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交錯2
ルルノイエ城は、比較的穏やかな日々が続いていた。
毎日のように響いていた悲鳴も怒号も高笑いもなく、血の匂いもない。その全てを齎す狂皇子は人が変わったかのように名君振りを発揮して政治を行っている。
これまでの暴君振りを知る一部の上層部は何の災害の前触れかと戦々恐々と事態を見守っていたが、それよりもさらに古参の高官達はまるで王妃が健在だった時のように理知的で聡明なルカの姿に驚きと懐かしさを感じていた。
いったい何がルカの心の闇を払ったのか。この状態が続くならば、間違いなくハイランドはルカ・ブライト治世のもと繁栄するだろう。
願わくば、この平穏が一時の奇跡ではなく永劫のものであるように。
誰もがそう願った。
奇跡の平穏の影の立役者の日課は、書庫で読書を楽しむことである。
僅かに開いた空間から心地良い風の流れる窓辺に腰掛けて膝に乗せた本のページを捲っていた天流は、いつもは鳥の声くらいしか乗せない風の中に交じる軽快なリズムを感じ、窓の外を見やった。
見下ろすと城下の様子が見てとれた。
美しい街並みが、今日は少し色彩が豊かだ。
「旅芸人が訪れているそうですよ」
聞こえてきた声に振り向くと、優しげな微笑を浮かべた読書仲間がゆっくりと歩み寄ってくる。
「最近は軍のお陰で随分と治安が良くなりましたから、皇都にも旅芸人が来られるようになったようですね。リウ殿はああいった娯楽に興味はないですか?」
「旅芸人・・・」
言われて懐かしさが天流の胸の奥を通り過ぎる。
思い出されるのは幸せな記憶の中の大切な親友。
彼はいつもこうして本を相手に自室で過ごしていた幼い天流の手を引いて、外へと強引に連れ出した。
『ほら本ばかり読んでないで、せっかくなんだから見に行こうぜ!』
旅芸人が訪れたその日、グレッグミンスターは輪を掛けて活気に満ちていた。
首都内外から旅芸人を見に来た多くの人々で賑わう大通りをテッドと二人で走り抜け、書物でしか読んだことのない不思議なステージに見入った。
声もなく夢のような世界に引き込まれる天流を、テッドは大人びた表情で優しく見つめていた。
『来て良かっただろ? 家の中で本読んでたって身に付くのは実感の伴わない薄っぺらな知識だけで、本当のことは経験してみなきゃ解らないんだぜ?』
その日の夜、興奮のあまり眠れなくなった天流は、随分とテッドに笑われてしまったものだ。
「・・・見に、行ってみようかな」
どこか夢見心地な天流の呟きに、クラウスは笑みを深くした。
「では、ご案内しますよ」
書庫以外では全くと言っていいほど会うことのない不思議な少年。
そんな彼とまるで友人同士のように一緒に出掛けられることに、クラウスは自分でも意外なほど心が弾んだ。
■■■■■
城下街はまるで祭日のような賑わいだ。
街の中心部の広場にはステージが設置され、色とりどりの華やかな衣装が所狭しと靡き、道沿いには多くの出店が並んでいる。
「随分人が多いね」
「ええ、おそらく遠くの村や町からも訪れていると思いますよ。ルカ皇子の命令によってルルノイエに続く道も随分安全になりましたから」
“ルカ皇子”の名前に天流とクラウスは互いに相手に解らないよう、顔を顰めた。
二人は同時に“狂皇子だけどね”という言葉を思い浮かべ、そして打ち消した。
ルカ・ブライトの命令によってハイランド軍が動き、山賊達を悉く征伐して結果治安が回復していったのは事実だ。
さすが栄えあるハイランド皇国を治める高貴なる方よ、と皇族を崇拝する者達は口々にルカ皇子を称えるが、実際に命令を受けた高官達は溜まったものではなかった。
天流がリアをキャロの街に送り届けるためにルカと別行動を取ったその日、城に戻ったルカは天流にバレないように隠し持っていた山賊の切り落とした首を部下達の足元に転がし、冷酷に言い放ったのだ。
