封じた想い





『戦争というものは、権力と金と才能を誇示したい者達の愚かな娯楽でしかない』


いつも穏やかな声に嘲りと怒りを込め、その人は吐き捨てるように言った。

思慮深いその人にしては珍しく険しい表情が、深く印象に残った。
この人は戦争を憎んでいる。戦争を起こす者達を憎んでいる。
少女は幼いながらも、そう確信した。


戦争は生きるものの命を奪う。
森を焼き、大地を荒らし、誰かの小さな幸せを踏み躙る。

戦争で誰が勝ったとか、どの国が滅んだとか。
そんなもの身分の高い者達の勝手な都合だ。

多くの人々が望むのは、平和な世の中。
自国だろうが他国だろうが、家族を奪い、家を焼き、田畑を荒らす軍人の所業は人々にとって恐怖でしかない。

『私は、くだらない権力争いなどに関わるより、この国の未来を担う子供達を教える今の方が遥かに幸せだ』

有名な貴族の出身でありながら、自らも有能な軍師でありながら、マッシュ・シルバーバーグは平穏な日常こそを何よりも尊んでいた。


少女――アップルは、そんな彼を誰よりも敬愛していた。





■■■■■





「先生? マッシュ先生、いらっしゃらないんですか?」

いつもは子供達の声の絶えないこの家で、穏やかに「いらっしゃい」と言ってアップルを招き入れてくれる存在の気配がない。
どこかに出掛けたのだろうか。

「もしかして釣りにでも出掛けたのかしら?」

先生がいなくても教科書を開いて皆で楽しそうに勉強している子供達に行方を尋ねてみると、彼等はこう返した。

「先生ならしばらく留守にするよって言って、強くてきれいなお兄ちゃん達と一緒にどこかに行っちゃったよ」

「? どういうこと??」

わけが解らず首を傾げるアップルを気にするでなく、子供達はその話題で盛り上がり始めた。

「ほんとうに強かったよね、あのお兄ちゃんたち!」

「うんうん、かっこよかったよねー」

「ぼくなんか助けてもらったもんねー」

「きれいなお兄ちゃんだったなあ」

「わたし、大きくなったらあのお兄ちゃんと結婚するんだあ♪」

「あー、ずるいーっ」

強くて綺麗なお兄ちゃんの話に盛り上がる子供達に、これ以上詳しい事情を聞くことはできそうにない。
アップルは困り果て、その部屋を出た。


(しばらく留守にするって・・・どういうことかしら?)

書斎を調べてもどこにも書き置きなどはない。
何も知らされていないアップルは、ただ困惑するしかなかった。


「アップルお姉ちゃん、お兄ちゃんが来たよー」

「え?」

嬉しそうに飛び込んで来た子供に連れられ、アップルは子供達の教室として使用する広間に向かった。

部屋に入ると、中心には子供達に囲まれる一人の少年の姿があった。

(うわあ・・・)

思わず感嘆の溜息を漏らし、アップルは少年に見惚れた。

年の頃はアップルと同じ位、子供達の言葉通りとても綺麗な少年。育ちの良さを窺わせる気品のある美貌に優しげな笑みを浮かべ、彼は口々に声を上げる子供達の話に耳を傾けている。その辛抱強く穏やかな様子は、どこかマッシュを思わせた。

じっと見つめる視線に気付いたのか、少年がアップルに目を向けた。
その瞬間、アップルは息を飲んだ。

何て綺麗な人だろう。

容貌だけではない。彼の纏う雰囲気、強く澄んだ眼差し、その全てが見る者の心を捉えて離さない。内面や彼自身の在り方の美しさがこれほど如実に印象として感じたことは初めてだ。

軍師としてはまだまだ未熟過ぎるアップルだが、少年が人の上に立つ者であることは一目で解った。彼に仕えられれば、きっと軍師としてこれ以上ない幸せなのだろうということも。

マッシュ先生にはこういう人こそ相応しい。

頭で考えるよりも先に、何故かふいに心の奥でそう思った。
実際には、戦争を嫌い、子供達への教育にのみ力を入れているマッシュには無理なのだけど。


「初めまして、貴方もマッシュ殿の生徒ですか?」

「わ、私は、マッシュ先生の弟子です。あの、貴方は・・・?」

「僕は天流。マッシュ殿の使いでここに参りました」

先生の使い?
見ると、天流と名乗った少年の手には書類の束。アップル自身も見慣れたそれは、マッシュ自作の子供達のための問題集だ。
新しい問題集を渡された子供達は嬉しそうに声を上げる。

