想いを馳せて





空は高く晴れ渡り、薄い雲は優雅に流れる。

澄み渡った空を眺めながら、マチルダ騎士団の赤を纏う青年剣士、カミューは切なげなため息をついた。

この場に人がいなかったのは幸いかも知れない。彼の哀愁漂う憂えた横顔は老若問わず女性全てを魅了すること間違いない美しさで、眩暈を起こして倒れる乙女が続出しかねなかった。

そんな女性の心を捉えて離さない魅力湛える彼が、何故ここまで憂いを漂わせているのか。彼自身その原因は解り過ぎるほど解っていた。しかしそれは、どうしようもないことで。対処の仕様など何もなかった。

(これほど辛いものだとは知らなかったよ)

心の中でそっと苦笑を浮かべる。

沈着冷静にして誰もに認められる真の騎士たるカミューすらも辛いと感じる程の切ない想い。
そんな気持ちにさせたことはあっても、その立場に立ったことはなかった。

けれど今、彼の胸は確かに疼いていた。

心の奥に住み続ける一人の少女の面影に――。



「あの、カミュー様。宜しいでしょうか」

躊躇いがちに声を掛けられ振り向くと、青の制服を纏う騎士が立っていた。

「どうかしたのか?」

「はあ、それが・・・うちの団長のことで・・・」

「マイクロトフの?」

親友の名にカミューは柳眉を寄せた。

そして彼の話を聞いているうちに、どうにも他人事ではないような気がしてきた。

というより。

(マイクロトフよ、お前もか――)

親友の心情を誰よりも深く理解できたのはおそらく彼だけだろう。





端正な顔立ちに暗い影を落とした青年は、重い雰囲気を漂わせながら一心不乱に剣を振っていた。

手にしているのが演習用の殺傷力の低い剣でなければ、自殺防止のために取り上げたくなるほど彼は苦悩に満ち満ちた表情だ。
遠巻きに見つめる部下達は、いつ団長が思わぬ行動に出るかと戦々恐々とした心境で見守っている。

(団長、何があったのだろう・・・)

(どうか早まった真似だけはしないで下さい〜)

一本気で真面目なマイクロトフは一度落ち込んだらズブズブと奈落の底に落ちていく。その彼が今や暗黒のオーラを纏っているのだ。これはもう手がつけられないほど落ち込んでいるに違いない。


そんな彼と対等に話が出来るのは、赤騎士団率いるカミューだけだ。

彼が現れると、青騎士達は一様に安堵の表情を浮かべた。
これで何とか最悪の事態は回避できる。


「やあマイクロトフ」

「カミューか。何か用か」

剣を振る手を止めたマイクロトフの、どこか沈んだ声が答える。

相当きてるな、これは。

カミューはマイクロトフの前まで歩み寄ると、周囲には聞こえない位静かな声で言った。


「・・・恋煩い」


その瞬間、ボンッと音を立ててマイクロトフの顔が真っ赤に染まった。
一日中打ち沈んだ青白い顔しか見ていなかった青騎士達から「おー!」と歓声が上がる。


「ななななな何を言う、ととと突然いいいいきなりききき急にだだだ出し抜けに」

「落ち着けマイクロトフ」

“突然”も“いきなり”も“急”も“出し抜け”も全部同じ意味だ。

「でも気持ちは解るよ。素敵な人だったからね。私だって今もその面影が胸のうちから離れないのだから」

「ばばば馬鹿なことを言うな! だいたいティア殿は人妻で・・・」

「おや? 私は“ティア”殿と言ったかな?」

「っっ!!!」

(こ・・・この男っ!)

あっさりと嵌められ、マイクロトフは目まぐるしく顔色を赤やら青やらに変化させながら絶句する。器用な顔色だ。

「お固い君がまさか恋に悩む日が来るなんてな。友人としては祝福してあげたいところだけど、相手が人妻ではどうしようもない」

そんなことは解っている。そう言って何度も自分を納得させているのだ。なのに、いつまでも気分は晴れず、それどころかどんどんと深みに嵌っているような気さえする。

「俺は女々しいと思うか」

「恋煩いに男も女もないよ。私だって切ない想いを日々噛み締めているのだから」

その言葉に「おや」とカミューを見ると、いつも悠然とした笑みを浮かべる友人が見たこともないほど暗い目をしている。

「叶わない想いがこれほど辛いものとは、正直私も思わなかったよ」

そう言って自嘲を含んだ笑みのあまりにも寂しげな様子に、混乱に渦を巻いていたマイクロトフの頭もスゥッと冷えていった。

(そうか・・・お前も・・・)

