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破壊と再生
小さな光が闇に溶ける。
一歩足を踏み出すと、大地を覆う枯れ草が乾いた音を立てた。
闇に佇みながら、天流は忙しなく視線を巡らせる。
ハイランドに入った日から見ることのなかった闇の夢が戻ってきたことには特に驚きはないが、常に付きまとう孤独感が何故か感じられないことに戸惑った。
闇の中に立った時から、常に誰かの気配を感じる。
不吉なものではない。危害を加えるものでもない。ただあまりにも悲しく、それでいて深い感情が緩やかな波のように暗闇を流れている。
「誰か居るのか?」
空間に言葉を投げかけた。
すると、声に応えるように目の前に光の球体が現れ、弱い光を頼りなげに発しながら天流のそばをスゥッと通り過ぎる。
――お願いです。あの子を救ってあげて下さい・・・
深い悲しみに満ちた静かな声が微かに届き、天流は驚愕に目を瞠った。
現れる魂に語りかけられたのは、テッド以来のことだ。ソウルイーターとの結びつきの濃い彼ならまだしも、彷徨える魂と交流できるとは思わなかった。
そっと光に手を伸ばすと、応えるように光が手に触れるように過ぎ去った。一瞬触れた光から流れ込むように様々な情景が脳裏を過ぎる。
――本当のあの子は、誰よりも優しく純粋な子なのです・・・
小さな囁きを残して溶け込むように消える光を目で追い、天流はふとすべてを理解した。
真実が、心の奥にストンと落ちてきたかのようだ。
(そうですね。彼は誰よりも優しく純粋だった。だからこそ、全てが許せなかったんだ)
一瞬だけ過ぎ去った一人の少年の慟哭の姿。
あまりにも深い哀しみに、抱きしめようと伸ばす手は届かない。
やがて憎しみに支配された愛しい我が子を、彼女は見守ることしかできなかったのだ。
■■■■■
「遠乗りに行くぞ。ついて来い」
突然部屋に現れたかと思うとそれだけを言って、さっさと身を翻して去って行ったルカ・ブライトを数秒間唖然と見送った天流は、やれやれとその後姿を追って部屋を出た。
扉から少し離れた位置に立ち止まっていたルカは天流が部屋を出たのを確認するや、身を翻して長い廊下を大股で突き進んで行く。彼よりもずっと小柄な天流は早足でないと追いつけなかった。
(まったく。子供か、あいつは)
天流が部屋を出るまで不安そうだったくせに、出て来るとそんな自分は知らないとばかりに相手を置き去りに歩を進めて行く。それでいてついてくる足音にはしっかりと耳を澄ませているのだ。
不安になるくらいなら少しは速度を落とせと言いたいが、実際に口にすると馬鹿にされるのは解りきっているので天流はプライドに掛けて無言を貫いた。
城を出ると、兵士に手綱を引かれて馬が二頭用意されていた。
兵士から手綱を受け、馬の背に跨ったルカは天流がもう一頭の馬に跨ると同時に颯爽と駆け出し、天流もすぐにそれに続く。
城を出た二頭の駿馬は見事な手綱捌きで城下街を抜け、平原を駆けて行った。
馬が足を止めたのは、高く切り立った崖の上だった。
二人は馬を下りて巨木の枝に手綱を引っ掛けると、断崖に並んで立った。
空に重なるように続く地平線が遠く見渡せる絶景に、吹き上げる風を受けながら暫し時を忘れて見入る。
広大な大地に町や村はなく、人の姿もない。美しい自然の風景がどこまでも続いていた。
「豚共に見飽きたらここに来る。この場所には醜いものは何もないからな」
見上げた端正な横顔は城で見るそれよりもずっと穏やかなものだ。人を萎縮させる鋭い眼光も幾分和らいでいる。
人間の存在そのものが彼を冷酷な殺人者へと走らせるのだろう。
