悲惨な戦争を、理不尽な死をこの目で見てきたからこそ、戦争を憎み、命の大切さを知る。
『兄さんの力が必要なの。トランの民が苦しむのを黙って見ていられない。帝国軍のせいで私や兄さんのような思いをする人がどんどん増えているのよ』
静かな村で隠遁生活を送っていたマッシュの元に、解放軍リーダーとなった彼の妹は何度か助力を請うて来た。
だがマッシュは妹からの手紙に一度だけ断りの返事を出しただけで、直接訪れて言い募る彼女に対しても首を縦に振ることはなかった。
人々に圧制を強い、僅かな財をも搾取しようとする帝国軍に逆らい、抵抗する勢力“解放軍”を立ち上げたオデッサ。
妹の一途な想いや揺ぎ無い信念は解る。けれど、それはやはり綺麗ごとでしかないのではないか。
戦争は繰り返される。
バルバロッサ皇帝が政権を握った後、平和といえる時間はたかだか数年程度しか続かず、また新たな戦争を妹は起こそうとしている。
そうして連鎖する憎しみの感情。もつれ合う糸は無駄に膨れ上がる。
『帰りなさい、オデッサ。私は戦争に関わる気はないし、お前にも関わって欲しくはない』
『兄さん、私は私怨だけで戦争を起こそうとしているわけじゃない! 人々の苦しみを、嘆きを、皇帝に伝えなくては!』
『かつて陛下もそう言って民のために立ち上がった。その結果が現在だ』
いつしか政治を省みなくなったかつての英雄王。
遠く離れた地から、少しずつ民の苦しみが広がりつつあった。
その声に答え、圧制から解放されるために行動を起こそうとする人々が集まったのがオデッサ率いる“解放軍”。
しかしその力は脆弱で、とても帝国軍に立ち向かえる程のものではなかった。
そして何より、バルバロッサ皇帝以上の存在は未だトランの地に現れてはいない。
解放のために戦争を起こそうというのなら、その後のことも考えなくてはならない。
圧倒的なカリスマでバルバロッサ皇帝は最強と謳われた六将軍を従えた。現在は五将軍となっている彼等の力は今も衰えることなく、揺らぎつつある赤月帝国を支えている。
その将軍達に匹敵する力を、バルバロッサを凌ぐ統率力を持つ者でなくては帝国軍には勝てない。例え勝てたとしても、支えを失ったトランの大地は更なる混乱に陥るだけだ。
オデッサは真摯で意思が強い。華奢な女性でありながら、大勢の男を従え導いていく力は確かに有る。だが彼女は理想主義から脱しきれず、そして優し過ぎた。
敵であっても命を奪うことを躊躇い、自分の身を挺してでも小さな命を守ろうとする。
必要なのは理想を持ちながらも現実を、その裏を見透かし、時には冷酷にもなれる真の覇者だ。
肩を落として立ち去る妹の小さな後姿を見送るマッシュの表情は、オデッサと同じくらい暗く痛々しいものだった。
そのオデッサの死の報告と共に現れたのは、彼女の意思を受け継いだ一人の少年。
一目見た瞬間、マッシュの軍師としての勘が告げた。
――私が待っていたのは、この方だ――。
直感が確信に変わったのは、トラン湖に浮かぶ古城を手に入れ、解放軍の居城とした日の夜だった。
忍び込んだ暗殺者の命を躊躇いもなく奪った天流。
それまで彼の優秀さを認めてはいても、その幼さに一抹の不安を抱いていたマッシュの懸念は跡形もなく消え去った。
幼い頃から命の危険に晒されていた天流に、自分の命を狙う者に対する容赦は欠片もなかった。
彼は自分の身が如何に重要であるかを熟知し、まず生き残ることを優先する。
――例え、家人の命を犠牲にしてでも。
人として哀しい潔さだが、軍主としては正しい。
裏を返せば軍主としては完璧だが、幼い心は誰にも顧(かえり)みられず傷ついてゆく。
マッシュの弟子であるアップルはマッシュを戦争に引きずり込んだのは天流だと思い込み、彼を責める。
