明けゆくこころ 『空の彼方33』





なあ、ティル・・・

俺は、少しでもお前の―――――――・・・・・・






夜の明けきらないトランの湖上の城を出た時から、頭上に広がる空は黄昏を迎えようとしている。このわずか一日という短い時間の間に、世界の情勢は大きく変化した。

皇帝を失った王城は、勝利の喜びに浸る解放軍や、圧政から解き放たれた民衆の歓声に包まれている。
そんな華やかな場に目もくれずに、シーナはある場所へと足を速めた。

城下の喧騒の届かない街外れの一角に張られた解放軍のテント前は、重苦しい沈黙に満ちていた。

「あれ? ルックは?」

場にそぐわない軽い調子の声に、テント前に立つテンプルトンとリュウカンはシーナへと視線を向けた。

「あんた、顔どうしたの?」

近付いて来る彼の左頬が赤く腫れている様を見て、思わずテンプルトンは手を伸ばしてその場所を指で突付く。

「痛いんだから触るなっ。それよりティルとルックは?」

まさか俺を置いて二人でどこかに行ったのか?
天流はともかく、ルックならやりかねない。

「ティエンはまだテントの中。ルックはさっきまでここにいたけど何も言わずにいきなり消えたよ」

「消えた?」

紋章力は尽きたはずじゃあ・・・あ、しばらく休んで回復したのか。
いや、それよりあいつがティルを放って消えるなんて・・・。

シーナが不思議そうに小首を傾げたその時、テントから突如光が迸った。

「!?」

光というには闇に満ちたそれに、シーナは嫌というほど覚えがある。
理解に至るや、弾かれたようにテントに向かって駆け出した。

「ティル!!」

テントに乗り込んだ彼の目に、眠るように目を綴じたマッシュと、彼の肩口に顔を伏せて動かない天流が映った。

闇の光は天流の右手を中心に広がって二人をすっぽりと包み、やがて溶け込むように消えていく。

これまでにも何度か目にした光景。この現象が指し示す事実は明白だ。

天流が最も信頼する軍師、マッシュの命が尽きたということ。
その魂は、ソウルイーターの中へと吸収されたということ。


「・・・ティル」

呼びかけると、天流は伏せていた顔を上げた。元々色白な天流だが、今は白を通り越して蒼白だ。
光を失った瞳は血のように紅く虚ろいでいたが、ゆっくりと琥珀へと色を変える。
思わずほっとするシーナを見上げた天流は、色を取り戻した目を丸くした。

「・・・シーナ、顔をどうした?」

「・・・そんなことどうでもいいだろ」

この状況で言うことはそれか。
内心で呆れを含んだ呟きを落とした。

「ティエン、大丈夫?」

シーナの後ろから顔を出したテンプルトンが天流に駆け寄る。
息を引き取ったマッシュを痛ましげに見やり、心配そうに天流をのぞき込む彼の表情は今にも泣き出しそうだ。ルックと張り合えるくらい年齢の割りに大人びているテンプルトンも、天流の前では幼さを見せる。

「・・・リュウカン殿は? マッシュが息を引き取ったことを・・・」

言いながら立ち上がろうとした身体が僅かに傾ぐ。
シーナとテンプルトンに支えられて、ようやくバランスを保つことができた。

すると天流の声が聞こえたのか、リュウカンがテント内に現れ、状況を見るやマッシュの傍に駆け付けた。
手首や首筋に触れて脈を確かめ、瞳孔を調べ終えると深い息をついた。

「天流殿、後のことは任せてお休み下され」

「そうだよ、ティエン。今にも倒れそうだよ?」

「お前が倒れちゃ何もならないしな。戻って休もうぜ?」

「・・・そうだな」

多少の無理なら自分に強いる天流だが、そんな力も湧かないほどに消耗しているようだ。
普通ならばすでに失っていても不思議ではない意識を、強い意志によって繋ぎ止めていた。