人の姿がない。ただそれだけでルカ・ブライトは常に身に纏う殺気を脱ぎ捨てる。
そこに存在を許されているのは、天流が彼にとって死神だからなのか。それとも、唯一人認められているからなのか。機微に聡い天流でさえも、ルカの心を推し量ることは容易ではない。
「死神、貴様の目に世界はどう映る?」
「あるがまま、そこに在るものだ」
「この広き大地と忌まわしき城の中、感じるものは違うか?」
「ああ。壮大な自然の中では人間など小さなものだと思う。そして街の中では日々の暮らしこそが僕達の過ごす現実なのだと知る」
「そうか。お前は確かにあるがままを受け止めているようだな。だが俺は、豚共の存在に我慢がならない」
なんて傲慢な言い分だろう。
だが、その言葉の背景を知れば、一概にルカだけを責めることはできなかった。
それでも、これだけは言っておかねばなるまい。
「それはお前が人間全てを同一視しているからだ。人には醜い面も、美しい面もある。一人一人と向き合おうとは思わないか?」
「くだらん」
「お前にも家族が居るのだろう。妹君は大事ではないのか」
「あいつはいずれ利用できる。だから生かしておいているのだ。王と同じだ」
用が済めば刈り取る命。父親を侮蔑の込められた“王”の一言で称した口調からは親子の情も、兄妹の情も彼の中にはない。
否、失ってしまったのだろう。“あの時”から。
「お前にとって守るべきものは何もないのか? 人でも、物でもいい」
「では貴様はどうなのだ? 守るべきものを守ってその結果何が残った?」
痛いところを突かれて天流は一瞬言葉を失くす。
この手から零れ落ちていったものを思うと、今も胸が苦しくなる。だが――。
「確かに僕は守りたかったものを守れず多くを失ったと思う。だが、得たものもまた多い」
削り取られるように大事なものを一つ、また一つと失う度に、天流は差し伸べられる優しさに慰められてきた。
親友を失った哀しみに沈んでいると、そっと抱きしめて一緒に眠ってくれたぬくもり。
最も信頼を寄せた軍師を看取った後、力強く支えてくれたあたたかさ。
「失ったものを忘れない。得たものを大切にしたい。今までも、これからも」
「甘いな。それもまたいずれ失うのは解りきったことだろう」
「だったら、また探せばいい。ルカ、いい加減に過去にこだわるのはよせ。被害を被るハイランドの民がいい迷惑だ」
瞬間、抜き放たれた剣が勢いよく旋回し、素早く後ろに下がった天流の眼前で刃が風を切った。
殺気に満ちた鋭い視線を静かに受け止めながら、天流は語りかけるように言葉を発する。
「お前の母君が泣いていた」
その言葉に漆黒の瞳に驚きが浮かんだ。
眉間に深く皺が寄せられたが、疑いの色はない。
「お前の心はあの日から傷ついたままか? 流れる血を止める手立ては何もなかったか?」
「黙れ」
「お前の周りは、あの日の人間達しか存在しないか?」
「黙れと言っている」
「お前の世界はいつまで閉ざされている?」
「天流!!」
強く名を呼ばれ、思わず口を噤んだ天流を剣を持たない方の手で強く引き寄せ、強引に唇を重ね合わせる。
罰するかのような深い口付けに、すぐに天流の息が上がる。
「俺が求めるのは戦乱だ! 豚共が醜い争いの果てに無様に死んでいく様を眺めることだ! だから貴様をそばに置いた。くだらぬ情を偉そうに語らせるためなどではない!!」
怒りの表情の中に見える決然とした意思の強さに、天流はこれ以上言葉を紡ぐことを諦めた。
やはり彼を止めることは不可能だと悟る。ただ、少なくともルカは天流の言葉を聞いてくれる。それが解っただけでも収穫だ。この先ルカの心に変化があるかどうか、それは天流次第なのだろう。
