寂しいときには、ぬくもりを。

辛いときには、微笑みを。


疲れているときには、眠りを。

そして―――暖かくて、甘い物を。






Tempted By The Sweet Scent








それは、最近アスの日常になってきたことだった。

例えば、フェイが仕事に追われ、遠征に行かないとき。
例えば、城中が戦争や何かのイベントで慌ただしいとき。
例えば、―――側にいて欲しいとき。

アスは家から持ってきたり、図書館で借りてきたりした本を抱えて、1つの部屋の扉を叩く。

そんな扉の奥から聞こえてくるのは、ぶっきらぼうだけど優しい声。

扉を開けて部屋の中に入れば、一人の少年の姿。
その日、彼――ルックはベッドに腰掛け、魔術関連の本だろうか、分厚い本を膝の上に広げていた。

ルックは膝の上に広げた本から顔を上げることもせず、アスを出迎える。
アスはそんなルックの隣まで来ると、手にしていた本をその場に置き、踵を返して部屋の奥に入っていく。
ルックはそれを咎めようともしない。それどころか、どうでも良いことのように視線を送っただけで、またすぐ本の字列を追う。

部屋の奥から戻ってきたアスが手にしているのは、茶器。
ルックのための緑のカップには甘さ控えめの紅茶。
その隣に並んだアスの黄色のカップには、ルックのより少し甘めに作ってある。

それをベッドサイドに置くと同時に、ルックが自分のカップに手を伸ばす。
アスはそれを少し微笑んで黙って見つめている。




「・・・・・・」

「・・・どう?今日は少しマーマレードを入れてみたんだけど・・・」

「マーマレード?」

「そう、マーマレードのジャムを少しだけ。どう?」

「まぁ、不味くはないんじゃない」

「そう、良かった」




他人が聞けば決して褒め言葉ではないけれど、ルックのそれはアスには満足のいくものだった。
その言葉に柔らかく微笑んで、今度こそ自分のカップを手に取り、一口飲む。

口の中に広がるほのかな香りを楽しみ、思わずため息をついて、それからルックの隣に置いた本を手に取り、今度はそこに自分が腰掛ける。

ルックほどではないけれど、少し分厚くに作られたその本をルックと同じように膝の上に広げ、静かに難しい文字の羅列を目で追っていく。



―――それまではいつもと何も変わらない、日常であった。




とん、と。

右肩に暖かな重みがかかった。
それと同時に、首元に何かがあたり、くすぐったく感じた。

なんだろう、と、アスが出来るだけ右肩を動かさないように、視線を本から離し、少しだけ顔を動かせば、直ぐそこにオリーブグリーンの髪があった。
それがルックの髪だと気づき、少しだけ驚く。

いつもは少し長めの前髪に隠れてしまう翡翠の瞳は、瞼の裏に隠れてしまっていた。
聞こえてくるのは、彼の毒舌ではなく、すぅ・・・、という安らかな寝息。

アスはしばらく瞠目していたが、直ぐに起こしてしまわない程度に小さく笑い、本を膝の上からどかす。


最近ルックがあまり眠れていないことは知っていた。
魔法兵団団長であるルックに回ってくる仕事は多く、部屋の灯りはいつも夜遅くまでついていた。

それなのに、その魔力故か、フェイに連れ回されることも多く、昨日も遠征に連れて行かれたのだ。
疲れが溜まっていないはずがない。

アスはそう考えて窓の外に視線を巡らせる。
まだ陽は高い。

今度はルックの机に視線を送る。
机の上に書類は殆どない。おそらく昨日のうちに終わらせたのだろう。

フェイは今日は仕事で忙しいと言っていた。おそらく遠征に誘われることもないだろう。




―――・・・今日くらいなら、良いよね?




