天国と地獄
坊ちゃん:天流(ティエンリウ)・マクドール
2主:ユアン(元)





あの・・・馬鹿軍主があああ〜〜〜っっ





殺気にも似た怒気を孕んだ低い声が、室内を恐怖に陥れる。
同盟軍本拠地ノースウィンドウ城の執務室は今や、到来した氷河期に生きとし生けるものが凍死寸前である。

血管が切れるのではないかというほど青筋を浮かべる軍師の鋭い目が睨み据えるのは、机の上どころかその周囲にまで積み上がった書類や仕事の山。
そして、椅子にちょこんと置かれた――特大の呪い人形。
顔の辺りにはおそらく軍主の顔と思われる子供の落書きのような絵が貼られている。
その椅子に本来座るべき人物は、どうやら人形を身代わりに置いて逃げたようだ。


ふざけたことをしてくれる・・・


泣く子も黙る鬼軍師シュウは闇のオーラを纏いながら凄絶な笑みを浮かべた。

その顔をまともに見てしまったクラウスやアップルは芯から凍り付く。おそらく二人はしばらくの間、魘されることになるだろう・・・。


そんな地獄の入り口と化した執務室に入って来たのは、不幸道を地で行く通称青い人、フリックである。

「入るぞ・・・うわあ!?」

ギロリと、殺人光線を放つ目を向けられ、手にした書類をバサバサと落としながらフリックは閉めた扉に背中をへばりつけた。
本能的にまずいと悟り、回れ右をして執務室を出て行こうとして・・・。

「良い所に来たな」

悪魔の声に呼び止められた。

フリックは顔色までも自分の色に染めて振り返る。端正な顔に浮かぶのは、諦めである。

「・・・何だよ」

「マクドール殿を探して来い」

「はあ?」

「聞こえなかったか?」

「いや、聞こえたけど・・・何でティエンを・・・?」

尋ねようとして、フリックは部屋の奥の机に積み上がった書類の束と巨大な呪い人形を見て納得する。

(あいつは逃げたか)

彼を捕まえたいのなら、まずは天流を探せば良いというのは周知の事実だ。
“トランの英雄在る所に軍主在り”
すでに同盟軍では有名な言葉である。

シュウの脅し…依頼にフリックは「解った」と答え、執務室を出て行った。


机上に視線を戻したシュウは、眉間の皺を増やしながら器用に口許に笑みを浮かべる。
怒りに満ちた笑顔ほど怖いものはない・・・。


く、くく…あの馬鹿が…どうしてくれようか…くっくっく…


邪悪な忍び笑いが何とも言えない恐怖を伴なって流れる。
あまりにも不吉なその声に、クラウスとアップルはぞくりと総毛立った。
針のムシロとはこのことだろうか。とにかく早くこの永久凍土から抜け出したい。


二人の切なる願いが通じたのか、執務室の扉をコンコンとノックする音が響いた。


天の助け!!


一も二もなく近くに居たクラウスが扉に飛び付く。

そして彼は、扉の前に立つ人物を見た途端、目を丸くした。

「ティエンさん?」

「軍師殿は居られますか?」

そこに居たのは、待ち望んでいたトランの英雄その人。
何て素敵なタイミングで現れるのだろう。クラウスの目には天流の後ろに燦然と輝く後光が見えた。やはり彼はトランのみならず、デュナンにとっても希望の星なのだっ(意味不明)。

「ありがとうございます、ティエンさん! ささ、どうぞお入り下さい!」

何故礼を言われるのだろう。

感謝に満ち満ちたクラウスと、その肩越しに見えるアップルの表情に首を傾げる。
事情を知らない天流には何が何やらさっぱり解らない。

振り返ったシュウの顔から殺気と邪悪な気配はなりを潜めていた。だが眉間の皺はいつもより多く、青筋も浮かんでいる。

「マクドール殿、うちの猿を見かけませんでしたか?」

軍主に対する軍師の台詞とも思えない暴言。
天流は部屋の奥の軍主の机を見て、積み上がった書類と呪い人形を見て内心で溜息をついた。

「残念ながら。今日はレパントから預かった書簡を届けに来たので」

そう言って手にしていた筒を差し出す。

「これはわざわざ、ありがとうございます」

「シュウ殿、僕がこの城にいることでユアンの妨げになっているのですか?」

「いえ、そういうわけでは」

「貴方が言うなら僕はここを去るけど?」

「それは困ります。却って逆効果になり兼ねません」

以前、天流がトラン国内漫遊に出掛けた時のことを思い出してシュウはげんなりした。

始めの頃こそ、天流が出掛ける前に言った「仕事頑張って」という言葉に励まされて仕事をこなしていたのだが、3日も経てばペースは落ち、1週間も経たずに禁断症状が現れて仕事に手が付かなくなったのだ。
それなのに天流が同盟軍に来なくなってしまったら・・・考えるだけで胃が痛い。