自分に負けず劣らず苦悩する友人を見て、もう認めるしかないと諦めにも似た思いを抱く。

数日前にほんの少しの時間を共有しただけの美しい少女。
すでに夫を持つ身である彼女に、二人揃って心奪われてしまった。


そう、漆黒の髪と琥珀色の瞳を持つ“ティア”という名の少女に・・・。







■■■■■








「だいぶ熱が下がったな」

妻の額に手を当てながら夫である青年が言った。
つい二日前まで高熱に魘されていた少女は彼に感謝の視線を向けて頷く。

「ありがとうクライブ。もう大丈夫」


ティアという名の少女とクライブという名の青年は、数日前共にマチルダ市騎士団領にやって来た新婚夫婦だ。(と、宿の人達に聞いていた。)
旅の途中高熱を出して倒れたティアの看病のために宿に泊まったのだが、夫の外出中に運悪く白騎士団の性質の悪い連中に眼をつけられ、ティアは襲われ掛けた。それを助けたのがカミューだ。
そして、マイクロトフは突然暴れだしたモンスターの討伐に出かけた先で、クライブと、夫婦の知り合いらしい若いカップル、ヒックスとテンガアールと出会った。

事件から二日が経ち、カミューとマイクロトフは病身のティアと怪我人のヒックスの世話を手伝ううちに、若い夫婦とカップルと仲良くなっていった。

ゴロツキと変わらない、騎士の風上にも置けないような男達から卑劣な暴行を受けたティアにとって、マチルダ騎士への印象は悪いだろうと思っていたが、彼女は嫌悪も恐怖も表すことなくカミューやマイクロトフに礼儀正しく接してくれている。
そして、この何日かですっかり打ち解けてくれた彼女の琥珀の瞳には、二人への感謝と好意が宿っていた。


ティアはカミューとマイクロトフに視線を向けると、深く頭を下げた。

「騎士殿達にもお世話になりました。ありがとうございます」

「とんでもありませんよ、ティア殿。こちらこそ、我々の同僚がご迷惑をお掛けしました」

「ティア殿の心の傷にならねば良いのですが・・・。何も出来なくて申し訳ない」

ティアの感謝の言葉に逆に恐縮してしまうカミューとマイクロトフ。
彼女に暴行しようとしたのは、二人と同じマチルダ騎士団に所属する者達だ。直接の部下ではないとは言え、マチルダの騎士として彼等の行為を見過ごすことはできない。

申し訳なさに俯いてしまっていた彼等は気付かなかったが、寝台に上体を起こした少女は“ティア”と呼ばれる度に眉を顰め、クライブは気まずげに眼を逸らし、ヒックスとテンガアールは何やら首を傾げて視線を交わしていた。


「貴方方はこれからどうされますか? 宜しければ私達がマチルダ市内をご案内しますが?」

「厚意だけ受け取っておく。ここに来て随分と注目されてしまったからな。居心地が悪くて仕方ない。さっさと旅に戻らせてもらう」

確かにこの夫婦は目立っている。容姿の美しさもあるが、やはり最たる原因は先日の騒ぎでやたらと注目を浴び、宿の周囲には野次馬が絶えない。
二人きりの旅行を楽しむ夫婦やカップルにはいい迷惑だろう。

だが奥さんの方はもう少し街を楽しみたいのでは?と思ったが、ティアはクライブの言葉にうんうんと頷いていた。ヒックスやテンガアールも「目立つのは困りますよね」とか「ティ・・・アさんもあまり注目されると・・・」などと早く街を出ることに賛同している。

目立つことを厭う、静けさを好む夫婦か。羨ましいな。
落ち着きのある安定した家庭を築けそうだ。

――家庭?

そう言えば、とカミューは疑問に思っていたことを言葉にした。

「ティア殿はどこか名家のご出身では?」

一瞬空気が張り詰めた。

クライブの油断のない眼が鋭くカミューを射る。いつも明るいテンガアールや控えめなヒックスすらも戦士の覇気とも言える空気を纏っていた。
この数日で打ち解けていたが、彼等は死地を潜り抜けてきた戦士であることが感じ取れる。
ティアだけが感情を動かすことなく、静かにカミューを見ていた。

