獣の胎動





「お、起きられるようになったのか。気分はどうだ?」

そっと音を立てずに部屋の扉が開き、顔を覗かせたシードは天流が起き上がっていることを知ると、明るい表情で声を掛けてきた。

「ありがとう、今朝は良いです」

「だいぶ顔色も良くなったな」

額に手を当てて、熱が無いのを確かめて破願する。

天流がシードの家で目覚めてから二日目の朝だった。
前日までは頭痛が酷くて思うように動けなかった天流だが、朝起きてみると痛みはかなり引いていた。
まだ眩暈が残るため、あまり寝台から動くことはできないが初日とは随分違う。
怪我自体は紋章によって癒されたが、深い傷を負ったことによる体の負担はすぐには回復しない。

「お前は若いし、武術をしていたから治りも早いんだろうな。でもまだ無理はするなよ」

「済みません、お世話をお掛けします」

「子供が気を遣うなって」

にこやかに言ってすぐに背を向けて部屋を出て行ったシードには、どこか複雑そうな天流の表情は見えなかった。
この二日間でシードやクルガンの自分に対する態度を観察していた天流は、何故二人がやたらと子供扱いしようとするのかが解らなかった。
精神的には十五歳だが、三年後は十八歳位だ。大人だとは言い切れなくとも、子供扱いされる年齢ではないはずなのに。


数分後、再び部屋に入ってきたシードの手にはトレイが有り、天流の朝食用に作ったオートミールが乗っていた。

「少しは食っておけ」

そう言ってトレイごと天流の膝に乗せる。
礼を言って天流が左手でスプーンを持ち、口に運ぶのを見守りながら、シードがぽつりと呟いた。

「まだ右手は開かないか?」

「あ、はい、まだ強張っていて」

「そうかあ」

天流の右手は事故に遭って気絶してからずっと固く握られたままだ。
実はすでに指の力を緩めることに成功していたのだが、手が動かせるようになったと知ればシードは手袋を脱がして包帯を外そうとするだろう。
自分の身の回りのことが出来るくらいに回復するまでは、天流はそれを知らせるつもりはなかった。――右手の紋章を見られないためにも。
そうとは知らないシードが痛ましげに右手を見ているのに気付き、ズキンと胸が痛む。


天流が食べ終わると、シードは皿を下げて薬と水をトレイに置いた。

「それ飲んだらいい子で寝てろよ。俺はこれから城に上がる。帰りは夕方になるが、近所の知り合いに様子を見に来てもらえるよう頼んであるから、何かあったらその人に言うんだぞ」

「はい、ありがとうございます」


ややあってシードが家を出る音を聞いた後、天流は寝台を出て部屋の外に踏み出した。

男の一人暮らしの家は広くはなく、余分なものもない。だが過ごしやすそうに整えられている。
一通り家の中の構造を確認して、バスルームに入った天流は、洗面台に設置されている鏡に映る自分の姿を見て驚愕する。

変わっていない。
本当に三年の月日を経たのだろうか。
記憶の中にある自分の姿と、ほとんど変わらない現在の自分。
これで十八歳とは自分でも信じられない。まるで、自分だけ時間が止まったかのようだ。

そう思ってハッとする。
思い出されるのは親友、テッドのことだ。
咄嗟に右手を見やった。

「ソウル・イーター・・・・・・真なる紋章の一つ・・・」

それを手にした者の辿る道の一端が垣間見えた。
そして、これは失った三年間を見てきたはずだ。
天流が何故たった一人で遠いハイランドという国に訪れたのか。置かれた状況に、紋章が全く関係ないとは思えない。
そんな天流の思考を呼んだのか、ソウル・イーターが僅かに反応した。
笑ってでもいるかのように。
その禍々しさに戦慄を覚えた瞬間、柔らかな光の膜が天流を包んだ。

「!?」

その時、初めて天流は胸元に光るものの存在に気付いた。
手に取ってみると、それは翡翠の石と、もう一つは女性のイヤリングのような宝石だ。

「誰のものだろう」

三年の間に誰かからもらったものだろうか。
翡翠の方は魔石ということがすぐに解った。だが、石から感じ取れるのは安心感すら覚えるあたたかさ。誰かが天流自身をとても大切に想っていたという感情が伝わってくる。