マッシュの辛抱強い説得で渋々ながらも解放軍の参加には納得したものの,、天流への反感は根強い。
副リーダーとしてオデッサを支えていたというフリックは、最愛のオデッサを失ったショックから立ち直れず、彼女からリーダーの地位を託された天流に全ての責任を押し付けて辛く当たる。
彼等のやりきれなさを理解できないわけではないが、見当違いの憎しみを罪のない天流に向けるのは間違っている。
自分がしなければならないのは、軍師として軍主である彼をサポートし、一人の大人として少年の傷つきやすい心を守ることだ。
先の戦争によって疲れ果てていた軍師マッシュ・シルバーバーグは、天流・マクドールとの出会いによって息を吹き返した。
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パシャッ、と水が撥ねる。
手繰り寄せた糸の先にはビチビチと元気良く魚が跳ねていた。
トラン湖に浮かぶ小船では、軍師と軍主が並んで釣り糸を垂らす。
柔らかな日差しの中でのんびりと釣りを楽しむ二人。何とものどかな光景だ。
「たまにはこんな日も良いですね」
「そうだね」
解放軍の中でも特に仕事の鬼として知られる軍主&軍師コンビだが、こうした静かな時間を過ごすことも大好きだった。
日ごろ真面目に仕事をこなしているお陰で、何だか暇な時間ができてしまい、こういう日はもういっそのこと釣りでも楽しもう、と意見が一致した為こうして二人で湖に小船を浮かべているのだった。
「静かだね」
「最近は帝国軍との諍いもなく平和で何よりです」
「いつまでもこんな時間が続くといいな」
「そうですね」
平和だ。
日差しは温かく、心地よい静けさの中で微かな水音だけが耳を擽る。
なんて気持ちが良いのだろう。
とか思っていれば必ず入るのが“邪魔”というのは世の常である。
「うわあああああぁぁぁぁぁ」
遠くから悲鳴が上がり、尾を引きながら消えたかと思うと、ドッポーンと水柱が立った。
「何でしょうな?」
「フリックが落ちた」
「ほう」
水柱が立った辺りを上へと視線を移動させてみると、トラン城の窓から顔を出す金髪があった。
「シーナ殿ですな。彼が犯人ですか?」
「ルックじゃないかな。飛ばされたみたいだし」
「やれやれ」
穏やかに会話を交わしながら、二人は悠然と釣り糸を垂らす。
遠くでフリックがバシャバシャと水中をもがく音もどこ吹く風で、マッシュは慣れた手つきで魚を釣り上げた。
そして二人は穏やかな静寂の中、持参した水筒から注いだ梅昆布茶を啜る。
軍主と軍師がのんびりと見つめる先で、慌しく船を出したタイ・ホーとヤム・クーがもがいているフリックを回収に行く。
「救助されたようですね」
「うん、無事で良かったね」
本当に無事を喜んでいるのか疑わしいほどに淡々とした口調だ。
そして二人の関心はすぐに糸を引く釣竿に向けられた。活きのいい魚がまた一匹宙を舞う。
「ところで彼は仕事を終えたのでしょうか」
「そういえば彼とビクトールはまだ報告書を提出してないね」
不愉快げに眉間に皺を寄せる天流の幼さを残した秀麗な顔を、マッシュは優しい眼で見た。
「ティエン殿はデスクワークが苦にならないのですね」
「身体を動かすことは好きだけど、机に向かうことも好きだよ。それに元々僕は武官ではなく文官になるつもりだったんだ」
マッシュの思慮深い表情が少しだけ驚きに彩られたが、すぐに感心とも納得とも言えるものとなった。
「赤月帝国の政治が揺らいでいたことは解っていたから、僕は官僚となって行政改革をしたかった」
フリックはまだもがいている。どうやら濡れた服の重みで船に上がれないようだ。
ヤム・クーが懸命に手助けしているが上手くいかない。タイ・ホーは船のバランスを保つのに必死だ。