「すまなかった。お前の母君の哀しみと幼いお前の悲痛の深さが感じられたから」
冷酷な殺気が漲る視線から決して目を逸らさない天流に、折れたのはルカの方だった。
拘束していた腕を解いて剣を鞘に戻し、広大な大地を見据える。
「恨んではいなかったのか。己が身を蹂躙したくだらぬ豚共とそれを見捨てた王、そして祖国を破滅へと導く俺のことを」
「恨みも憎しみも感じられなかった。あるのは大切な子供たちを案ずる母親の愛情だ」
小さく「そうか」と呟いたルカの表情に浮かぶのは、安堵だろうか。それとも哀しみだろうか。
背を向けられていては知る術もなく、また知らなくても良いと思った。
「俺の母だという魂に次に会ったら言っておけ。俺は俺が思うがまま邪悪に生きるとな」
自分自身で決めた道を自分の意思で突き進むのだ。
だから心配の涙など不要なものだと。いい加減に眠れと。
決して言葉にはしない、裏に隠された優しさ。
「伝えておこう」
吐息のような声を落とし、天流は澄んだ空を見上げた。
突然幼いルカの身に起きた悪夢。
下卑た男達に容赦なく甚振られる母の悲鳴を聞きながら、幼い少年は必死に父親達の助けを待ち続けていた。しかし結局父王は王妃の身に何が起きているのかを知りながら何も手立てを講じず、妻と子を見捨てた。
母親がボロボロにされゆく様を見せ付けられ、幼いが故に何もできなかった少年の心の傷の深さは計り知れない。
母を蹂躙した男達。母を見捨てた父王。何もしなかった無能な者達。
純粋だった少年の心が壊れ、憎しみと怒りだけが残り、憎悪は祖国に向けられた。
ハイランドも都市同盟もどうでもいい。全てが壊れれば、それで良いのだ。
自分ならば止められるのではないか。
そう思うこと自体が傲慢であり、偽善だ。
大切なものを失った時、誰かの手に慰められることはあっても、失ったものの代わりになるものなど何もないということは身を以って知った。
「壊すのは容易い。だが、修復には永い時が掛かる」
かつて、戦場と化して踏み荒らされた大地に立って友人に漏らした言葉。
ルカはそれを鼻で笑った。
「修復などするつもりがないから壊すのだ」
天流と向き合うと、ルカは両腕で細身の身体を抱きしめた。先ほどのような荒々しさはなく、逞しい胸に引き寄せられると安心感すら芽生える。
「貴様は先ほど言ったな。大切なものを失ったならまた探せばいいと」
「ああ」
「ならば貴様がそうなるか?」
「?」
温かい胸に頬を寄せていた天流は、不思議そうにルカを見上げた。
「貴様が言った通りだ。俺にとって豚は豚でしかなく、個人など考えたことはない。その必要もない。だが、貴様は俺が唯一認める“個人”だ。俺に大切に守られてみるか?」
「さっき容赦なく剣を振り回した奴の台詞とも思えないな」
「だが貴様は避けただろう。俺の傍に在っても貴様は壊れない」
お前などのせいで壊れて堪るか。
ルカがハイランドの狂皇子なら天流は元解放軍軍主だ。
人の上に立ち、導いていく立場の人間がそう簡単に他者に惑わされるものか。
軍主のプライドがもたげて剣呑な光を宿す瞳に睨まれ、ルカは面白そうに笑った。
「俺が貴様を姫君のように大事にすればその眼で睨みつけてくるだろう。それもまた一興」
「面白がって女性扱いするつもりか貴様」
ただでさえハイランドでは性別を勘違いされる記録を更新しつつあるというのに、ルカはさらに拍車をつけるつもりでいる。ああ憎たらしい。
「変なプライドなどに拘らず、守られてみろ。俺の腕の中にいるのは貴族の子息でもトランの英雄でもない。それを解らせてやる。そして俺はお前を構うことにこそ楽しみを見出せる」
天流はハッとした。
ルカは今精一杯の譲歩をしているのだ。
