坊ちゃん:天流(ティエンリウ)・マクドール
彼を中心に“色”が広がる。 夜の闇が明けるように。 凪いだ水面に波紋が広がるように。 モノクロの世界に生命が吹き込まれる。 馴染んだ風が、彼が居るだけでその姿を変えた。 どんな黄金よりも綺麗な金色の瞳と、打って変わって夜よりも尚深い黒い髪。 彼の瞳が強い光を放つことは、すでに解っている。 では、濡れ羽色の髪に触れればどんな感触を得られるのだろう。 疑問のままに手を伸ばして触れてみた。 石板に刻まれた文字を追っていた双眸が、大きく見開かれて僕の姿を映した。 無表情を崩してやったことに、妙な達成感を感じる。 触れた髪はサラサラと指の間を流れる。 綺麗だと、素直に思えた。 らしくない、と自分でも思う。 晴れた空を見ても、生い茂る木々を見ても、澄んだ湖を見ても何も感じないのに。 一人の人間の存在だけで今まで感じたこともない何かが湧き上がる。 「どうしたんだ?」 戸惑う声。 でもその音色は心地良く耳を通り過ぎた。 他人なのに。 子供で、貴族で、軍人で。 嫌いになる要素なんていくらでも備えてるくせに。 何故、彼の傍はこんなにも穏やかなのか。 「お、ティエン、ここにいたのか」 聞き苦しい声と共にうっとうしい熊男が顔を出した。 途端に不快感が身体中を這い上がる。 居心地の良かった部屋が他人の気配に満ちてひどく不愉快だ。 「ビクトール、どうした?」 「どうしたじゃねえよ。宴会だ宴会。今日は新生解放軍結成のめでたい日なんだぜ」 「ああ」 彼は気のない声を発して石板と僕から離れて入り口に向かった。 ふと立ち止まると、こちらを振り返る。 「ルックも来る?」 「冗談じゃないよ」 熊男一人居るだけでこんなに不快なのに、何を好き好んで似たような連中が集まって無駄に騒ぐ場所に行かなきゃいけないのさ。 別に彼が悪いわけではないのに、思わず睨んでしまった。 「なんだよ、お前も来いよ。新入りなんだからさ、仲間と親睦を深めようや」 「余計なお世話だ。僕はあんたらの仲間になったつもりはない」 親睦だって? そんなものに何の意味があるのさ。 僕はこいつらと馴れ合いたいなど、欠片だって思っていない。 ここに来たのだってレックナート様に命令されたからだ。 レックナート様の言い付けだから“彼”には力を貸すけれど、その他の奴等と関わる気はない。 僕が言い放った言葉に彼と熊男は驚きを浮かべた。 彼はすぐにいつもの無表情になったけれど、熊男は怒ったように顔を顰める。 「生意気なガキだな。この城に居る以上はお前も解放軍の一員だろうが。だったら・・・」 「ビクトール、無理強いは良くないよ」 耳障りな声が長々と演説を始めようとするのを、彼が止めた。 熊男はまだ何か言いたそうだったが、「ったく、可愛げのねえ子供ばかりだぜ」とか吐き捨てながら足音も荒く去って行った。 彼は僕に「じゃあ」とだけ言って熊男の後を追う。 ようやく静けさが戻った。 清々しながら、さっきまで彼が見ていた石板に視線を向けた。 石板の所々には名前が刻まれている。まだ宿星は集まり始めたばかりなので、その数は僅かだ。 僕は石板の一番上にある108星の中心となる天魁星の下に刻まれた名前を見た。 天流・マクドール それが彼の名前。 そういえば、数ヶ月前に魔術師の塔に彼が訪れた時、一緒に居た変なガキが彼のことを『ティル』と呼んでいたな。 随分と可愛らしい愛称を付けたものだ。 そのあいつはいったいどこに居るのだろう。 あいつが持っていた紋章は、今彼の右手にある。 真の紋章を手放さなければならないような、何が彼等にあったのだろうか。 レックナート様は何も教えてはくれなかった。 ただ、突然「ティエンの所に行って力を貸してやりなさい」と言って石板と一緒にこの城に連れて来られた。 そして彼と再会したわけだけど・・・。 あいつと居た時のような笑顔は、彼の顔には浮かんではいなかった。 気になりだすとキリがない。 どうしてこうも気に掛かるのかは解らないが、決して不快ではない。 これが他の人間のことなら、考えたくもないのだけど。 