そこでシュウは、はたと何かを思い付き、

「マクドール殿、しばらく私とご一緒して頂けませんか?」

「?」

「貴方が一緒ならあの猿が犬並の嗅覚で嗅ぎ付けてくるでしょうから、そこで捕獲します」

「僕はさしずめユアンをおびき出す餌というわけか」

「言い方は悪いですが、間違ってはいませんね」

互いに顔を見合わせ、天流とシュウは笑い合った。
先程までとは打って変わった和やかなムードが部屋を満たす。
邪悪な気配はすでになく、やはりトランの英雄の力は偉大だとクラウスとアップルは改めて実感した。





一方その頃、天流が自分が出て行った直後に執務室に赴いたことを知らないフリックは、ホールへと続く廊下を右に左に行ったり来たりを繰り返していた。

(入るべきか、入らざるべきか・・・。だがティエンの行方を知るためには一番手っ取り早い方法だし・・・だがしかし・・・)

周囲の奇異な視線も気にならないほどに考え込み、青いマントはしばらくの間その場をウロウロとさまよい続けていた。





「失礼する」

涼やかな声とともに執務室に入って来たのは、マチルダ騎士のカミューだ。後ろから相棒のマイクロトフも続く。
二人は室内の来客用の椅子に腰掛けて優雅にお茶を飲む天流を見るや、一瞬驚きの表情を浮かべた。

「ティエン殿が執務室に居られるとは珍しいですね」

「軍主殿の姿がないようですが?」

マイクロトフが室内を見渡してそう言うと、シュウのこめかみがぴくりと動き、クラウスやアップルは苦笑する。
騎士達は山積みの書類と巨大な呪い人形が鎮座する軍主の机を見ると、思わず「ああ」と呟いて納得した。

「ユアン殿は逃げましたか」

「二人はあの馬鹿を見なかったか?」

「いえ、俺達は今まで道場の方に居ましたので、見かけていません」

二人はシュウに報告書の束をそれぞれ手渡すと、揃って来客用に置かれたソファに腰掛けた。
彼らの熱い視線の行方は言うまでもなく天流だ。
常にルックやシーナによって厳重にガードされている彼とこんなにも近くで話せる機会など滅多にない。こんなチャンスを逃す手はないっ。

「ティエン殿、ご一緒しても宜しいですか?」

「どうぞ、カミュー殿、マイクロトフ殿」

「ありがとうございます」


常日頃、軍主が恐れてやまない恐怖の執務室なのだが、その場に居るのが天流というだけで、この日は何とも穏やかで和やかな一室となったのであった。





一方その頃、ホールへと続く廊下ではついにフリックが意を決してホールに乗り込んでいった。
目指したのは石板の前。重い足を引きずりながら、フリックは定位置に立つ美貌の少年の前に立つと、勇気を振り絞って声を掛けた。

「な、なあルック、ティエンを知らないか?」

「何で答える必要があるのさ」

視線すら向けられず、明らかに不機嫌な声音で冷たく返される。
フリックは挫けそうになる心を必死に奮い立たせ、

「シュウが、探して、るんだよ、知ってるなら、教えて、くれない、か?」

緊張のあまり不自然に言葉が途切れる。

フリックは自分よりも遥かに体は細く力も弱い、しかも10歳も年下のこの魔術師の少年が大の苦手だ。
三年前から散々毒舌と切り裂きを浴びせられ、同盟軍で再会した直後には瀕死の重傷を負わせられた上、現在も三年前さながらきつい態度と毒を含んだ言葉は変わりないのだから仕方がないのだろう。
そもそもの原因は自分にあることは解ってはいるのだが、少々…いやかなり度が過ぎている気がしてならない。が、それを面と向かって言う勇気もない。

フリックの言葉にルックがようやく彼に目を向けた。
下から見上げられているはずなのに、心情的には上から斜め45℃の目線で見下ろされている気がする。

「ハゲがティルに何の用?」

「ハゲってお前・・・。あーっと、どうやらユアンがトンズラしたみたいでさ・・・」

「馬鹿猿が・・・」

フリックが最後まで説明するまでもなく、ルックは瞬時に事情を察して表情を険しく歪めた。はっきり言って怖い。切り裂き発動10秒前という感じだ。
じりじりと後ろに下がりながら、フリックは逃げの体勢を整える。ユアンを捕まえなければシュウに厭味を言われるし、天流には彼も会いたいのだが、やはり命には代えられない。

「い、いや、あの、知らないならいいんだ、邪魔をしたな」

さっさと立ち去ろう、というところで見計らったかのように、どこからともなく暢気な声が聞こえてきた。



ティエンさ〜ん! どこですか〜!?



