け――やはり凍りついた。
絶対零度の氷河期到来。
「随分と楽しそうだな、ビクトール」
「ティ・・・ティエン・・・なぜ・・・」
何故も何も隣に立つシーナが連れて来たであろうことは容易に察しがつくが。
「先程から聞いていればルックちゃんのドレスのフリルやらティエンちゃんのチャイナドレスやら・・・聞きたくも無い単語が聞こえてくるのだけれど、当然、説明してくれるんだろうね?」
それはすでに疑問ではなく命令であることは誰の頭でも理解できた。
全員が縋るようにビクトールを見る。彼らの指揮官が彼であることは間違いなさそうだ。
「い、いや、これは、その、つまりだな・・・」
日に焼けて浅黒いはずのビクトールの顔色がみるみる青白くなる。全身から冷たい汗が噴き出し、恐怖による震えが逞しい身体を覆い尽くす。
「さっさと吐け」
「だだだだから最初はだなフリックのお前への態度を見かねて実はティエンは女の子なんだから優しく扱えと言っちまったわけなんだよ、あの、その、絵が上手い奴に何枚かお前の可愛い女の子姿を描かせてさ。ところがそれが意外に良い出来で、他の奴等も気に入っちまったもんだから、同じくらい可愛いルックと一緒に・・・その・・・あははは・・・」
「へえ、そういうこと」
すぐ背後から聞こえてきた声にビクトールはビクンッと硬直した。
この声は聞き間違えようも無い。
「る、るっく・・・」
嗚呼、おしまいだ。
誰もがそう思った。
訪れるであろう切り裂きを覚悟して目を綴じたが、何故か一向に衝撃が来ない。
「・・・?」
恐る恐る目を開けると、ルックはビクトールの背後から天流の傍へと移動していた。
天流ならば理不尽な攻撃を止めてくれる。
そう思って安堵したが、向けられる視線は依然冷たく、しかも徐々に琥珀に紅みが差しているような気さえする。
「全員今すぐ私の前に誓え。このふざけた絵姿を全て回収し、破棄すると」
誓います誓わせて下さい必要ならば貴方様の靴の裏だってお舐め致します!
ぶんぶんと何度も頷く傭兵達を見渡し、天流は微笑んだ。
春の花が咲き綻ぶような微笑ではなく、真冬の朝に滝の周りに連なる氷柱のような冷笑だ。
そしておもむろに天流とルックの左手が掲げられた。
浮かび上がるのは旋風と大地の紋章。
「後悔は医務室でしろ」
「跡形も無く吹き飛ばしてやるよ」
二人が何をする気なのか、瞬時に察知したビクトールは絶叫した。
「いや、待て待て待て! 確か今はまだ紋章は右手にしか装備出来ないはずだよな!?」
「「問答無用――風烈牙!!!」」
その日、トラン湖にそびえる古城の一室が吹き飛んだ。
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まったくもう、ビクトールさんにも困ったものです。
坊ちゃんがお嬢様なわけがないんですよね。
危うく騙されるところでしたよ。
確かに坊ちゃんがお嬢様ならそれはそれはお可愛らしかったでしょうね。
いえいえ、今だって充分可愛いです。
ああでもお嬢様であればきっと
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――。
いやいやそうではありません。
坊ちゃんは男の子です。
確かに綺麗で可愛いですが男の子なんです。
女の子の格好をさせるなんてとんでもありません!
ビクトールさんにはいつの日かきっと天罰が下りますよ!
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残されたグレミオの日記を読み、彼の死に責任を感じたとある元帝国将軍がビクトールの女装姿を丹精込めて描くのは、それから数年後の未来のことである。
それを見たとある少年が「ビクトーラさん」と呟くのは更に数年後のことである。
そして、トラン戦争が伝説となった頃――トランの英雄の傍に在った二人の傭兵についての記述に“ラメ入り赤の刺繍入りマントを纏うアホ”と“でかい図体で女装趣味の変態”という文字が加えられ、それを読んだ旅の少年の一人が「悪いことしたかな」と呟き、もう一人が「いいんじゃないの」と切り捨てるのは、遠い遠い未来のお話。
歴史とは、99%の偽りと1%の真実である――とは誰の言葉だっただろうか。
END
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