「誰? テッドじゃない・・・父上やグレミオ達とも違う・・・。けれど、僕は知っている。確か、どこかで・・・」

ふいに、天流にとってはつい先日出会った少年が思い浮かんだ。
帝国軍に入隊して間もなく、最初の任務で訪れた孤島の塔で出会った少年。

「いや、まさかな」

有り得ない。そう思った。
彼と会ったのはあの時が最初で、その後も何か接点が出来るとは思えなかったからだ。

何も解らぬもどかしさ。
テッドを置き去りに雨の中、グレッグミンスターを出たことは覚えている。
その時、グレミオやクレオの他にもう一人いた。大柄な傭兵風の男だった。

「あれは・・・そうだ、ビクトール」

彼と共に行動を共にするようになったのだ。
しかし、その先は濃い霧のようなものに覆われて真っ白だ。

込み上げてくる苛立たしさが不快で、天流は紛らわすように深く息をついた。



応接間に入ると、無造作に置かれた新聞に眼が留まる。
広げて日付を見ると、確かに三年後の数字が印刷されている。
記事に目を通したが、何の収穫もない。
ただ少し気になるのは、ハイランドが都市同盟との話し合いの用意があることを示唆する記述だ。赤月帝国にまで影響を及ぼすものでなければいいが。

天流はしばらく考え込んだ後、部屋に戻って綺麗にたたまれていた服に着替えた。
城で倒れた時に身に付けていたものだという仕立ての良い服だが、無論覚えは無い。
そもそも何故ルルノイエ城などに居たのかが疑問だが、それはシードも理由を知りたいところだと言っていた。


家の外に出ると、賑やかな城下街が広がる。
だが、真っ先に目が留まるのは街の奥、白亜の城の姿だ。

ざわり、と全身が総毛立つ。
特に強い反応を見せたのは、やはり右手だ。

(何だ、この感覚は)

得も言われぬ奇妙な感覚。
あえて例えるならば、今まさに獲物に牙を剥こうとする獣の前に立っているかのようだ。
白亜の城が、白く大きな獣に見える。息吹すら聞こえてきそうだ。

天流は、我知らず呟いていた。

「鎮まれ、銀の獣」

自分が発したとは思えない程強く、覇気に満ちた声音。
今の彼は知らないが、解放軍を率いた軍主の声だった。
その強さに平伏するかのように、獣の気配はおとなしくなっていった。

不吉な気配の消えた大地に立ち尽くしたまま、天流は長く動かなかった。

(いったい、この街は何だ?)

そして何故自分はあんな呟きを落としたのか。

その問いを受け止めてくれる者はいない。





■■■■■





日が傾きかける頃、天流はシードの家に戻った。
街の中をひたすら歩いてみたが、やはり何かの手掛かりとなるものはなかった。

いっそ城に乗り込んでみた方が有意義な情報を手に入れられるような気がする。

そんな天流の考えは間違ってはいない。そしてもしもその衝動のままに城に乗り込んでルカ・ブライトと会えたならば、状況は少し違っていたかも知れない。

だが、衝動的な性格ではない天流は闇雲な道を選ぶことなく、シードの家の扉を開いた。

シードはまだ帰っていないようだ。
キッチンに向かい、ざっと見渡して戸棚に茶葉を見つけると、お湯を沸かしてお茶を淹れた。

一息ついた時、玄関から物音がした。
シードが帰ったのかと思い、彼の分のお茶を用意しようと立ち上がった天流の前に、買い物袋を下げた見知らぬ女性が現れた。
予想外の事態に首を傾げる。
相手もびっくりしたように天流を凝視していた。

(ああ、シードさんが言っていた近所の知り合いかな)

そう言えば、自分のことを頼まれているのだった。
すると、女性の顔がみるみる険しくなった。

「ちょっと、貴方誰!? シード様の家で何をしているの! まったく図々しい女ね、さっさと出て行きなさいよ!!」

突然敵意も露に怒鳴られ、天流は唖然となった。
何故彼女が怒っているのかはもちろん、吐かれた言葉の意味も不可解だ。

「あの・・・」

何か誤解があるのでは、と執り成そうと試みるが、物凄い形相で睨まれた。

(僕が何かしたのかな。もしかして、お茶を淹れたのがまずかった??)