自身も随分と疲弊しているシーナは瞬きの手鏡を手に、天流を抱くようにしてトラン城へと共に転移した。





トラン城の自室に足を踏み入れた途端、天流はシーナの腕の中に倒れ込んだ。

「おっと」

くずおれる身体をしっかりと支え、寝台に運んでそっと横たわらせる。

「すまない・・・シーナも疲れているのに・・・」

「気にすんなって」

励ますように笑顔を浮かべた途端、頬が引き攣るような痛みを感じて微かに眉を寄せた。
シーナの表情の変化に気付き、天流が顔を曇らせる。

「・・・その頬、原因は僕だろう?」

テントの前で天流を睨み付けた少女の顔が思い浮かぶ。
これまでも何度か彼女は天流に食って掛かり、その度にシーナが取り成していた。その結果、天流に対するものと同じくらい・・・いや、それ以上の怒りがシーナに向けられることとなってしまった。
今回も同じなのだろう。天流に向かう怒りを、シーナが代わって受けたが故に彼が傷付いた。
だがシーナはそれを否定するように首を振った。

「そんなわけあるかよ。あの子を怒らせたのはあくまで俺。お前に対するあの子の態度に腹立てて、あの子に嫌なこと言ってんのは、単に俺の性格だよ。嫌われるのも殴られるのも自業自得ってやつだ」

あの馬鹿二人と同じと思ってもらっちゃ困る。
俺は、お前を護るために自分を犠牲にしようとしてるんじゃない。
ただ、腹が立ったから。お前を傷付ける奴が許せなかったから。
お前が反撃しないから、俺がそいつに仕返ししてやりたかっただけだ。
それで俺がそいつに恨まれたって、それは俺の責任であってお前は何も悪くない。


「アップルには、申し訳ないことをしてしまったな。彼女からマッシュを奪ってしまった・・・」

「お前と彼女の立場は根本的に違う。あの子は“マッシュの弟子”で、お前は“マッシュの主君”だ。“生徒”と“伴侶”はまるで違うだろ。それが解らないようでは、あの子もマッシュや軍師というものを理解できてないってことだよ。お前が気にすることじゃない。あの子が未熟でガキなだけだ」

「珍しいな、シーナが女性に対して厳しいなんて」

困ったようにそう言うと、天流は深く息をついた。
疲労に満ちた身体はすでに目を開けることすら辛いのか、長い睫に縁取られた瞼が琥珀の瞳を隠す。

「・・・シーナとルックが・・・いてくれて良かった・・・・・・」

言葉は寝息と混じり、天流は深い眠りに引き込まれていった。


しばらく寝顔に見惚れていたシーナは、天を仰いで苦笑した。その頬が赤味を帯びているのは、決して殴られたからだけではない。

「参った・・・」

肉体的にも精神的にも深いダメージを受けている相手に対して、不覚にも労わりよりも強い想いを抱いてしまった。今天流に必要なのは支え、護ってやれる存在だというのに。
それでも、嬉しいと思う感情は抑える術もない。

シーナはゆっくりと天流を見下ろし、寝台に手をついて寝顔をのぞき込んだ。
疲労が色濃く滲む、安らかとは言い難い表情。けれど、愛しさは募る。


「・・・やっと、戦争が終わったな、ティル・・・」

両頬を包み込んで優しく撫でると、ほんの少しだけ天流の表情が和らぐ。
込み上げる愛しさのままに、触れるか触れないかの軽い口付けを落とした。


「よく、頑張ったな・・・」


感謝をしなければならないのは自分達だ。
1年以上に及んだ辛い戦争をよく耐え、軍主としての役目を立派に果たしてくれた。

二度、三度と啄ばむようなキスをして、シーナは名残惜しげに立ち上がった。


「おやすみ」

そう言い残して静かに部屋を出ると、シーナは扉を背にずるずると座り込んだ。


月明かりが薄く差し込む窓を見上げる目に、うっすらと涙が滲む。
胸に渦巻く痛みを伴なった感情の流れは、後悔だろうか。


(なあ、ティル・・・俺は・・・少しでも・・・)


昂ぶる思いを鎮めようと、きつく眼が綴じられた。



――珍しいな、シーナが女性に対して厳しいなんて

意外そうに言われた言葉。
確かに自分は女性に対して辛辣な態度を取ったことはなく、いつも天流やルックが呆れるほどに愛想を振り撒いていた。

だけど仕方ないだろ? あの子は何も解っていないのだから。
お前を傷付けて、マッシュを侮辱して・・・これで怒るなって方が無理だ。


『マッシュ先生があんな目に遭ったのはあの人のせいじゃないの! あの人に先生の傍にいる資格があるの!?』


憎しみと哀しみに満ちた声が頭の中で繰り返され、その時の怒りが甦る。

ティルのせいだとか資格がないとか。
だったらティルが傷付いたのは誰のせいだというのか。
辛い立場に立たされた幼い少年を、マッシュは命を掛けて護り続けていたのに、その想いをも否定するのか。