『残飯を漁る鬱陶しい虫ケラ共を根こそぎ駆除しろ。生かしておく必要はないぞ。ふははははは!』
国民のために治安回復に励もうとする正義の皇子様とはとても思えない行動と言動だった。
実際にその“命令”の現場を目にしたクラウスと、ルカの取るであろう行動を正しく推測できてしまう天流は、ただため息をついて賑やかな通りを黙したまま歩いた。
「リウ!」
「え?」
喧騒を裂くように真っ直ぐに届いた聞き覚えのある声に、天流は珍しく僅かな驚きを浮かべて振り向いた。
足を止めた天流とクラウスの前に、人ごみを掻き分けるように一人の少女が走り寄って、ぶつかるように天流に抱きつく。
「やっと会えたね!」
「リアさん・・・何故ここに・・・」
天流の胸に飛び込んできたのは、以前天流とルカによって暴漢の手から救われた少女だ。
キャロの街に送り届けたはずの彼女が何故こんな所にいるのか。
危険も顧みずたった一人で滅びた村に帰ろうとするような無謀さを持つ彼女を思うと、知らず表情が険しくなる。
天流の考えが解ったのか、リアは慌てて弁解する。
「やあね、今回は一人じゃないわよ? 実は旅芸人の人達と一緒に来たの。ルルノイエまで行くって言うから、下働きの仕事をもらって付いて来たの」
「そう」
無茶をしでかしたわけではないことには安堵する。だが、彼女がここに居ることは歓迎できない。彼女が何をしに来たのかが解るから尚更だ。
きょろきょろと辺りを見渡していたリアは、天流の同行者が見知らぬ少年だけと知るとがっくりと肩を落とした。
「あの人は一緒じゃないのね」
「彼に会うのは難しいよ。諦めた方がいい」
「意地悪ね。あ、解った、お城に居るんでしょ? 見るからに貴族様だったものね」
恋する乙女の直感は侮れない。
リアの鋭さに思わず感嘆する。
「どなたかお探しですか?」
クラウスが穏やかに問いかけると、その優しい物腰にリアの彼への警戒心はすぐに消えたようだ。
「ええ、ルカさんっていう素敵な騎士の方に以前お世話になったので、一言御礼を言いたいんです」
「ルカ・・・ですか・・・」
真っ先に思い浮かぶのは狂皇子の顔だが、“素敵な騎士”という形容詞はまったく当てはまらない。
“ルカ”という名の貴族はどれくらい居ただろうか?
必死に記憶を探るクラウスを横目で見やり、天流は困ったように目を伏せた。
狂皇子その人だとはとても言えない。
だが、効力は期待できずとも釘は刺しておかねば。
「リアさん、彼を探して城に入ろうとはしない方がいいよ」
「“皇子”の方に会う可能性があるから? でも一人の騎士より皇子様に会う方が難しいじゃない」
恩人であるルカを探すということは、つまり皇子を探すということなのだが・・・。
どう言えば納得してもらえるのか解らず悩む天流に助け舟を出すように、クラウスが穏やかに口を出した。
「でも、危険な橋は渡るべきではないですよ。最近は落ち着かれたとはいえ、皇子が危険な存在であることはまだ変わりません。私もその“ルカ”さんを探してみますから、無茶な行動は謹んで下さいね」
二人掛かりで窘められたリアは意気消沈したように俯き、「なんで私の周りには頭と口は回るくせに行動力のない男が多いのかしら」と恨めしげに呟く。
「リアさん、それではもし本当にルカ皇子を見つけてしまったらどうするつもり?」
問われた言葉にリアの表情が変わる。
「仇を討つ? 糾弾する?」
「ほんと意地悪ね、リウは・・・」
苦笑を漏らしながらも、リアは天流の質問に強い意思を持って答えた。
「そりゃ、家族の仇を討ちたいのは山々だけど、私なんか皇子は歯牙にも掛けずにあっさり殺すわよね。皇子への憎しみと恐怖は消えないけど、私は無駄死にするくらいなら恨みを抱えながらでも家族の分まで生きるつもりよ」
