誓いの印





ゆっくりと目を開くと、朝の日差しが目の奥を射る。
堪らず瞼を綴じた天流は心地良いぬくもりの中でまどろみながら、次第に目が光に慣れるのを待って再び開いた。

状況が理解できない。

柔らかな寝台に寝ているのは解るが、視界に入る天井や壁に見覚えはなかった。これまで泊まっていた宿屋とは明らかに違う造り。どこかの城か豪邸であることは間違いないだろう。
寝起きですぐには身体を動かせないが、これまでずっと付き纏っていた疲れが取れている。数日振りにすっきりした気分だ。

時間を掛けて自分の置かれた状況に思いを巡らせていると、今度は当惑が取って代わった。

(僕はいったいどうしたんだ?)


「目が覚めたか」

「!!」

すぐ傍で低い声が聞こえ、天流はぎょっとした。
こんなにも近くに他人が居たのに気付かなかったとは。

慌てて視線をそちらに向けて、さらに驚愕する。

声の持ち主は、これ以上ない程に天流に近かった。
有り体に言えば、同じ寝台に寝ていたのだ。しかも相手は上半身が裸で、胸の辺りまで下がった上掛けから美しいとすら言える肉体が露となっている。

「ルカ・・・ブライト・・・?」

名を呼べば、一気に記憶が甦ってきた。

泉での彼との出会いから、小さな村で起きた惨劇。
大量の血が流れたその場所で、自分が何をしたのかも。

驚愕からみるみる青褪めていく天流の表情を片肘を立てた姿勢で眺めながら、ルカ・ブライトは口元を笑みの形に歪めた。

さあどうするトランの死神。
嘆くか? 絶望するか? それとも俺を罵倒するか?
何故殺したのかと、嘘をついたことを誹るか?

天流の目覚めを待つ間、彼の反応を楽しみにしていた。
英雄に相応しく、綺麗ごとを並べて殺戮者を憎むのか。
悲劇の運命を背負った者に相応しく、自己憐憫に浸るのか。


「・・・・・・済まない」

呟かれた謝罪の言葉に、後者かと思いかけたルカ・ブライトを、真っ直ぐな琥珀の瞳が見据えた。

「僕は、君の部下達を多く死なせたのだろう?」

「正しくは全滅だな。見事だった」

意外そうなルカの様子には気付かず、天流は深いため息をついた。

「謝って済むことではないが・・・」

「構わん。俺にはどうでもいいことだ」

「国民だけでなく、自軍の兵すらお前には意味の無い存在なのか?」

「意味はあった。貴様の右手のものの力を引き出したのだからな」

ハッとした天流の反応よりも早く、ルカの手が右手を捕えた。手袋はもちろん、包帯すらも外された素手には紅黒い死神の鎌の模様が浮かび上がっている。


「トランの死神、天流・マクドール。まさかあのような場所で会えるとは思わなかったぞ」


咄嗟に身を起こそうとする天流の動きを逞しい身体で抑え付け、強引に唇を奪う。

「・・・っ」

抵抗を封じ、深く合わせた口内を蹂躙すると、次第に天流の身体から力が抜けてゆく。
しばらくして解放すると、ようやく呼吸を取り戻せた唇から苦しげな喘ぎが漏れる。
抵抗をなくした天流の右手に口付け、ルカは楽しげに笑った。

「なかなか良い見世物だった。あんなにも美しい光景を見たのは初めてだ」

「美しい・・・?」

「お前から迸った闇の光は、村全体を包んで豚共の魂を貪り食った。おかげであの村は今や死体の山だ」

「・・・生き残ったのは・・・?」

「俺とお前だけだ」

「村の人は・・・誰一人として助からなかったのか・・・」

哀しげに呟く天流に、ルカは笑い混じりの声で「気にすることではない」と言った。

「たとえ命を奪わずにいてやったとして、あの村の豚共にもはや家畜としての価値はない。どの道処分することとなる」

国民を家畜と評するか。

くっと乾いた笑いが漏れる。
だが確かにルカの言うことには一理ある。あの時天流の言を聞き入れて兵が撤退したとして、村人達の国への信頼はすでに消え去り、根深い怨みや恐れだけが残っていただろう。
自分で招いた事態を解っていたからこそ、ルカは情け容赦なく叩き潰した。

赤月帝国最後の皇帝バルバロッサとはまったく違う考え方。同じく自国の民を見捨てた愚君でも方向性は似て非なるもの。
だがルカ・ブライトの方が余程性質が悪いと見えて、誰よりも率直だと言える。
名君と誉れ高い王となるより、こちらの方が簡単なようで難しそうだ。

