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山道の再会
闇の奥から、誰かの声が響いていた。
くぐもって届く声は、一人や二人のものではない。
――オ前ガ殺シタ
――オ前ノセイダ
――オ前サエイナケレバ
――彼女ヲ見殺シニシタオ前ナド認メルモノカ
――アノ方ヲ殺シタオ前ヲ私ハ決シテ許サナイ
――先生ガアンナコトニナッタノハ貴方ノセイヨ
――陛下ヲ侮辱シ国家ニ反逆スル逆賊ヨ
幾重にも折り重なった悪意や敵意に彩られた言葉の刃。
それは声を変え、言葉を変えて無限に降り注ぐ。
■■■■■
未だ陽も昇らない時刻。
天流・マクドールは宿屋の一室の寝台に身を起こした姿勢で、溜息を吐いた。
「・・・うるさい」
夜気の冷たさ漂う空間に、虚ろな声が静寂を流れた。
ゆっくりと持ち上げた右手を見る瞳の琥珀が、一瞬真紅の光を宿し――スゥッと消えた。
■■■■■
赤月帝国がトラン共和国へと為って数ヶ月。季節はもうすぐ、厳しい冬を迎えようとしていた。
トラン共和国の首都グレッグミンスターよりも遥か北に位置する小さな村は、首都よりも一足早く冬の足音を聞く。
どんよりと厚い雲に覆われた空からは、今にも雪が降り出しそうだ。
早朝、細い身体には大き過ぎるマントを羽織、宿を出る一人の少年の姿があった。
トランにおいて、もはや知らぬ者はないほどの存在ながら、彼をそれと見抜く者はいない。こんな幼い少年が、赤月帝国を滅ぼし、トラン共和国を建国した英雄天流・マクドールだとは、誰も思うまい。
向かう先には山脈がそびえる。
雪が本格的に降り始める前に山を越えて次の町を目指さねばと、自然と足が速くなる。
目的地など特にないが、いつまでも一所に居座る気もない。
彼自身が自覚するほどに心が不安定ならば尚更だ。
「・・・っ」
雑草の生い茂る道端で、額を押さえるようにして天流は立ち止まった。
耳鳴りにも似た不快な感覚が襲う。
頭の奥から暗く低く響く声は呪詛のようにぐるぐると繰り返され、精神を苛んでゆく。
「・・・うるさい、黙れ・・・」
多くの者に恨まれていることくらい、何度も繰り返されずとも知っている。
この身が数え切れないほどの犠牲の上に立っていることも、この手が大量の血に染まっていることも。
ガサガサと葉を揺らす音に敏感に反応し、素早く棍を旋回させた。
風圧に割り開かれた雑草の間に、驚いて逃げる小さな動物の姿を目に捕らえる。
「・・・・・・」
余程神経が張り詰めているようだ。
戦争が終わって数ヶ月が経つというのに、戦場での癖は抜けきらない。
小さな物音ですら、この身は瞬時に反応して武器に手を伸ばしてしまう。
深く息をつき、天流は気を取り直して足を踏み出した。
山道の入り口に差し掛かった時、前方から複数の問答する声が聞こえてきた。
何かあったのだろうか。
不思議に思いながら声に近付いていくと、やがて内容が聞き取れるようになってきた。
「ねえ、お願いだよ。雪が降る前に山を越えたいんだ」
若い、というよりも幼さの感じられる声が焦れたように言い募る。
答える村人と思わしき声は、困惑を滲ませていた。
「だから、危険なんだよ。お前さんのような子供が1人で行くべきじゃない」
「じゃあ、誰か用心棒になる人はいないわけ?」
「こんな辺鄙な村に腕の立つ奴なんて・・・」
「ああもう! 僕はこんな所で立ち止まってるわけにはいかないんだよ! 世界中の地図を書くのにどれだけの時間が掛かると思ってるのさ!」
「そうは言ってもだなあ・・・」
「テンプルトン?」
突然割り込んできた第三者の声に、問答していた数人が一斉に振り向いた。
その中に見慣れた顔を認めて、天流は「やっぱり」と声に出さずに呟く。
相手は天流に気付くと同時に、弾かれたように駆け寄って来た。