「・・・何故、そう思われますか?」

「動作に気品があります。やはり育ちというのはなかなか抜けないのでしょうね。旅で不自由されていませんか?」

「慣れました。お気遣いありがとうございます」

ピンと張っていた空気が和らいだ。どうやらカミューの言葉は彼等が警戒していたものとは違うようだ。
ならば何故、彼等はあれ程までに反応したのだろうか。

詮索好きな性分ではないはずだが、どうしても知りたくなる。

「ご家族の方は心配されているのでは?」

新婚旅行で夫と二人きりになりたいのは解るが、良家の令嬢ならば最低でも二、三人は世話をしてくれる人が必要だろうに。

「心配・・・させているかも知れませんが、今は帰れないので・・・」

瞳を伏せるティアの肩に、励ますようにクライブの手が添えられる。


ティアの言葉で、カミューとマイクロトフは確信した。

二人は“駆け落ち”したのだ――と。


どう見ても二人には身分の差がある。育ちの良いティアと、裏社会を生きてきたであろうクライブ。許されるはずのない恋愛だったのだ。

だが今、カミュー達の眼に映る二人は仲睦まじく、ティアは貴族社会とは違う環境に順応しようとし、クライブはそんなティアをさりげなく助けている。
家を、贅沢な暮らしを捨ててでもティアはクライブと添い遂げたいと思ったのだろう。

この二人の間には、誰も入り込むことなどできない。

微笑ましく、二人の幸せを祈る気持ちはあるが、同時にひどく切ない想いを抱く。


失恋が決まっている相手に、どうしようもなく惹かれていく心を制御する術など、マイクロトフは元より流石のカミューにすらも持ち得なかった。







■■■■■







騎士達の想いを置き去りにして、月日は容赦なく過ぎ去ってゆく。

出会いの日から二年の間にデュナンの情勢は変化を見せ、ゴルドーの卑劣さに完全に見切りをつけたカミューとマイクロトフは、部下を連れて力をつけつつある同盟軍の傘下に入った。

その同盟軍の本拠地、ノースウィンドウ城では思わぬ再会を果たすこととなった。

フリックやビクトールに飲みに誘われた二人は、酒場に足を踏み入れた。まだ日も暮れていないというのに盛り上がりをみせる酒場は美しく気風の良い女性によって仕切られている。

「おや、新顔だね。揃いも揃って良い男だねぇ」

レオナという名の女性の艶を含みながらも嫌味のない口調に、カミューやマイクロトフも気さくに接することができた。居心地の良い酒場だ。

そんな酒場の片隅に、黒いフードを目深に被る一人の男の姿があった。
常ならば関わりを持とうとは思わないのだが、フリックとビクトールは気兼ねなくその人物に近づいていく。

「よう、クライブ、お前さんも一緒にやるか?」

ビクトールに声を掛けられて振り向いたその人物の顔を見たカミューとマイクロトフは、驚愕を浮かべて足早にそちらに向かった。

「クライブ殿」

「あんたらは・・・」

二人の騎士の顔を見覚えていたのだろう。クライブの切れ長の瞳も驚きに見開かれた。

「久しぶりです。このような所でお会いできるとは思いませんでした」

「ああ」

礼儀正しいマイクロトフの挨拶にも、そっけなく答える。
彼の無愛想さはすでに知っているので、カミューやマイクロトフも気にする様子はない。
それより彼には是非訊きたいことがある。

「クライブ殿、ティア殿はご一緒ではないのか?」

「ティア? ・・・ああ、あいつとはあれから会っていないな」

“ティア”という名に数秒間考え込む素振りを見せた態度も気になったが、次の台詞には冷静なカミューすらも一瞬思考が飛んだ。

「いったいどういうことです?」

「マチルダを出てすぐに別れたが?」


わ、別れた!!!???


ダンッと激しい音を立ててカミューの両手が机に叩きつけられた。


詳しく話していただきましょう!!


「お、おい・・・どうした・・・?」

わけが解らずに戸惑うフリックの声も、今のカミューには聞こえていない。むしろ邪魔だから黙っててくれという感じだ。

不穏な空気を察したのか、酒場の中にも動揺が走る。
異変に気付いた野次馬までもちらほらと現れ始めた。

「詳しくも何も言葉の通りだ。あいつらとはマチルダを出た後別れた」

「ティア殿をたった一人で旅に出したのか!?」

「あいつは一人で大丈夫だ。あの時は高熱を出しただけ・・・」

「貴方にはティア殿を保護する責任があるはずだ!」

クライブを遮って叫ぶように発せられたマイクロトフの言葉に、騎士達以外は益々わけが解らなくなった。

「待て、何の話だ」

「君とティア殿は夫婦なのだろう!?」

「・・・・・・俺とティエンが・・・夫婦・・・だと?」

その呟きは傍にいたフリックとビクトールの耳にも届いた。

「はあ!? ティエンとクライブが何だって!?」(←ビクトールの叫び)

「“ティエン”とは誰です! 私達はティア殿のことを申し上げている!」(←カミューの怒声)

「ティアって誰だ? クライブ、お前結婚してたのか?」(←フリックの驚愕)

「馬鹿言うな。ティエンは男だぞ」(←クライブの反論)

「誰が男の話をした! 貴方の奥方のことだろう!」(←マイクロトフの一喝)

会話が噛み合わない。

収拾がつかなくなりつつある事態に、周囲はただおろおろするばかりだ。
同盟軍でも上位の実力を誇る宿星達の熱き口論に、誰も口を差し挟むことができない。

人だかりからは「軍師殿を呼んでこーい」「軍主殿にお知らせをー」「ルック殿に切り裂きをお願いしようっ」などという言葉が飛び交っている。



バッシャーンッッッ!!!!!