「マッシュ殿が来れないので、僕がこれを届けに来たのです」

「あの、マッシュ先生はどこに居られるのですか?」

「彼は僕達と共に居ます」

「え? それってどういう・・・」

「ティエン」

アップルの声を遮るように別の声が入り口から掛けられた。
一斉に視線が向いた先には、短い金髪の少年が端正な顔立ちに人懐こそうな笑みを浮かべて立っている。

「用事終わった? こっちはなかなかぐっとくる娘に会えなくて・・・て、そこに居る子誰? 可愛いじゃん! ・・・ちょっと色気ないけど」

「シーナ、慎め。失礼だろう」

何、このちぐはぐな二人は。
年齢は同じ位なのに性格は正反対、にも関わらず二人の仲は良さそうだ。

「固いこと言うなよな〜。でもようやく出会いがあったけど、残念ながら時間切れだよな。そろそろ城に戻んないとマッシュさんに説教食らう上に親父の雷が落ちる」

「城? マッシュ先生、お城にいるの??」

「ん? そうだよ。俺達と一緒にトラン城に・・・てお嬢さん、うちの軍師さんの知り合い?」

「ぐ、軍師!? いったいどうなってるの!?」

確かにマッシュ先生は優秀な軍師の才能を持っているけれど、軍師となるには戦争に関わるということ。先生が“軍師”だなどと言われるわけはないはず。

アップルの剣幕に、二人の少年はきょとんとした表情で彼女を見つめ、互いに視線を交わす。

「マッシュ殿は我々解放軍の正軍師として、トラン城に居られます」

「なっ! そんなこと有り得ないわ!」

あれほど戦争を厭っていたマッシュが、今赤月帝国を倒すために活動する解放軍などに関わるなんて。
いい加減なことを言う二人の少年に対する怒りが込み上げる。

「でたらめ言ってないで先生がどこに居るのか教えなさいよ!」

天流よりも、ふざけた態度が癪に障るシーナと呼ばれた少年に詰め寄ると、彼はどこか油断のならない視線をアップルに向ける。見掛け通りの軽薄な少年ではないらしいことは普段のアップルならば解っただろうが、頭に血が昇った状態ではそれに気が付かなかった。