ピシリッ



時間が音を立てて凍り付いた。


立ち昇った圧倒的なまでの殺気の正体など、考えたくもない。



平和を絵に描いたような昼下がりが一転して阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌を遂げるのに、そう時間は掛からなかった。





ホールが地獄ならば執務室は楽園だろうか。

トランの英雄を中心に、麗しき騎士と知的な軍師達が優雅な雰囲気の中、お茶を楽しみながら歓談している。

「ティエン殿、是非我ら青騎士団を指導して頂けませんか? 貴方に見てもらえれば皆喜ぶのですが」

「名高きマチルダ騎士団を率いる貴方にそんなことを言って頂けるとは光栄です」

「貴方とは一度手合わせしたいと思っているのですが、お引き受け願えますか?」

「僕で宜しければいつでも」

騎士達と言葉を交わす天流は、随分とリラックスしているように見える。

ユアンは毎日懲りもせずに逃げ回っている執務室だが、4年前の天流はむしろいつも楽しそうにマッシュと共に書類を捌いていたことをアップルは思い出していた。
当時は我侭な子供でしかなく、色々なことが見えていなかったけれど、今は穏やかな気持ちで過去を振り返れる。こんなにも天流が喜ぶのなら、もっと頻繁に執務室に招待しても良いのではないかと思えるほどに。
珍しく穏やかな表情で天流と言葉を交わす兄弟子の様子を見ると、彼はきっとその話に反対はしないだろう。



突如、室内に風が巻き起こった。

直後に、べしゃっという音を立てて何かが床に落ちる。


突然の出来事に驚き、全員が思わず腰を浮かせ、騎士達は素早く腰の剣に手を掛ける。


「こんな所に居たんだね、ティル」

空中から優しげな声が落ちてきた。その優しさは一人に限定されたものであることは、全ての者が知る。

「ルック」

天流の呼びかけに、翡翠の瞳が優しく細められる。

自分達だけの世界を構築しようとしている二人はさておき、その他の者達は恐る恐るという風に、ルックと共に現れて床に落とされた物体に視線を向けた。

間違いなくそれは―――同盟軍の軍主ユアンの変わり果てた姿である。


「「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」」」


恐ろしさに声もない。
この状況で平常心を保っていられるのは、天流くらいだ。


「・・・ルック」

咎めるように見据える視線から決まり悪げに目を逸らし、ルックは天流が飲んでいたお茶のカップをむんずと掴むと一気に飲み干し、彼の腕を掴んで引き寄せた。
そして軍師に勝るとも劣らない絶対零度の眼差しを全員に注ぐ。

「くだらないことにこいつを巻き込まないでくれる?」

冷たい声音で言い捨て、二人の姿は風と共に消えた。



「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」」





やがて、平常心を取り戻したシュウは風に乱された黒髪を肩ではらい、醒めた眼差しでユアンを見下ろした。

「ユアン殿、暢気に寝っ転がってないで、さっさと起きて下さい。貴方に処理してもらわねばならない書類が溜まりに溜まって山となっているのですよ」

無表情で冷たく言い放ち、ぐったりとしているユアンを椅子に座らせると、どこからか取り出した縄で椅子から立ち上がれないように縛り上げた。


くっくっく・・・もう逃がさんぞ、馬鹿軍主が・・・


邪悪な含み笑いが無限の恐怖を撒き散らす。


しばらくして自力で立ち直ったユアンだが、2、3日は椅子に縛り付けられた状態で軍師にこき使われることになったのは言うまでもない。





一方その頃、石板の前で巻き添えを食らって切り裂きを浴びたフリックは親切な人達によって医務室へと運ばれ、無事一命を取り留めた。めでたしめでたし。





さて、それからというもの、天流が執務室に招待される回数は各段に増えていった。
それによって軍主が渋々執務室へ来るようになり、積み上がっていた書類も最近では机上の範囲にまで減らすことができたのだった。


しかし、用もないのに茶菓子やら土産やらを手に執務室を訪れる人の数が増え、風の魔術師の少年や大統領子息の青年などはおもしろくないことこの上ないのだが、天流が楽しげにしている様子を見るといくら彼らでも水を差すような真似はできなかった。

天流の執務室好きは、ルックもシーナもよく知っている。
4年前、彼の優先順位はいつでもどんな時でも仕事だったのだから。
共に楽しい時間を過ごしている時に、何度「ごめん、マッシュが呼んでるみたいだから行くね」と言って執務室に向かう天流の背中を見送ったことか。

だが結局天流に甘い二人は彼が喜ぶならばと、構ってほしいという思いをぐっと堪えるのだった。


その後、無事に軍師の眉間の皺も減り、ようやく執務室に平和が訪れたのである。



トランの英雄の影響力、恐るべし。



END


65000番を申告して下さった時月氷様のキリリク『坊ちゃん総受け』でした。
坊ちゃん総受けというか、フリック&2主の不幸話・・・?(汗)
このようなもので宜しかったでしょうか?(滝汗)
ユアンは執務室が大嫌いですが、天流坊ちゃんは大好き。という話でした。
(執務室…というよりマッシュが好きなのかな?(笑))

時月氷様、65000HITおめでとう&申告ありがとうございました♪



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