悪夢の一日
坊ちゃん:天流(ティエンリウ)・マクドール
2主:ユアン(元)




その日はノースウィンドウ城の住人達にとって、忘れることのできない一日となった。



すべての始まりは厨房からだった。

コトコトと優しい音を奏でる鍋の前で華やかな笑い声を立てる二人の可愛い少女の姿は、同盟軍に参加して間もない者には何とも微笑ましく映ったが、多少なりとも同盟軍を知る者にとっては戦慄の走る恐ろしい光景として瞼に焼きつく。

可愛い女の子達が談笑するのはいい。むしろ大歓迎だ。いつまでも眺めていたい。
だがそれを楽しむには、状況があまりにも不吉な要素に満ち満ちていた。

とにかく今すぐ回れ右してレストランを出、記憶から抹消しなければ。

そもそもあの鍋は何だ?
コトコトと音を立てて鍋の蓋が僅かに浮き上がる度に、何ともいえない異臭を伴う湯気と一緒にちろちろと覗いていた怪しい色の液体。
――にょろにょろと動いていたように見えたのは錯覚であってほしいっ。


口伝で厨房で行われている事が知れ渡るにつれ、城内が異様な雰囲気に包まれていく。

そしてついに同盟軍を震撼させる恐怖は、執務室にて冷徹な無表情でバッサバッサと書類を捌く軍師と、椅子にきつく縛られ書類に埋もれて喘ぐ軍主の元に知らされることとなった。





大変です!! ナナミ殿とビッキー殿が仲良く料理をしています!!!



「「!!!!!!!!!!」」





バサーッと軍主の机から、軍師の手から滑り落ちた書類の束が床に散乱する。
部屋中に散らばってしまった紙片に、だが軍主も軍師もそんな小さなことを気にしてなどいられなかった。


「・・・・・・・・・もう一度言ってみろ」

「はっ! ですからナナミ殿とビッキー殿が仲良く料理をされているのです」

やはり幻聴ではなかったか。
怜悧な軍師シュウでさえも今すぐに裸足で逃げ出したくなる悪夢のような報告。
こうなれば最善の対処法は唯一つ。

「ユアン殿。縄を解いてやるからさっさと行って来い」

こーゆー時は僕に押し付けるんかいっ!!

戦争でならどんな卑怯でえげつない戦法でも軍主放っておいて独断で実行するくせに。
恨みを込めて睨み上げると、冷たい無表情に嘲笑が浮かぶ。

「こういうのは貴方の仕事ですからな。貴方の姉が仕出かしたことです。何とかしやがれ」

一番言いたいのは最後の一言だけだろうというのは馬鹿でも解る。

だが確かにこのままでは居られない。
シュウの理不尽さに釈然としないものを感じながらも、ユアンは慌しく執務室を出て行った。

軍主の後姿を見送ったシュウは散らばった書類を片付けて仕事の続きに取り掛かろうとしたが、どうにも気が散って仕方がなかった。やたらと嫌な予感がする。


これは大変なことになるな・・・。


同盟軍史上最悪の恐怖の一日は、こうして始まった。





■■■■■





ナナミ!!


「あ、ユアン! ちょっと待ってね。もう少しでビーフシチューが出来るから〜♪」

「フリックさんやビクトールさんも来たんですね〜♪」


勢いよく乗り込んだ厨房は得も言われぬ異臭が立ち込め、それをものともせずにこやかに笑う二人の少女がユアンを迎えた。
その無邪気な満面の笑顔にうっと詰まるユアンの後ろには、レストランまでの道程で否応なく巻き込まれて連行されてきた腐れ縁の姿がある。二人とも今すぐに回れ右してここから逃げ出したくて仕方なさそうだ。


その時。



ボンッ!!



鍋が爆発した。

一層どぎつい異臭が鼻をつき、ナナミとビッキー以外の全員が慌てて両手で鼻と口を覆う。


「できたよ、ビッキーちゃん!」

「完成だね〜、ナナミちゃん!」

何を以って完成と言うのかさっぱりだ。
だいたい何故ビーフシチューが爆発するのか。

鼻歌交じりにナナミは鍋の蓋を開け、茶色い湯気とボコボコと気泡の浮く焦げ茶色の中身に満足気な表情となる。隣ではビッキーが「美味しそうだね〜」と信じられない言葉を吐いた。


(シチュー? あれって本当にシチュー!?)

(鍋の中でグロテスクなスライムが踊り狂ってるようにしか見えん!)

