血塗れた月夜




晴天の下、さかさかと庭の落ち葉を箒で掃いていた天流は、ふと庭を囲むように立つ木の一本を見た。

「何か解った?」

呼応するように木陰が揺らぎ、忍装束の男がわずかに姿を見せる。

「ハイランド王国と都市同盟の間で休戦協定が打診されているのは事実な模様」

「アガレス皇王は温厚な人柄だと聞く。彼が始めたことだというなら王国軍はそのつもりなんだね」

「しかし、王国軍は以前武装したまま。さらには軍備の増強も行っています」

「都市同盟の反乱への警戒か、もしくは・・・」

協定を破り、油断する都市同盟に攻め込んで一網打尽にするつもりか。

国境を接する二つの勢力。
確かに手を結べばデュナンの地は一つにまとまり、強大な国家となり得る。トラン共和国とハルモニア神聖国という脅威が近くにあるのなら、それは必要なことだ。
だが、王国軍と都市同盟はこれまで友好であったことはない。長らく互いに憎み合ってきた者達が、そう簡単に手を取り合えるだろうか。
民間レベルならば良い。しかし、国家間で譲り合えるだろうか。
歴史と伝統を誇るハイランド王国と、これまでも決してまとまっているとは言い難い都市同盟の間で。

アガレス王自身が本当に平和を望んでいても、軍の意志まで同じとは限らない。
何より現在軍の実権を握るのは、好戦的で知られる皇子ルカ・ブライトだ。


「恐れながら、某(それがし)には一つの答えしか見出せませぬ」


――戦乱が起きる。



「・・・・・・獣は・・・ルルノイエの獣については何か解った?」

考え込むような沈黙の後、カゲは言って良いものかと逡巡しながらも主の問いに答えた。

「ルルノイエ城には27の真の紋章の一つ“獣の紋章”があります。おそらく主はそれを感じられたのではないかと」

天流自身の右手に宿るものによって。
言葉にはされずとも、それは天流にも理解できた。

「僕は、この紋章すらうまく扱えないんだ。テッドから継承した時より比べ物にならないほど力が強い。抑えるだけで精一杯なのに、この上他の真の紋章と関わるなど出来るのだろうか・・・」

「関わられる必要などござらぬ。貴方様はこの国の戦乱に何ら関係はありますまい。ご自分のことを大切にして頂きませぬと・・・」

「何もせずに見ていろと・・・?」

「それこそが我等の望みなれば」

“我等”?
何故複数形なのだろう。


天流が口を開こうとしたその時、カゲの姿がフッと消えた。

疑問はすぐに判明する。


天流の後ろからそっと近づく微かな気配。


ヒュンッと何かが風を切る音と同時に、天流は箒の柄を上に押し出した。
直後にガッと何かがぶつかる音と、重い衝撃が走る。


「よく受けたな」

手にした模擬戦用の剣を下ろしながら不敵に微笑むのは、天流が居候する家の家主だ。

「シードさん、人が悪いですよ」

「いやあ、箒持ったままぼーっと突っ立ってるからさ、寝てるんじゃないかと思ってな」

だからって襲い掛かるな。

何とも大人気ないシードの行動に、天流は呆れを含んだ視線を彼に向けた。
・・・夕飯にこいつの嫌いなものでも混ぜてやろうか。

悪気なく笑うシードはふと優しげな表情となった。

「ケント達が来なくなったから寂しいんじゃないか?」

「え?」

思いがけない言葉に目を丸くする。

しかし確かに天流は、毎日のように訪れていた押し掛け弟子達の姿がここ数日見られないことに多少の寂寥感を覚えていた。

彼らは先日よりユニコーン隊に正式に入隊し、現在は国境警備の任に当たっているはずだ。

出兵の前日、ケント達はシードや天流に挨拶に来た。
世話になったことへの感謝を告げながらも暫くの別れを寂しがる彼等を、シードやその部下達は叱咤激励をして送り出したのだ。