言い争う五人に勢いよく水が掛けられた。

一斉に視線が注がれた先には、バケツ片手に仁王立ちする女傑レオナの厳しい眼光があった。・・・怖い。

「いい年した男共がガキ臭い争いしてるんじゃないよ! 少しは落ち着いたらどうだい」


「す、すまん、レオナ・・・」

「すまない・・・」

「申し訳ない」

「ご迷惑をお掛けしました」

「・・・悪いな」

ビクトール、フリック、マイクロトフ、カミュー、クライブの順に女主人への謝罪を口にする。
水を掛けられて頭が冷えたのか、もう五人に先程のような烈しさはなかった。


「で、そもそもの原因は何なんだい?」

レオナの問いにフリックとビクトールの視線が騎士とクライブを順番に見る。ことの発端はこの三人だ。


「あのー、ちょっといいかなあ?」

場にそぐわない可愛らしい声に、視線がそちらに向けられる。
酒場の入り口に困ったように立っているのは、華奢で可愛らしい少女だ。ちなみに全員が彼女を見知っている。

「テンガアールじゃないか。どうした?」

「テンガアール殿、お久しぶりです」

「お元気そうで何よりですよ、レディ」

「ご無沙汰してます、カミューさん、マイクロトフさん」

ぺこっと騎士に挨拶をしたテンガアールは、ビクトール達のもとに歩み寄ると声を落とした。

「あのさ、ボクの話聞いてくれる?」


そうして語られた二年前の真相に、クライブやマチルダ騎士は元より話を聞いてしまったビクトールとフリック、レオナさえもしばらく硬直してしまった。


話を聞き終わった後、静まり返る面々にビクトールはぽつりと呟きを落とした。


「ティエンには言うなよ、命の保障はないぞ」





■■■■■





・・・男?


男だって?



ティア殿が・・・―――――おとこ・・・・・・?



(・・・そういえば、抱きかかえた時、女性にしては骨張ってるような気はしたが・・・)

年若い上に武術を習っていたようだから、まだ女性らしい身体に発達しきっていないのだと思っていた。

(・・・一人称は“僕”だったな・・・)

だがテンガアールも“ボク”だから、特に疑問にも思わなかった。

(薄い夜着からも胸のふくらみはあまりなかったような・・・)

胸の小さな女性はいくらでも居るから気にしていなかった。

しかもティア・・・いや、ティエンの黒い髪は艶やかで、汗ばんだ白い頬に張り付く様は扇情的で、琥珀の瞳を覆う睫毛は長く、薄桃色の唇はとても甘そうで・・・。
思い出すうちに己の奥深くに眠る激情が目を覚ましかける。


その瞬間、カミューの中で何かが吹っ切れた。



男だからどうした。人妻でも他の男のものでもないならば、むしろ好都合じゃないか。

叶わないと思って封じ込めていた想いが、封を破って一気に溢れ出す。


与えられたチャンス。これを生かさねば男じゃない。

貴族然とした端正な顔にゆっくりと笑みが広がる。
獲物を前にした獰猛な獣にも似た妖しくも美しい微笑み。


(ティア殿・・・いえ、ティエン殿。どうか覚悟して下さいね。次に会った時、私は容赦しません)


――必ずこの手に、貴方の身体を抱いてみせる。



箍の外れた気持ちの波を、もはや抑え込もうとは思わない。

再会する日を夢見て、愛しき面影に想いを馳せる――。





ティア改めティエンが、トランの英雄天流・マクドールであることをカミューとマイクロトフが知るのは、それから数ヶ月後のことである。



END


坊ちゃんてば罪な人v(笑)
騎士二人を悩ますのがこんなに楽しいとわ・・・っ。(←鬼・・・)
ちなみにこの時まだシーナは同盟軍に居ませんが、事の一端を小耳に挟んで
フリックを脅して詳細を聞き出したので事情は知ってます(笑)。
ルックはもちろん何でもお見通し。(・・・嫌なコンビだ)



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