ふいに、ざわざわと騒音が聞こえてきた。 始めは微かに、でもすぐに奇声やら笑い声やら怒声やらが巻き起こる。 宴会とやらが始まったらしい。 いくら同じフロアに宴会会場となった広間とこの小部屋があるとはいえ、壁を隔てても大騒ぎする声が届くなんて、現場の惨状など想像するだけでうんざりする。 ・・・・・・不快なことこの上ない。 今すぐ広間に乗り込んで『切り裂き』を連発してやりたいくらいだが、どうにか衝動を押さえ込むと僕は小部屋を出て屋上へと転移した。 ここならば騒音も届かない。 煩わしさから解放され、夜風の冷たさにも心地良さを感じながら暗闇をぼんやりと見つめた。 しばらく時が経つのも忘れ、何をするわけでもなく佇んでいた。 吹きぬける風の声に何気なく耳を傾けていたその時、ふいに風が異変を知らせる。 殺気、血の気配。 そのすぐ傍には天魁星。 一瞬のうちに浮かんだそれらの符号に、考えるよりも先にテレポートしていた。 夜空から石の壁に囲まれた空間へと移動した僕の目に、真っ先に映ったのは赤だった。 血の色と、彼の服の色。 「何やってるのさ」 前方に佇む彼が顔を上げてこちらを見た。 彼の手には短剣。 足元には黒い塊。 その塊から流れるのは、赤い血だ。 僕に視線だけを向けた彼は、すぐに足元の黒い物体に目を落とす。 僅かに身じろぎして、黒いマスクに覆われた顔が彼を見上げた。 「覚悟・・・するんだな・・・。ウィンディ様は・・・これからもお前を狙って・・・」 そいつの言葉が終わる前に、彼の短剣が喉を切り裂いた。 血飛沫を上げて崩れたその物体は、二度と動くことの無い肉塊となったようだ。 正直驚いた。 こんなにも無表情に、冷静に誰かを殺せる奴だったのか。 大切に護られてきたお坊ちゃんのすることじゃない。 何よりも目を引いたのは、彼の瞳。 一瞬だけど、金色の双眸に紅が走った気がする。 初めて会った時、まっすぐに僕を見た琥珀。 それは今も僕の中に強く残っているのだが、さっきの紅い瞳もまた、印象的だった。 「随分と殺し慣れてるね」 当て付けでも厭味でもなく、ただ本当にそう思ったから言った言葉だが、彼は辛そうに柳眉を顰めた。 「自慢にもならない」 「そう? 僕は感心したけれど? てっきり『命は無駄にできない』とかのたまって見逃すかと思ったよ」 彼の従者なんか見てると、そんな甘い台詞を簡単に吐きそうだ。 でも彼は予想に反して「馬鹿なことを」と一蹴する。 「彼はプロの暗殺者だ。周囲を巻き添えに自爆するのも辞さない連中に、余計な情けは却って命取りだ」 「あんた、お坊ちゃんのくせに変な知識があるんだね」 「・・・お坊ちゃんだからだよ」 「?」 どういう意味なのか、問い掛ける前にバタバタと足音が聞こえてきた。 間もなく現れたのは熊と軍師。 「ティエン!」 二人は彼の足元の黒い塊に顔色を変えた。 「心配無い。すでに事切れている」 彼の言葉に熊は黒い塊の傍に膝を着いて何かを確かめる素振りを見せた後、それを抱え上げた。 「こいつは俺が処分する」 「解りました」 熊に頷いた軍師は彼に向き直ってその無事を確かめると、安堵したように息をついた。 彼は「大丈夫だよ」と言って軍師に微笑みかける。 再会してから彼の無表情以外の顔を初めて見たな。 どうも、この二人には入り込めないような雰囲気があるようだ。 まあ、軍主と軍師なんだから当然だろうけどね。 一頻り何か言葉を交わした後、軍師は僕の方に歩み寄ってきた。 「貴方も無事ですか?」 「何ともないよ。僕も異変を感じて駆け付けた口だからね」 「そうですか。ルック殿、このことは・・・」 「他言無用と言いたいんだろ。別に話すようなことでもないよ。それより警備をもっとちゃんとしたら?」 「解っています」 軍師は難しい顔をして黙り込んだ。 そんな中、またもや慌しい足音が響く。 「坊ちゃん!」 慌てふためいた悲鳴のような声は、彼の従者のものだ。 男の方は今にも泣きそうな真っ青な顔で彼に突進していく。 続く女の方は男に比べればまだ冷静なようだが、やはり蒼白だ。 