不測の事態に冷静な天流といえど混乱してしまう。

女性は買い物袋を乱暴に置くと、天流につかつかと歩み寄って腕を掴んだ。

「ほら、さっさと出て行って! シード様のお留守に忍び込むなんて、どういう神経しているの!」

「あの、ちょっと待って下さい」

振り解くのは簡単だが、女性に手荒な真似をするわけにはいかず、そのまま玄関まで引きずられた。

バンッ!と大きな音を立てて扉が開かれると、その先には驚愕を浮かべて家の主が立っていた。丁度扉に手を掛けようとした直前だったらしい。突然のことに目を丸くして、天流と女性を交互に見やるシード。

「きゃっ、シード様、お帰りなさいませ!」

先程の剣幕が一転して、ほのかに染まる頬。

「?? 何やってるんだ? 何でお前がここにいるんだ?」

「申し訳ありません、この人勝手に家に上がりこんでいたんです! すぐに追い出しますから」

「あ、いや、そっちじゃなくてあんただよ。家に来てもらえるよう頼んだのはあんたの母親のはずだぜ?」

「それは、その・・・母の代わりに私が・・・」

もじもじと恥らう女性の様子に、天流は事態が飲み込めてきた。

(つまり僕は恋敵か何かと勘違いされたわけ? それじゃ何、僕が女性に見えると?)

困惑が徐々に不機嫌へと変わっていく。

シードは面倒そうに息を吐いた。

「まあ、事情は解ったけど、そいつは勝手に上がり込んだわけじゃないから、手を離してやってくれ。あまり無理はさせられないんだ」

女性の手を天流の腕から外したシードは、その手で天流の細い肩に添えて心配そうに覗き込んだ。

「大丈夫か? 具合が悪くはなってないか? 辛いようなら寝台へ・・・」

「シード様!? その女は誰なんですか!? 今まで一度も私以外の女の子を家に入れたりしなかったのに!!」

ヒステリックな叫びに、シードの表情が不愉快げに歪む。
その後ろからクルガンが現れた。

「君は心配しなくていいから来なさい」

そう言って彼はシードと女性の横を通り抜け、天流を促して家に入った。
勝手知ったるという風に上がり込んだクルガンは、放置された買い物袋に気付くと手際良く片付けた。

「このお茶は君が淹れたのか? 良い香りだな」

「良かったらお淹れします」

そうして差し出されたお茶を手に取り、香りを楽しんで口に含む。
舌で味を確かめるように目を綴じ、クルガンは満足そうに頷いた。

「素晴らしい、お茶を淹れるのが上手なのだな」

「ありがとうございます」

壁を隔てた向こうからは、何やら言い争うような声が聞こえてくる。
女性の方が一方的にまくし立てているようだが、合間に聞こえる男の声も苛立ちを隠そうともしない。

「どうやら彼女はシードの女房気分でいたようだな。それがシードの家に可愛い君が居たのだから動転したのだろう」

可愛い?

「僕は女性に間違われたわけですね」

抑揚のない低い声に、クルガンはおやと天流に視線を向け、慰めるように微笑んだ。

「あまり気にするな」


やがて口論する声が聞こえなくなった。
続いて扉が乱暴に開けられる音。
ぶつぶつと文句を言いながら部屋に入ってくるシードは応接間に入るや、今や完全に引き攣った無表情に冷たく見据えられた。

「もちろん誤解は解いてくれたんですよね?」

絶対零度の声音にシードは文字通り凍りついた。クルガンのお茶を飲む手も止まる。

「あ、その、まあ、何だ、俺もカッとしてしまってだな、説明しようとしたんだが・・・」

「つまり互いに感情的になって、罵るだけ罵って終わったんですか?」

「あの、それは・・・そのぉ・・・」

何でこんなに背筋が寒いんだ?