今日のスケジュールを簡単に整理して勝手にそう納得する。
彼の膝の上に置かれた本に栞を挟んで閉じ、ベッドの端の方に置く。
そして、彼を起こさないように気をつけながら、少しでも楽な姿勢で眠れるように、アスは自分の体の位置を変え、ルックの頭を移動させた。









+ + + + +









聞こえてきたのは、ぱら、となにかの捲れるような音。
それと同時に醒めてきた感覚が感じ取ったのは、甘い香り。それと、暖かさ。




「・・・・・・?」




ゆっくりと浮上してきた意識の中、ルックはいつの間にか自分が寝てしまったことに気付く。
甘い香りと、左側に感じるぬくもりで、また睡魔に襲われそうになる。

ぼんやりとした思考の中、心地よいそれらに囲まれて、もう一眠りしようかと思った。
最近まともに休んでいない。久々の休みなのだ。少しぐらい多めに寝てしまっても良いだろう。

そう考えて身じろぎすると、また甘い香りが鼻腔を擽った。
頭に敷いている物はすごく暖かくて、柔らかくて、心地が良い。

そこで漸くぼんやりとした思考で、」それがいつも自分が使っている枕ではないことに気が付く。

それに疑問を感じ、少しだけ体を起こして今自分が枕にしている物を見つめる。




「・・・あ、目、覚めた?」




未だ寝ぼけ眼のまま視線を巡らせると、見慣れた赤が目に入ってくる。

そう、どこかで見た赤だ。
そう考えながら、じぃっとその赤を見つめていると、もう一度声が掛かる。




「・・・ルック?」




その声と同時に、漸く意識が覚醒した。


ルックは慌てて体を起こし、目の前にいる人物を見つめる。




「・・・ぁ、す・・・?」

「おはよう、ルック。よく寝てたね」




疲れてたんだね、と笑いかけてくるアスに、ルックはしばし言葉を失った。

アスから紅茶をもらって。
体が少し温まったから眠くなってしまって。


寝る前の状況はどうだった?

自分は膝の上に本を広げていて。
隣にアスが座って。同じように膝の上に本を広げて。


では今は?

自分が持っていた本は自分とは反対側のアスの隣にある。おそらくアスが落とさないために退けてくれたのだろう。
アスの膝の上にあった広げていた本は、アスの手の中にある。
膝の上に、今は何もない。




「ああ、寝心地悪かった?だったらごめんね?」




アスの膝を見つめていたルックに、アスは何でもないかのようにそう言った。

今のアスの言葉からすると、どうやらルックの予想が当たってしまったらしい。




「・・・えっと、・・・ごめん」

「え?良いよ。気にしないで?ルックも疲れてたみたいだし」

「そうじゃなくて、・・・膝」

「・・・?」

「・・・重かったんじゃないの?」

「ううん。一応鍛えてるし。寝心地悪かったかもしれないけど」

「・・・・・・」

「ふふ、未だ少し眠いんじゃない?僕の膝で良かったら貸すけど?」

「・・・いいよ、いらない」

「そうだよね、ここはルックのベッドだもの。・・・じゃ、僕は部屋に戻ろうかな。そっちの方が、ルックもゆっくり眠れるでしょ?」

「・・・・・・」




そう言って伸びをするアスに、ルックは黙ったまま視線を向ける。


寝心地が悪かった?
とんでもない。むしろ心地よすぎたくらいだ。
心地よすぎて、危うく二度寝してしまいそうになるくらいに。




「・・・アス」




部屋を出ようとしたアスに、ルックは声を掛けた。
何?とアスが振り返る。

声を掛けてから、何で自分が声を掛けたのかが解らなくなってしまった。
何かを言うつもりだったのか。

けれど、考えてみても、答えは見つからなくて。




「・・・?ルック?」

「・・・・・・紅茶」

「え?」

「紅茶。もう一杯飲んだら、寝る」




漸く考え出せたのは、そんな言い訳。

そんなルックの言葉に、アスは少し驚いたようだけど、直ぐに笑みを浮かべてベッドサイドまで戻ってきた。




「あの紅茶、気に入ってくれた?」

「・・・不味くはなかった」

「ふふ、じゃあ煎れてくるから、ちょっと待ってて」




ベッドサイドに置かれたルックと自分のカップを持って、アスはまた部屋の奥へと姿を消した。

まだほんの少しアスのいたぬくもりの残っているベッドに横たわる。
ふわ、と鼻腔をかすめた甘い香り。それは先程アスから感じ取ったものと同じ。

ぬくもりと、香りは同じ。なのに、心地よく感じられない。




「・・・固い」




いつもは大して柔らかさなんて気にしていなかったから、『固い』なんて思ったこともなかったけど、何故かこのベッドが固く感じられる。

横になって何度か目を閉じてみても、先程訪れた睡魔は襲ってこない。
眠いはずなのに。何故か眠れない。


考え込んでも答えが見つからず、ルックが体を起こすと、丁度良くアスが戻ってきた。




「ご希望通り、煎れてきたよ」




そう言って緑のカップをルックに手渡す。
紅茶の香りの中に、マーマレードの香りが混じり合う。
ルックは何も言わないまま一口のみ、口の中でその香りを楽しむ。
そんなルックを、アスはただ嬉しそうに見つめているだけ。