「和平協定が結ばれればすぐに帰ってこられる。そうすればまた賑やかになるだろうさ」

「和平協定・・・成立すると思いますか?」

問いに、シードは笑みを消した。

「そうだな、俺達と都市同盟は長いこと対立してきた。すぐには互いに打ち解けられないだろうし、どこかで衝突が起こることもあるだろう。俺にしても、都市同盟の奴等を無条件に受け入れるのは難しい話だ」

王国軍として何度も同盟軍と刃を交わした経験のあるシードとしては、色々と思うところがあるのだろう。

そんな彼の様子に、天流の中で幼い頃の記憶が蘇る。


かつての赤月帝国も、長きに渡って都市同盟とは敵対関係にあった。
そして帝国随一の将軍テオ・マクドールをどうにかして潰したいと考えた同盟軍は幾度もテオの暗殺を試み、その悪意は天流にまで及んだこともある。
幼い命を脅かされ、天流を護ろうとしたグレミオやクレオ、パーンは何度も傷付いた。その度に優しい家人達はその手を血に染めてきた。それはソニアやアレンやグレンシールも同じだ。
当時、今の自分と年の変わらなかった彼らが、テオと天流のためにどれだけ血を流したか。自分の命すら危うい状況に、どれだけ恐怖を感じたか。

そんな彼等を間近で見てきたからこそ、天流は幼心に強く誓ったのだ。
軍人として、官吏として力を身に付け、赤月帝国の発展と都市同盟の殲滅に力を尽くしたいと。

長く、天流にとっても都市同盟は倒すべき敵だった。
その時の感情のままで選ぶならばこのままハイランド軍に力を貸して同盟軍を潰したい。

しかし、心の奥で衝動を諫める強い声が聞こえる。

――私怨に走るな。現状を見極めろ――



「だが、国民は皆戦争に疲れている。都市同盟も同じだろう。国のプライドを守る為に国民を無視することはできんさ」

続けられたシードの声には押さえ込まれた感情の波が現れていた。
都市同盟と戦いによって決着を着けたい思いと、守るべき民の意志を優先させたいという思い、二つの軍人の意識が彼の中でぶつかり合う。

天流には彼の葛藤がよく解った。
すでに三年近くも過去のことになるが、天流にとっては数ヶ月前に同じ苦悩を味わったのだから。
苦しむ民を見捨てるか、守るかの選択。自分は迷わず後者を選び、帝国に背を向けた。
その結果、赤月帝国は滅び、トラン共和国が誕生したのだ。

トランの英雄――それが天流を現す言葉。

愛する父を討ち、仕えるべき王を討ち、忠誠を誓った帝国を裏切ってしまった人間が、何故英雄などと称えられるのだろうか。


思い悩み始めてしまった天流の様子を、シードはじっと見つめていた。

「なあテッド、心配事があるなら溜め込まずに俺かクルガンにでも相談しろよ?」

何をいきなり?
天流はまじまじとシードを凝視する。

何故こんなにも“仕方ない子”を見るかのようなあたたかな目で見られているのだろう。

「お前、気付いてないかも知れんが、ずっと張り詰めているように見えるんだよ。少しでも気が紛れればと思ってレイフ達やケント達を家に呼んだが、そのケント達もしばらくは帰って来られない。一人の時間が長いとお前はさっきみたいにすぐに沈み込んじまうだろ」

まさかシードにこうまで見透かされるとは思わなかった。

「だからどうだ? うちの軍に武術指南でもしに来ないか?」

お断りします

結局はそれかい。

反射的に即答し、天流はくるりとシードに背を向けてざかざかざかっと些か乱暴に箒を動かした。


シードはただ無言のまま天流を見つめ続けていた。

どこか底知れぬ思いを秘めた表情で――。





■■■■■





数日が過ぎ、ハイランド王国とジョウストン都市同盟の間に休戦協定が結ばれた。

そのニュースは瞬く間に王国全土に知れ渡り、ようやく争いが終わるのだと国民達は胸を撫で下ろした。
都市同盟に対する不信感や嫌悪感は根深くあるものの、誰もが平和の訪れを喜ぶ。