だが、とシーナは自嘲的な笑みを浮かべた。

(俺は大切な人を失う哀しみを味わったことはないし、背負うものの重さも、その辛さも知らない)

大切な友人だからと天流をフリックやアップルから護ろうとしてきたが、フリックがオデッサを、アップルがマッシュを失ったような想いを理解できるのかと聞かれれば、答えは返せない。

自分は護られているのだ。父に、母に、周囲の大人達に。
改めて、天流との立場の違いを思い知る。

もしも天流を失った時、誰かに当たらずにいられるだろうか。
理不尽な言葉で誰かを傷付けずにいられるだろうか。
そして何より、多くのものを背負った友人の心を理解し、支えてやることが本当にできるのだろうか。


疲れ果てた身体を肌寒い廊下に無造作に伸ばし、切なげな瞳は窓の向こうを凝視する。


彼はそうしてしばらくの間、動かなかった。





■■■■■





それからの数日は、瞬く間に過ぎ去っていった。

天流は戦争後、時間を全く無駄にしなかった。
翌日から幹部達を集めて戦後処理や、新国家の設立に向けての準備を着々と整えていく。

誰もが目を見張るほどに見事な手腕を発揮する天流に、シーナすらも感嘆の目を向けた。
訊けばそれはマッシュと共に練り上げたものだということで、ますます軍主と亡き軍師の信頼の深さを感じ取れた。

だが順調に事が運ぶということは、それだけ別れの時が近付いているということだ。

それまでに、シーナは天流にどうしても訊いてみたいことがあったのだが、言い出せないままに時は流れた。


そして、その日は突然訪れたのである。





「・・・・・・・・・・・・まじで?」



早朝の無人の部屋でシーナは一言呟いたきり、しばらく茫然自失と立ち尽くした。

天流・マクドールが姿を消した。
机の上に瞬きの手鏡と、レパントへの委任状を残して。

シーナに何も言わずに。

頭の中が真っ白になるというのはこのことか、と頭の隅で思いながら、シーナは激しいショックに数十秒間固まっていた。


(何で?何で?何で俺に一言もないわけ?ティルにとって俺の存在はその程度?そりゃあクレオさんやテッドとかいう奴には負けるかも知れないけど少なくとも熊や青よりはずっと近い位置にいると思ってのに・・・もしかして俺の独り善がり!?婚約者に結婚式直前に逃げられた新郎ってこんな気分??いやそれより妊娠した女性のお腹の子供の父親は自分だと思ってたら実は別の男だったという事実を知らされた時の衝撃!!??)


相当混乱しているようだ。

しかし“別の男”という下りでシーナはハッとした。


ルックが連れ去ったな!!?


素晴らしく回転の速い頭は横道に逸れながらも瞬時に正解を導き出した。
その瞬間シーナは身を反転して全速力で駆け出した。

向かった先はトラン城の地下である。



ビッキーちゃん!!今すぐグレッグミンスターまでよろしく!!!


「はあーいv 行ってらっしゃーい」







今や街の誰もが知っている秀麗な邸宅。
赤月帝国五将軍の一人テオ・マクドールとその息子、解放軍リーダーを務め人々を解放した英雄天流・マクドール。
あまりにも有名な親子がかつて使用人達と暮らしていた家。
2年近く無人だったその屋敷には、久しぶりに家人の姿があった。

「・・・クレオさんだけ・・・?」

「ごめんね、シーナ君」

あまりにも情けない顔で項垂れる少年を前に、クレオは掛ける言葉に困った。

「ティルは・・・?」

「それが、もう旅立たれてしまって・・・その・・・ルック君に送られて・・・」

ぴしり、と空気が凍り付いた。

(くっそ〜ルックの奴〜っ、また抜け駆けしやがったなあ〜っ)