「ティエン!」
驚きと喜び、少しの戸惑いを浮かべ、テンプルトンは天流の前で止まる。
「久しぶり。元気だった?」
「それはこっちの台詞だよ! いきなり消えちゃって、今までどうしてたのさ! ティエンがいなくなってからもう大騒ぎで・・・!」
そこまで言って、テンプルトンはハッと口を噤んだ。
一瞬後悔を浮かべた幼い顔に徐々に落ち着きが戻る。
「まあ、無事で良かったよ・・・」
「ありがとう」
優しくそう言う天流の表情は、まったくの無だ。
テンプルトンは彼を責めようとした自分を恥じる。天流を責める権利など、誰にもありはしない。
だが、一言くらい別れの言葉が欲しかったと恨めしく思ってしまうのは、彼がとても好きだからこそ。
「あんたも山道を通りたいのかい?」
テンプルトンの肩越しに村人達が二人に近寄って来るのが見える。
「そうですが、通れないのですか?」
問いに村人達は難しい表情で頷いた。
「そっちの子にも言ったんだがね、最近山道は昼間でも危険なんだよ」
夜の山道は暗闇の中で道に迷いやすい上、野生の獣が横行して大変危険だということは常識だ。故に、山の向こうを目指す者は昼の間に山を越える。それすらも危険だということは。
「山賊ですか?」
沈黙は肯定の証だ。
重い口を開いて村人達が語るには、最近山道に山賊が現れ出したのだと言う。これまでにも何人もの犠牲が出ていた。
命からがら逃げてきた旅人の言葉を聞き、村人の何人かがトラン兵士の常駐する一番近い街へと知らせに赴いたが、国が討伐に乗り出すのにもまだ時間が掛かる。
しかし、それを待っていては本格的に冬が訪れ、山を越えられなくなってしまう。
「ねえ、ティエン、頼めないかな?」
遠慮がちに見上げてくるテンプルトンに、天流は「いいよ」と頷いて答えた。
途端に顔を輝かせ、「ありがとう!」と礼を言うと、彼は村人達に向き合い、再び彼らと言葉を交わす。先ほどまでの苛立ちはなく、どこか嬉しげだ。
「何だって!? あんたら二人だけで山を越える!?」
「無茶だ! 俺達の言ったこと解ってんのか?」
「解ってるよ。忠告ありがとう。でもティエンは山賊程度にどうこうできる相手じゃない。僕達のことは心配いらないよ」
「いや、しかし・・・」
村人達はテンプルトンと天流を見やり、不安げな様子を隠そうともしない。
天流の方は棍という武器を持っているところを見るに、それなりの武術の心得はあるのだろうが、如何せんどちらの少年も身体は細く頼りない。山賊に出くわしてしまえば、一瞬のうちに斬り裂かれるのが明白だ。
「大丈夫です。紋章も使えるし、危なくなれば逃げます」
天流が左手に宿る“旋風の紋章”を見せると、村人達は少しだけ安堵した。
高位の紋章を宿しているということはかなりの紋章の使い手だということだ。
そうして二人は、心配そうに見送る視線を背に受けながら、山道へと入って行った。
「“危なくなれば逃げます”なんて、ティエンの口から聞くとは思わなかったよ」
クスクスと堪えきれない笑いを含むテンプルトンの言葉に、天流は「仕方ないだろう」と肩を竦める。
「山賊など相手にならないなんて言っても信憑性はないよ」
姿形はあくまでも普通の少年なのだから。
「でも本当、僕はラッキーだな。ティエンに会えたんだから」
年相応に幼い笑顔は、大人びた少年には珍しいもの。
天流は何を言えば良いのか解らなかった。テンプルトンに会えたことが嬉しいのは彼も同じだ。だが、付き纏う不安は喜びだけをもたらしてはくれない。
鬱蒼と生い茂る雑草に覆われた山道を、二人は和やかに話しながら進んで行く。
世界中の地図を書くのだと言っていた少年は、今もその夢を果たすために各地を旅しているらしい。幼い子供の一人旅など危険極まりないのだが、並の大人よりも肝の据わった彼にはそんなこと関係ないようだ。