せっかく貴方とルカさんに助けてもらった命だもの。
そう言ってリアは輝くような笑顔をみせた。
「その言葉を忘れないで」
天流はただ願いを込めて、こう言うしかなかった。
真実を知ったその時、この笑顔はどうなってしまうのだろうか。
そんな不安を押し込めて。
「それで、リア殿の探しておられる“ルカ”殿はどちらの“ルカ”殿なんですか?」
仕事に戻らなければならないリアと別れた後、クラウスは天流に問いかけた。
「さあ、僕も知らないんです」
それが真実か嘘なのか。
何の色も浮かべない無表情を読むことは、クラウスにはできなかった。
自分より年下のはずなのに、何故か彼とは随分と差があるように思えてならない。
それ以上追求しても無駄かと諦め、二人は賑わいの中に混じった。
「賑やかだな」
物珍しげに賑わう人波を眺めながら、シードは隣を歩くクルガンに言った。
「遠方からも人々が集まっている。ルカ様の命令によって治安が回復しつつあるということだ」
「そもそも治安を乱したのもルカ様だがな」
憎々しげに吐き捨てる。
「だいたい何故今頃になって暴虐をやめ、政を行い、国を立て直すような真似をするんだ! 今更悔いたところで奪われた多くの命は戻らない・・・!」
「だが、これ以上の犠牲はなくなる」
今の状態が続けば、の話だが。という言葉は口にしなかった。
誰もがその不安を抱き、言葉にしてしまうと現実のものとなってしまうような漠然とした恐怖を覚える。
ふと視線を動かしたクルガンは、人々の行き交う路上に知っている姿を発見した。
「おや? クラウス殿じゃないか?」
「ん?」
クルガンの視線を追ったシードは人波の中に見知った少年の姿を捕らえ、険しかった表情を緩めた。
視線を感じたのか、クラウスの方も二人に気づいたようだ。互いに歩み寄り、距離が縮まる。
「クルガン殿とシード殿もいらしたんですね」
「ああ、気分転換にな。クラウスは一人なのか?」
「いえ、彼と一緒に・・・あれ?」
天流を紹介しようとしたクラウスだが、傍にその姿がないことに気づいて慌てて後ろを振り返ってきょろきょろと辺りを見回す。
「え? あれ? リウ殿?」
「はぐれたのか?」
「え、と・・・そうみたいです・・・」
茫然とした様子のクラウスを励ますようにシードはその背をポンポンと叩き、クルガンも慰めの言葉を掛ける。
「この人ごみでは無理ないな」
「・・・はい・・・」
ついさっきまで傍に居たはずなのに、いつ離れてしまったのだろう。しばらく二人でこの人波を並んで歩いたが、はぐれそうになったことはないのに。
そう考えて、ふとクラウスはあることに気づく。
二人がはぐれてしまわないように気遣っていたのは、どちらかというとリウの方ではなかっただろうか。ついつい立ち止まってしまうクラウスに、彼はさりげなく歩調を合わせてくれていたように思う。
気を落とすクラウスに、シードは兄貴風を吹かせて言った。
「落ち込むなって。一緒に探そうぜ。それに見つからなくてもまた会えるんだろ?」
「・・・それは、そうですけど・・・」
確かに、明日書庫に行けばいつものように読書を楽しむ彼が居るだろう。
けれど、今日は二人で初めてのお出掛けだったのに。
何だか随分と損をしてしまったような、そんな気分だった。
■■■■■
休憩時間を与えられたリアは、知らず知らず城の近くまで来てしまった。
整えられた広い庭の先に建つ白亜の建物を見上げ、想い人が姿を見せてくれないだろうかと儚い願いを胸の内で繰り返す。
許されるなら、柵を越えて城に入り、あの人を探したい。
いっそのことメイドとして城で働こうか。
だが、そんなことをするとルカと会えるかも知れないと同時に、ルカ“皇子”にも遭遇してしまうかも知れない。皇子を前にして、復讐心を抑えることができるのだろうか。
「どなたかしら?」
「え!」