「じゃあ城に来てみれば? 来る勇気があるならね」

馬鹿にされた。
そう感じてアップルの顔が怒りに赤く染まる。

解放軍の居城に、自分のような何の力も無い少女は恐ろしくて来れるはずがないと見下しているのだ。何て思い上がった男なのだろう。

「行ってやるわよ! あんた達から先生を助け出すんだから!!」

意気込んで先頭立ち、「さっさとついて来い」とばかりに扉に向かう。

その後ろではにやにやと笑って「可愛いお仲間一人ゲットーv」というシーナの言葉に、天流が呆れたような溜息をついていた。





■■■■■





「マッシュ先生!」

天流に続いて執務室に入って来た少女に、冷静な軍師は目を丸くした。

「アップル? 何故ここに」

「先生、こんな野蛮な所なんて早く出てセイカ村に帰りましょう。この人達、戦争を嫌う先生をこんな所に押し込めて・・・。許せない!」

「おいおい、俺達は人攫いかよ」

アップルの後から部屋に入ったシーナが入り口の柱に背を預けて苦笑いする。
そんな彼をキッと睨み付け、アップルは叫んだ。

「先生は私とセイカに帰りますから!」

「アップル、落ち着きなさい。それに私はまだ帰るわけにはいかない」

穏やかなマッシュの言葉にアップルは信じられないという表情となった。

「何言ってるんですか! 解放軍なんて戦争を起こす最低な人達なんですよ!?」

「そうだね。だからこそ我々は起こしてしまった戦争を終わらせなければならないのだよ」

「何故先生がそれに関わらなければならないんですか! もしかして脅されているんですか?!」

「違うよ。私達が起こしてしまった戦争なのだから、責任を持って終わらせるということだよ。それが終われば・・・」

「先生が戦争を起こすはずがないわ! あんなにも嫌っていたんですもの。この人達が静かに暮らしてた先生を巻き込んだに決まってます! そうでしょう?」

「お嬢さん、ちょっとは冷静になってマッシュさんの話を聞けよ」

いい加減うんざりしたようにシーナが言った。
聞き分けの無い子供に呆れたような口調に、アップルの顔が怒りと羞恥に赤く染まる。

こんな軽薄な少年に見下されるなんてあってはならないと、アップルは必死に理性を掻き集めてどうにか平静を取り戻した。
見計らったようにマッシュは穏やかに語る。

「戦争を憎む気持ちは今も変わらないよ。けれど私がここに居るのは巻き込まれたからでも脅されているわけでもない」

「それじゃあ先生の意思で? 何故ですか! 戦争で得るものなんて何も無いって、先生は私に言ったわ!」

「その通りだよ。けれどね、時には行動を起こさねば何も変わらない」

「そんなの戦争を正当化してるだけじゃないですか!」

「戦争を正当化することは不可能だぜ。俺達は正義なんて言葉を振り翳す気はない。人殺しに正義はないからな。だが、抵抗もせずに現状に甘んじてやるほど出来た人間でも、無気力でもないだけだ」

強い口調で言ったのはシーナだ。
いい加減な態度は消え去り、真剣過ぎる双眸がアップルを見据える。

こんな奴に諭されるなんて憤懣やるかたないが、彼の言うことが解らないわけではない。
帝国兵の所業は確かに目に余り、反乱が起きてもおかしくはなかった。シーナの言う通り、何の抵抗もせずに圧政に屈すれば人はただ死を待つだけだ。


けれど、何故マッシュ先生が巻き込まれなければならないの?
戦争なんて、したい人達だけすればいいじゃない。
先生の優しさに付け込んで、軍師の才能を利用するなんて酷過ぎる!


マッシュが進んで戦争を起こそうとするわけがない。解放軍が巻き込んだのだと、アップルは頑なにそう思い込んでいた。マッシュがどれだけ言い聞かせても、「先生の話は解るけれど、戦争を起こす解放軍は許せない」としか思えない。



「戦争を起こすことはとても重い罪だ。けれど力を持ちながら使わない無関心さも罪となる」

マッシュの表情には苦渋が滲む。

戦争などしたくないのは誰もが同じだ。だからと言って何もせず、危うい平穏を自らの周囲だけの狭い範囲のみ必死に守るために人々の苦しみに耳を塞ぎ、目を閉じていて良いのだろうか。
誰もが助けを求めている時に、その声に応える力を少しでも持ちながら見て見ぬ振りをする。そのために助けられたかも知れない命が消えてしまったなら、それはその人を殺したと同じくらいの罪となるのではないか。

マッシュの妹であるオデッサと、その意志を受け継いだ現軍主である天流は、それを解っていたからこそ戦争を起こす者の罪を背負いながらも立ち上がった。
まだ若く美しい女性と、輝かしい将来を約束された幼い少年が、だ。
本当なら二人とも、親や頼り甲斐のある男の手で守られているのが当然だったのに。


マッシュの視線が天流を捉えると、気付いた少年が僅かに微笑んだ。確かな信頼がそこにある。それだけで、マッシュは解放軍軍師である意味を得ることができた。



「解放軍には私の力が必要だと思ったから、私は天流殿に仕えている」


「え?」

ハッとしてアップルが天流を見た。
先程から一言も発さず静かに佇む少年。彼にマッシュが仕えているということは・・・。

「貴方、もしかして軍主なの?」

「そうだよ」

あっさりと頷かれ、アップルはわけも解らず込み上げてきた怒りを爆発させた。


ふざけないでよ!!


自分でも制御しきれないほど感情が迸る。
親の仇を見るかのように睨まれても、まるで揺らがない冷静さが尚のこと憎らしい。


何故この人が軍主なの?
何故この人が戦争を起こすの?

数時間前、初めて会った時に感じたのは、この人こそマッシュ先生に相応しいという不可思議な確信。
そんな印象を与えながら、マッシュ先生を戦争に引きずり込むなんて。

あれほど先生が嫌っていた戦争に、よりによってこの人が・・・!


“マッシュ先生のかけがえの無いパートナーになり得る貴方が、何故人殺しを始めたの!? 先生を巻き込んだの!?”