「何処へ行くつもりだ?」
突如、数人の男達が天流達の行く手を遮るように立ち塞がった。
こいつらが山賊かと、二人は足を止めて彼らを観察する。
微塵も動揺を見せない二人の少年の冷静さは、山賊達の方が戸惑うほどだ。
天流はふと柳眉を寄せた。
何だろう。
どこかで見たことがあるような・・・。
それに答えたのは山賊達の方だった。
「き、貴様は天流・マクドール!」
「何!? あの裏切り者か!」
動揺が広がる彼らを見つめながら、天流の方も合点がいった。
記憶が正しければ彼らとは――かつての赤月帝国で会っている。
「知り合い?」
天流の様子に気付き、テンプルトンが問いかける。
それに軽く頷くと、天流は答えた。
「かつてのクラスメイトや同僚だよ」
「はあ!?」
つまりグレッグミンスターの元貴族や元軍人だということなのか。
そんな者達がこんな所でいったい何をしているんだろう。
「まさか山賊ってこいつらのことなわけ?」
彼らに向けられた2対の瞳は侮蔑を含む冷めたものだった。
「随分と身を堕としたものだな」
「黙れ! 元はと言えばすべて貴様のせいだろうが!!」
「そうだ! 貴様が陛下を裏切り、解放軍などという蛮族を率いて我が国を蹂躙したのだ!」
「俺達の地位を奪い、富を奪い、誇りをも汚した!!」
「貴様さえいなければ・・・!!」
本気で馬鹿だこいつら。
テンプルトンは心の底からうんざりした。
これだからたいした学もないのに無意味に自尊心だけは高い良家の子息というものは始末に終えない。同じお坊ちゃんでも天流とは雲泥の差だ。
しかし、天流との格の違いの解らぬ者達の悪態は止まることを知らない。
「恥知らずの裏切り者が英雄だと? 笑わせてくれる!」
「貴様への恨み、今ここで晴らしてやる!」
一斉に剣が抜かれ、切っ先は二人の少年へと向けられた。
「馬っっ鹿じゃないの?」
馬鹿という言葉を思いっきり強調してテンプルトンが呟いた。
心の中で「同感だ」と呟きながら棍を構え、山賊に身を堕としたかつての同僚達と対峙する。
数にものを言わせて一般市民に突然襲い掛かるような者達が、実戦経験の豊富な一流の戦士に適うわけがない。
半時も経たずに地面に倒れ伏した彼らを、息を乱すことなく見下ろす天流。
テンプルトンがどこからか取り出したロープを手渡すと、二人は手際良く山賊達を一纏めに縛り上げた。
「まさか山賊が元帝国軍兵士だとはね」
「嘆かわしいものだな。時代の流れに乗り遅れた者の末路か」
「まさか、自分のせいだとか思ってないだろうね?」
不審げな目を向けられ、天流は一瞬言葉に詰まる。
彼等が山賊などに身を堕としたことは大部分が彼等自身の心の弱さだが、責任の一端は自分にあると考えていたのだ。
新しい国の政権基盤を整えることが忙しかったが為に、帝国軍の残党達への処罰にまで充分に手が回らなかった。
解放軍への怨みを口にしながらグレッグミンスターを後にした者達が、新しい国に害為すことは容易に想像がつくものを。
――オ前ガ殺シタ
――オ前ノセイダ
――オ前サエイナケレバ
「・・・くっ・・・」
痛烈な衝撃が頭の中を駆け抜け、思わず顔を顰めて頭に手を遣る。
「ティエン!」
心配そうに駆け寄るテンプルトンを片手を上げて制する。
「大丈夫だ」
その一言に、テンプルトンの表情が険しく歪んだ。
「そうやって、いつもティエンは1人で抱え込むんだ。そりゃあ、僕は君より年下で、子供で、戦力にもならなくて、全然頼り無いよ。でもさ、心配させてくれたっていいじゃないか!」
悔しかった。
天流に頼ってもらえないことが。
天流の助けになれないことが。
あの戦争で嫌というほど感じた無力。
ここに居るのが自分ではなく、ルックやシーナならば少しは違ったのだろうか。