無差別にハイランドの民を虐殺していた時間を、天流を構うことに使おうとしている。
思いがけない奇跡にも似た事態に、驚愕と喜びが入り混じる。
(それにしても・・・)
何でこんなに素直じゃないのだろう、この男は。
天流は深い深いため息をつくと、広い背中に腕を回した。
「仕方ない。だが女装はしないからな」
「それは残念だ」
何だか本気で残念がっているような口調に、天流の相好が微かに崩れた。涼しい目元が和らぎ、ほとんど動くことのなかった口元が小さな曲線を描く。
ほんの僅かな変化だったが、ルカの眼にそれははっきりと映し出された。
「初めてだな」
「え?」
「気づいていないのか? お前、今笑ったぞ」
「・・・え?」
今度ははっきりと天流の表情は驚きに彩られた。
思わず片手を頬に当て、見ることのできない自分の顔を確かめようとする。
「せっかくこの場所に連れてきてやったのに相も変わらずちっとも表情が動かないから、いい加減俺も困っていた。そうか、女装させればいいのか」
何だ、その結論は。
いや待て、それよりも。
「では、この場所に連れてきたのは、僕を笑わせたかったのか?」
「笑うとまではいかずとも少しは貴様の能面が動くのではないかと考えた」
“この広き大地と忌まわしき城の中、感じるものは違うか?”
あの言葉には、そういう意味が込められていたのか。
天流を手元に置いて何日か経つが、未だに彼の表情が無のままであることにルカは人知れず苛立っていた。
彼の感情を見て取れたのは、炎に包まれた村で見た怒りに燃える紅玉に射抜かれた時くらいだ。
それからわざと怒らせるようなことを言っても、珍しいものを見せてやっても、口調からは何となく感情が解るものの表情はなかった。
天流自身にすら、どうすればいいのか解らなかったそれに、初めて変化の兆しが現れ始めている。
ルカ・ブライトと共に居る。
それは双方にとって良い結果を生むことになるかも知れない。
――“死んだ目をした君と再会したくなんかない”
以前交わした大切な約束。
果たせる日が近く感じる。
動かぬ表情のまま再会したかつての仲間達の辛そうな顔も、もう見なくて済む。
ふと、頭上に影が差した。
目線を上げると、ルカの端正な顔が近づいてくる。
そっと眼を閉じて、舞い降りてくる唇を受け止めた。
■■■■■
闇の空間に誰かの気配を感じる。
暗い水底のような深い悲しみの流れが、今は諦めを含んで静かに漂う。
「聞いていましたか? 彼の言葉を」
虚空に声を放つと、光が現れた。
彼女の魂だ。
「貴方の息子は自分で選んだ道を進んでいる。それがどんな結果を生もうとも、彼に後悔はないでしょう」
流される血は後を絶たないかも知れないが、それを止めるのは自分でもルカでもなく、巡りゆく星の元に集う、新たな力達。
「僕は貴方の分も最後まで彼のそばに居ます。だから、もうゆっくりと休みませんか?」
少し逡巡するような気配を見せた光は、やがて決心したように天流の方に流れ来る。
天流の身体をそっと通り抜けたと同時に闇に消えた瞬間、優しい声が語りかけてきた。
――あの子を、お願いします・・・
消えゆく一つの魂を見送る天流には、ぎこちなくも微かな笑みが浮かんでいたが、彼がそれに気づくことはなかった。
その後、再び天流の闇の夢は封じられた。
END
ルカ坊らぶらぶ一直線♪ お母様のお許しまで頂きました(笑)。
坊ちゃんにはようやく表情が戻る兆しが現れ始め、
ルカ様は虐殺より、坊ちゃんといちゃいちゃしたいご様子です。
誤って裏道に入り込む前に波乱を起こさねば・・・(汗)。
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