(くっ、それに何だ、このものすごい匂いはっ)


ユアン達の切羽詰る心の叫びに気づくことなく、ナナミは皿にビーフシチューと称するゼリー状のものを取り分けた。
そして可愛らしい笑顔でユアンに差し出す。

「はい! 召し上がれv」

天使の笑顔で悪魔の台詞を吐かれ、ユアンは一瞬気が遠くなった。

いくら幼い頃からナナミ料理に免疫があるとは言え、その殺人的な味に決して慣れることはないのだ。しかも今回はビッキーが加わったグレードアップバージョンとなると、さすがに口にする勇気は微塵もない。
恐る恐る眼を向けると、期待に瞳を輝かすナナミとビッキーの姿。とても彼女達の好意を無下にはできない。
後ろを見やると真っ青な顔で冷や汗を掻く腐れ縁の姿。押し付けたい・・・。

こうなりゃ後ろの二人も道連れだ。
そう心に固く誓い、決死の覚悟でスプーンに掬ったビーフシチュー(?)を口に運ぶ。
ゆっくりと口を開き、スプーンを口元に・・・・・・くっ、勇気が出ないっ。

大丈夫だ、一口くらいなら死にはしない。ナナミ料理ならこれまでだって何度か食べたじゃないか。この程度の免疫ならあるさっ。一口食べたら後は腐れ縁に食わせればいいんだ。だから頑張れ僕!!

にょろにょろ

スプーンに乗るビーフシチュー(?)が蛇のようにうねる。
思わずスプーンを持つ手が止まった。
引き攣った表情で凝視していると、食われてなるものかとばかりにビーフシチュー(?)がみょーんと伸びてユアンの顔にビチャッと張り付いた。

うぎゃあっ!!??

「もー、ユアンってば! シチューは顔で食べるものじゃないのよ!」

ぷんぷんと憤慨するナナミだが、見物者達の目にはどう見てもビーフシチュー(?)が自らユアンの顔にへばりついたとしか映らなかった。

するとそれを皮切りに、ナナミの手の中の皿から一斉にビーフシチュー(?)がうにょろうにょろと飛び出した。

「きゃあ!?」

さすがのナナミとビッキーも異状に気付いたようだ。
べちゃっと着地した床の上で蠢くビーフシチュー(?)を唖然と見つめる。
全員が凍りつく中、ビーフシチュー(?)はうようよと生き物のようにうねりながら床を這いずる。

何かを感じてハッとフリックとビクトールが向けた視線の先では、鍋の中の大量のビーフシチュー(?)が今まさに鍋から勢い良く飛び出そうとしているところだった。



「「な、なんじゃあこりゃあああぁぁぁぁぁ!!!!!」」



厨房から城内を隅々まで揺るがすような野太い悲鳴が轟き渡った。





風の中に異常を感じ取り、ルックは背を預けていた石版から一歩踏み出した。

(何、この不愉快さは)

僅かな風から伝わる説明の出来ない異様な気配に、全身を悪寒が走る。



ダダダダダ―――ッッッ!!!


慌しい足音を立てて誰かが走って来た。
転げ落ちそうな勢いで階段を走り下りて来るその人物はシーナだ。

「やばいぞ、ルック!! 何か変なものが現れたらしい!」

「うるさい。そんな大声出さなくても聞こえる。さっさと詳細話しな」

うるさいと言いながら詳細を話せとは無茶苦茶な。
だがいつもなら文句の一つも口にするシーナも、今はそれどころではなかった。

「よく解らないけど、未知の物体が城の中を動き回ってるんだってさ。何人かパニックに陥ってる奴見かけたから、どうやらかなりやばいものらしいぞ」



ズドドドドド―――ッッッ!!!


高らかな足音を鳴り響かせて、シーナと全く同じルートを軍主と腐れ縁が走って来た。

ルック、シーナ、ビーフシチュー(?)は来た!?

「はあ?」

「何言ってるわけ」

切羽詰ったような顔で問うのがそれかい。
しかも三人とも酷く深刻そうな厳しい表情にも関わらず、その手には剣でもトンファーでもなく、大きな鍋が大事そうにしっかりと抱えられている。

ルックとシーナの冷ややかな視線が鍋に向けられていることに気づいたフリックは、慌てて説明をする。

「いや、これはビーフシチュー(?)を鍋に戻そうと思ってだな、ただどんどん増殖してるもんだから、1つじゃ足りないんじゃないかと・・・」

「それ以前にさあ、そのビーフシチュー(?)って何なわけ?」

ビーフシチュー(?)が来たかだの、鍋に戻すだの。いったいこいつら何を言ってるんだ? それにビーフシチューの後にくっつく(?)は何だ?