あの従者の彼への過保護振りは見ているだけで鬱陶しいくらいで、僕は逃げるようにその場から転移した。 僕が『トラン城』と名付けられた解放軍の居城に来て初めて過ごした一日は、こうして更けていった。 その中で目にした、彼の意外な一面。 本当に、興味深い存在だと思う。 これまで静かに過ごしていた世界から切り離され、暑苦しい人間達が集まる場所で生活するのは苦痛でしかない。 それでも、彼がいるなら少しくらい我慢しても良いとさえ思えた。 彼が、天魁星だからか。 呪いの紋章を受け継いだからか。 これからこの国に嵐を巻き起こす軍のリーダーだからか。 ただ、彼の行く末を知りたいと、思ったのだ。 それに、ほんの少しだけ。 彼自身にも、興味があったのかも知れない。 ■■■■■ 「・・・・・・何、これ」 夜の湖から流れてくる風は冷たい。 僕が出掛け先から城に戻った頃には、すでに夜の帳(とばり)は降りていた。 真夏の寝苦しい夜でもないのに、桟橋にはぼーっと湖を眺めて座り込む物好きな中年男がいた。 確か宿星の一人の―――名前は思い出せないが船乗りだったな。 虚ろな目で座り込んだまま、まったく動かない。 何やってるんだか知らないけど、あれじゃあ敵が現れても瞬時に殺されるんじゃないの。 誰がどうなろうと関係ないけど、彼が困るだろう。 とりあえず風を繰ってみるが、特に周囲に異変はないようだ。 関わるのは煩わしいし、放っておいていいか。 城に入ると、入り口付近でも何人かがぼーっと座っているのが見えた。桟橋の船乗りと似たような間抜け面だ。 何やってるんだ? 疑問を感じながらも階段を上がり、1階を見た途端。 さすがの僕も目を疑った。 1階には・・・茫然自失となっている男が大勢いたのだ。 中には宿星も混ざっておリ、これは只事ではないとフロアに足を踏み入れた。 「ひいっっ!!」 突然、引き攣った悲鳴のような声が奥の方から聞こえ、すぐにそちらに足を向ける。 音源に近付いてみると、複数の話し声が耳に届き始めた。 同時に何かを転がすような軽い音。 いったい何だ? すると、顔面蒼白となった男がある一角からよろよろと這い出してきた。 一般兵のようだ。さっきの声はこいつだろうか。 次に、聞き慣れた怒声が響く。 「も、もう一勝負だあっっ!!」 「いい加減やめた方がいいんじゃないか?」 前者の大声には不快になったが、続いた声に止めかけた足を進ませた。 「うるせえ! このままで終われるかよ!!」 「・・・あと1回だけだぞ」 溜息混じりにそう言ったのは、思ったとおりの人物だった。 「何やってるわけ?」 「ああ、ルック。お帰り」 話しかけてみると彼、天流・マクドールは僕を見上げてそう答えた。 「レックナ―ト様は元気だった?」 「まあね」 答えながら、思わず深い溜息が口をついて出た。 思い返すだけで疲れが増すような気がする・・・。 解放軍に参加して10日が過ぎ、僕は先日軍主である彼と軍師の許可を得て魔術師の塔に戻っていた。 塔に戻った僕を迎えたのは、山となった洗濯物と上手い具合に積み上げられた食器の数々。床には何かを零した跡が大量にあり、料理と称した謎の儀式の痕跡まであった。 すべてが僕の師匠であるレックナ―ト様の仕業であることは言うまでもない。 まったくあの人は。 家事の才能なんて皆無なくせに、何でわざわざやろうとするんだろう。 片付ける身にもなってほしい。 僕は二日間を掛けて魔術師の塔の掃除に取り掛かったのだ。 そして、今に至るわけである。 バンッ 彼と向かい合って座る熊男が、音を立てて二人の間に敷かれた畳の上に手を付いた。 僕と彼が視線をそちらに向けると、そこには数十ポッチが散らばっている。 「俺の今の手持ち全部を賭けるぜ!」 「手持ちを・・・?」 困惑した声にニヤリと笑った熊は、すぐに厳しい顔になって手元を睨みつけた。 大きな手に乗っているのは3つのサイコロ。 やたらと気合の入ったような動作で手を振った熊は、意気込みに反して恐る恐ると言った風に畳の真中に置かれた器にサイコロを落とした。 