待ち人





今日こそは会えるだろうか。

そんな儚い希望を抱き続けて、何度肩を落としたか解らない。

そしてこの日もまた、無人の書庫を見渡してクラウスは落胆のため息をついた。

整然と並んだ机の片隅にも、連立する本棚の間にも、探す姿は見つけられない。
彼が好んで陣取っていた窓際も、今は窓が閉められたままで風は差し込まない。
静かで穏やかだった空間は、彼の存在を感じられなくなってからは閑散として侘しい。


(いったい、どうしたんですか・・・リウ殿)


いつも書庫に佇んでいた少年が姿を見せなくなって一ヶ月が過ぎようとしている。

最後に彼の姿を見たのは、初めて一緒に城下へ出掛けた時だった。
人混みではぐれてから、彼とは一度も会うことができなくなってしまった。

何か事件にでも巻き込まれてしまったのだろうか。
あの人波の中では誰も一人の少年に注意を払ってはいなかっただろう。
彼が誰かに誘拐されても気付く人は居ない。

彼がどこの誰かすら解らないのに探しようもなく、ただ待つことしかできずに月日だけが容赦なく過ぎ去る。


(こんなことになるなら、誘わなければ良かったのかも知れない・・・)

安否の解らない友人を思うと、クラウスの心は重く沈んだ。
いったい何度虚しい自責の念に捕らわれたことか。
どうか無事でいてほしい。そしてまたひょっこり現れて、一緒の時間を過ごしたい。

彼がよく座っていた席に腰を降ろし、彼が見ていた景色を追うように窓の向こうに視線を向けた。





書庫の扉が開く音に、クラウスはハッと入り口に眼を向けた。

しかし現れたのは期待していた少年ではなく、見慣れた軍人の姿だった。

「クルガン殿でしたか」

彼には悪いが失望を隠せない。

当のクルガンは、室内に入った瞬間ハッと振り返ったクラウスに思いっきり凝視され、思わずその場に固まっていた。
だが彼の事情を知っていたクルガンは気を悪くすることもなく、却って申し訳なくすら思った。

「済まないな、探し人でなくて」

「いえ、ご無礼を致しました」

勝手に期待して勝手に失望したのは自分なのだ。
クルガンの気遣いにクラウスは恐縮してしまう。

「未だ再会することはできないのか」

「・・・はい。探そうにもどこから手を付けていいのか解りませんし、ここで待つしか・・・」

時間さえあれば書庫に入り浸る日々が続く。
事情を知るクルガンやシード以外の同僚達からは、「そんなに本が好きなのか」と揶揄される程に。



暗い表情で俯く年若い軍師の様子に、クルガンは同情を禁じ得ない。
そして、彼に伝えて良いものかどうか悩んでしまう情報を彼は持っていた。


行方不明の友人の特徴を聞いて、クルガンには唯一人思い当たる人物がいた。
それが現在シードの家に居候しているテッドだ。
だが、その彼には数年間の記憶が無く、真実は確かめようもない。
悪戯にクラウスに確信のない希望を持たせることも、テッドを混乱させるのも避けたかった。


早くテッドの記憶が戻れば。

そう思わずにはいられない。





■■■■■





上の空のままクラウスが一冊の本を読み終わった頃には、すっかりと日が暮れていた。

名残惜しく書庫を後にして家に帰ると、すでに父―キバが彼を待っていた。

「ただいま帰りました」

穏やかながらも張りのない声に、キバは息子の落ち込みようを感じ取る。

「友人にはまだ会えなかったか」

「・・・はい」


最近のクラウスの沈み具合を心配したキバは、その理由を問い質していた。
話を聞いていくうちに、クラウスが落ち込む以前は随分と機嫌が良い日が続いていたことを思い出す。それは、その友人の存在があったからなのだと知り、キバ自身も“リウ”という少年に会ってみたかった。

自分と違って武人の道を歩まなかった息子のことは、誇りに思うと同時に心配でもあった。
穏やかな気性ではあるが、その聡明さ故にひどく大人びていた我が子。
同世代の子供達とはどうにも打ち解けることができず、一人ぼっちでいることが多かった。
そんなクラウスが、年相応の少年のように喜びを露にするほどの良き友人がようやく現れたというのに、忽然と姿を消したまま一ヶ月が過ぎようとしているという。
心配の余り日に日に落ち込んでいく息子の姿が痛々しく、早く再会できることを願う。