(このようなことを繰り返していては、彼の手に残るものなど何もないだろうに・・・)

しかしその言葉すらもルカ・ブライトは笑い飛ばすのだろう。
常軌を逸した殺人者だが、彼の瞳には狂気よりも知性が宿る。自分がしていることの意味を正確に理解しているのだ。
だからと言って、村人達の命を踏み躙る権利がルカにあるわけがない。だがそれを言葉にしてルカを諌めるには、天流自身血に汚れ過ぎていた。


ルカ・ブライトは拘束を解いて天流の上から退くと寝台を降り、丁寧にたたまれていたシャツを着込みながら、天流の方に着替えを放り投げた。
見れば天流が着ているのは紅い胴着ではなく、高級感のあるシルクの夜着だった。寝ている間に着替えさせられたようだ。

「僕はどれくらい眠っていたんだ?」

「二日だ。着替えはメイドにさせた。ちなみにここは俺の部屋だ」

「何故共に? 僕に寝首を掻かれるとは思わなかったのか?」

「お前にはできまい」

炎に包まれた村で、ルカの首を取る絶好の機会に恵まれながらも出来なかったのだから。
天流は静かに右手を翳した。

「僕ができなくても、こいつは違う」

「お前の傍にいれば、その紋章がまた面白いことをしでかしてくれるかと思ったのだがな。残念ながらあれから黙ったままだ」

そう言いながらルカは何かを手に取り、絡ませたチェーンの先にあるものを見せ付けるように揺らした。

「せっかくこれを取り外したのだが、どうやら紋章は満足した上に、抑え付けられる程にお前の力も戻ったようだな」

ルカの手にあるものが何なのか、瞬時に悟った天流は慌てて胸元を探り、そしてきつく目の前の男を睨み付けた。
ルカは悪びれることもなくそれを眺めている。

「魔力の込められた石。このせいで貴様の紋章は思う存分力を発揮できないのだろう?」

「っ! 返せ!」

ルカの手に在るのは、翡翠の魔石。戦争が終わり、グレッグミンスターを経った時より肌身離さず身につけていた。ソウルイーターの力を抑える力もさることながら、何よりも大切な友人からの贈り物だ。

寝台から素早く抜け出し、石を奪おうと伸ばした天流の手をルカの空いた手が掴んだ。軽々と天流の身体を片腕で抱き込むと、耳元に唇を寄せて掠れた声で囁く。

「取り戻したくば奪うがいい。俺の傍で、片時も離れることなく狙うといい。俺はそれを全力で阻止してやる。そうすれば、貴様は常に俺の傍に在る」

「何を言ってる。馬鹿かお前は」

「この俺に恐れも無くそんな台詞が吐けるのは貴様だけだ」

“馬鹿”と言われて気を悪くするどころか、ルカは何とも愉快げに笑った。だが天流にとっては笑い事ではない。何を考えているのだこの男は。

「お前は僕を“トランの死神”と称したな。その死神を求めるなど、馬鹿としか言いようがない」

「俺は俺が思うままに生きる。そして今、欲しいものはお前だ」

「僕を望むか。争いを呼ぶこの紋章を。いずれ全てを失うことになっても良いと?」

「貴様の右手が運ぶ戦乱こそ、我が望み」

天流の表情が険しくなる。

「僕は戦争などに関わる気は毛頭ない。僕の力に期待しているなら無駄なことだ」

――二度と戦争に関わらないでほしい

誰よりも信頼していた人が死の間際に遺した最後の願い。
天流への深い愛情に包まれた優しい言葉。
彼が安らかに眠れるためにも、天流は二度と自分の身を戦争の中に置く気はない。

ところが、ルカ・ブライトは戦争を否定する天流の意思を曲げさせようとも、嘲笑おうともしなかった。

「お前の力を借りようとは思わん。お前は居るだけで良いのだ」

「・・・居るだけで?」

「トランの英雄の力など要らん。欲しいものは自らの手で奪う」

欲しいのはあくまでも、天流・マクドールという存在と付随する紋章に導かれて巻き起こる戦乱であり、誰もが欲するはずの天流の戦士として軍主としての類まれなる力を望んでいるわけではなかった。

「お前の闇に惹かれる。焦がれるのは貴様の存在のみ。望むは貴様が呼ぶ混乱」

天流を見つめ返す瞳は強く、一点の曇りも無い。潜む欲望は純粋に天流を求めるものであり、その先の戦乱の未来を渇望するものであり。天流の力を利用しようとする打算的なものは一切なかった。