茫然とテンプルトンを凝視していた天流だが、悔しさに唇を噛んで俯いた少年の肩に優しく手をやった。
「ごめん、そんなつもりじゃなかった」
手の、瞳の、声の優しさとは裏腹に、その表情に色はない。
「まだ・・・笑えないんだね・・・」
辛い戦争の中、誰よりも信頼を寄せていた軍師の死を境に失ったもの。
自分達は、結局天流に何もしてやれなかった。
「テンプルトン、そんな顔をしないでくれないか? 僕は君にはたくさん助けてもらったよ?」
執務室で、天流に対し剥き出しの敵意を向けていた少女の言葉から、いつもマッシュとともにさりげなく庇ってくれた。マッシュとの最後の会話をさせてくれたのも、彼だ。
誰も自分が無力だと、何もできないなどと嘆く必要などない。
彼等が思っている以上に、天流は仲間達に助けられてきたと思っている。
「・・・うぅっ」
足元から呻き声が聞こえ、二人は視線を落とした。
気絶していた山賊の1人が目を覚ましたようだ。
彼は天流とテンプルトンを視界に入れると、屈辱と怒りと恐怖に顔を歪め、二人に憎しみの目を向けた。
「い、いい気になるなよ裏切り者め・・・貴様にはいつか必ず天罰が・・・」
最後まで言わさず、その顔にテンプルトンの蹴りが見事に入った。情けない悲鳴を上げて彼は恐怖のためか再び気を失う。
「見苦しい負け惜しみになんか興味ないよ。黙って寝てな!」
清々したとばかりに、さらにげしげしと倒れた男を足蹴にするテンプルトンを見ていると、何だか懐かしい思いに捕らわれる。
「テンプルトン、何だかルックやシーナに似てきたね」
「・・・・・・あんまり嬉しくないよ、それ」
■■■■■
陽が西の空に移動した頃、天流とテンプルトンは山を降りた。
「ありがとう、ティエン。助かったよ」
「いや、僕も君に会えて嬉しかった」
「これから、どうするの?」
天流は思案するように首を傾げ、空を見上げた。一面の青が地平線から少しずつ赤に染まり、黄昏が近そうだ。
「今日は、どこかの町で宿を取るべきかな」
「一緒に行ってもいい?」
「いいよ」と答えると、テンプルトンの顔がパアッと輝いた。子供らしい反応が微笑ましい。
二人は肩を並べ、平原の先に見える町影に向けて歩き出した。
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翌朝、テンプルトンが目覚めると、隣のベッドはすでに空だった。
やっぱりな、と思わず苦笑する。
数ヶ月前も、朝起きてみれば彼の姿はなかった。
誰にも、何も言わずに姿を消した彼を捜し求め、トラン城の中は大騒ぎだったのを思い出す。
彼が残したのは、瞬きの手鏡とレパントへの委任状だけ。
グレッグミンスターの自宅には、クレオ1人が残されていた。
だが、今回は少し違った。
昨夜天流が寝ていた寝台の上には、1通の手紙。
はやる気持ちでそれを手に取り、二つ折りに畳まれていたそれを広げる。
【 またね 】
「それだけかい」
誰もいないのに思わず突っ込んでしまうテンプルトンだった。
それにしても、何という簡潔な手紙だろう。用件のみと言うが、これはあまりにも・・・。
同じく天流から手紙をもらったシーナとならば、今この時だけは意見が合ったかも知れない。
だが彼もまた、「ティエンらしい」と笑みを浮かべるのだった。
窓を開くと、朝の風が吹き込んでくる。
もうすでに天流の姿を見ることは叶わないことは解っているけれど、無意識に彼の姿を眼下に探してしまう。
「ねえ、ティエン・・・また、会えるよね?」
呟いた言葉は、そっと風に消えた。
END
坊ちゃんの旅に始めに出てきたのはテンプルトンでした♪
微笑ましいコンビだなあ。
坊ちゃんはしばらくソウルイーターに悩まされそうです。
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