「ああ、そうか、お前らはあの場にいなかったんだったな」

どうにか落ち着きを取り戻すと、フリックは厨房での出来事を二人に話した。
ナナミとビッキーが共同で作ったビーフシチュー(?)が、突然生き物のように動き出したこと、その後厨房内の食料を手当たり次第身体の中に取り込みながらどんどんと成長していること、回収しようとしたがうにょろうにょろと逃げられ、見失ってしまったこと。

話し終わると、ルックとシーナは何とも言い難い表情でフリックを見つめていた。

「信じられんかも知れんが、事実だ」

俺だってこの目で見てなけりゃ信じられないし、信じたくねえよ・・・。

この数十分の間に見てしまった光景に、フリックは心の中で涙を流した。おそらく当分の間記憶の中にこびりついて忘れられないことだろう。
だが事態はまだ収拾していない。それどころか、さらに悪くなる可能性の方が高く、こんな時に現実逃避するわけにはいかないのだ。



ざわり

突如ルックの全身が総毛立った。

――何かが来る!



ダダダダダ―――ッッッ!!!


きっちりと寸分違わずシーナやユアンの通った道筋を踏蹴して走って来るのは、赤と青の騎士だった。
後ろからは悲鳴のような声も聞こえる。

「ユアン殿、来ました!」

一斉に騎士達に向けられた視線は、同時に見たくなかったものをしっかりと捕らえてしまった。


うげえ!

思わず上がったシーナのとても上品とは言えない声。しかしルックでさえもそれを咎められる程の余裕がなかった。

うようよと無数に蠢く巨大な物体。
すでに鍋一つに収まるサイズではなく、ユアン達の持つ三つでもどうかというほどに成長している。
そして、もわあっとホールに広がるのは、耐え難い異臭。



切り裂き!!!!!



何の前フリも予告もなく、問答無用の切り裂きが軍主と腐れ縁の頭上を掠めてビーフシチュー(?)に向かって放たれた。

ハラハラと頭のてっぺんの髪の毛が切り裂かれて落ちる中、軍主と腐れ縁が顔を引き攣らせながら振り返った先に、顔面蒼白のルックの鬼気迫る美貌があった。その視線は必死に巨大なビーフシチュー(?)から逸らされている。
潔癖なルックにとって、その物体は見るに耐えない代物だったらしい。


切り裂かれたビーフシチュー(?)はというと、衝撃によってホールの内外四方に飛び散ったものの、元気良くうようよと動いている。

それがさらにルックの神経を逆撫でした。


この役立たずの馬鹿猿! くだらないものを作らせてんじゃないよ!! 青と熊もさっさと食えば良かっただろう! 僕にあんなもの見せるな!!!


「「「無茶言うなっ!!!」」」


だいたいどういう経緯かは知らないがビーフシチューを突然作り出したのはナナミとビッキーで、止めに入ろうとした時には完成してしまった上に、食べる前に逃げ出したのはビーフシチュー(?)なのだ。どうしろというのか。


「ユアン殿、あれは剣で切ってもただ分裂するだけでダメージを与えることはできませんでした」

「いたずらに数を増やすだけで、得策とは言えません。何か策はありませんか?」

「僕に頭脳労働なんかできるわけない!!」

威張るな。

しかしルックの切り裂きでも剣で斬る行為と変わらない成果しか上げられないとなると、他にどんな手があるのだろうか。

「風で駄目なら雷の紋章はどうだ!」

そう言って右手を翳そうとしたフリックの脳天を、光の速さでロッドがどついた。

ガンッという擬音の直後に激痛が走り、目の前を星がちらつく。


「帯電したら余計面倒だろ! そんなことも解らないのか三十路のくせに!!」

俺は二十八歳だっ!!!

フリックの反論などスッパリ無視し、彼を直撃したロッドでカミューの背中を押し出す。

「あの手のものは火に弱いんだよ! さっさと燃やしな!

そう言い放つと、風を纏ったルックの姿はホールから消え去った。
何のことはない。軍主達を見捨てて自分だけ逃げたのだ。


あーっ! 卑怯者〜〜っ!!!