突然聞こえた声に、城を見上げたままぼんやりと考え込んでいたリアはハッと我に返った。
気づけば柵の向こうにいつの間にか一人の少女が立っていた。
年の頃はリアと同じくらいだが、物腰といい気品といい、身分の差は明らかだ。
赤いドレスを身に纏った美しい貴族の令嬢。お姫様という形容詞がとても似合う。
「ここに何かご用?」
「あ、あの、ごめんなさい! 本当に、ただ見てただけなんです!」
やましいことはないと、あたふたと説明しようとするリアに、少女は小さく笑った。
「咎めたいわけではないの。ただ貴女が随分と熱心に見ていたので、つい声を掛けてしまったの。驚かせてごめんなさいね」
そう言って少女はリアから数歩下がって傍にある木を見上げた。
思わず一緒に木を見上げたリアは、枝に巻きつく布を目に留めた。
「あれ、貴女の?」
「ええ、私のショール。風で飛ばされて、あの木に引っ掛かってしまったの。私はここで落ちてくるのを待っているのよ」
苦笑して少女は木の根元に腰掛けた。
おそらくリアが来る前からそうしていたのだろう。少女の気配に気づかなかったのも頷ける。少女は半分以上木に隠れている上に、リアはずっと城の方を見ていたのだから。
「あの、良かったら私が木に登ってショールをお取りしましょうか?」
「まさか、貴女のような若い娘さんにそんなことさせられないわ。いいのよ、もうしばらくして落ちてこないなら誰かに頼むから」
「若い娘さんって言ったって、私はお嬢様じゃないんだから木登りくらいできるんですよ。任せて下さい! あ、誰かに忍び込むのが見つからないように見張ってて下さいね」
そう言うとリアは少女の戸惑う声も聞かずに柵を登って敷地内に入ると、スカートの裾を邪魔にならないようにぎゅっと結んで、慣れた動作で木を登り始めた。
枝に巻きつくようにして絡むショールを慎重に取り外し、するすると地面に降り立つと、少女が心配そうに声を掛けてくる。
「無茶をなさるのね! 大丈夫だった?」
「これくらい平気ですよ。はい、これ」
にっこりと笑ってリアは少女にショールを渡した。
それを大切そうに受け取り、少女は花のように微笑む。
「ありがとう。嬉しいわ。ね、まだ時間はあるかしら? お礼をさせて下さらない?」
「そんな、お気遣いなく」
慌てて断ろうとするリアの手に、白い繊手が重なる。
「それでは私の気が治まらないの。お願い・・・え、と貴女の名前を伺っていなかったわね。私はジル、貴女は?」
「リアです」
ジルと名乗った少女は微笑を浮かべてリアの手を引っ張った。
おっとりしたお姫様のように見えて、結構強引だ。リアに断る隙を与えずに連れて行こうとしている。
戸惑いながらも拒みきれずに、リアはジルに従ってしまう。
だが、ふいに顔を上げた瞬間、すべての躊躇いが消え失せた。
「あ、あの、済みません、ジルさん。私、行かなければ!」
「え? どこに? 城内をあまり歩き回っては危ないわ!」
「大丈夫です、知り合いに会ったらすぐ帰りますから!」
叫ぶと同時にリアは鉄砲玉の如く何処かへと突進していった。
残されたジルは呆然と、あっという間に小さくなった背を見送る。
「いったいどうしたのかしら」
先程リアが見たと思われる方向を見渡し、表情を強張らせる。
視界に映った人物は、彼女にとっては実の兄――だが・・・。
「まさか、よね。お兄様を見てあんな風に駆け出すはずないものね」
恐怖に顔色を変えて逃げ出すならまだしも、リアはまるで会いたい人に会える喜びに興奮しているかのようだった。
きっと“彼”ではない誰かを見たのだ。
そう自分を納得させる。
立ち尽くすジルからは離れた場所に立っていた少年は、走り去る少女の後姿と窓の向こうの横顔にすぐさま事態を察して走り出した。
その少年、天流は最悪の展開を予感して焦りを覚える。
まさかリアがここまで来てしまうとは。
(あれほど言ったのに!)