カラカラという軽い音を立ててサイコロが転がり、やがて止まる。 出た目は“1・1・1”。 6つの目があるサイコロを3つ振って同じ数字が出るとは、珍しいものを見た。 だが、振った本人である熊は真っ青になって硬直していた。 ―――――・・・・・・・・・・・・。 重苦しい沈黙が流れる。 「・・・自滅だな」 ぼそりと呟いた彼の言葉に、僕は人が灰となって風に吹かれる様を生まれて初めて目にした。 桟橋からここに来るまでに見た連中とまったく同じ状態になってしまった熊には目もくれず、彼は周囲を見渡して「もういないな」と呟いて立ち上がり、軽く伸びをする。 「最後の勝負は無かったことにするから、それは仕舞いなよ」 畳の上のポッチを指差してそう言って、彼は脇に置いてあったやたらと重そうな袋を手に僕を促して部屋を出る。 フロアのあちらこちらには真っ白になった兵士達。 連中をこんな状態にしたのは、どうやら彼のようだ。 「で、いったい何してたわけ?」 「チンチロリン」 上の階に上がる階段に向かいながら聞いてみると、簡潔な答えが返った。 「その袋は?」 「結果だな」 手にしてみるとずっしりと重く、かなりの量だと解る。 「全員から根こそぎ巻き上げたわけ?」 困ったような表情で黙ったところを見ると図星なのだろう。 軍主が、それも僕と1〜2歳しか違わない子供が賭博で大勝ちって・・・。 「何故か勝ち続けてしまってね・・・」 「どこかで負けてやろうとか思わなかったの?」 「そうしようと何度もしたのだけど・・・何故か次々に自滅していって・・・」 「もしかして、一度も負けなかったのかい?」 彼は深い深いため息をついた。 「僕は賭け事に負けることができないようだな」 厭味でも何でもなく、純粋に本心を語っているのだろう。 このような悩みを持つ人間なんて、世界広しといえどきっと彼だけだ。 「ま、気にしなくていいんじゃない? 身包み剥がされたくなければ程々のところでやめておけば良かったんだ。それをしなかった連中が悪い」 どう考えても馬鹿なのは負けた連中なのだから、彼は気にする必要は無い。 彼は「そうなんだけどね・・・」としみじみと呟いただけで表情は晴れず、隠された僅かな不安の揺らぎが見て取れる。 「どうしたの?」 「いや・・・グレミオ達に知られたらと思うと・・・」 ああ、なるほど。 いくら彼でも憂鬱になるね、それは。 でも大の大人が揃いも揃って完敗したなんて、恥ずかしくて口外できないと思うけど。 「で、その金どうするのさ?」 「軍資金に使わせてもらうよ。これは皆のお金だから」 確かにそれが正しい使い方だろうね。 多少は彼個人が使っても構わないだろうけど、おそらく彼はそうしない。 それにしても、見物だっただろうな。 どこまでも勝ち続ける彼と、周囲の阿鼻叫喚というものは。 ”そろそろ負けてあげよう”とか考えても、相手が勝手に自滅していったとなると勝利の女神というものの彼への愛情は半端ではない。 ――まったく興味深い。 彼と会ってから、いったい何度そう思っただろう。 日を追うごとに薄れゆくどころか、さらに興味が湧いてくる。 こんな気持ちは初めてだ。 多分、僕は彼を結構気に入っているのだろう。 一緒にいても苦ではなく、話してみても悪くは無いし。 これまで出会った奴等とはどこか違う彼のことは、きっと嫌いではない。 僕は彼に興味がある。 それは確かだ。 それ以外のことは。 後で考えればいいさ。
END
解放軍に参加して間もないルックと坊ちゃんの話。 ルックは坊ちゃんへの気持ちは「興味」であると思ってるんですね。 もちろんそれはあったでしょうが、同時に育つ感情には気付きもしない(笑)。 坊ちゃんは賭け事も最強です。でも全員から根こそぎ巻き上げてはいませんよ。 最後の勝負は無かったことにしてくれてます。最後の勝負だけですけどね(笑)。 (この辺はテッドの教育で「ギャンブラーに容赦はするな」とか言われていた模様/笑)
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