「父上は、今日はどうでしたか? 重臣方が集まって会議をされていたようですが」

問いに、キバの表情が我が子を思う父親のそれから、武人のものへと変化した。

「ああ、そのことだがな、陛下は近いうちに都市同盟の代表達と会談の席を設けられるおつもりらしい」

「都市同盟と・・・? ではついに和解ですか?」

「陛下のお望みはそうだろう」


キバやクラウスが身を置くハイランド軍は、昔から都市同盟と敵対関係にある。
現在でも至る所で小競り合いが起き、何の力も持たない村人や旅人が巻き込まれて命を落とすことも少なくはない。
穏健派の皇帝アガレスはそのような状況に終止符を打つため、和平への道を模索していた。

だが、そんなアガレスの最も身近な存在がそれを阻む。


「ルカ皇子は如何お考えですか?」

「皇子は何も仰らない。反対だとも、賛成だとも、意思を示されなかった」

その言葉に、クラウスは深く考え込んだ。
彼を以ってしても、ルカ・ブライトの考えは読めない。
彼はただ威圧するだけではない。おそらくクラウス以上に頭が回る。
だからこそ、彼が恐ろしい。

特に、彼は最近大人し過ぎるほど静かだ。
兵を率いてどこかに遠征に出掛けることもなく、淡々と皇子としての責務をこなしている。
しかし、それはどこか得体の知れない危険を含んでいるような気がしてならなかった。


「皇子の動向には、注意が必要ですね」

「そうだな」


これ以上、デュナンの地が血に染められることがないように。

愛する祖国が戦禍に呑まれる事態はどうあっても阻止しなくてはならない。





■■■■■





その日も、書庫には誰も居なかった。

クラウスは窓辺に歩み寄ると、かつて彼がいつも見ていた景色を同じ目線で見下ろした。

この広大な景色は彼の琥珀の瞳にはどう映っていたのだろう。
もしまた会えたなら訊いてみたいものだ。


(リウ殿、貴方は私にとって初めての大切な友人です)

それを伝えることができなかったのは残念だ。
いや、もしかすると彼は知っていたかも知れない。
クラウスが、彼と共にいることをとても嬉しく思っていたことを。
だからこそ、傍にいることを許されていたのだろう。――そう、思う。


眼下に広がる、ハイランドの城下街。
行き交う人々は活気に満ちている。

都市同盟と和解が成され、デュナンの地に住む人達が一つになったら――今よりも平和な世界になるだろうか。
かつて隣国でトランの英雄が率いた解放軍によって作り上げられたトラン共和国のように、素晴らしい国になるだろうか。


(これからはここに来る時間も減ってしまうでしょうね)

ハイランドも動き出そうとしている。
アガレス陛下が望まれる平和な世の中を実現するために。

けれど――その理想を阻もうとする勢力もまたハイランド軍だろう。
これまで以上に、ルカ・ブライトには警戒が必要だ。

(ルカ皇子が陛下と志を同じくしてくれたなら、トラン共和国に負けないほど良い国になるのに)

現在は何故か残忍な面はなりを潜めているようだが、クラウスが見てきた彼は心の底からハイランドを、人々を蔑み憎んでいた。
そんな彼が王になれば、この国は夥しい血に濡れ、滅んでしまうだろう。

(皇子の考えを読めればいいのに)

まだルカに太刀打ちできるとは思えないが、それでも何らかの対策を練ることはできるはずだ。

せめてルカ・ブライトやトランの英雄に匹敵するほどのカリスマ性と実力を持つ者が現れれば・・・。

クルガンやシードもハイランドを憂う、心有る武人だ。
しかし彼らは一軍を率いることはできても、一国を担う程の力は持たない。
クラウスと同じく、優秀な主君に仕えることによって力を発揮するタイプだ。
今ハイランドにはルカ・ブライト以上の存在はない。


(リウ、貴方なら何か助言をしてくれたでしょうか)

リウと過ごしているうちに、クラウスとそう年の変わらない少年がクラウス以上に博識であることに気付いた。
旅をしていたこともあってか、彼は生きた知識を身に付けていた。
そんな彼の意見を聞くことは、下手な知識人に教わるよりもずっと意義があったのだ。

父以外で初めて尊敬することができる存在、それがリウだった。
いつしかクラウスは安心して、自分の考えをリウの前で吐露するようになっていた。
そしてリウもまた、将軍である父を支えようと文官の道を選んだというクラウスに対して真摯に応じてくれた。