クラウスには申し訳ないが、彼を置いて城に戻って良かった、と思った。
知り合いを見つけたクラウスから一時的に離れて様子を窺っていたが、どうやら彼等と行動を共にすると決めたらしい彼とは合流しないことにした。
彼と一緒に居たのが天流の見知った人物だったのが最たる理由だ。
天流はどうしても顔を合わせられなかったのだ。――シードとは。
心の中でクラウスとシードに詫びながら、天流は城へと戻った。
その彼を待っていたのが、この事態だ。
逸る気持ちのままに城内に入ったリアは、階段を一気に駆け上がった。
会いたい人を見かけたと思われる階でようやく足を止め、乱れる呼吸を整えてそっと周囲を窺う。
すると意外と近距離で聞こえてきた話し声に、リアは慌てて柱の陰に身を隠した。
「ソロン・ジー、あの馬鹿げた騒ぎは何だ?」
不機嫌に染まった低い声は、リアの記憶にあるものとよく似ていた。
「旅芸人が来ているようです。ルカ様のお陰で治安が良くなってきましたから、遠方からも城下の街に人が訪れるようになったとか」
「ふん、豚共が」
「しかしルカ様、民は喜んでいますよ」
「俺は豚共を喜ばす気はない。あいつが望むことを叶えるだけだ」
「・・・あいつ?」
「俺の可愛い死神のことだ。狂皇子と死神、良い組み合わせだろう?」
「・・・はあ・・・?」
笑いを含むルカの言葉に、ソロン・ジーと呼ばれる男の声は戸惑いを滲ませる。
二人分の足音が徐々に遠のく。
リアは恐る恐る顔を出して通り過ぎた人物を確かめようとする。
見えたのはどちらも長身の逞しい後姿だ。
二人のうちの一人は銀髪、もう一人は黒髪。そして、その背格好は記憶にあるその人と、まったく同じ。
しかし、再会の喜び以上にリアが感じるのは、激しい衝撃だ。
今の状況が理解できない。
私はいったい何を聞いた?
彼等は何と言った?
ソロン・ジーと呼ばれた武将は、確かに彼を“ルカ様”と呼んだ。それだけならばこんなにショックは受けない。
けれど、ルカの口から出たのは――“狂皇子”。ルカ・ブライトを表す言葉。
(何? どういうこと? 狂皇子って、ルカさんのこと? そんなはずない・・・そんなこと、あるわけが・・・)
その時、突如リアは背後から動きを封じられ、口を塞がれた。
「!!」
恐怖に慄く彼女の耳元に、静かな声が囁きを落とす。
「リアさん、僕だよ」
恐々と目線を後方に向けたリアの瞳に、リウの姿が映った。
ほっと力を抜くリアが暴れる心配はないと判断し、天流の腕が外される。
「無茶はしないように言ったのに、何故こんな所にいる?」
「私・・・私・・・」
激しく混乱しているリアの様子に、天流は彼女が事実を知ったのだと悟った。
痛ましげに見つめる中、蒼白な少女は必死に考えをまとめようとしているようだ。
「ルカさんは・・・ルカ・・・ブライト・・・なの?」
否定してほしい。
切望と苦痛に満ちた必死な視線を、天流は静かに受け止める。
頷くことはないが、首を振ることもしない。
リアの身体が、徐々に震えを帯びた。
はぐれてしまった友人のことが気掛かりな余り、大道芸を楽しめなくなってしまったクラウスを連れてクルガンとシードは城に戻ってきていた。
クラウスは二人に謝罪するとすぐに城内へと駆け込んでいった。おそらく、“彼”が居るであろう場所に向かったのだろう。
(ちゃんと見つかるといいな)
ここで滅多なことが起きるとはとても思えないが、未来がどうなってしまうか解らないということは数ヶ月前に身を以って知った。
昨日まで一緒に遊んでいた相手が、次の日には死んでいることだって有り得るのだ。
だからこそ、早々に城に戻りたがったクラウスの思いを、クルガンもシードも尊重した。
広い回廊を歩くシードの脳裏には、一人の少年の面影があった。
「どうして、否定してくれないの? リウ!」
悲痛な声に、答えはない。
ガクガクと、今や目に見えて震えるリアを抱くように支えながら、天流はどこか哀しげに彼女を見つめる。
否定も肯定もしない天流に、リアは少しずつ理解をし始めた。
「最初から知っていたんでしょ? ルカさんも、貴方も・・・知っていて、私には何も言わなかったのね?」
「・・・・・・」