湖の向こうの騒ぎをぼんやりと眺めながらも、天流の意識は過去に向かう。
「帝国軍に入隊したのはそのための一つの通過点に過ぎなかった。父上の元で働くのは夢だったけど、父上の傍にはすでに優秀な武将達が居たから、僕は軍人としての経験を積んだ上で政治に携わるつもりだったんだ。父上やソニアさん達が武力で国を守るなら、僕は国家の中枢を立て直したかった」
自分の成すべきことを見極め、前を見据える。
天流と同じ年頃の少年達にとっては軍隊に入ることだけでも大変なことだ。しかし、天流は入隊をあくまで一つの通過点としか見ていないと言う。
彼が目指していたのは、さらに先の地位。
マッシュは天流が官僚となった帝国を見てみたかったと心から思った。
しかし彼の成長を待つには、帝国はすでに腐り過ぎていたのだ。
「貴方が後10年・・・せめて5年でも早く生まれて下さっていればと思いますよ」
しみじみと呟かれ、天流・マクドールは思わず苦笑した。
「僕もそう思うよ。生まれるのが遅過ぎた、と。お陰でマッシュに余計な罪悪感を抱かせてしまった」
敵わないな、と額に手を当てる。
軍主に据えるには天流はまだ幼過ぎると心を痛めていたことを指摘され、希代の名軍師も言葉に詰まる。
グレミオやクレオのようにあからさまではないものの、マッシュも天流の年齢を正確に把握して、大人の立場で天流を見る数少ない者の一人だ。
大抵の人間は彼の持つ圧倒的なカリスマ性に傾倒し、年齢を考えずに軍主としてのみ見ている。そこに、天流という十五歳の少年の姿はない。
それを知りながらも当然のように事実を受け止める天流には、すでに子供としての甘えはなかった。
「貴方が入隊したのは十四歳の時でしたね。その時から・・・いえ、おそらくはそれ以前から貴方は子供であることをやめていたのですか?」
「自分の立場を解し、責任を持てば自ずと子供ではいられない。グレミオ達はそれを心配していたようだけど・・・でも僕は幸せな子供時代を過ごしたと思っているよ。愛されて、大切にされて、素晴らしい家族と親友に恵まれた。だからこそ、僕はそれを守りたかったんだ。自分の手を汚してでもね」
安定した国家で平穏な暮らしを。
誰もが望み、天流にとっても大切で失くしたくないもの。
それを得る手段がもはや戦争を起こすことだとは――。
マッシュと天流の釣竿が同時に反応した。
二人は素早く糸を手繰り、ほとんど同時に魚を釣り上げた。
互いに視線を交わし、やがてマッシュがにっこり微笑む。
「私の方が大きいですね」
言葉を受けて浮かべた悔しげな表情は年相応に幼く、微笑ましい。
フリックを船に引き上げるのを諦めたのか、縁に張り付かせた状態でタイ・ホーが桟橋に向けて船を漕ぐ。
桟橋にはビクトールの姿がある。どうやらタイ・ホー達にフリックを救助に行かせたのは彼だったようだ。
そうしてビクトールとタイ・ホーがフリックを引き上げようとするが、横からシーナが木の枝でフリックを突いて邪魔をしている。
「マッシュ、そろそろ戻ろうか」
魚篭にいっぱいになった魚を見て天流が言った。
「そうですね。たくさん釣れたことですし、フリック殿とビクトール殿にさっさと仕事をしてもらわなければ」
「まったくだね。何であの二人はあんな所で水遊びしているんだろう」
呆れたように発せられた言葉だが、フリック達にしてみれば決して遊んでいるわけではない。むしろ現在命の危険に晒されている。
軍主と軍師を乗せた小船は、ゆっくりとトラン城に向けて進み始めた。
「ティエン殿、私は軍師として貴方に仕え、一人の人間として貴方を守りたいと思いますよ」
「マッシュは僕に甘いね」
「そうですか? 軍主と軍師なんてそんなものですよ。貴方が汚れるなら私も共に汚れましょう。戦争で奪われる多くの命を、共に背負います」