世の中には怒らせてはならない人間というものが存在する。
ついうっかり逆鱗に触れてしまえば、心の底から後悔する羽目になるのだ。
天流はまさに怒らせてはいけない人間だ。
二人はそれを一瞬で理解した。が、後の祭りである。

「散々お世話になった身でこういうことを口にするのは憚られますが」

だったら言わないでくれ!

シードの願いも虚しく、天流は冷たい口調で簡潔に吐き捨てた。

「冷静という言葉を学び、話し合いの意味を理解してはどうです?」

ずっと年下の、まだ子供と言っても過言ではない少年の口から出た呆れ果てた感の強い言葉に、シードのガラスのハートには亀裂が走りに走った。

「テッドの言う通りだな、シード。お前は少し落ち着きを持て」

クルガンにまで追い討ちを掛けられたシードは、今にも砕け散りそうな繊細な胸を抑えて懸命に反撃を試みる。

「くっ、俺だって好き好んでこんな事態を呼び込んだわけじゃねえ! そもそもあいつの母親には昔から世話になっているが、あいつに関しては何の感情も持ってないんだ。それがどういうわけか最近妙におかしな態度取りやがって、俺だってどうしていいか解らねえよ!」

「未熟な」

「鈍感だね」

クルガンと天流から発せられる冷たい一言。

撃沈したシードにもはや用は無いとばかりに、キッチンに向かった天流は新しくお茶を淹れて、肩を落としているシードに差し出した。

「どうぞ」

「美味いぞ、お前も飲んでみろ」

打って変わった優しい二人の言葉に、シードは恨みがましげな視線を向けた。

「お前等、どうせ俺を馬鹿だと思ってるだろ。茶と菓子でも与えてやれば機嫌が直るって。くそ、そうはいくか。お前等の仕打ち、俺は忘れないからなっ」

「別にそんなこと思っていませんよ。お仕事お疲れ様でした。シードさんのために淹れたのですから、飲んで頂けませんか?」

新妻だ。
思わずクルガンは心の中で呟いた。

胡乱げながらもシードはせっかく淹れてもらったのだからと割り切り、そっと口を付けた。
パアッと光が溢れるように笑顔が広がる。

「美味い!」

あっさり機嫌は直った。

心に余裕が出来たからか、シードは目敏く天流の様子に気付く。

「お前、右手動かせるようになったんだな」

「え? あ、うん」

「そっかあ、良かったな!」

満面の笑顔を浮かべられ、天流は後ろめたさと照れ臭さにふいっと視線を逸らした。
その先で目が合ってしまったクルガンも、穏やかに微笑んでいる。

父、テオ・マクドールの友人や配下を除いて、軍人や貴族というものの汚さを目にしてきた天流には、見ず知らずの人間にこうも親切に接することのできるシードやクルガンが不思議で仕方ない。
もちろん、ハイランドの軍人総てがシード達のようではないのだろうから、彼等に助けられた自分は運がいい。そう思えた。

出来ることならば、彼等と敵対するようなことにはなりたくない。
助けてもらった恩を、いつか返せれば良いのだけれど。

ふと心に引っ掛かるのは、昼間目にした白亜の城に息づく獣の気配。
紋章を通してその胎動を感じ取った。
あれが、シードやクルガンにも牙を剥かないとは限らない。

いつか、ルルノイエ城に入ってみる必要があるかも知れないな。
それは予感か、それとも確信だろうか。
シードが嬉しそうに見つめる右手を、天流は感情の無い目で見つめた。



その日の夜、天流はシードとクルガンに手料理を振る舞った。
見事な料理の数々は二人をすぐに虜としてしまったのは言うまでも無い。

そして、あまりの絶品さに感銘を受けた二人がうっかり零してしまったとある言葉に、完全に不機嫌になってしまった天流が寝室に篭もって、ハイランド軍屈指の武将二人をおろおろさせてしまったのは、また別の話。



END


シード、そのうちクルガンと坊ちゃんの遊び道具になる気が・・・(苦笑)。
クルガンとシード、ルックやシーナやルカ様すら差し置いて坊ちゃんの手料理を味わえました。
二人がうっかり零した言葉は「嫁に来てくれ」とか「いい奥さんになるな」とか、
そういったものです(笑)。



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