「認めないわ! 絶対に認めない!!」


彼への好意も、心の奥で感じた確信も、すべてを怒りで覆い隠して封じ込める。
傍で「やめなさい、アップル」と穏やかに窘めるマッシュの声も届かないほど激昂した。


認めてはいけない。
彼を認めては――。

――『戦争というものは、権力と金と才能を誇示したい者達の愚かな娯楽でしかない』

その愚かな娯楽にマッシュ先生を引き込んだ彼を認めたら、戦争を憎む先生の気持ちが薄っぺらいものになる。


「貴方を憎むわ・・・先生を巻き込んだ貴方を・・・っ!」

「・・・・・・そう」

まるでアップルの言葉をそよ風程度にしか感じないかのように、天流は落ち着いていた。


何なのこの人。
罪悪感も、反省もないの?
先生を巻き込んで、戦争で人殺しをすることを何とも思っていないの?

子供達に向けていた優しさは偽りで、本当の彼はこれほどまでに冷徹な人間だったのだ。
そう思うと哀しくて、悔しくて、胸が引き裂かれそうに痛んだ。


ぼろぼろと涙を流して天流を睨むアップルの目の前に、さりげなくシーナが立った。

「じゃあどーすんの? マッシュさんはこの通り戦争が終わるまでは俺達と一緒に居るみたいだけど? あんたは家に帰るかい?」

さらに燃え上がる怒りがシーナに向けられる。
いい加減でふざけたこの男も、冷酷な軍主と同類だ。

「私はマッシュ先生のそばにいるわ。でも勘違いしないで。私は絶対に貴方達を認めない。私はマッシュ先生のためだけに、ここに居るんだから!」

「あっそ。ま、せいぜい頑張りなよ。でもたまには肩の力抜けば? せっかく可愛いんだからさ、そんなツンケンするもんじゃないぜ」

逆撫でするような台詞を吐き、シーナは天流の肩を抱いて扉へと向かう。
去り際にアップルにも聞こえるような声音で「じゃ軍師さん、その神経質な子猫ちゃんの世話よろしく〜」と言い残して、二人は部屋を出て行った。

「な! 待ちなさい!!」

あからさまな侮辱に激怒したアップルは猛然とシーナを追いかけようとして、マッシュの手に腕を掴まれた。

「落ち着きなさい」

「離して下さい、先生! あいつ殴ってやらないと私の気が・・・」

「いい加減にしなさい。お前の態度は褒められたものではない」

ぴしゃりと叱られ、ハッと見上げたマッシュの思慮深い相貌に険が刻まれているのを見てアップルは一気に青褪めた。
そしてようやくマッシュを怒らせてしまったことに気付き、深く項垂れる。

「・・・ごめんなさい、マッシュ先生・・・」

「それは私ではなくてティエン殿とシーナ殿に言いなさい。とにかく、少し頭を冷やすと良いでしょう。ここにはお前と同じ年頃の女の子も居ます。せっかくだから城の中を見てきなさい」

「・・・・・・はい」

意気消沈と部屋を出て行く後姿に、マッシュは深く溜息をついた。
アップルも気に掛かるが、何よりも心配なのは二人の少年達だ。

天流は大丈夫だろうか。落ち込んではいないだろうか。

シーナがそばにいて本当に良かったと、心から思う。
アップルから天流を守ったシーナに対しては感謝と、攻撃の矢面に立たせてしまったことへの罪悪感を覚える。

だが、アップルの気持ちもまた、解るのだ。





■■■■■





・・・恥ずかしい。
先生の前なのに、あんなにも感情的になって・・・。

早くマッシュのようになりたいと願っていたのに、さっきの自分はわがままな子供の癇癪のようだと、冷静になってみて己の行いを恥じ入る。
腹の立つ態度だが、天流やシーナの方が余程落ち着いていたと、不本意ながらも認めざるを得ない。

恥ずかしくて、悔しくて、アップルは今すぐにでも消え入りたかった。
だが、マッシュを助けるためには天流の冷酷さにも、シーナの厭味にも耐えなければならない。


(もう二度と、あんな醜態を晒すものですか・・・!)


そしていつか、あの二人に復讐してやるんだ。
容赦なく断罪して、マッシュと自分への謝罪を必ず引き出してみせる。

心の奥に息づいた想いを封じ込め、アップルは心に固くそう誓った。


彼らとの戦いは、始まったばかり―――。



END


アップルとの出会いは実は友好的でした。密にアップル→坊を匂わせてみたり(え)。
心の奥ではマッシュと坊ちゃんの仲を認めているのですが(別の意味に受け取れますね(笑))、
坊ちゃんのせいでマッシュが戦争に関わることになったと思ってるので反発してしまうんですね。
少しはアップルのフォローになりましたかね〜(汗) ・・・逆効果?(滝汗)
それにしてもシーナが出張るなあ(笑)。



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