この先も多くの血で染められているであろう、軍主の道。
オデッサの身体を下水に沈めたように。
グレミオとパーンを見殺しにしたように。
父親の命をこの手で奪ったように。
今まで以上に血に汚れる自分の手を、痛ましく思えど後悔などするつもりはない。逃げ道を作るつもりもない。
それでも一人で歩くには辛過ぎる道を、迷いのない瞳で共に歩むと言ってくれる存在がいる。
これほど切なく、嬉しいことはない。
「僕は前に進むしかない。でもどれほど険しい道だとしても、貴方が隣にいてくれるなら心強いと思うよ」
親友と引き離され、家人に甘えることをしなくなった天流の、自身すら気付かなかった心の奥の空洞。
それを埋めてくれるのは唯一人――マッシュだけ。
「ずっと・・・傍に居てほしい」
「貴方と出会えた奇跡に感謝しますよ」
そっと天流の手を取り、優しく口付ける。
ここが小船の上でなければマッシュは天流の前に膝をついていただろう。
「・・・・・・見せ付けてくれるよな」
妙に不機嫌な声に視線を動かすと、いつの間にか桟橋に着いていた小船をシーナの据わった眼が見つめていた。
その向こうにはニヤニヤと笑うタイ・ホーと何故か照れているヤム・クー、呆れた表情のビクトールと溺死寸前のフリックが居た。
そんな彼等に向け、天流は感慨もなくただ一言。
「まだ水と戯れていたのか」
シーナ以外は水と戯れていたつもりはまったくない。
真っ先に異を唱えたのは、やはり死に掛けたフリックだ。
「誰が水と戯れてるか! 俺はルックとシーナのせいで死ぬかと思ったんだぞ!!」
「死ななくて良かったな」
「ところでフリック殿とビクトール殿、報告書は提出されましたか?」
「「・・・・・・・・・」」
言葉を失うフリックとビクトールの様子に、軍主&軍師による氷の視線が突き刺さる。
仕事の鬼降臨・・・。
「「さっさと(しろよ)(して下さいね)」」
見事な二重唱で言い放ち、魚篭と水筒を手に二人は仲良く城の中へと入って行った。
桟橋には気まずい沈黙が漂う。
「な、何であいつらあんなに冷たい台詞をさらっと言えるんだ・・・」
涙も出ないくらい落ち込むフリックに、ビクトールはただ励ますように背を叩いてやるくらいしかできなかった。彼自身もその冷たい言葉を向けられたのだから、慰めの言葉もない。
フリックの泣きそうな声の疑問に答えたのは妙に不機嫌なシーナだ。
「何で冷たいかってそりゃあいつらの邪魔しちゃったからだろ。あーあ、マッシュさん羨ましい〜。俺も一度でいいからティルに“傍に居てv”って言って欲しいなあ」
ちなみに二人の世界を邪魔したのはシーナである。
そして彼はどう見てもマッシュに嫉妬している。
二人が消えた城の入り口を見つめながら、シーナは切なげなため息をついた。
■■■■■
――兄さんの力が必要なの
ひたむきに、理想を追いかけていた妹。
最後に見た意気消沈した小さな背中を思うと胸が痛い。
だが、彼女の想いは戦争の愚かさを知り、軍師であることに疲れ果てていたマッシュに奇跡を運んでくれた。
(オデッサ・・・。お前への感謝とお詫びに、私はお前の願いを叶えよう)
――人々の苦しみを、嘆きを、皇帝に伝えなくては
その願いを託した人選は間違っていない。
(ありがとう。ティエン殿に会わせてくれて・・・)
再び軍師としての命を吹き込んでくれた一人の少年。
多くのものに恵まれながら、決して自身の責任から眼を背けなかった潔さと、それによって失わざるを得なかった幼さ。
いつか、彼が葬り去った大切なものが取り戻せるような世の中がくればいい。
その為に、私は軍師として戦場に立つ。
END
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