「ルカ・ブライトは、何故私を助けてくれたの? あの人が私の家族を殺したことへの贖罪?」
「・・・いや、彼にそんな気持ちはない」
「それじゃあ何? 私を騙して、二人で哂っていたわけ?」
「違う。ただ、僕が君を助けたくて、彼は一緒に居た。それだけだよ」
それが事実だ。
リアの言う通り、ルカも天流も全てを知っていたが、別にそれが原因でお節介を焼いたわけではない。
成り行き。それが正しいのだ。
ならず者に襲われている少女を助け、その少女が偶然にもルカの凶行の犠牲者の遺族だっただけ。彼女を守ったのも、キャロの街まで安全に送り届けたのも、力の弱い少女の助けになればいいという義侠心でしかない。そしてルカはそんな天流の傍にいただけなのだ。
だが、今のリアに天流の言葉は届かない。
「何で、あの人がルカ・ブライトなの? 何で!?」
「リア、キャロの街に帰りなさい。今の君は冷静じゃない」
「ふざけないで! 私は両親の、姉の仇なんかに・・・」
心を奪われた。
続く言葉は声にならなかった。
代わりに零れるのは、大粒の涙だ。
「年の離れた姉さんには娘がいたのよ? まだ4つの、小さくて可愛くて・・・それを、あいつは無残に踏み躙った!」
「・・・・・・」
母親と幼い少女。
リアの言っている人物かどうかは解らないが、天流はほんの一時だけ母娘の命を救った。すぐに、ハイランド兵によって散らされてしまったけれど・・・。
あの時の情景を思い出すと、今もひどく胸が痛む。
「そんな人を、私は・・・っっ!!」
血を吐くような叫び。
彼女が心の底から憎んでいるのは仇のルカでも、知っていながら黙っていた天流でもなく、自分自身だ。
知らなかったなど言い訳にならない。
自分が心を傾けたのは、大切な人達の命を虫けらのように扱った狂皇子だったなんて。
(こんなのひどい! あんまりじゃない!!)
「リア」
静かな声が名を呼ぶ。
拒むように、きつく目を綴じた。
「リア」
呼びかけに、リアは激しく首を振って抵抗した。
天流は辛抱強く語り掛ける。
「リア、キャロに帰るんだ。忘れろとは言わない。僕やルカを憎めばいい。だけど、自暴自棄になってはいけない」
あやすような優しい声がゆっくりとリアの沈んだ心を包む。
けれど――。
「私、リウはまだ許せる。でも、ルカは・・・ルカ・ブライトだけは・・・」
リアの震える手が服を探り、胸元からゆっくりと出されたそれに天流は瞠目した。
鈍く光を放つ、金属の輝き。
山賊に襲われたことを教訓に、護身用に身に付けていた短剣だ。
まさかこれを最初に向けるのが、ずっと会いたかった想い人だとは。
「やめるんだ、リア。君は自分で言ったじゃないか。無駄死にするくらいなら恨みを抱えながらでも家族の分まで生きると! その言葉を思い出せ」
ビクッとリアの身体が大きく震えたが、天流を見る瞳に宿るのは昏い殺意。
「ルカのために、君が人生を棒に振ることはない。彼はいずれ報いを受けるだろう。だから・・・」
「それを貴方が言うの? ルカ・ブライトと仲良しな貴方が?」
太陽のようだった少女には似つかわしくない、暗い微笑が痛々しい。
以前、天流はこれに似た感情を向けられたことがある。
青いマントを靡かせた青年に。
かつては慈愛を込めて見つめてくれていた女性に。
(僕はいつでも、誰も救えない・・・)
無力感に捕らわれる天流を振り払い、リアが駆け出そうとする。見覚えのある背中が消えた方向へと。
「リア!」
素早くリアの前に回った天流は、咄嗟に少女の身体を抱きしめた。
その瞬間、胸に熱い衝撃が走る。
「っ!」
「!!」
二人の動きが止まった。
見る間に血の気が引いていくリアの表情に、これではどちらが被害者か解らないと暢気なことを考える。
「リウ・・・そんな・・・」
「僕は大丈夫だから、すぐにこの城を出てキャロに帰って」
天流の表情はまったく変わらない。
何事もないかのような涼しげな無表情。
だが、リアは自分の手についた血が彼の胸から流れているものだと理解していた。
「リア、君のせいじゃない。これは僕の不注意による事故だ。だから、お願いだ。もう一度、僕に君を助けさせてくれないか?」
「リウ・・・」