ユアンの絶叫も、すでにルックの耳には届くわけもなかった。

悔しさに地団駄を踏む軍主は放っておいて、フリック達の指示が飛ぶ。

「おい! 火の紋章を宿してる奴を集めろ!」

「倉庫にもいくつかあったはずだな? 全部持って来い!!」

「俺もジーンさんに紋章付けてもらって来るわ」



その日、ノースウィンドウ城は炎に包まれた。





あっさりと仲間を見捨てたルックの行き先は唯一つ、彼が最も心休まる場所だ。

転移した部屋に人の姿はなかったが、階下にその気配を感じる。
彼に会いたいが動き回る精神力もなく、ルックは寝台に倒れこんだ。彼の優しい匂いに、先ほどまでの酷い気分が幾分和らぐ。

トントンと階段を上がる静かな足音が耳に届く。少しずつ気配がこの部屋に向かってくる。



「あれ」

自室の扉を開くと、寝台に見慣れた姿が横たわっていた。
部屋の主、天流・マクドールは一瞬驚きを浮かべたものの、すぐに平静を取り戻した。

「ルック、来てたのか」

声を掛けると、寝台にうつ伏せに倒れていたルックが顔だけを天流に向けた。
ルックの顔色の悪さに天流の表情も心配そうなものになる。冷静なルックがこれほど表情に調子の悪さが出るのは珍しい。

「随分具合が悪そうだけど、いったいどうしたんだ?」

「・・・気持ち悪い・・・」

力無い声に、寝台に腰掛けた天流はそっと手を伸ばす。その手をガシッと掴んだルックの手がそのままぐいっと引っ張り、倒れ込んできた天流を優しく抱きとめた。

「ルック? 具合悪いんだろう?」

「悪いよ。だから暴れないでよね」

抱きしめた天流のぬくもりと匂いが、清風のようにルックを癒す。

ノースウィンドウ城の悪夢を意識の底に押しやり、ルックは天流を堪能したのだった。





ルックが遠くトラン共和国マクドール邸の天流の部屋で癒されている頃、ノースウィンドウ城は燃え盛っていた。

ビーフシチュー(?)は分裂と増殖を繰り返し、城内至る所を這いずっているため、住人総出で城内をくまなく放火して回っているのだ。
住人はもちろん兵までも全員がエプロンに三角巾にマスク着用なのが不気味だ。

「これで全部か!?」

「いや、向こうにも破片が出現したらしいぞ!」

「少しでも残っていたらすぐに増殖する」

「灰になるまで燃やし尽くせ!!」

「城は燃やすなよ!」

「難しいこと言わないで下さいよ〜!」



全てのビーフシチュー(?)が跡形も無く消し炭となったのは、翌朝のこと。

小鳥のさえずりと爽やかな朝日を浴びる城の中には、幽鬼のような住人達の魂の抜け殻が転がっていたのだった。


しかし、事態はそれで終わりではなかった。
城内にはビーフシチュー(?)の這いずった後の汚れがこびり付き、異臭が立ち込めている。
それから数日を掛けて、城の住人も兵士達も城内の大掃除をしなければならかった。

この時を狙ってハイランド軍が進攻すれば、瞬く間に戦争は終結したのだが――同盟軍は余程の強運に恵まれたらしい。



誰よりも真っ先に軍を見捨てたルックはというと、頃合を見計らったように城に戻って自分の部屋と石版とその周囲だけを徹底的に掃除殺菌消毒を施した後またもや姿を消し、ノースウィンドウ城から完全に汚れと異臭が取れるまでマクドール邸に居座り続けたのだった。



その後、ナナミとビッキーが二人で厨房に立つことが固く禁じられたのは言うまでもない。





■■■■■





「そういえば、ナナミちゃんとビッキーはシチュー作ったのかな」


ふいに天流が呟いた言葉に、ルックは天流が作ってくれたグレミオシチューを食べる手を止めた。

「・・・何故そんなこと言うのさ」

「前に同盟軍でシチューを作ったことあるだろう? あの後ナナミちゃんからユアンがシチューを食べられなかったことを嘆き哀しんでいるからレシピを教えて欲しいと言われて、いくつか教えたんだ。ビッキーも作りたいと言っていたから近いうちに二人で作るんじゃないかな」

「・・・・・・・・・へえ」

心なしか乾いた風が通り過ぎる。

つまりは全ての元凶は彼にあるということだろうか。
いやしかし、彼が教えたのは真っ当なレシピのはず。それをどこをどうすればあんなものになるのか。それはもうナナミとビッキーの才能に他ならない。

だから天流に罪は無い。

これが天流以外の人間だったら問答無用で断罪するルックだが、天流に対しては非常に甘かった。


「君は僕にだけ料理を作ってくれればいいんだよ」


そう言って、ルックは天流の料理を心行くまで楽しんだのだった。



END


ぶち切れるルックが書きたかったんです(笑)。
今回の元凶のようになってしまった坊ちゃんですが、
渡したレシピは至ってまともなものでした。
ちゃんと作れば美味しいビーフシチューが出来たことでせう。
相手が悪かったのです(苦笑)。



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