シードやクルガンも、その日はどこか肩の荷が降りたかのように上機嫌だった。


これでこの地に平和が訪れればいい。

他国のこととはいえ、やはり天流も人々が喜ぶ姿を見ると嬉しくなる。



しかし、それが束の間の喜びに過ぎなかったことは、多くの尊い血によって思い知らされる。





欠けゆく月もまた、白く美しい光を地上に降らせる夜だった。


近いうちにケント達も戻って来るだろうとシードやレイフ達と談笑を交わした日の夜、気が付けば天流は暗闇の中に一人立ち尽くしていた。

以前見た恐ろしい孤独な闇の夢だろうか、と恐怖が蘇る。

だが周囲を見渡せば地表を覆うのは枯れ葉ではなく、生命力に溢れた木々だ。ひんやりとした夜気の中にも風を感じ、何より多くの人の気配もある。

しかし何故だろう、この胸を押し潰すような不快感は。


すると、前方からいくつもの足音が聞こえてきた。
同時に森の中に広がる殺気。

(何だ?)

慌てたように走って来るのは、ハイランド兵だ。
まだ細身の身体から、彼らが少年兵だと解る。

少年達は何かに怯えているようで、悲鳴のような声を上げながら森に分け入った。
そして、木々の陰に身を隠していた者達が次々と少年達を襲う。

森の中に悲鳴が響き、血の匂いが溢れた。

(何てことを!)

瞬時に駆け出し、倒れた少年兵に止めを刺そうとする者の剣を落とそうと足を振り上げた。
ところが、鋭い蹴りは空を切っただけで剣は振り下ろされたしまった。

(!?)

確かに触れたはずなのに。

狼狽する天流の後ろからまた一人少年兵が斬られて倒れていく。
咄嗟に伸ばした天流の手をすり抜けて。

そこで天流は今自分は実体を持たない意識だけの存在であることに気が付く。

(これは夢なのか? だがあまりにも生々しい)

悲鳴と怒号が飛び交い、次々に少年兵が倒れていく。
よく目を凝らしてみれば、少年達を襲うのは同じハイランド軍の軍服を着る人間達だ。

いったいどういうことなのだろう。

ふと、鋭い視線を感じてハッと振り返る。
少し離れた場所に、見えないはずの天流を真っ直ぐに見据えるものの存在があった。

(白い・・・犬? いや、違う・・・銀の狼だ)

右手が疼く。
否が応でもその正体に気付かないわけにはいかない。

「・・・獣の紋章か・・・?」

『“魂を喰らう者”・・・汝が知るべき男の姿がこの先に在る』

右手を通して頭の中に語りかけてくる声なき声。

どういうことか問いかけるより先に、獣はくるりと向きを変えて走り去る。
天流は思わずその後を追った。


生い茂った森を抜けると、白い月の光に照らされた山道が目の前に広がった。
道の更に奥には光が灯り、そこが夜営の場だと解る。

軽やかに駆ける狼の後を追い、天流も駆け出した。

登り道の途中には、何人もの少年兵の亡骸が転がる。
その中に天流の知る人物の姿を捕らえ、思わず足を止めた。

見間違いであって欲しい。

祈るような気持ちで膝をつき、折り重なるように倒れる二人の少年兵の姿を確認して、天流の心に絶望感が広がった。

「・・・ケント・・・二ール・・・」

伸ばされた手はケント達には触れられない。
それでも何かを感じ取ったのか、ケントの瞼が震えて光を失いかけた目が天流を捉えたかのように揺らいだ。

「・・・テ・・・ドさ・・・」

吐息のように細く掠れた声が零れ、ピクリと動いた指を何とか持ち上げようとしたが、やがて力を失ったかのように冷たい地面に落ちた。

僅かに開いた目は虚空を見たまま、涙が一粒だけ幼い頬を伝っていった。

握り締めた天流の拳がブルブルと震える。
ゆっくりと身を起こし、見据えるのは山道の先の明かり。

そこに、この惨劇を招いた人間がいる。

怒りを抑え、駆け出した。





松明の明かりの下、男は共も付けずにたった一人で立っていた。
森の中の喧騒が嘘のように静まり返った野営地。

月夜を見上げる男の表情は完全なる無。
何の感情も浮かんではいなかった。


(この男が、狂皇子ルカ・ブライト)