「ルカなんかのために、君自身の未来を無駄にしないで欲しい。狂皇子という脅威によって奪われてしまった命の分も、生きて」
「だって、血が・・・私・・・こんな・・・」
リアの瞳から殺意は消えていた。
恐怖に染まってはいるが、優しい彼女が戻ってきた。
その時、天流は近づいて来る気配を敏感に察して立ち尽くすリアの肩を突き放すように後方へと押した。
「逃げて。僕は大丈夫だ。すぐに助けも来るから」
「でも・・・」
動こうとしないリアに、天流は苛立ちを抑えて左手を向ける。
旋風の紋章から流れ出た風がリアの身体を階下の踊り場へと運ぶ。
強い風は、リアが階段を上がろうとするのは拒み、押しやろうとする。
慌しい足音が近づいて来る。
どうやらどこかで誰かが天流とリアのやり取りを見ていたようだ。
天流は意を決して近づいて来る足音の方を見据えた。
そして、階下から小さな足音が遠ざかるのを聞き取って安堵する。
(そう、それでいい。君を罪人になどしないよ)
深く短剣が刺さった箇所から、止め処なく血が流れていく。
痛みよりも熱さの方が強く感じるのが不思議だ。
そういえば、父上から受けた傷も熱かったな。
今日はやけに懐かしい顔ばかりが思い浮かぶ。
薄く微笑んだ天流の霞む視界に、物凄いスピードで走ってくる青年が飛び込んできた。
「・・・シード・・・」
街で見かけた時に感じたのは後ろめたさだった。
背を向けてクラウスと共に置き去りにした時は申し訳なかった。
だが、今は何故かとても――安心する。
「おい、テッド!!」
――テッド・・・?
かつて自分がシードに親友の名を借りて偽名を教えたことも忘れ、何故彼がその名を知っているのかと不思議に思う。
僅かな浮遊感の後、頭や背中に激しい衝撃を受けた瞬間、視界は闇に閉ざされていった。
偶然、窓の向こうの別棟に立つその姿を捕らえた時、まだ確信は持てなかった。
あの少年は、死んだものと思っていたから。
それでも僅かな希望を抱いて見つめていた先で、それは起きた。
走り出した少女の手が一瞬光を放った刹那、それが何を意味しているのかすぐに気付いた。
直後、少女の前に彼が立ちはだかったのだ。
その瞬間、シードから思考が消え、考えるより先に足が動いた。
彼の元へと――。
目の前でゆっくりと傾いだ身体が階下へと消えるのを追って、シードは全力で駆けた。
一段飛ばしに階段を駆け下りたシードは、ぐったりと横たわる天流の傍に跪くと慎重に状態を調べた。
頭を強く打っている可能性がある為、無闇に動かせない。だが、短剣が刺さる胸からは止め処なく出血している。できればちゃんとした止血措置を施したいところだが、そうもいくまいとシードはハンカチを取り出して傷口に押し当てた。
顔を上げて周囲を見渡したが、人の気配はない。
犯人すら、すでに姿を消していた。
「くそ!」
天流を一人残すのは心配だが、一刻も早く人を呼ぶ必要がある。
躊躇いを振り払ってシードが立ち上がったその時。
「シード将軍!」
慌しく何人かの兵士が駆けて来た。
シードの前で足を止めた兵士達は上官と、その足元に横たわる少年の姿を見とめ、一人が代表して口を開いた。
「先程、少女に怪我人が居るから助けて欲しいと言われたのですが、その少年のことでしょうか?」
「そうだ。頭を強打した恐れがある。担架を持って来い」
「は!」
命令に何人かが踵を返して駆け出した。
それを見送ったシードは再び天流の傍に膝を付いて蒼白な顔を覗き込んだ。
すっかり血の気の失せた顔。薄く開いた唇から漏れるか細い吐息がかろうじて安心感を覚える。
「せっかく生きて再会できたってのにむざむざ死なせて堪るかよ!」
押し殺すように叫び、シードはぴくりとも動かない天流の手を強く握った。
その日以降、天流がルカ・ブライトの前に姿を見せることはなかった。
END
まさしく交錯してますね、色々なものが(苦笑)。
ジル様ついに登場です。まだ坊ちゃんとは絡みませんが。
これからはシード坊の世界に突入します。
でもその代わりルカ様は・・・(汗)
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