目を綴じれば思い出される、充実した時間。

何の躊躇いもなく人々の命を奪う皇子の所業に心痛め、国の未来を憂う気持ちを語ったことがある。その時も、彼は黙ってクラウスの言葉に耳を傾けてくれた。

(あの時も私は言ったんですよね、ルカ皇子が陛下と志を同じくしてくれたなら、トラン共和国に負けないほど良い国になるのに――と)

彼は何と言ってくれただろうか。



『人は置かれた環境によって如何様にも成長するもの。皇子が破壊の道を歩むのは、彼自身の決断でもある』

それは皇子だけでなく、ハイランド国への苦言でもあった。
決して皇子の行為が正当化されるわけではないが、その残虐さの背景にはアガレス王と官僚達による過去の愚考があった。

『だとしたら、やはりハイランドにはトランの英雄のような解放者が必要なのかも知れませんね』

『それがハイランドにも良い結果を齎すとは限らないけれど』

苦悩するクラウスに、リウは独り言のようにそう呟いた。

『ですが、国民のことを考えない君主ならば必要ないと思います』

『それは正しい。しかし、国を変えることによって生じるリスクも覚悟しなくてはならない。内政が混乱するのは必至だ』

どちらにしろ、被害を被るのはハイランドの民だ。
戦争を起こすにしろ、革命を起こすにしろ、成し終えた後にはすぐさま政治の基盤を整え、内政を機能させなくては国民の生活に影響する。

その点で、トラン共和国は驚くべき安定性だ。
赤月帝国が滅びた後、解放軍はまったく時間を無駄にはしなかった。
名立たる帝国軍人の多くが解放軍側に付いたこともあるが、何よりもトラン国民から圧倒的に支持されていたのだ。
帝国軍の残党との小競り合いはまだあるようだが、目立った混乱はなく、見事なまでに周到に国政を立て直した。

翻ってみてハイランドはどうだろうか。
現在デュナンの地はハイランド皇国軍と都市同盟によって勢力が拮抗している。
そんな中でハイランド国内で内乱が起こった場合、一つの大きな軸がぶれることになる。
その場合、どれほどの混乱が起きるだろうか。

都市同盟は決して揺ぎ無い結束で結ばれているわけではない。
どの都市も、やはり自分達の利益をまず考えるだろう。

崩れたバランスはデュナンの地を大きく揺るがせ、余計な騒乱を招きはしないか。


『だからと言って、このままで良いとは思えません・・・』

今はまだいい。
穏健派のアガレス陛下が統治する今ならば。
しかしその不安定な平和はいつまで保たれる?
現在でさえもルカ皇子の凶行を止めることができないというのに。


『戦乱は、起きると思いますか?』

縋るように問いかけると、感情の読めない涼しげな瞳がクラウスを映した。

『何かを得るには、他の何かを失うこともある。その覚悟は必要だろう』

『君主制から共和制になって、直ちに政治が機能すれば問題はありませんよね』

『ハイランドの民を納得させられれば良いけれどね』

誰もに恐れられる残虐な皇子であっても、そのカリスマ性は誰もが認めるところだ。
軍人や文官の中にもルカに昏倒する者が少ないわけではない。
皇子派が君主制廃止に納得するかどうかは難しいだろう。
そしてもう一人、皇女ジルの存在もある。
ルカ皇子を王とすることを由としない者が、共和制に移行することなく皇女を担ぎ出すことも充分に考えられる。


『何もかもが上手く片付く方法なんてないのかも知れませんね・・・』

自嘲するようにそう呟いた後、リウが痛ましげに眉を寄せたことに、俯いていたクラウスは気付くことができなかった。





そして現在――。

ハイランド皇国は和平への道を歩もうとしている。

アガレス陛下の時代に都市同盟と確固たる絆を深め、デュナンの地を一つにすることができれば。
ハイランドだけでなく、都市同盟だけでなく、総ての力を集め、融合することができたならば。


いつか訪れた平穏な日々の中で、また彼と共に穏やかな時間を過ごしたい。


(すべてが終わったら、必ず貴方を探しますからね)


それまで、どうか無事で――。


クラウスは窓辺から離れると、思い浮かぶ彼の面影にそっと微笑み、静かに書庫を後にした。





そして、デュナンの地にゆっくりと戦乱の足音が近づく――。





END


坊ちゃんと会えなくなってしまったクラウスのお話。
ルックといいルカといいクラウスといい、坊ちゃんてば罪な人ですね〜
(放置プレ・・・げふげふん)



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