言い様のない悔しさと腹立たしさに、固く握り締めた拳が小刻みに震える。

「坊ちゃんからシーナ君へ手紙を預かってるよ」

「えっ、本当に?」

先ほどまでとぐろを巻いていた怒りがパッと晴れた。
代わって浮かんだのは嬉しさと幸せに満ちた笑顔。
クレオは脳裏に浮かんだ“単純”の二文字をそっと胸の内に仕舞った。

手渡された、二つに折り畳まれた一枚の紙をいそいそと広げ、期待に満ちた瞳が文字を追う。

「―――・・・」

「シーナ君?」

手紙を見つめたまま黙り込んだシーナを不思議に思い、クレオは勝手に他人宛ての手紙を読むことへの罪悪感を抱きながらも彼の手元をのぞき込んだ。

マクドール家の家紋の入った品の良い紙面には、天流の流麗な字でただ一行。



【 ありがとう。いつか、また 】



「「・・・・・・・・・・・・」」


数秒間の沈黙。


「・・・・・・これだけ?」


ようやく零れた言葉はそれだった。
クレオも何と言って良いやら解らずに苦笑する。

友人への別れの手紙にしてはあまりにも簡潔でそっけない。
これが恋人同士なら完全に愛は冷めている。

(まあ、ティルらしいと言えばティルらしいんだろうな・・・)

彼は言葉を飾らないから。
そう自分を納得させながら、シーナは丁寧に手紙を折り畳むと大切にポケットに仕舞った。
確かにそっけも味気もない手紙だが、だからこそダイレクトに天流の気持ちが伝わる。

“ありがとう”と”いつか、また”
何よりも嬉しい言葉達だ。
シーナへの真っ直ぐな感謝と、また会いたいと言う思いが込められた言葉。
徐々に喜びが胸を満たし、口許が緩む。

「へへっ」

抑えきれずに満面の笑顔を浮かべるシーナの珍しく無邪気な様子に、クレオは優しく微笑んだ。

「ありがと、クレオさん。ティルが帰ったら絶対に知らせてくれよなっ」

そう言って跳ねるような足取りで彼はマクドール邸を後にした。


向かったのはグレッグミンスターの玄関口だ。
姿を見ることはもちろん、追い付くことなど出来ないことは解っているが、少しでも天流に近付きたかったのかも知れない。

門の向こうに広がる平原を見やり、遠く旅立った友人を思い描く。
隣に居たであろう人物はあえて除外する。彼のことを考えれば感慨よりも怒りが込み上げてしまうだろうから。

ポケットに仕舞った手紙をもう一度広げ、シーナは短い言葉を愛しげに見つめた。
“ありがとう”と言いたいのはこちらの方なのに。

朝の清々しい空を見上げたシーナの頬に、透明な雫が流れた。
気付いて慌てて拭うが、涙ははらはらと流れて落ちていく。

天流の思いへの嬉しさ、言葉を交わせぬ別れの辛さ、会えなくなることへの哀しみ。そのすべてが大きな波のように激しくうねり、思考を押し流す。

「やっぱ、会わなくて正解だったかも・・・」

手紙だけでこれでは、本人との別れではどんな醜態を晒すか解ったものではない。
好きな相手にはやはり格好良い自分を見せたいものである。
かなり複雑ではあるが、ルックの行動には感謝・・・すべきなのか。いやでも腹は立つ。

自分でもわけが解らなくなり、気を鎮めようと深く溜息をついた。


「なあ、ティル・・・俺は、少しでもお前の助けになったのかな?」


ずっと、天流に問いかけたかった疑問。

その答えは今、手の中にある。

遠い空の向こうに視線を移し、その先いるであろう友人に思いを馳せる。


「また、会おうな、ティル・・・」


それまでに、今よりもずっといい男になるから。
テッドに負けないくらい、フリックなんぞ足元にも及ばないくらい。



暁の空の彼方を見据える瞳に固い決意を秘め、シーナの少年期は静かに終わりを告げる。



END


最終話『暁の空へ』のシーナサイドの話でした。
実はルックより先に坊ちゃんとキスしてたシーナ(笑)。
とはいえ坊ちゃんは知らないですけどね(苦笑)。
完全シリアスの予定ではなかったのですが、ここまでギャグになるとも思いませんでした(汗)。
常に飄々としているシーナにも不安や悩みはあるのです。という話。



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