「それで・・・僕がお前から得られるものは?」

「魂だ。貴様にはこれ以上のものはないだろう」

「この僕に自分の命を預けると・・・」

「死神を引き止める代価としては当然だ。何より豚共と同じ死後の世界などというくだらぬ場所に用はない。戦乱を呼ぶ呪われた紋章の一部となった方が遥かに意義がある」

天流の心の奥が大きく揺れる。
ここまで自分の存在のみを求められたのは、遠い昔のようにも思える幸せだった過去以来だ。
親友が、父が、母のようだった家人が向けてくれたもの。
温かな愛に満ちたそれとはまったく違う激しいものだが、ルカ・ブライトからはそれに似たものを感じ取れた。彼は自分の命と引き換えに天流を望んでいる。

そして、決定的な言葉が低い声によって紡がれた。


「傍にいろ。トランの死神。俺と共に在れ」


迷いのない強い視線が、言葉が天流を絡め取っていく。
彼と共に在る未来。希望など見えぬそれに何故か心惹かれる。


「いいだろう。契約してやる」


ルカの瞳に強い光が宿る。
“手に入れた”
そう言いたげに。

「お前の傍に在り、お前の生き様を見届けよう」

これから起きるであろう戦乱など、望んではいない。流れるであろう大量の血など見たくは無い。だが、無性に見届けたくなるのは目の前の男が辿る道。


「お前の死を、最後までこの目で見ていてやる」


「契約成立だな」

天流に絡めていた腕を下ろし、ルカは椅子の背に掛けられていたハイランドの軍服を羽織り、素早く身だしなみを整える。
その様子に、天流は先程投げ渡された服を手に取った。天流が着ていた胴着に似せた白い胴着。サイズは天流にぴったりなものだ。

「僕の服は?」

見渡してみても、部屋の隅に天牙棍が立て掛けられているのが確認できるが、身につけていた服やマント、バンダナなどはどこにもない。洗濯に出しているにしても、二日が過ぎたのならすでに乾いているはずだが。

「さてな。繕ってでもいるのだろう。そのうち返ってくる。第一着替えは必要だろう? それでも着ておけ」

確かにルカの言う通りだ。天流は厚意に甘えることにした。

「死神に似合う色といえば黒か・・・血の色か。だが貴様には思いのほか白が似合うものだ」

着替えた天流の姿を上から下までまじまじと見つめ、ルカは呟くように言った。
ルカは天流の着ていた服を職人に預けて誂
(あつら)えたのだが、ハイランドの色は基本的に白を基調としているため、王家御用達の服は必然的に白になる。
果たして天流に白は合うのかと怪訝に思っていたが、着てみれば意外と似合っていた。というより、白という色のおかげで可憐さが増したと言うべきか・・・。
女物を着せて妹と並べてみるとおもしろいかも知れない。などと妙な思考を巡らせる。

狂皇子にそんなことを思われているなど露知らぬ天流は、困ったように彼を見た。

「それより死神と呼ぶのはやめてくれないか」

二人の時ならまだしも、周りに他人がいる時に“死神”などと呼び掛けられては堪らない。
狂皇子に“死神”と呼ばれる少年。周囲の反応が恐ろしい。間違いなく、天流は一瞬にして恐怖の対象となり、気の弱い人間なら話しかけただけで気絶し兼ねないだろう。

それもそうだな、とルカは考え込んだ。

「“天流・マクドール”とは大層な名だ。解放軍のリーダーならばともかく、今の貴様に“天”など似合わん」

“天”とは“天子”に代表されるように、万物の支配者という意味を持つ。
“ティエン”という名はまさに覇者に相応しいものだ。
解放軍を率いていたトランの英雄には似合うが、今の彼をルカはそう呼びたくないようだ。

「そうだな、“流”ならば相応しい。これから貴様を“リウ”と呼ぶ」

その言葉は、かつて親友の口から出たことと大差なかった。
こんな残虐な男と大切な親友を同列に扱うなど考えられないことだが、天流は無意識に二人を重ね合わせて何だか笑い出したくなる。実際には彼の無表情が崩れることはなかったが。
代わりに、天流は了承の意味を込めて頷いた。

これで名前の件は片付いたとして、ルカは話を切り替えた。

「さて、貴様の新しい部屋を用意するか。別にここにいても構わんが、その場合夜の相手を務めてもらうことになるが?」

「是非別の部屋を用意してくれ」

間髪入れずに即答する天流に、ルカは楽しげな様子で押し殺した笑いを漏らした。

「それは残念だ。キバなどはついに俺が嫁を娶ったのかと期待していたようだがな」

「・・・・・・・・・・・・嫁?」

聞くところによると、キバとはハイランドに古くから仕える老将軍で、二日前の早朝にルカが天流を城に連れ込んだことを知る一人だという。
初めはルカがいたいけな少女をどこからか拉致してきたのかと戦いていたようだが、二日間もルカの寝室で床を共にし、特に悲鳴なども聞こえないことから彼の不安は安堵へと変わり、そして期待が膨らんでいったらしい。