明らかに他とは違う白銀の鎧を着こなし、腰に下げた剣にはハイランド王国の紋章が入っている。
その存在感たるやテオ・マクドールやバルバロッサ陛下にすら劣らない王者の風格を漂わせている。


ああ、僕は彼の傍にいなくてはならなかったんだ。

ふと、そんな考えが浮かんだ。
何故そのようなことを思ったのかは解らない。
けれど、天流は確かに彼と離れてはいけないのだという確信のようなものがあった。

先程まで渦巻いていた怒りも忘れ、静かにルカ・ブライトに歩み寄る。
いつの間にか、ルカ・ブライトの傍には銀狼の姿も見えた。

天流にも狼にも気付くことなく、ルカ・ブライトは鋭い瞳で月を睨みつける。

「月よ、どれだけ血を流せば貴様は紅に染まる」

「?」

ルカの口から零れ落ちた言葉の意味が理解できず、天流は首を傾げた。

「貴様にハイランドの白なぞ着せるべきではなかった。何ものにも染まらぬまま消えるなど・・・。さっさとものにして俺と貴様の血に染まらせていれば飛び立てなかっただろうにな」

自嘲気味に流れる言葉はどこか甘美で、月を見るその目は狂皇子とは思えないほど優しい。
それが何故か天流の心の奥を揺るがせる。

“本当にお前は馬鹿だ”

そう言って、自分がルカ・ブライトの頭を撫でる様子が浮かんでくる。
会ったことはないはずなのに、これほどにも強大な存在なのに。
ルカ・ブライトの腕に抱かれることに、安らぎすら感じる。



遠くから近づいてくる気配に、一気にその場の空気が変わった。

坂道を駆け下りてくる兵士の姿に、ルカの表情ががらりと残忍なものになる。

先頭を走る男には見覚えがある。
ユニコーン隊の団長、ラウドだ。


「ルカ様、あの二人はどうやら崖から身を投げたようです。下は激流、あの高さでは助かることはないでしょう」

「ガキ共の死体を確認したわけではあるまい。だが、使えるな。万が一生き残っていた時のためにも布石を置いておくか。くくく・・・」

気が弱いものが聞けば気絶しそうな程に恐ろしげな哄笑が夜空に響く。


月を見るルカの目には、もう狂気のみが宿っていた。





■■■■■





翌日早くには、都市同盟が協定を破ってユニコーン隊を襲ったという情報がハイランド軍にもたらせられた。


「くそぉ! 都市同盟の奴等め!!」

知らせを受け、シードは激しい怒りのままに机を殴りつけた。
冷静なクルガンさえも憤りを抑えきれずに歯を食いしばる。

「ケントは・・・弟達はどうなったのでしょう? ユニコーン隊の少年兵は!?」

部下の叫びに、シードは痛ましげに目を伏せた。

「生き残った者は・・・確認できないそうだ」

「そんな!」

兵士達に動揺が走る。

「ユニコーン隊の中に、スパイが紛れ込んでいたらしい。キャロの街の貴族アドレイド家の長男と、道場に住む孤児の少年だそうだ。現在ラウド殿達が捜索している」


少年兵を襲うとは、何と卑劣なのか。

彼らの胸には弟達を失った哀しみと、都市同盟への激しい憎しみがとぐろを巻くように燃え盛った。


絶対に許すことはできない。

ハイランド王国軍の名に掛けて、都市同盟を滅ぼす。



そして兵士達は封じかけていた剣を鞘から抜き放った。



END


暫くぶりにルカ様登場。
何故この方は当然のように際どい発言をかましてくれちゃうんでしょうかね(汗)。
ケントの目には坊ちゃんが映っています。
死に際の魂にソウルイーターが反応したようです。(喰ってはいませんよ)
最期に天流の姿を目にできたことで少しでも安らぎを感じられればと・・・。
これから話はどんどん重くなってしまうかも知れません。



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