「・・・どう?ゆっくり眠れそう?」

「さあね」

「もう、せっかく人が煎れてきてあげたのに」




そんなアスの言葉を聞きながら、ルックはもう一口口にする。

ほんのりと体の奥が暖かくなって、落ち着く。
そして先程襲ってこなかった睡魔が少しずつ襲ってくるようになった。


次第に瞼が落ちていくルックを見て、アスは嬉しそうに笑う。

今までにこんなに無防備なルックを見たことはなかった。
他の人間に対しては冷たく当たるルック。なのに、自分にはこんな無防備な姿を見せてくれると言うことは、それだけルックが心を開いてくれていると言うことなのだろうか。
そう思うと嬉しくてしょうがない。




「ねぇ、ルック」

「・・・何?」

「僕、今すごく嬉しい」

「・・・・・・は?」

「今日は色んな発見があったから」

「・・・・・・何を見つけたのさ」

「ルックの意外な一面、かな」

「・・・そんな物見つけてどうするのさ」

「どうもしないよ?ただ、嬉しいだけ」

「・・・そんなことやってる暇があったら馬鹿軍主の手伝いでもしてきたらどう?」

「でも、無駄な時間じゃなかったよ。ルックに膝枕するなんて貴重な体験させてもらったんだから」

「・・・無駄な時間だよ」

「でもルックはその分少しは休めたでしょ?だから無駄な時間なんかじゃないよ」

「・・・・・・アンタの時間は人に捧げるためにあるわけ?」

「ルックは気付いてないみたいだけど、ルックは僕の膝の上で結構長い時間寝てたんだよ。それってつまり、寝心地が悪かった訳じゃないよね」

「・・・・・・・・・」

「紅茶も、僕の膝も気に入ってくれたって言う発見があったんだよ」

「気に入ったなんて一言も言ってないけど?」

「そうだね。でも、嫌いもと言ってないよね」

「・・・・・・・・・」

「・・・そんなルックが見られたから、今日は嬉しかったんだよ」




そう、柔らかく綺麗に笑って。

だから思わず、扉へ向かうアスの腕を掴んで、引き寄せて。


その唇に、触れるだけの口づけを。




―――――っ!?!?」

「・・・僕も、発見かな」

「る、ルック!?」

「じゃあね。僕はもう寝るよ。せっかくの休みだからね」




そう言って踵を返したルックに、顔を真っ赤にしたアスは口元を抑えながらルックの方を睨んだ。
ルックはその視線に気付いていながらも、そんなアスに余裕の笑みを浮かべるだけ。




「なに、もう一度して欲しいの?」

―――っ失礼しましたっ!!」




バタンッ、と大きな音を立てて扉が閉められる。


その扉の向こう側でアスは扉に背を預け、まるで力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
両の手で隠された顔は、赤く染まっていた。

そんなアスを知ってか知らずか、ルックは小さく笑みを浮かべながら、紅茶を一口飲み下す。


いつの間にか部屋の中には紅茶の香りがほのかに漂っていた。
その甘い香りに誘われてのことだと、ルックは少し顔を赤らめたまま考えていた。









君の側にいたくなったのも

君の側で落ち着いたのも

君のぬくもりが恋しかったのも


―――――全ては、甘い香りに誘われて・・・







玻璃さまから頂いたルク坊小説です。
正月に妙な年賀イラストを押し付けたところ、こんな可愛らしいお返しを頂きましたv
紅茶の香りが漂ってきそうですv

ルックさん、坊ちゃんの膝枕とは羨ましいっ(笑)。
二人の日常はきっとこんな風にほのぼのいちゃらぶしているんでしょうね〜。

素敵なSSを、本当にありがとうございました!



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