とんでもない誤解だ。
しかもハイランドの軍人に性別を間違われたのはこれで二度目。・・・屈辱。

羞恥に頬を赤く染めた天流の怒りと恥ずかしさに潤む瞳がルカを睨み上げる。
はっきり言って迫力も何もあったものではなく、却って男心を擽る可愛さである。
ルカは口の端を上げてからかうような笑みを浮かべた。

「二日間も同衾すれば何をしているかなど疑問にするまでもなかろう?」

「僕がずっと眠っていたとは言わなかったのか!」

「くっくっ、言えば誤解は深まるぞ。俺が疲れさせたのだと誰もが思うだろう」

「僕が男だとは?」

「言って何になる? 俺は両方抱けるぞ」

「〜〜〜っ!」

一瞬、本気で殺意が湧いた。この男を亡き者にして証拠隠滅を図れないだろうか。

「リウ」

慣れない呼びかけに、ほんの少し戸惑う。

「部屋は後で使用人に案内させる。それとこの石はいずれ返してやる」

何気ない動作で翡翠の魔石を軍服の内に仕舞うルカに、天流のムッとした表情が向けられる。
視線を受け止めたルカは不敵に微笑み、覆い被さるように顔を近づけてきた。

「胸元が寂しいのならこれをやろう」

そう言ってふいに伸びた手が天流の服を強引に割り開き、露わとなった胸元に屈んだルカの顔が吸い寄せられるように触れる。

「っ!」

一瞬の甘い痛みの後、白い肌に小さな花びらが紅く色づき残った。
素早く繰り出された蹴りを紙一重で避け、ルカは笑い混じりに「じゃあな」と言って背を向け、扉に向かう。

「この馬鹿皇子」

冷たい声と共に第二波の攻撃――寝台の羽枕が飛んで見事にルカの後頭部を直撃した。
攻撃力は涙が出るほど情けないものではあるが、ボフッという何とも間抜けな音を発して枕は床に落ちる。

「片付けておけよ」

その一言を残し、扉が閉まった。


ルカが去った後、広い部屋に一人残された天流は力を失ったように寝台に腰掛けた。
行き場のない怒りは次第に鎮まり、取って代わるように困惑が広がる。

何故、ルカの願いを聞き入れてしまったのだろう。

強大な力を持つ狂皇子とはいえ、天流の敵わない相手ではない。
翡翠の石も、その気になればルカから奪い返せたはずだった。そしてそれは、ルカも察していたはずなのに、彼はあえて天流に挑戦してきた。

石を取り返してさっさとハイランドを後にした方が良かったのかも知れない。

天流は諦めを含んだため息をついた。

「約束は約束だ」

その言葉で、奥深く潜む不可解な感情を無視する。



ただ、気になっただけだ。
狂皇子と恐れられている男の、意外なまでの知的さが。
抱き合う母子を見た時に浮かべた、痛ましげな表情が。


『お前の傍にいれば、その紋章がまた面白いことをしでかしてくれるかと思ったのだがな。残念ながらあれから黙ったままだ』

『どうやら紋章は満足した上に、抑え付けられる程にお前の力も戻ったようだな』


ルカが言った言葉が脳裏に過ぎる。
彼は知らないが、ソウルイーターが疼き始めたのはハイランドに入った時からだった。それまでは、完全にその力を抑えられていた。
そして、ルカの傍にいる今、ソウルイーターはとても静かだ。まるであの時の疼きなどなかったかのように。

多くの魂を食らって満足したからか。

それとも――ルカが傍に居るからなのか。



ルカの唇が触れた胸元が、じわりと甘い熱を持った。



END


いきなり同衾してるご両人。ルカ様ったらv(←阿呆)
一話まるごと殺伐とした会話が延々と続きました・・・(でもある意味情熱的(笑)。
ルックからもらった大切な石はルカ様の手に堕ちました。
こうでもしないと坊ちゃん引き止められませんし・・・。
和解なんて言葉には縁がないように見えて、二人がお互いを認め合った話なんです。
無理にでもそう思ってくださいv(おいおい)
何より、死が二人を別つまでという誓いの言葉も交わしたことですし(笑)。



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